ピアノ弾きの休日♪

~ピアニスト&ピアノ講師 遊馬(岩間)俊恵の写真日記♪〜
日々感じること。出会った人。モノ。そして音楽。

リュリカ音楽工房は…

リュリカ音楽工房は神奈川県伊勢原市にあるピアノ教室です。 “リュリカ”とはロシア語で「ゆりかご」という意味です。生徒さんの成長をあたたかく見守り応援したい、という気持ちを込めて名付けました。 留学先のロシア・モスクワより帰国してすぐにピアノ教室を始め、18年。小さなお子さまから中高年の方まで、楽しくレッスンしております。 自身も子を持つ親となったこと、親子向けのコンサートをするなどの活動から学んだことを生かし、母親としての目線を大切に、心に寄り添うレッスンを心掛けています。 現在、空き枠が少なくなっておりますが、生徒さんは随時募集中です。 詳細は教室HPをご覧ください(lyulka-musica.simdif.com)

近くなったモスクワ

2018-02-19 23:57:01 | 日々のこと


美味しそうに出来て自己満足な、今夜のパパのごはん。

カレー作るから早く帰っておいで
と昨夜から宣言していたのに、冷蔵庫の中の先に使ってしまわなきゃいけない食材との関係でこうなった…

案の定、「カレーって言ってたような…」とパパ

覚えてたか




2、3日前のこと。
モスクワ留学時代のお友だち、Tさんからメッセンジャーで連絡が。

「実は今モスクワに来ているんだけれど、Hちゃんの連絡先わかる?急に思い立って来たので色んな連絡先を置いてきてしまった」…とのこと。

モスクワにいるHとは普段、LINEで連絡を取っているので、すぐにTさんのことを伝えると、数分で返答。電話番号を聞いて、折り返しTさんにも連絡した。

ついさっき、無事に電話で話せて滞在中に15年振りに再会することが出来そうだと報告をもらった。

時差6時間、約8000km離れたモスクワとリアルタイムで、しかも無料で連絡がとりあえる世の中になったことに、あらためて感動する。



私が留学していた20年前は、日本の両親と連絡を取ることがなかなかに困難だった。

モスクワではまだ携帯電話も普及していなかったし、当初私は音楽院の寮に住んでいて自分の電話がなかったこともある。

両親は日本から中央電話局宛てに国際FAXを送って、私がそれを数日に一度、受け取りに行き(無駄足の時もある)、数十ルーブルを支払って受け取る。

こちらから連絡がある時も、中央電話局の公衆電話か、そのFAXを使っていたように思う。

しばらくして留学生同士の情報から、音楽院のパソコンルームでweb上のサービスを使ってアカウントを取得すれば(確かhotmail)メールのやり取りが出来ると知り、ロシア語と英語のアルファベットしかないキーボードから、ローマ字打ちで両親にメールを書いていた。

そんな暗号めいたメールのやり取りも今は懐かしい笑い話で、苦労したことほどいい思い出だ。



半年が過ぎた頃、アパートを借りて一人暮らしを始めたので、自宅から好きな時に国際電話が掛けられるようになったが、かなり高額でそんなに頻繁には掛けられなかったし、

国際電話の通話料の支払い方法がまた面倒で(市内通話は無料だった)、明細書がポストに届くとアパートがある地区の事務所?に出向いて支払うのだけれど、私自身言葉が拙いし、事務所が開いてない時もあって出直しすることもしょっちゅうだったので、あまり使わないようにしていた。


二年目に入る頃、長期の休みで日本に帰国した時に父がノートパソコンを買ってくれて、当時の物はまだかなり重くて分厚かったのだけれど、それをモスクワに持って行った。

自宅にインターネット回線をつなぎたいけれどどうしたらいいかと自分なりに店に聞きに行ったりしたけれど、ノートパソコンを見せても「これは一体何だ?」と言われてやり方が全くわからなかった。

父が日本からあれこれ調べてくれて、結局海外ローミングサービスを使ってつなぐのが一番良さそうだということになり、初めてメールが開通した時の感動は今も思い出す。

今は懐かしの、電話のモジュラージャックのところに差し込んで使っていた頃だから速度も遅かったし、今みたいに何枚も写真やデータを送るなんて出来なかったけれど、

親とだけでなく他の国々に留学していた友人たちともメールで情報交換や近況報告が出来るようになり、それが練習の息抜きだった。


三年目に入る頃になると、国際電話が安く掛けられるテレホンカードみたいなのがいろいろ出てきて、プッシュホン式の電話で、カードのスクラッチ部分を削ると出てくる暗証番号を入れて使うのだけれど、

隔週くらいで、時差を見計らって日本の母とお喋りするのが楽しみで、それがちょっとした贅沢だった。



そんな苦労を思うと、この15年ほどの進化はすごいものがある。

物理的な距離は変わらないのに、世界中の国々がとても近くなったような。

恩師の記念演奏会を聴くために「急に思い立って」と身軽にモスクワを訪れた、あの頃と変わらない行動力のTさん。

あんなに遠かったモスクワが、私が遠いと思い込んでいるだけで、考え方を少し変えれば意外と近いんだと感じると同時に、

私はなんでこんなにも色んなものに縛られているんだろうかと思ってしまった

さすがに今はまだ無理かな…と思う一方で、

息子さえ連れて行くことができれば、一週間くらいモスクワを訪れることにそんなに躊躇うことはないのかも、と思うのであった。

しかし15年も行っていないので、すっかり錆びついたロシア語が不安なのと、劇的な変化をしてるであろうモスクワに飛び込めるかどうかが、やはり怖くもあるけれど。