Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

RED/レッド

2012-01-08 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★ 2010年/アメリカ 監督/ロベルト・シュヴェンケ

「じいさん、ばあさんの無茶苦茶したれ」

わしらにもまだまだできるとばかりに銃は撃ちまくるわ、爆発しまくるわ。
まあ、年寄りがんばってんなーと温かい目で見守る老人映画なんでしょうか。
年金をもらっているブルース・ウィルスが、
電話だけの交流で年金担当者の女性と恋に落ちてしまう
プラトニックぶりをお茶目と見るか、トホホと見るか。

老人映画花盛りな昨今ですから、
まじめに老いや死を考えるのもいいけど、
ばかばかしいアクション映画があってもいいんじゃないか。
そういう軽いノリですね。

モーガン・フリーマン(1937年生まれ)やヘレン・ミレン(1945年生まれ)と同じような老人扱いが
ブルース・ウィルス(1955年生まれ)にとってはどうなの?という気がしましたが、
その辺はもう開き直りなんでしょうか。
とても伸び伸びと演技しております。
ブルース・ウィルスのこれくらいの肩の力の抜け加減が
いちばん彼の魅力が出るんじゃないかと思いますね。

電話の声でしか相手を知らないのにいきなり超過激な逃避行に巻き込まれて、
どんどん相手の事が好きになってしまう「吊り橋効果」のおねえちゃんに笑えます。



ニューイヤーズ・イブ

2012-01-05 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★ 2011年/アメリカ 監督/ゲイリー・マーシャル
<梅田ステーションシネマにて鑑賞>


「思った通りで、それ以下でも以上でもなく」


(激しくネタバレ)
この手の映画を映画館で見るのはひっさしぶり。
なんか、何も考えないでいい映画を見たかったんですよね。

でも…。
確かにお気楽に楽しめるのはそうなんだけど、
やっぱり全体的にベタなノリが私の好みではない。
悪くはないんだけど。

唯一、ハル・ベリーのくだりで泣きそうになりましたがね。
この人は本当に美しい。

やっぱ、日頃からアメリカ映画に慣れ親しんでいる人が見たらもっと面白いんだろうな。
キャストの数が相当ですからね。
みんなが入れ替わり、立ち替わり。誰と誰がどう結びつくのか見守りながら見る。
これって、ある程度それぞれの俳優に対する興味が知識があればあるほどいいんだと思う。
キャサリン・ハイグルとか、ジェシカ・ビールあたりの布陣も日頃アメリカ映画でお見かけする女優さん
という知識がないと、それぞれの役回りに対する愛着が持てないよね。
なんせ、人数が多いだけにそれぞれの人物の描写が少ないからさ。

あとは音楽かな…。音楽の入り方が、さあ盛り上がりますよ~ってところで
その通りの音楽が入るもんで、なんかしらけちゃうんだな。

最後にいちばんおいしいところをサラ・ジェシカ・パーカーがもってっちゃうってのが
納得イカン。そこが大きいかも。

NYのカウントダウンは、一回参加してみたいと前々から思っていたんですけど
あの盛り上がりっぷりは楽しめました。

Ricky(リッキー)

2012-01-02 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★ 2009年/フランス 監督/フランソワ・オゾン

「実に不思議な感覚」

「しあわせの雨傘」とほぼ同時期に公開されており、何か対にでもなっているのかなと思いきや、
そんなことは全然ないのでした。
私は「しあわせの雨傘」よりこちらの方が断然好きです。
初期のオゾン作品の香りがぷんぷんしますね。
娘が乱暴にぬいぐるみを投げつけたりとか観客の不安を煽るようなカットが多い。
中でも、廊下からバスルームをのぞく固定カメラで主人公が衣服を脱いでいるシークエンスがたびたび出てきますが、
オゾンのカメラは女性のヌードに対してとても冷徹じゃないですか?
ぶっちゃけて言うなら乳房の撮り方がさ。
すごく乱暴なの。
ラストシーンもずぶ濡れになって帰ってくる主人公の乳房がワンピースにピッタリと張り付いていて、
なんかこう心がざわつく、といいいますか。
あんま、本題とは関係ないんですけど、こういうカットを見ると初期作品を思い出しますね。

さて、本題。
生まれてきた赤ん坊に羽が生えてきた。
そのグロテスクな描写たるや、ファンタジーとは全く言えず、
主人公がトイレで済ませてしまった後におそらく工場で毒性の高い商品の香りをかいでしまって懐妊、
ってこともあり、なんかホラーチックな展開でもあります。
主人公の娘は生まれ来る赤ん坊のことを深層心理では疎ましく思っていることもあり、
リッキーは「天使」という厳かな存在というよりも奇形や異形の存在とも受け取れる。
ところが、このリッキー坊やがとてもかわいらしいんですよね。

リッキーはこの家族に災厄をもたらし、しかしながらも、その存在によって、
真の愛を教えてくれたのかも知れず。
見る人によっていかようにも解釈できる作品だと思います。

この放ったらし感がとても味わい深いです。




ロシュフォールの恋人たち

2011-04-19 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★ 1966年/フランス 監督/ジャック・ドゥミ

「恋してるときに見るべき映画」

「シェルブール」よりは、こっちが好きかな。カラフルな色彩の妙は、文句の付けようがないんだけど、音楽もすばらしくて。この音楽はこの映画からだったんだ!という名曲がたくさん並んでいる。

それにしても、全編恋のウキウキモード全開で、ちょっと引いてしまうところもあるよね。恋しましょ♪、恋しましょ♪の連続でさ。我が家のリビングで見るよりも、閉ざされた空間で恋に浮かれた面々を眺めた方がいい。そして、恋している時に見るべき映画。

だって、みんながみんな、浮かれポンチで踊り出しちゃうんだもーん。恋なんてものとは、すっかりかけ離れてるもんで、ちょっと醒めた目で見てしまう。

それにしても、ドヌーブの美しさには、心からウットリ。

4分間のピアニスト

2010-10-01 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2006年/ドイツ 監督/クリス・クラウス

「理解しあえぬ二人」


類いまれなピアノの才能を持ちながら殺人犯として収監されている女囚と、彼女の才能に惚れ込み残り少ない人生を懸ける老教師、そんな2人の女性の魂のぶつかり合いを衝撃的に描いた作品。ピアノ教師として刑務所を訪れたトラウデ・クリューガーは、机を鍵盤代わりに無心で指を動かしている女性に目を留める。彼女の名はジェニー。天才ピアニストとして将来を嘱望されながらも道を踏み外してしまい刑務所暮らしの日々。心を閉ざし、衝動的に暴力を振るう彼女は刑務所内でも札付きの問題児。それでも、ジェニーの才能を見抜いたトラウデは所長を説得して特別レッスンを始めるが…。

いかにもドイツ映画らしい無骨な作品で、この全く媚びないぶっきらぼうさが大変気に入りました。殺人の罪で囚人となった天才ピアニストジェニーと過去に愛する人を己の過失で失ってしまった老教師クリューガー。2人それぞれが抱える過去は十分に同情に値するものであるのですが、それを差し引いてもなお、ふたりの人間性には明らかな欠陥がある。ここが本作のポイントではないでしょうか。ある意味、それは作り手が確信犯で「このふたりにはそこそこ同情できるけれども、心の底からは受け入れ難い」と観賞者に思わせるような人物設定に敢えてしている。主な登場人物がふたりの場合は、光と闇、希望と絶望といったわかりやすいコントラストで描くのが常ですが、本作の場合は暗と暗。無理解、不寛容のエネルギーが充満していて、他では見られない希有なムードを漂わせており、それが強烈な個性となって光ります。

ジェニーは「怒り」、クリューガーは「執着」という負のエネルギーを溜め込んでいて、その様を見ているのは、私は全く苦でありませんでした。どれほど音楽の才能があろうとも、ダメ人間はダメ人間。そして、それもまた人間なのであります。正統なスタイルから逸脱しているジェニーのピアノを真っ向から否定するクリューガー。しかし、最後の4分間にわたるジェニーの壮絶な演奏の後、クリューガーはジェニーに微笑みかける。その態度に一貫性のなさを感じられる方もおられるようですが、むしろ私は自分の同性愛にまつわる過去を告白した時点でクリューガーはジェニーの才能に屈服したのだと感じておりました。そして、ジェニーのお辞儀は額面通りのお辞儀でも何でもなく、クリューガーに対する精一杯の皮肉だったのではと思えます。決して理解し合えない2人。矛盾に満ちたその成り行きをそれぞれが思い思いの解釈でとらえられる作品ですね。

少し話が変わりますが、昨年坂本龍一のピアノコンサートに行った時のこと。グランドピアノだけのコンサートで500人ほどのキャパの京都府民ホールの最前列で観賞しました。幕が開いてすぐ教授はつかつかとグランドピアノに近づき蓋を開け、弦を指で叩いたり、弾いたりして演奏を始めました。そう、本作でジェニーもやっていたあのスタイルです。それは自分の感情の赴くままの即興演奏で何とも幻想的な厳かな気分になりました。即興演奏が演奏者の感情をそのまま表現するものだとすれば、ジェニーの演奏から伝わるのはとめどない怒り。己の思いを完膚無きまでに表現できるジェニーは、やはり真の音楽家と言えるのではないでしょうか。

ラスベガスをぶっつぶせ

2010-07-23 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★ 2007年/アメリカ 監督/ロバート・ルケティック
「人間ドラマの面白さがない」


脚本がダメですよね。心理描写が全然書けてない。MITの教授でありながら、ギャンブルの元締めをするミッキーの葛藤なんてまったく書かれないもんね。ミッキーの不正を追い続けていた警備員とか、オタク系親友との確執とか、中途半端な人間ドラマを入れてしまったがために、ギャンブルのスリリングさが損なわれてしまった。むしろ、ドカンと儲けて、痛快、痛快!という展開にしてしまった方が作品としてはまとまったんじゃないだろうか。

あと、この手の映画を観てつくづく思うのは、やっぱり私には「アメリカ人のイケてる、イケてない感覚」がサッパリわからんってこと。数学は天才だけどイケてない男子のイケてなさも、学園が注目する金髪美人のイケてる感じも、全く共感できない。だから、なおさらドラマとしての面白さも感じ取れないんだと思う。カウンティングは違法じゃないのに、結局警備員にヤキ入れられてしまうという基本的なわからなさも手伝って、かなり消化不良な1本。

ロスト・ワールド

2010-03-29 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★☆ 1997年/アメリカ 監督/スティーブン・スピルバーグ

「エゴイストがイイ人に大変身」

「ジュラシック・パーク」を先日見たので、続けて続編を再観賞。

見終わって長いなあと感じる。でも実際は129分の作品。サイトBで延々と恐竜に追いかけ回されるのが、とても退屈だから長く感じるんだろうなあ。でもって、何とか助かりましたじゃ前作と同じになってしまうから、恐竜をアメリカ全土に連れてくると言う展開に。これがラストの20分。どうせ前作と変えるんだったら、アメリカ本土に連れてきてからのストーリーをもっと膨らませればいいのにと思うけど、そうすると「キング・コング」のストーリーに酷似しちゃうんでしょうねえ。

前作では、泣き叫び逃げまどう、うるさい子供が恐怖の増幅装置としての役割を担っていたのだけど、本作では一転して行動的な黒人の女の子に変わっている。白人のマルコムの娘ということは、おそらく養子なんでしょう。「黒人で養子」という設定に少々偽善的意味合いを感じたりしちゃう私はひねくれ者なんでしょうかねえ。自分の都合で勝手に恐竜を作ったハモンド博士も本作では、環境保護を訴える人になっちゃうし。どうも、本作は人間のエゴイズムを非難しているようで、結局アメリカ人(特に白人)ってイイ人なんです、って結論になってるのが、何だか納得できない。

前作は、神に背いて勝手に命を操作した人間が自然界から壮絶なしっぺ返しをくらう。そのプロセスが純然たるパニックムービーに仕上がっていて爽快だったのに、本作ではあちこちで白人の偽善が見え隠れして、何ともむずがゆいのだった。

恐竜たちを救わなきゃって、勝手に檻を開けたり、怪我しているT-REXの赤ちゃんを手当したり。それが、大パニックになるわけで。何だか、昨今お騒がせの「シー・シェパード」を思い出してしまった。



ルドandクルシ

2010-03-27 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2008年/メキシコ 監督/カルロス・キュアロン
<梅田シネ・リーブルにて観賞>

「右に蹴るか、左に蹴るか。運次第の人生でもなるようになるさ」

メキシコの片田舎のバナナ園で働くベト(ディエゴ・ルナ)とタト(ガエル・ガルシア・ベルナル)は、草サッカーに明け暮れていた。そんなある日、スカウトのバトゥータ(ギレルモ・フランチェラ)が彼らにPK対決をさせ、勝ったタトをメキシコシティに連れていくが…。

ガエルもディエゴも好きな私は、ふたりがかわいかったらいいやくらいの気持ちで見に行ったのですが、すごく面白かったです。サッカー選手を発掘してはチームと契約を行うスカウトのバトゥータが作品の語り部。ダイヤモンドの原石を見つけると言うと聞こえはいいけど、結局チームや監督に賄賂を渡しては選手を出場させ、時には八百長まがいのプレイでスターにのしあげる。こうしたメキシコのサッカー業界の裏事情にしても、ふたりが暮らすバナナ農園の仕事ぶりにしても、メキシコと言う国が抱える貧困や社会問題がちらほらと顔をのぞかせる。

人生の機微をサッカーのプレイになぞらえるナレーションや、PK戦でメキシコシティーに行く方を決めるという逸話がラストの絶妙な仕掛けにつながっているなど、脚本もすごく良かった。

何より期待通りガエルもディエゴも母国メキシコでのびのびと演技していて、ふたりがとてもキュートなんですよねえ。ようやく歌手デビューしたクルシのプロモーションビデオ。テンガロンハットをかぶってド派手なジャケットで、陽気に歌うガエルくんは見物です。

思わず声を出して笑ってしまうシーンもあれば、ペーソスたっぷりじんわりくるシーンもあり。一見陽気なコメディ映画を装いながらも、懐の深い映画に仕上がっている。これは掘り出し物でした。





夜顔

2010-03-19 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★★ 2006年/フランス・ポルトガル 監督/マノエル・デ・オリヴェイラ

「ポケットに飴を見つけた」

ブニュエルの名作「昼顔」の後日談として、マノエル・デ・オリヴェイラが御年99歳で撮影したと言う、まさに爺さんによる爺さんの映画であります。妻の形見を捨てストイックな生き方を選んだ「扉をたたく人」のウォルターに比べたら、このユッソン、執着もりもりの好色爺です。さすが、おフランス。

かつて秘め事を共有した女との再会。会いたくない彼女を追いかけ回す。まあ、その浮き足だった様子と言ったら!まるで、ポケットに入れたまま忘れていた飴玉を見つけた子供のよう。こんなところにあったんだ。嬉々として口に入れる。しゃぶり尽くすのがもったいないから、また包みに入れてポケットに戻す。そして、時折手を差し込んでその存在を確認する。

もし、セヴリーヌをカトリーヌ・ドヌーブが演じていたら、この作品は全く様相を変えただでしょうね。おそらく、セブリーヌのその後にイマジネーションは膨らみ、男と女の駆け引きがクローズアップされたに違いないのです。でも、本作はあくまでもこの好色爺の胸の内を想像させることに終始しているのね。

したり顔で見知らぬバーテンダーに女の秘密を暴露する。それって、反則じゃない。爺さんのいやらしさ、しつこさが厳然として存在しているわけですが、そこを小粋に見せてしまうってのがオリヴェイラ監督の職人技。バーに入り浸るふたりの娼婦の存在が効いてますね。ようやく、セブリーヌをとっつかまえて約束を取り付けるシーンなんて、一体どこから撮影しているのでしょう?ってくらいのロングショットで、無音なの。ホント、この引いては寄せる、引いては寄せるという間がすばらしいのね。

私がセブリーヌでも、ワインを頭からひっかけてやるわ、こんなジジイ。立ち去るセブリーヌを見てほくそ笑むユッソン。今日の晩餐の思い出をまた飴玉代わりに取りだしてはしゃぶるのよね。セブリーヌは、パリを去るのかしら。そして、ユッソンは死ぬまでパリでセブリーヌの亡霊を探し続けるんでしょうね。

「昼顔」を見ていた方がいいのには違いないのだけれど、案外見ていなくても楽しめると思いますよ。老いぼれジジイがバーテンダー相手に昔話をして、昔の女と飯を食ったという、それだけの話なのに、老いた男の狡さ、醜さ、哀しさが見事に映し出せるんだってことにちょっと感動。


「昼顔」のレビューはこちら



やわらかい手

2009-07-18 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★ 2007年/ベルギー・ルクセンブルク・イギリス・ドイツ・フランス ) 監督/サム・ガルバルスキ

「きみの歩き方が好きだ」

「あの胸にもう一度」で裸にジャンプスーツで時代を魅了したあのマリアンヌだからこそ、老いた女性の寂しさが身に迫ります。人は年を取る。それはみな同じ事なのですが、特に若かりし頃、その美貌をもてはやされた女性は老いとどう向き合っていくのか。同じ女性として興味は尽きません。本作で特に考えさせられたのは、とうの昔にその価値などなくなってしまったであろう「性欲の対象」としての存在価値が、「手による奉仕」というカタチを変えて、今ひとたびマギーの元に戻ってきたことです。あの小さい穴の向こうにおばあさんが存在していることなぞ、男たちは微塵も思っていないでしょう。しかし、紛れもない「女性の手」、やわらかな女性の手を求めて男たちは行列を成す。幻想の元に成立する性欲を持つのは、人間だけ。まさにその通りなのです。

自分の手に男の性欲を満足させられる特別な物が宿っていると悟った時、果たしてマギーはどんな心境だったのでしょう。夫を亡くし(しかもその夫は浮気をしていた)、孫は難病で生死をさまよい、資金繰りに奔走するマギーの前に突如現れた「性欲の対象」としての自分。ベルトコンベアーのように突き出されるモノに対して、テキパキと流れ作業のように手を動かす。マギーはそうして、お仕事と割り切っているかのように見えます。しかし、私はラスト、男の胸に飛び込むマギーを見るに、彼女は自分の中の女性に目覚めたのではないかと思わずにはいられないのです。

彼女が愛に目覚めたのは、毎日男のモノに触れてきたからでしょうか。いえ、むしろその日々があったからこそ、ミキが言った「君の歩き方が好きだ」という告白がきらきらと輝いたのではないでしょうか。そして、あのマリアンヌに対して、「いつまでも美しく輝く君が好き」ではなく、「歩き方が好き」と言わしめてしまう。そこに何とも言えないやるせなさとそれでいいのさと言うかすかな希望の入り交じった複雑な心境を味わってしまったのでした。

マギーを演じるマリアンヌは、演技派女優として老いた女性の心境を情緒たっぷりに演じてはいません。それは、正直に言うのなら、彼女自身の演技者としての力量によるものだと思います。でも、却ってこの淡々とした感じが作品の不思議なムードを作り上げています。それにしても、真実が判明した後の息子の言動の腹立たしいこと。やはり、息子っていつまでも母には聖なる存在でいて欲しいのでしょうか。それって、自分の子どもの命よりも大事なこと?息子の複雑な胸中にも、いろいろ考えさせられました。

レスラー

2009-06-25 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2008年/アメリカ 監督/ダーレン・アロノフスキー
<京都シネマにて鑑賞>

「無様でもいい。けなげに一生懸命に生きてゆく」



俺の輝ける場所はここしかない、とリングに戻ってゆく男。浪花節っぽい話に見えそうですけど、全くそんなことはありません。悲しくて悲しくて。でも、やっぱり私は輝ける場所を持っていることって、すばらしいことなんじゃないかって気がして。きっとラムは自分の人生に悔いなしだろうと、拍手で送り出したい気分になりました。ラストリングの彼の姿に涙が止まりません。

本作は「試合のシーン」と「プライベートシーン」の2つに大別することができますが、この両者の描き方が秀逸。どちらもリアルさを追求していますが、試合のリアルさは体の痛みを、プライベートのリアルさは心の痛みを表現していて、合わせ鏡のようです。

一介の俳優があれだけのファイトシーンを演じることができるんだろうかってくらいの大熱演ですね。まず、あの体の作り込みが凄いですけど、彼はステロイド飲んであの体を作ったんでしょうか。まさに命懸けの撮影。そして、試合前の打ち合わせの様子をあっけらかんと映し出すのですが、このやりとりを見てレスラーたちのプロ根性に恐れ入りました。

一方、プライベートシーンは、まるでドキュメンタリー映画を見ているようです。大いびきを掻いて寝る様子、むだ毛の処理をしたり、日焼けサロンに行ったり。疲れた中年レスラーを淡々とカメラはとらえ続ける。私はこのOFFを捉えるシーンがすごく気に入りました。確かに寂しくて孤独で情けないのですが、ラムという男が愛おしくてたまりません。

ラムはいつも「けなげ」です。自分の将来や娘のためにけなげに生きようと努力します。そこにとても心を打たれました。特にスーパーの総菜売り場で黙々と仕事をこなすシーンは、あきらめ、やるせなさにまみれたラムがひたすらに生きるためにかろうじて己を立たせているのがわかります。しかも、これらのシーンをユーモアを交えて描いているので、さらに切なさが増すのです。

このラムという人物像を作り上げたのは、紛れもなくミッキー・ロークの演技。寂れた会場で昔の栄光のビデオを売りながらサインをするラムの表情。あれは、挫折を味わった人間にしか出せないものだと確信します。最優秀主演男優賞は彼の方がふさわしい。

私もかつて「ナイン・ハーフ」ですっかりミッキーの虜になった1人です。本作は彼の挫折をそのままに映し出しているようで話題にもなりましたが、それを宣伝文句として捉えることは、ミッキーを始め製作者全員にも失礼なことのような気がします。それほど、熱のこもった作品であり、その痛みを自分の目で見て感動できる作品。少々事前情報が入っていても間違いなく堪能できる。多くの人に見てもらいたいと思います。




ヤングハート

2009-06-23 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2007年/イギリス 監督/スティーブン・ウォーカー

「ジャンルを超えて音楽ファンに訴えかける」


<story>コールドプレイ、ソニック・ユース、ボブ・ディラン、ジェームズ・ブラウンといったロックを歌う平均年齢80歳のコーラス隊“ヤングハート”。そんな彼らが6週間後に迫った年1回のコンサートに向けて練習を重ねる日々に密着、老いや死の問題に直面しながらも歌うことに情熱を注ぎ、若い心とロックな気概を持ち続けて元気に生きる姿を映し出していく。


この作品は、老人たちからパワーをもらえるし、残り少ない人生をどう生きるかってことも考えさせられるし、その点については、他の方の感想を大いに参考にしてもらえればと思うのです。で、私が深く考えさせられたのは、音楽の可能性について。

実は当初これらの選曲についてちょっとあざといんじゃないかって感じてました。老人たちがパンクを歌う。その落差の妙を狙ってるんじゃないかって。ところが、蓋を開けてみると、メンバーたちは楽曲に対する思い入れとかなーんもないのね。最初のインタビューで日頃どんな音楽を聞きますかと質問するくだりがあって、「クラシック」とか言ってんの。合唱隊に入ったことでロックやソウルが好きになりました、なんて老人はひとりもいないわけ。そこが、凄く面白い。

彼らは、「歌うことのみ」に徹しているのね。歌詞の意味を理解しようとか、自分の感情をそこに乗せようとか、そういう情緒的なものはあんまりないのよ。ソウルは黒人がバリバリにダンスしながら歌うし、パンクなら革ジャン野郎がギターぶっつぶして歌う。そのスタイルに乗っかるからこそ、よりその楽曲らしさを楽しめるんだよね、普通は。でも彼らは、ただひたすらに歌う。与えられた歌詞を間違わないように。音程を外さないように。そこから見えてくるのは、音楽と正面から向き合おうとするピュアな姿勢だけ。

これはね、彼らが例えば老人らしく「千の風になって」みたいな曲を歌って受ける感動とは異質だと思う。人間の体をバイブレーションして、声帯から出てくる「歌声」そのもののチカラというのを私は感じました。そして、彼らはみな白いシャツをユニフォーム代わりにしているのだけど、それも彼らの音楽に対する「無」の境地をイメージしているみたいなのね。もちろん、そういう「無」の境地って、長い人生を生きてきた老人だからこそできることなんでしょう。

だからね、本作はあらゆるジャンルの音楽好きに見て欲しいと思う。人間はなぜ歌うことを始めたのか、音楽を生み出したのか。そのヒントが隠されているような気がするのです。

レッドクリフ Part I

2009-04-18 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★☆ 2008年/米・中・台・韓  監督/ジョン・ウー
「やっぱ戦国モノでも、心理劇がないとツライ」


どうやら盛大な祭りのようなので、とりあえず参加しておくか、と思い鑑賞。良かったら、part2は映画館で見るつもりだったのだけど。

しかし…。大スペクタクルの醍醐味があまり伝わってこないのでした。やっぱりこれは映画館で見ないとダメなんでしょう。それにしても、もっと駆け引きのサスペンスがあるかと思いきや肩透かしです。ただひたすらにバッタバタと人が死ぬシーンは、もはや早送り。

微笑んでばかりの諸葛孔明のどこが策士なんでしょうか。各将軍1人ずつ見せ場があるところは、「ライブのソロパートか!」と突っ込んでしまいました。「八卦の陣」でしたっけ?あれも、なんかゲーム見てるみたいだよなあって感じで。

これなら、いっそのこと子供も見られる映画にすりゃいいのにと思います。敵をあざむく作戦とか、小中学生、好きじゃないですか?でも、意味のないラブシーンを入れることで、それも難しくなってるんですよねえ。

三国志を知らないので、逆に先入観のない公平なスタンスで見られるかと思ったのですけど、残念です。唯一良かったのは、トニー・レオンと金城武が見つめ合うシーンが目の保養になったということでしょうか。

ローグアサシン

2009-03-19 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★☆ 2007年/アメリカ 監督/フィリップ・G・アトウェル
「下手の横好き」

って、居酒屋にでかでかと超しょぼい習字で書いてあんの。もう、笑える、笑える。デヴォン青木の日本語がすっごいヘタクソで、「アネゴトシテ~」とかなんとかで、ぶーっと吹き出しちゃいました。ルーシー・リュウの「やっちまいなー」を超えましたね、このトンデモニッポンは。でもねえ、あんまりバカっぽくて、がははと笑って許せます。すごくまじめに作ったB級映画だと思えば、それほど悪くないかも。三池作品とか見ているような感覚って、こんなのじゃない?って、三池作品はあんまり見てないけどさ。とにかく日本人として、こりゃシャレなんねーな~とか言いながら、能天気に楽しめばよろしいかと。

それにしても、次々と出てくるアジア系の手下共の演技が目を覆いたくなるようなひどさ。ちょい役でも、ちゃんと演技するっつーのは大事なんだな、なんてことがわかりましたよ。ジョン・ローンは、久しぶりに見たけど、あんまり年とってなくてビックリ。

で。ジェット・リーに焦点をあてれば、この映画はぐんと評価が低くなってしまう。そりゃ、そうだよ。ずーっとイヤな奴だし、得意の武道は出てこないし。別に彼でなくたって、いいじゃん!って、役どころですから。石橋凌との対決シーンくらいかなあ。アクションとして楽しめるのは。ああ、ジェット・リーよ、どこへ行く。好調の日本映画界よ、彼を招集して、どでかいアクション大作撮ろうぜ!




ONCE ダブリンの街角で

2009-03-18 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★☆ 2006年/アイルランド 監督/ジョン・カーニー
「こりゃ、たまらん。涙が止まらない」

男は穴の開いたギターで毎日のように街角に立つストリート・ミュージシャン。そんな男の前に現われ、あれやこれやと話しかける花売りの若い女。彼女はチェコからの移民で、楽しみは楽器店でピアノを弾かせてもらうこと。彼女のピアノに心動かされた男は、一緒にセッションしてみないかと持ちかける…


エンディングの「FALLING SLOWLY」が未だに頭から離れません。しがないストリートミュージシャンとチェコ移民の花売りの女性。知り合って間もないふたりのハーモニーが、まるで無くしたピースがぴたっと合ったような輝きを放つ。寂しいふたりが引かれ合うのは運命にすら思え、その恋の行方を見守りたくなります。ふたりの間に静かに沸き立つ感情、相手を思いやる余りに口に出せないもどかしさが心に染みて、染みて、たまりませんでした。どうも最近、「我慢する恋愛」にひどく感情移入してしまうのです。

全編中、かなりの時間音楽が流れています。次々と繰り出される切ないメロディに、それぞれの心境や状況が歌詞としてのせられていく。音楽のジャンルは全く異なりますが「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」を思い出しました。今、目の前に横たわる悲しみ、苦しみを歌詞にのせ、歌うことで乗り越え、自分の道を切り開いていく。「歌うということ」。これ、そのものが自浄作用であり、自己解放なんですね。ああ、歌ってすばらしい!

低予算ゆえにか、わざとなのかわかりませんが、ダブリンの雑踏の音をマイクがたくさん拾っています。セリフが聞こえづらいほどに、車の音がうるさい時もあります。人によっては耳障りかも知れませんが、私にはこの街の音がとても心地よかった。ダブリンの街の息づかい、手触り、それらが音を通じて伝わってくる、そんな感じなのです。

冒頭、恋愛と言いましたけど、ふたりの結末から導き出されるのは、むしろ、恋愛を超えた、人と人との出会いのすばらしさだろうと思います。ほんの少し交わした会話がきっかけ。しかし、そこから始まる人生でかけがえのない日々。その期間があまりにわずかだからこそ、2人の心に永遠の宝物として残る。2人の選択、そして、メロディそのものが放つ切なさに涙が止まらないのでした。