月扇堂手帖

観能備忘録
あの頃は、番組の読み方さえ知らなかったのに…。
今じゃいっぱしのお能中毒。怖。

敦盛、直実供養塔

2014年06月18日 | 謡蹟
金戒光明寺(京都・京都市左京区黒谷町)


敦盛を手にかけた熊谷次郎直実は、ここ黒谷、法然上人のもとで出家した。そのときに鎧を洗った池は〈鎧池〉と呼ばれ、鎧を掛けた松は〈鎧掛けの松〉と呼ばれるようになった。現在の松は三代目(二代目は昨年枯れてしまった)。



池のそばに直実の結んだ庵が〈蓮池院〉。〈直実堂〉の額が掛かっている。
 

境内の法然廟の前には、敦盛と直実の供養塔が左と右に建てられ、対になって向き合っている。
法然上人があたかも間に立って、双方の心を慰めているかのようだ。

 

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東北院(東北)

2014年06月17日 | 謡蹟
雲水山東北院(京都・京都市左京区浄土寺真如町)

菩提樹が満開だからと友人が連れていってくれた真如堂を出ると、東北院の駒札があった。



それによると、藤原彰子とそこに仕える和泉式部が住んでいた東北院は荒神口のほうにあったらしい。現在のここ東北院は元禄年間に再興されたもので、そのとき謡曲「東北」の軒端の梅にちなんで、ここにも梅が植えられた。

写真中央奥で青々しているのが現在の軒端の梅。やはり花が咲いているときに来ないといけません(^_^;)



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野宮神社

2013年03月26日 | 謡蹟
野宮神社(京都市右京区嵯峨)



斎王が伊勢に向う前に潔斎をした「野宮」に由来する神社。


黒木の鳥居と小柴垣

 
鳥居はクヌギの原木で、従来は三年ごとに建て替えてきたが、近年クヌギの木が少なくなりそれがかなわなくなった。
現在の鳥居は、平成五年に寄進されたもので、徳島県剣山の麓から伐り出され防腐処理を施されたものとのこと。

 
言わずと知れた縁結びの神。でも、六条御息所の恋は叶わなかったんだよなぁ。



とにかく、国籍を問わず、恋愛、安産、合格を祈願する人々でごったがえしてました。

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小町寺

2012年11月20日 | 謡蹟
天台宗如意山補陀洛寺(京都市左京区静市市原町)

鞍馬温泉に行く途中にとっても綺麗な紅葉が見えたので、帰りに寄ってみたら、別名「小町寺」と呼ばれているお寺だった。



小野小町終焉の地と伝えられているそうで、小町と深草少将の供養塔が建っている。


手前が少将の、階段の上のほうに見えるのが小町の供養塔。



墓地に囲まれていて、風になびく薄や枯れ草が、百夜通いをなんとなく想像させる。


ちょっとイメージがちがう…(_ _;)

追)貴船神社、鞍馬寺も紅葉が綺麗だった。

謡蹟:大原寂光院(大原御幸)

2011年12月07日 | 謡蹟
清香山玉泉寺寂光院(京都・京都市左京区大原)


初雪の舞う前日、大原の里を逍遙。

 

開山は聖徳太子の時代に遡る。太子が父用明天皇の菩提を弔うために推古2年(594年)に建立。本尊は聖徳太子作と伝わる六万体地蔵尊であったが、2000年5月9日火災にあって大きく損傷。真っ黒な炭と化した現在も重要文化財であることには変わりなく、収蔵庫に保管されている。

天台宗の尼寺で、初代は太子の乳母であった玉照姫。


お茶室前に立つ駒札。

 
ご神木〈千年の姫小松〉
「光の影も明らけき。玉松が枝に咲き添ふや…」


〈汀の桜〉
「池水に汀の桜ちりしきて波の花こそ盛なりけり」

 
建礼門院に付き添っていた阿波内侍、大納言局らのお墓


建礼門院の庵室跡

 
建礼門院の墓所



ところで、夜、自由研究の発表会があったので、能「大原御幸」とはどんなお話かを紙芝居仕立てで説明させていただきました。呆れられました(^_^;)


はじまりはじまり~のところ。 


法皇がやってきたところ。

 
六道を語る建礼門院。

★これから謡蹟を意識して歩いてみようと思い、少し遡っていくつか記事を足しました。謡蹟保存会による駒札もあったらしいのに全然見逃しているあたり、まだまだですが…。

信夫文知摺(古今和歌集、百人一首)

2011年11月11日 | 謡蹟
曹洞宗香澤山安洞院(福島:福島市山口)

謡蹟というよりは、歌枕だろうか。 

文知摺石は、
「みちのくのしのぶもぢずり誰故に乱れむと思ふ我ならなくに」(古今和歌集)
「みちのくのしのぶもぢずり誰故に乱れ初めにし我ならなくに」(伊勢物語、百人一首)
の歌で有名だが、この作者は河原左大臣融ということになっている。

でも、お能の「融」には出てこないようだ。

このあたりは昔、しのぶ草の産地で、石の上に布を置き、その上からしのぶ草をすりつけるという方法で染めていたのだとか。だから大きな石なのだな。

上記の歌は、ここへ赴任してきていた源融が都に呼び戻されてのち、信夫の里に残してきた恋人虎女に送ったとされる。けれどもその歌が届いたとき、虎女は待ちくたびれて逝ってしまったあとだった。悲恋である。


紅葉も名残。この奥に文知摺石がある。

 

 
河原左大臣の歌碑

芭蕉、子規ほか、歌碑がたくさん建てられていた。

謡蹟:医王寺(摂待)

2011年11月11日 | 謡蹟
瑠璃光山医王寺(福島・福島市飯坂町)

義経の忠臣、佐藤継信、忠信の菩提寺。

「摂待」
継信は屋島で、忠信は都で、ともに義経の身替わりとなり討ち死にする。その後、義経一向は山伏の姿を借りて奥州に逃れ、途中、佐藤の館で山伏接待を受ける。佐藤の母親は彼らの正体を見抜き(彼らに会いたくて始めた接待なので)、息子の最期を聞いて悲しみ、継信の子鶴若は義経らに同行したいと言ってきかない。弁慶は「今日は旅支度をしろ、明日迎えに来る」と騙してようやく宿を発つ。

 


このアングルでドラマのポスターがとられたそうだ。


本堂

あとから栞を読むと、主従の像や墓所も見られたようなのだが、ぼんやりしていて見損なった。

とても静かで雰囲気のよいお寺だった。

太宰府天満宮/太宰府庁跡(雷電)

2011年09月04日 | 謡蹟
太宰府天満宮(福岡・太宰府市宰府)
太宰府庁(都府楼)跡(福岡・太宰府市観世音寺)

「雷電」に太宰府が出てくるわけではないけれども、管相丞の左遷先ということで。

謡蹟巡りという意識はさらさらなかったので多くの物を見逃した(_ _;)


この右手に切れてしまっているのが伝説の〈飛梅〉だったらしい。

こちらは府庁跡。ひろびろした公園になっている。筑紫の国の雄大さを実感するばしょ。
礎石に腰掛けてしばらく風に吹かれていると心地よかった。
パワースポットだという噂も。


南門跡


水天宮(大原御幸)

2011年08月31日 | 謡蹟
全国総本宮水天宮(福岡・久留米市瀬下町)



旅先で時間を潰さねばならなくなり、ふらりと寄った。駅から近くて涼しそうな場所だったから。行くまで、天御中主神 (あめのみなかぬしのかみ)に並んで、安徳天皇、二位の尼、建礼門院が祀られていることを知らなかった。



壇ノ浦の戦いのあと、建礼門院に使えていた按察使局(あぜちのつぼね)伊勢がここへ逃れてきて祀ったとも言われている。


按察使局を祀る千代松社

他にも、実は安徳天皇を抱いていたのは按察使局で、抱いたままここへ生きて逃れてきたという異説もあるのだとか。

全国にある水天宮はすべてここの末社らしい。

広々としてよいところだった。すぐそばを筑後川(旧千歳川)がゆったりと流れている。