月扇堂手帖

観能備忘録
あの頃は、番組の読み方さえ知らなかったのに…。
今じゃいっぱしのお能中毒。怖。

冷泉家「乞巧奠」

2017年08月28日 | その他
冷泉家「乞巧奠」(京都・冷泉邸)

毎年旧暦7月7日に冷泉邸で乞巧奠(きっこうてん/きっこうでん/きこうでん)が催される。

ニュースや新聞では見たことがあったけれども、実際に目の前で拝見したのは初めて。どうやら一般公開ではなく、冷泉家の門人にご招待がくるというものらしい。今年は、知人のご好意で寄せていただくことができた(ちょっと棚ぼた式に)。

乞巧奠は、七夕(たなばた)祭の原型。牽牛・織女の二星が天の川を渡り一年に一度の逢瀬を楽しむという伝説が中国から伝わり、わが国の棚機(たなばた)姫の信仰と結合して、女子が機織など手芸の上達を願う祭になった。が、実はこのあたりの関係は非常に込み入っていて、わたしは詳細を把握しきれていない。

冷泉家の乞巧奠は、
 ・昼間は蹴鞠
 ・日没とともに雅楽
 ・和歌披講
 ・流れの座(本来は夜明けまで)
という次第で行われるものらしいが、現在、蹴鞠をするスペースがないということで、日没の雅楽から始まる。

和歌の披講は、神社の宴などでしばしば拝見するのと似た形式だが、「流れの座」についてはまったく知らなかったので、目を丸くしながら見入っていた。

数組の男女が向かい合って並び、その間に天の川に見立てた帯状の白絹を流す。七夕にちなむお題を引いて和歌を詠み、扇に載せて互いに取り交わす。それにまた返歌をして…ということを(本来は)夜通しくり返すのだそうだ。

無言でやりとりするので見学者にはどんな歌が読まれたのかわからない。ということで、途中、実況中継風に解説が入って歌をいくつか披露してくださるのはありがたかった。

庭寄りの隅に座ったら、牽牛織女への供物が置かれる〈星の座〉がよく見えた。それを取り囲む9つの灯火が星のように光り、何かの星座のようにも見えて幻想的だった。

旧暦7日の月は必ず半月で、それを「月の船」と呼ぶのだそう。一説には二星はこの船で天の川を渡るとか。


写真は京都新聞デジタル版より

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祝:365日

2015年05月31日 | その他
お能を見始めて10年ほどになります。

自分の記録を兼ねてブログを書いてきて、このほど、「観能記録」の記事が365件になりました。

これは、ほぼ十年のうち丸一年はお能を観ていた日ということになります(よね?)

中にはビデオやテレビ鑑賞もありますが、ずいぶんと能楽堂に通ったものです。

もちろん、もっと頻繁に通われている方を山ほど知っておりますが、わたしとしては感動に値するすごいことです(自分で自分を誉めてあげたい)。

お勉強せずにただ漫然と観るというのが当初からのポリシーで、その通りにしてきたら十年経っても何もわかってない状態なのがやや悲しくありますが、とりあえずここを区切りにしようと思います。

お能は見続けると思いますし、もう少しきちんと語れるようになりたいとも思いますが、義務のように書くのはここまでということに。

ブログは閉じずにおきますし、何か面白いイベント(お能含む)に遭遇したらちらりと書く場は残しておきます。思い出したら、時折ふらりと寄って下さい♪

それにしても365日目の観能が「糺勧進能」でよかった~。

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能 春日龍神  幽玄 × デジタル

2015年05月10日 | その他
5月3日(日) Eテレ関西放映 

1月に奈良で行われた「奈良春日野国際フォーラム 甍~I・RA・KA~」で試みられた演目。

仕舞「春日龍神」をモーショングラフィックスの技術と組み合わせて映像化する。

この技術は、太秦東映村とか、先年の「大出雲博」の神話シアターとかで使われていたように思う。リアルに動く演者の背後でスクリーンに映し出される映像や効果音がファンタスティックな世界を演出する。

これがいいとか悪いとか言うことはできないけれど、多分、お仕舞にしてもお能にしても、見る者の脳内にはこれくらいの映像が炸裂していてほしいというのが作者(世阿弥とか)や演者の思いなのだろう。自分の脳はまだまだ固く、お能の可能性の3%くらいしか楽しんでいないのかも知れないなと思わされた。

明恵上人の法力、龍神のミラクルパワーを目のあたりにして、金剛界まで体験したかのような法悦にひたりました。

  
映像作家花房伸行&能楽師武田宗典によるコラボレーション

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夏野のかおり~大和円照寺 山村御流いけばな展

2014年07月18日 | その他
(京都・高島屋京都店)

華展のご案内をいただいたので、山鉾巡行の翌日、歩きやすくなった四条へ出かける。

山村御流という名を、今日まで寡聞にして知らずにいた。大和円照寺に伝わる流儀とのこと。
なんというのだろう、楚々とした野の花ばかりをこれ以上ないくらい控えめに活けて、か細い茎の一本にまで光を当てる、その繊細さに感じ入る。

野山には自分の知らない草花がこんなにあるのだと驚き、さまざまなものを花器に見立てるセンスに驚き、花器と花とが調和し互いを引き立て合うマジックに驚き、しかし、全体として何の作為も感じられないことにものすごく驚く。もちろんそこには気づかれない計算があるらしいのだが、伝わってくるのは、名もない花の命や花器の美しさを慈しむ気持ち、ことさら何かを主張することなく静かに日々を楽しむ気持ち、理想のスティルライフがここにあるような気がする。

普通の華展なら、家元の作品は一番の大作だったりするのではないかと思う。けれど、この日、お家元の作品はガラスの小瓶に小さな花と実が一種ずつ、まるで幼子が摘んできて入れたかのように何気なく挿してあるだけだった。まさに究極のところで、流儀の真髄を直截に伝えてくる。絶句してしまう。

こんな草なら家の庭にいくらでもあるではないかと、無性に花を活けたくなって、急いで帰宅し真似してみたのが、これ。
簡単なようで、全然思う方を向いてくれない。花と親しくなるのは難しい!



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schola 坂本龍一「日本の伝統音楽」(4)(5)

2014年03月06日 | その他
NHK Eテレ2/27、3/6 放映

メモ)・能の囃子は8拍が基本だが、拍自体が伸縮する。
   ・西洋音楽は統制しようとするが、囃子はずらそうとする。←揃うのはかっこ悪い。
   ・「道成寺」乱拍子のもとは「翁」にある。非常に古いもの。


   ・文楽=人形浄瑠璃
   ・「浄瑠璃」という呼び名の由来は、「浄瑠璃姫物語」
      「浄瑠璃姫物語」は、奥州へ下る途中の義経と浄瑠璃姫との恋物語
       (静と別れてもうそんな…(/_;) )  
   ・「文楽」という呼び名の由来は、人形浄瑠璃の劇場「文楽座」
   ・文楽は語り物から発展しているが、歌舞伎は歌から発展している。
    ルーツは違うが影響はある。

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schola 坂本龍一「日本の伝統音楽」(3)

2014年02月25日 | その他
NHK 2/20放映

「日本の伝統音楽」を5回に分けて論じるシリーズ。第一回から観ていて、ようやく三回目に能楽が登場。録画で観賞。

坂本教授は必ずしもこういう司会が上手ではないけれど、そこは、まあ坂本教授なのでよいことにして…。

今日、面白かったのは、「能」と「狂言」はなぜ「能」と「狂言」になったのかといったようことが非常にクリアに説明されていたこと。

その前に、「猿楽」というものがどういうものだったかがクリアに説明されていたこと。

正直、このあたり、わかったようなわからないような部分でした。

大陸から渡ってきた「散楽」は主に宮廷で演じられ、大まかに言うと、〈アクロバット〉〈手品〉〈お笑い芸〉という三つの要素から成っていた。そこに日本古来のお笑い芸〈俳優(わざおぎ)〉が加味されて「猿楽」というものになった。猿楽師は宗教儀式において僧侶に代わりさまざまな役を演じるようになり、この部分が徐々に演劇化された。「翁」はこの過渡期のもの?



誰もが死と隣り合わせだった戦乱の世に、人々の心を救うため新仏教は起こり、また亡霊の成仏を描く能が成立する。

そのとき、猿楽の中に取り残された宗教性以外の部分が凝縮されて狂言となった。

能は、死者を描く歌舞劇であり、狂言は生者を描く科白劇である。

ちなみに「自然居士」などは、まだ能と狂言が未分化な時代のものに思われ、両方の要素が含まれている。

子供たちを集めたワークショップでは、萬斎さんが茸歩きのご指導。

お囃子実演は、広忠君以外は関西勢(杉信太朗、吉阪一郎、前川光範)。

なんだか無性にお能が見たくなってきた(^_^)

参考:http://www.nhk.or.jp/schola/index.html

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三十三間堂 通し矢

2014年01月12日 | その他
大的全国大会(京都・三十三間堂)

新成人の初射会として有名な三十三間堂の大的大会。テレビや新聞では振袖に袴姿で弓を構えた若い女子だけがクローズアップされるけれども、もちろん新成人の男子も、そしてベテラン称号者の部もある。

家人がボランティアでお手伝いに出ているので、わたしも決勝だけ拝見しようと出かけて行ったが、着いた頃にはほぼ終わっていた(_ _;)

新成人は、男女とも桜美林大学の学生が優勝した模様。快挙ですね。

称号者の決勝。


入賞者の記念撮影。


三十三間堂はすむかいに甘春堂さん。
 

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初詣(伊勢神宮/上賀茂神社)

2014年01月01日 | その他
いまさらですが、ことしは元日からお伊勢さんへ行ってまいりました!
 

神棚もget。


3日は上賀茂神社へ。


鳥居までひとが並んでいるので何だろうと思ったら手水舎からの列でした。
行列は遠慮して、御手洗川で手を濯ぎ本殿へgo。

毎年いただく卯杖。


馬神籤と八咫烏神籤(ペンギンにしか見えない(^_^;))
 

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あかいくらやみ

2013年05月31日 | その他
(大阪・森ノ宮ピロティホール)



久しぶりに小栗旬の舞台を観るのでわくわく。お友達がとってくれた席はかなり前方で、こんなにオグシュンに接近したのは初めて*^o^*

いま、NHK大河ドラマは幕末の動乱のくだりで、会津のお殿様が気の毒で気の毒で観ていられない(龍馬も西郷も嫌いだ!)くらいだが、この時期、やはり気の毒だった水戸天狗党の悲劇を柱にお話は構成されている。

原作は、山田風太郎著『魔群の通過』とのこと。

実力派の役者陣がそれぞれにめいっぱいの仕事をしているので、そのことに不満はなかったけれども、上演時間2時間半は長すぎた。

たとえ波瀾万丈抱腹絶倒なお芝居であっても2時間を超えると観客は辛くなってきて印象は悪くなるものだ。まして、舞台背景にも登場人物にも変化がない中で、なぜ2時間半もの長さを許したのか理解できない。内容的には冗長な部分、くどい部分が多く、しばしば意識を失いかけたくらいだから、30分削ろうと思えば容易だったはず。

演出家が舞台上にあがってしまっているので客観視できなかったのだろうか。

わがままを承知で言うと、小栗旬目当てで出かけたファンとしては、彼が復員兵の地味な軍服を着たきりなのがヴィジュアル的に寂しかった。

そもそもこの役、わざわざ小栗旬が演ずる必要があったのかとも思う。辞書的に正しい意味で「役不足」という気がする。
もっと彼の魅力を活かせる役をしてほしい。

そういう意味では女優陣のほうが得をしていた。

ことにおゆんの土人形(なぜ土人形なのかは不明)役の後藤海春が光っていた。ひとことも台詞がない(そもそも口をふさがれている)役。ダンサーであるらしい。



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