Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

手紙

2007-12-29 | 日本映画(た行)
★★★★ 2006年/日本 監督/生野慈朗

「手紙の力」


私は「毎日新聞の日曜版」で原作を読んでいた。東野圭吾だからてっきりミステリーだと思ったのにそうではないこと、週に一度の掲載であるため物語のスピードが遅々としていることから、あまりノレない作品であったというのが当時の印象。ところが、映画作品として一気に見ると、タイトルである「手紙」の持つ意味がしっかりとクローズアップされていて、なかなか見応えがありました。

犯罪者の家族、被害者、そして社会の有り様を考えさせる映画ながら、私が最も感じたのは「手紙」が持つ力です。本作における「手紙」のメインは兄と弟が交わすもの。しかし、それではない2つの手紙が物語を実にドラマチックに仕上げていた。一つは、由美子が会長に宛てた手紙。そして、もう一つは剛志が被害者の息子に宛てた手紙。この2つの手紙が、淡々とした物語をぐんと突き動かす。「手紙」という現代においては実にアナログな代物がどれほどの力を持っているかということを我々に見せつけるのです。

兄弟間ではない「手紙」の紹介者、杉浦直樹と吹越満が短い出演時間ながら、大きな存在感を放っています。彼らの誠実な演技がこのイレギュラーな手紙の持つ意味合いをじっくりと丹念に我々の心に染みこませる。刑務所でのラストシーンも感動的ですが、私は由美子が会長に宛てた手紙が最も心に響いた。それは当事者ではない会長が倉庫の片隅でひっそりと語るからこそ、リアリティを持って響いてくる言葉でした。

それにしても、沢尻エリカの存在感が光っている。原作の由美子は直貴を支える影のような存在であったのに対し、映画の由美子は女性としての芯の強さに加えて華やぎがある。彼女の華やぎはこの暗い物語そのものにも花を与えているし、常に日陰の存在でいようとした直貴を胸張って生きる人間に変えるための太陽そのもの。彼女の演技力の幅広さを見れば少々下手な関西弁など一向に気にならない。むしろ原作にないイメージをキャラクターに与えていることに驚く。何かにつけて比較されているが、このところワンパターン気味の長澤まさみを一気に引き離すんじゃないでしょうか。

ただ、小田和正のエンディングはいただけない。本当にいただけない。あざとすぎる。泣かせたい歌を最後に持ってくるというのは、映画の中身に自信がないことの現れではないのか。映画はエンドロールが全て終わって、ひとつの作品。若手ミュージシャンとのタイアップでもなく、既存のこの「言葉にできない」という歌をラストに持ってくるのは、作り手としてのセンスを疑う。「言葉にできない」と言葉にして歌っているこの曲自体もなんだよそれ!ってつっこんでしまうのに…。本当に台無しだったなあ。