Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

アイ・アム・サム

2007-12-17 | 外国映画(あ行)
★★★☆ 2001年/アメリカ 監督/ジェシー・ネルソン

「ビートルズに感じるやり過ぎ感」


知的障害のあるサムが娘を取り戻す感動のストーリーなのだが、私が本作において引いてしまった原因は、何を隠そう全編に流れるビートルズであった。ビートルズの音楽には「歌詞」がある。言葉がある。映画の行間として共有したいものが、具体的な歌詞として入ってくることが何だか余計なおせっかいみたいに感じられて、歌詞が言いたいことを代弁しているようで、どうにもこうにもしっくり来なかったのだ。

例えば「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」。この曲からルーシーと名付けた、という設定だから、確かに物語の中では効いてくる。だが、どうも本作品におけるビートルズ音楽というのは、嬉しや喜び、つらさの「増幅剤」としての役割のように感じてならない。あくまで個人的な好みだが、私は映画における音楽は物語を補完したり、融合したり、化学反応を起こしたりする方が好き。物語の上に「のっかってくる」音楽の使い方は好みではないのです。

まあ、そもそも設定としてサムがビートルズのマニアなので、流すなというのも無理があるのかも知れないんですけどね。それから、家庭裁判所における画面の揺れは、サムの心の揺れを表しているんだろうけど、どうもやり過ぎに感じられる。技巧に走っているというのかな。この青みがかった映像も狙いがあってのことだろうが、かえって逆効果に感じられる。

そもそもショーン・ペンがこれだけの演技をしているんだし、ここまでテクニックを凝らした映画にする必要があったのかなと思うの。むしろ、もっとオーソドックスな手法で作って、歌詞付きビートルズは「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」をエンドクレジットだけで流す。これくらい抑制されてた方が、もっと素直に物語に感情移入できた気がする。