月扇堂手帖

観能備忘録
あの頃は、番組の読み方さえ知らなかったのに…。
今じゃいっぱしのお能中毒。怖。

「能楽と今様、白拍子について」

2011年02月06日 | 講義
日本今様謌舞楽会護持会(京都・ハイアットリージェンシー京都)

小鼓方大倉源次郎師による講演。

テーマとしては、往時の白拍子がどのような旋律に乗せて今様を歌い舞っていたのか、そのヒントを能楽の中に探すというもの。

今様がリアルに「今様」だったのは後白河法皇の時代12世紀。能楽の発祥は観阿弥の頃とすると14世紀。

お話を全部理解したとは言い難いけれども、かいつまんでみると、歌には拍子に合う歌と合わない歌があって、拍子に合う歌というのは基本的に田植え歌などの労働歌である。

単調で辛い仕事も、皆で並んで歌いながらだと捗る。水田が広がって人口が増えるほどにこうした歌の必要性は増し、しかも退屈ではない面白い歌を次々に作らねばならぬという意味で〈芸能〉の発展があった。リズミカルな「三番叟」は拍子に合うほうの歌だ。

一方、「翁」には拍子に合う部分は一箇所もない。こうした拍子に合わない歌は、基本的に祈祷であり神仏に向けたものだ。こちらは〈延年芸能〉としてさまざまに発展していく。

能楽は雑多な芸の組合せであるけれど、そこに白拍子が出てくるとき女曲舞(「船弁慶」の静の舞や「二人静」)は拍子合わずである。一つ頭という鼓の手のくり返しであるから、そのあたりに往時の今様の歌われ方のヒントがありそうだ。というのがこの日のひとつの結論だった。

他に石垣島の鼓の話もあった。

『七十一番職人歌合』という中世の絵巻があって、その中に〈白拍子〉も職業のひとつとして登場する。


ここに転がってる鼓は、今日よくみる鼓とはちがい、縁が黒く塗られている。
これと同じデザインの鼓が石垣島に残っているそうだ。

石垣島では大鼓を「大皮(ウードウ)」小鼓を「小川(クードウ」よび、これは江戸期以前の囃子方が「大筒(おおどう)」「小筒(こどう)」と呼ばれていたことと対応しているとか、小鼓を左肩に構えて演奏するとか、現代能楽師とは異なる点が多い。鼓の古い形を研究する上で注目すべき土地であるのだとか。

いろいろなことを実際に鼓を打ちながら解説してくださるのでインパクトがあり、またわかりやすかった。


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