月扇堂手帖

観能備忘録
あの頃は、番組の読み方さえ知らなかったのに…。
今じゃいっぱしのお能中毒。怖。

茂山千作さんをしのんで

2013年06月11日 | 能楽師
NHK Eテレ(6/8放映)

5/23に93歳で亡くなった茂山千作師の追悼番組。

〈生涯現役〉という言葉通り、最後の最後まで舞台に立っていらした。
かくありたいと思うけれども、なかなかあのようには生きられないと思う。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

番組は、記録映像を挟みながら、権藤芳一(演劇評論家)、野村萬(和泉流狂言師・人間国宝)、三林京子(女優・落語家)という三人のゲストから故人の思い出を聞くという構成。

舞台に出てくるだけで自然と笑みをさそえる天性の狂言役者と言われたけれど、あらためてその舞台を見ると、作為を感じさせないほど自然な演技は、やはり技量というものだろうなとも思う。

「お豆腐狂言」は言うほど簡単なものではないだろう。

ゲストのお三方が、心から故人を敬愛していることが伝わってきてあたたかい気持ちになる。

映像の役者たちがみな若いので、今は中堅の方々も、こんな若造だったんだなと思ってみると楽しかったり。

千之丞の〈知〉と千作の〈情〉が相並んで茂山家の芸を支えたということらしい。

まったく、戦後の厳しい時代に、このかけがえのない兄弟の努力があって、狂言会の今はあるのだなと実感。
さまざまな世界とのつながりを作り、千作師を動かしたのは弟の千之丞師。
千作さんがいなかったら東西共演はなかったのではないかと野村萬師の言葉も。

挿入された舞台記録は下記の演目。

「素袍落」:千五郎師と親子共演
「唐相撲」:人も装束も揃えるのが大変でなかなか演じられない曲。
      千作師のご母堂がこつこつと装束を縫って揃えて演じたことが
      あり、もう一度見たいとの所望に応えて舞台が組まれたものの、
      直前にご本人は逝去された。茂山一門が舞台からこぼれ落ちそう
      なほどで圧巻。
      京都での再演をわたしも所望したい!
「棒縛」:千之丞師と兄弟共演
「千切木」:〃
「萩大名」:〃
新作狂言「彦市ばなし」(木下順二作)
TVドラマ「なにわの源蔵事件帳」第20話:お宝映像!
「千鳥」:野村萬師と東西共演
スーパー狂言「ムツゴロウ」(梅原猛作):これ、面白そう!!
「枕物狂」:地謡つき
素狂言「九十九がみ」(高橋睦郎作):装束付きで演じるには覚えきれないほどの
      長大作。素謡に倣って素狂言を試みたところ、実は台詞は(頭に)入
      っていたので、熱演となった。
「花子」:千之丞演じる妻相手に花子とののろけ話をするくだり。

よい番組でした♪

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菖蒲の会

2013年05月12日 | 能楽師
(京都・原大師宅)



会場となっている原師宅に伺うと、窓辺に篠懸がたくさん干してあった。来月の京都薪能「大江山」に使うものだそうだ。

「大江山」は、ワキ方にとっては重い曲だけれど、なかなか上演されない遠い曲。
大屋台がいる、ワキツレの人数が多い、と主催者の負担はかなり大きいのに、シテはころっと負けてしまうだけだから、シテ方主催の公演ではまず選ばれることがない。

なので、今回演じることができるのはとても嬉しい & 準備も大変だというお話を中心に、他の重習いの曲(道成寺、紅葉狩、羅生門など)について、亡き師匠について、ワキ方の流派についてなどなど、盛りだくさんのお話だった。

ワキ方は舞台上あまり主張はしないけれども、ほんの少し身体の向きを変えたり視線を外したりするような細かな所作にも口伝秘伝があること、誰にも気づかれなくともこういう心持ちで演じているよ、というような具体的なお話がとても面白かった。

ちなみに「大江山」に登場するワキ方は、源頼光、独武者と四天王だけど、「独武者」というのはもともとは頼光の家来である平井保昌が一人だけ連れて来た武者のことであって、位としては四天王より下なのだそうだ(一説として)。「火取武者」説もあるらしい。

装束の着付け体験もあり、ヨウダさんが挑戦。
↓独武者になったヨウダさんです♪



使った装束を畳みながら、翁付き脇能の場合、翁にワキは出ないし盃ももらわないにもかかわらず、翁より先に装束を着けいなければならないのだとか、脇能の「幕ばなれ」のお話などしてくださる。

最後に、「藤戸」の語りを生で聴く。痩せ型なのに、ものすごい声量だ。
空気が振え、梁の上の塵も舞いそうだ。あんな声が出せたらいいなぁ。

とても贅沢でありがたいひとときでした。

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グラン・ジュテ(大島衣恵)

2012年08月28日 | 能楽師
Eテレ 8月28日放映

喜多流で唯一シテ方を許された女性。

能の家の長女に生まれて2歳から舞台に立った。けれども、中学生になると、もう女の子は舞台に立たなくてよいし楽屋の手伝いも無用と言い渡される。シテ方としての未来はないのだと諦め、邦楽の勉強をするが、他流で頑張っている女性能楽師の存在を知り心が揺らぐ。

英国から創作能の依頼があり、「PAGOTA」を演じたことから道が少しずつ開けてきたところ。

舞台上のきりりとした姿もだが、それ以上にインタビューを受ける口調の柔らかさが印象的だった。

女性が社会で成功するには、やっぱり美しさと柔らかさが必要なのかなぁと感じ入った。
もちろんその前に、強い志が。

「PAGOTA」機会があったら見てみたいと思った。

第一回紫陽花の会

2012年06月09日 | 能楽師
(京都・原大師宅)

ヨウダさんを介して耳寄りの情報をキャッチ、原大先生のお話し会へ。
先生もこういう会は初めてだそうで、すごく緊張するとおっしゃりながら、だからこそ建前論とはちがう素のお話が聞けてとてもよかった。

というよりも、8年目にしてようやく原師に「好きです」…じゃなくて(^_^;)、「ファンです」と告白できた記念すべき日であります。

もったいないので内容はあまり書かない!。

↓でも、ちょっとだけ書くと、これは、扇屋さんだけに伝わっていた京都高安流専用の意匠「腰に桜」。
(谷田師を偲んで扇を作ることになった折に発掘された。たぶん谷田師もご存知なかったのでは…とのこと)。


るんるん♪

能へのいざない ~味方 玄~

2012年06月04日 | 能楽師
KBS京都 羽田美智子の「京都専科」

しばらくほかのことでばたばたしていて能楽堂から足が遠のいている。

能楽堂に行かないと、演能情報が集まらないのでますます足が遠のいてしまう。

せっかく誘っていただいてもすでにほかの予定が入っていたり…。

というような昨今、久しぶりにちょっと気持ちがお能に戻りました。

玄師の「テアトルノウ」や、京都観世会の「面白能楽館」など、新しいファンを増やす試みのいくつかを紹介していた。

玄師自宅稽古場では、同志社の学生さんたちがお稽古していた。(女子ばかりだったから同女かも?)。

そろそろまたお能が見たいなという気分になれたけど、月末までは無理そうだ(_ _;)

「阿古屋松」も見たかったけどなぁ。

この番組、京都でしか放映されないのかしら。




たけしアート☆ビート「観世清和」

2012年02月15日 | 能楽師
NHK BS プレミアム

ビートたけしが今一番会いたいアーチストに会いにゆき、いろいろ先端の話を聞くシリーズ。

短い時間の間に観世流宗家自ら至れり尽くせりの大サービス。

しょっぱなから、観世能楽堂でたけしひとりのために、観世清和、森常好のシテツレで「羽衣」1曲40分。
舞台裏で小鼓、大鼓体験。広忠くんしきりに「御上手、御上手」って‥^^;
鏡の間から「おまーく」で舞台へ出て、舞台上で着付け体験、面をかけて摺り足体験。また「御上手、御上手」^^;
さらに、門人もなかなか入れない倉庫で義政や家康から下賜された装束に触れ、世阿弥直筆と言われる風姿花伝を実見。

そういえば、数年前には裏千家家元自ら一客一亭で彼をもてなしていたし、伝統芸能の継承者たちは、自らの芸能分野を普及させるための貴重な装置として彼を捉えていることがわかる。

とにかくここにインプットしておけば、いつか何かの役に立つはず‥。少なくとも、いつもと違う層の視聴者が〈能楽〉に触れることになるわけだし、出し惜しみはしないのだ。

多忙な中、収録にこれだけの協力をしたことが、どうか無駄にならず世間に能楽の魅力が広まりますように。

そんなわけで、息つく暇もないほどぎっしりな内容だったのだけど、ただひとつ、〈猿楽〉のキャプションの背後に映っていた絵は、わたしには〈田楽〉に思えたけれども、どうなのでしょう?

田植えのそばで踊ってました。だから田楽というのは、わたしの認識違いかどうか、乞う御教授。

nakata.net

2010年09月30日 | 能楽師
〈プチ鼓堂〉のブログで、元サッカー選手の中田英寿氏が鼓の話を聞きに曽和家を訪れたことを知り、さっそく〈nakata.net〉を覗いてみると、他にも京都のさまざまな場所に出没していて面白そう。

あのヒデが、能面をつけて摺り足のお稽古をしたり(ちなみに女性の着流し姿です(^_^;))、素晴らしく美しい姿勢で小鼓を打ったりしている。

特に片山家訪問の記事には動画がついていて、幽雪師の肉声が聞け、清司師の摺り足のお稽古などが拝見できます。

お時間のある方はどうぞ。

サイトの構成が複雑なので、一端をメモしておくと…

●京都篇インデックス

●伝統から未来へ
「片山家能楽・京舞保存財団 片山幽雪(九世片山九郎右衛門)さん」

●囃子方の名手
「幸流小鼓方・曽和博朗さん、曽和尚靖さん」

●笑いの芸術
「茂山千五郎家」

●力強さとたおやかさ
「片山家能楽・京舞保存財団 京舞井上流五世家元 井上八千代さん」

ザ☆スター「野村萬斎」

2010年06月05日 | 能楽師
NHK BS2放映

夜チャンネルをあちこち替えていたら、声を映像化する機械の前に立つ萬斎さんがいた。

なんでも、彼の〈七色の声〉の秘密に迫る企画だったらしい。

彼が謡うとき、声がお腹や背中や脚のほうからもぼわぼわっと出ている。背骨に共鳴させて音を増幅しているということらしい。途中からだったこともあって、正直このあたりはよくわからなかった。

萬斎さんの生い立ちや現在の思いなど、古い映像や知人のインタビューなどを交えてまとめている。

中学生の頃、女子トイレに潜んで女の子を驚かせていたというアブナイ暴露話も。

このひとは少年時代よりも、大人になってからのほうがずっといい顔をしている。
たいていの男性は逆だと思うので、そこに内面の修練というか能動的な成長というか、とにかく人並み以上に頑張って自己を鍛えてきた時間が見えた気がした。

みんなで狂言の〈型〉を試みる場面もあり、キノコになったり蚊になったり。
簡単そうに見えて難しそうだった。
いつか乱能で観た「菌」。きっと皆さん、すっごく大変だったんだな(^_^;)

驚いたのは、10歳の裕基くん。「靫猿」で叱られて泣きじゃくっていたあの子のこの成長ぶり。
舞台でも、すでにただの子方ではない技量かと…。

「ザ★スター」

「茂山宗彦 いまこそ狂言師の賭け時」

2010年03月22日 | 能楽師
NHKハイビジョン放映 プレミアム8<文化・芸術>シリーズ 伝統芸能の若き獅子たち

今日から四夜連続で、雅楽や歌舞伎などの若手を取り上げるらしい。

芸歴30年の節目に大曲「花子」を演ずると決め、500日以上をかけて準備する姿を追っている。

茂山家には年の近い若手が5人いて、公に質問されると「小さいときから誉められて育つから狂言師になることに疑問を抱く暇がなかったな」というように誰もが答えていたように記憶しているけれども、実際はそんなことはなくて、少なくとも宗彦(もとひこ)さんは、ずいぶんと複雑な思いを抱えて抗ったり逃げたり戦ったりしてきたのだということを、率直な言葉で語っているのがとてもよかった。

あんなに人気者なのに、分家の遠慮やら将来への不安やら、同世代の他の人々と同じように悩みはあって、それでも自分で越えていこうとする決意に胸打たれる。

たぶん人前で語りたくなどはないだろう弱音を、衒いなく語れた時点で、すでに壁をひとつ越えているのだなと思う。

昨年観世会館で演じられた「花子」を実際に見なかったのは残念だけれども、年明けてのNHK能楽鑑賞会「土蜘蛛」の充実した間狂言にはこんな背景もあったのかとひとりで納得してしまいました。

もう一度会いたかった~多田富雄、白洲正子の能を書く~

2009年02月24日 | 能楽師
ETV特集 (NHK教育 2/22放映)

録画でさきほど観ました。

昨年東京で演じられた新作能「花供養」は、パンフレットをずっと眺めていながらも、そのうちきっと関西でもやるさと自分を宥めて諦めたのだった。

その様子が一部なりともうかがえて、ラッキーだった。

川瀬敏郎氏による献花が素敵だった。柳に白椿。

正子の象徴が白椿というのは、わたしにはあまりしっくりこないけれども。

間狂言の代わりに女優真野響子が正座して故人を語る。なるほど。

後場の面、ふとした横顔に正子の表情が見えてとても不思議。似ているということなのだろうか。

*

番組の中心は、多田富雄氏の正子恋慕、身体が不自由になった氏が作能に挑む姿、そして能楽師たちが舞台を作りあげる過程。

手垢のついた「一期一会」という言葉を正子が嫌ったというくだりに共感。
わたしが普段どうしても好きになれないと思っている言葉は「一期一会」と「おもてなしの心」なのだ。
安易に使われすぎるというか、シニフィアンとシニフィエが乖離しているというか、そんな感じ。

そういえば、だいぶ昔(2000年秋だったらしい)にMIHOミュージアムで「白洲正子の世界」展を観た。
没後まもなくだったのだろう。
あの当時はお能のことは全然知らなかったので、お茶関係のものを主に見ていた。よびつぎ茶碗だけをよく覚えている。

多田氏愛用の音声出力機(音声ワープロの反対で、タイピングすると音声に変換して喋ってくれる。トークエイドというらしい)は、この番組によってずいぶん有名になったのではないだろうか。こんなマシンがあるとは、今日まで知らなかった。



いよいよ2/28から放映されるスペシャルドラマ「白洲次郎」も楽しみ!
伊勢谷友介(白洲次郎役) 中谷美紀(白洲正子役)。
正子を演じるために友枝雄人師についてお稽古したそうだ。