(京都・高島屋京都店)
華展のご案内をいただいたので、山鉾巡行の翌日、歩きやすくなった四条へ出かける。
山村御流という名を、今日まで寡聞にして知らずにいた。大和円照寺に伝わる流儀とのこと。
なんというのだろう、楚々とした野の花ばかりをこれ以上ないくらい控えめに活けて、か細い茎の一本にまで光を当てる、その繊細さに感じ入る。
野山には自分の知らない草花がこんなにあるのだと驚き、さまざまなものを花器に見立てるセンスに驚き、花器と花とが調和し互いを引き立て合うマジックに驚き、しかし、全体として何の作為も感じられないことにものすごく驚く。もちろんそこには気づかれない計算があるらしいのだが、伝わってくるのは、名もない花の命や花器の美しさを慈しむ気持ち、ことさら何かを主張することなく静かに日々を楽しむ気持ち、理想のスティルライフがここにあるような気がする。
普通の華展なら、家元の作品は一番の大作だったりするのではないかと思う。けれど、この日、お家元の作品はガラスの小瓶に小さな花と実が一種ずつ、まるで幼子が摘んできて入れたかのように何気なく挿してあるだけだった。まさに究極のところで、流儀の真髄を直截に伝えてくる。絶句してしまう。
こんな草なら家の庭にいくらでもあるではないかと、無性に花を活けたくなって、急いで帰宅し真似してみたのが、これ。
簡単なようで、全然思う方を向いてくれない。花と親しくなるのは難しい!
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山村御流という名を、今日まで寡聞にして知らずにいた。大和円照寺に伝わる流儀とのこと。
なんというのだろう、楚々とした野の花ばかりをこれ以上ないくらい控えめに活けて、か細い茎の一本にまで光を当てる、その繊細さに感じ入る。
野山には自分の知らない草花がこんなにあるのだと驚き、さまざまなものを花器に見立てるセンスに驚き、花器と花とが調和し互いを引き立て合うマジックに驚き、しかし、全体として何の作為も感じられないことにものすごく驚く。もちろんそこには気づかれない計算があるらしいのだが、伝わってくるのは、名もない花の命や花器の美しさを慈しむ気持ち、ことさら何かを主張することなく静かに日々を楽しむ気持ち、理想のスティルライフがここにあるような気がする。
普通の華展なら、家元の作品は一番の大作だったりするのではないかと思う。けれど、この日、お家元の作品はガラスの小瓶に小さな花と実が一種ずつ、まるで幼子が摘んできて入れたかのように何気なく挿してあるだけだった。まさに究極のところで、流儀の真髄を直截に伝えてくる。絶句してしまう。
こんな草なら家の庭にいくらでもあるではないかと、無性に花を活けたくなって、急いで帰宅し真似してみたのが、これ。
簡単なようで、全然思う方を向いてくれない。花と親しくなるのは難しい!
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ちょっと前お家元(超高貴なお方らしいです)がお亡くなりになってしまって、とても残念なのですが
流派の精神はちゃんと受け継がれていて、嬉しいことですね。
奈良の人間ですので、しばしば花展を拝見できる幸せ者ですが、
以前見たお家元のお花で、凛とした床の掛け軸の前に、
フランスの香水瓶のようなものにオオイヌノフグリが一輪、というのが衝撃的でした~~
山村御流、わたしが無知だっただけでとても有名なのですね。
ファンがたくさんいらっしゃるのを知りました。こんなお花もあるんだなぁ~。
なぜこちらへ伺うことになったかというと、松殿山荘に飾られているお花がいつも素敵だなと思っていて、それはご当主がされているのですけれど、今回門人のおひとりとして、出展されていたからなのです。これまた素敵なお作でした~。
勢いで本を買ってしまいました。届くの楽しみです♪