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閉話365年1998年10月(2010年の12年前)

2010-11-15 02:48:59 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
閉話365年1998年10月11日(月)畑仕事

「体育の日」にふさわしく朝から気持ちよく晴れ上がった。この日にちなんで特別な運動をするつもりはないけれど、そろそろ葉が黄ばんできたシソを引き抜いて畑を耕そうと思っている。土と格闘するのも立派な運動だろう。肥料を施して暫く間をおいてから冬越し野菜のタネを蒔くことにしよう。

毎度お馴染みの顔ぶれであるが、嫌地現象も起こさずに確実に収穫できるのが嬉しくてセンダイユキナ、ツボミナ、ホウレンソウなどのタネを用意した。そのほかに今年は苗を買ってきて冬越しキャベツを育てようと目論んでいる。

例年より気温が高いせいでまだ蝶が舞っているから防虫ネットを張らねばならないようだ。これからはどんどん気温が下がるので保温をかねたネットにすれば良いかもしれない。

この冬の気温がどう推移するか分からないが、去年は晩秋に蒔いたサヤエンドウのタネが暖冬で年内に発芽してしまい、その後の寒気に痛めつけられて失敗した。サヤエンドウは春になってから播種した方が収穫は遅くなるけれども無難のようである。

素人農業に失敗はつきものである。失敗しても生活に困ることはないので気楽であるが、できることなら上手に作った方がいいに決まっている。その指南書として頼りにしているのが「誰でも作れるくらしの野菜」と言う本である。これは宮城県農業普及協会が昭和52年に編纂したもので、宮城県の気候風土に合わせた野菜作りを解説しているのでたいへん重宝している。。

小生が持っているのは昭和54年の第4版であるが、今でも版を重ねて書店においてあるかもしれない。これから仙台周辺で自家菜園に挑戦しようという方にお勧めしたい一冊である。


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10月12日(火)食の相談

おいしい料理を食べると心が和やかになりハッピーな気分になる。お腹が空いているときは気分がイライラする。これは人間のみならず動物全体に言えることだと思う。

だから他人に頼みごとをする場合は、相手が満ち足りた気分でいるときを狙えば、すんなり引き受けてくれるかもしれない。食べて直ぐ後は良くない。食べ物を消化するために血液が胃に集中して、頼まれてもいい加減な返事をされる恐れがある。

ことほど左様に食事は大切だ。老境になると新しいことに挑戦したり、辛抱強くあることに集中したりすることはだんだん苦手になるけれども、食い気だけは一向に衰えない。何も贅沢なものを食べたいとも思わないが、自分のからだが要求するものを過不足なく食べられれば満足である。

ところが困ったことに、どんな栄養素をどれだけ摂取すればいいのか皆目見当がつかない。そうした食に関する疑問や戸惑いの相談に乗ってくれる信頼が置ける公的機関はあるのだろうか。保健所などそれらしい機関に「毎日こんな食事をしているが大丈夫か」と相談を持ちかけても門前払いを食いそうな気がする。

ネット上にはいろいろな栄養相談サイトが開設されているけれども、信頼性が疑わしいものや有料のものもあって、二の足を踏んでしまう。社団法人日本栄養士会にも相談窓口があるけれども、面と向かって相談できないからまだるっこしい。。

小生の知識不足かもしれないが、自治体や国の機関で管理栄養士が常駐していて食生活について気軽に相談できる窓口はないものだろうか。


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10月13日(水)始まる奇跡の救出

チリのサンホセ鉱山落盤事故で地下624mに閉じ込められていた作業員33人の救出が間もなく始まる。全員が地上に出てくるまでには2日もかかるそうだが、どうか無事に作業を終えてほしい。

長い間暗闇と高温の地底に閉じ込められていた33人が、僅かの水と食料で生きていたこと自体奇跡的であるが、パイプの中をカプセルで1人ずつ引き上げる前代未聞の作業を全世界の人々が固唾を呑んで見守ることだろう。

閉じ込められてから地上と連絡が取れるまで、またそれから救出が実現するまでの間、1人の落伍者もなく耐え抜いた精神力、体力は賞賛に値する。地震でエレベータが止まり短時間閉じ込められただけでパニック状態になることもあるのに、どのようにして彼らは過酷な状況を生き抜いたのだろう。ゆっくり休んで元気を取り戻したら、詳細を聞いてみたいものだ。

仮に閉じ込められたのがたった1人だったら果たして生きながらえることが出来ただろうか。話し相手もなく絶望的な孤独感に押しつぶされて発狂するか死んでいただろうと想像する。今回は同じ職場で働く33人がお互いに励ましあい、救出されることを固く信じて希望を失わなかったことが生還につながったのだと思う。

救出される人は一見元気そうに見えても、たいそう疲れているに違いない。当分はマスコミも追い掛け回すことを自粛するぐらいの配慮が必要だ。報道の自由を振りかざしての突撃は彼らの回復を遅れさせるに違いない。


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10月14日(木)おめでとう33人

チリの鉱山で地底に閉じ込められていた作業員の「奇跡の救出」は日本時間の昨日午前11時過ぎから始まり現在も続いている。今日中には33人全員の救出が終わる予定である。

最初に救出されたフロレンシオ・アバロスさんを乗せたカプセルがゆっくりと地上に引き上げられ、扉が開いてサングラスで目を保護したアバロスさんがしっかりした足取りで大地を踏みしめた。実況で伝えられたその瞬間は感動の一語に尽きる。待ち構えた肉親と硬く抱き合ったその姿に世界中の人が祝福を送ったことだろう。

救出された人たちがゆっくり静養してトラウマもなく平常の生活に戻れるように祈っている。人間は長い間隔絶された場所に閉じ込められていると、肉体的にも精神的にも計り知れないダメージを受ける。救出されたときは平常に見えても、突然興奮状態に陥ったり、悪夢に苛まれて眠れなくなったりすることがあると専門家は指摘している。

稀有の体験を映画化することが決まり、会見や手記の依頼もきているという。マスコミや映画産業がわれ先にと焦る気持ちは分かるけれども、すべては当事者が日常生活を平穏に送れるようになってからにして欲しい。

全世界の目を釘付けにした救出作戦を、救出された人々の今後の生活も含めてハッピーエンドに出来るように祈念している。


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10月15日(金)毒キノコ

今朝のテレビで、商品として売られている天然キノコの中に毒キノコが含まれているケースが増えているという報道を見て驚いた。消費者はまさか毒キノコが売られているとは思わないから安心して買うだろう。どうしてこんなことが起こるようになったのか。商品化する前のチェック機能が働かなくなっているからだと言う。

天然キノコを採って来るのは山里に近いところに住んでいる人たちである。子どものころからキノコに親しんでいて食用か毒かは知り尽くしているはずであるが、共同出荷の場合には念には念を入れてベテランがチェックしていたのだろう。どういう事情でそのチェック機能が働かなくなったのか、番組を最後まで見ていなかったので分からない。

ひょっとしたら個人が小遣い稼ぎに直接「道の駅」や路傍の直売所に持ち込むケースが増えたからだろうか。確かに素人にはキノコの判別は難しい。同じキノコでも幼菌と成長したものでは形態も色も違う。また生えている場所でも違うからその環境に詳しい「キノコ博士」と言われるような人でなければ正確な振り分けは出来ないのだろう。

その点養殖キノコは安心して食べられる。昔からあったシイタケのほかに、マイタケ、ナメコ、ヒラタケ、ブナシメジ、エノキタケ、エリンギ、マッシュルームなどたくさんのキノコが出回っている。しかし多くのキノコは天然ものの方が断然うまい。また養殖技術が進歩してもマツタケやコウタケ、ハツタケ、キンタケ、ナラタケ、ムラサキシメジ、ホンシメジなど天然でなければ出来ないものもある。

だからこそ秋のシーズンを待ち構えている愛好者が天然ものを扱う店に惹かれて足を運ぶ。でも毒キノコを売られたのではたまったものでない。そこは各自自衛手段を講ずる以外にないような気がする。原則は知らないキノコには手を出さないこと、食用キノコでも場合によって体調を崩すことがあるから一度に大量に食べないこと、猛毒のキノコは数が少ないから図鑑や現物を見て覚えることなどをお勧めしておこう。


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10月16日(土)トイレ工事

わが家で朝から工事が始まっている。2階のトイレの具合が悪くなって洗浄装置付き便器を交換してもらうためである。温水を貯めておいて洗浄に使う方式の旧型に属するものだったが、30年近く経って温水器の水が止まらなくなったのである。

1日に何回となくお世話になるトイレだから気持ちよく使いたい。そのために家を新築するときに寝室に近い2階のトイレは大きめに作った。8畳間ぐらいはあったといわれる大名屋敷のトイレには及ばないが、1畳半ぐらいのスペースはある。これ位あっても暖房器具や便器と分離している手洗いなどを設置したら手狭な感じになった。それでも所謂「雪隠詰め」の感じを免れられたのは良かったと思っている。

家を建てたのは40年前だった。当時はまだ下水道が整備されていなくて汲み取り式のトイレが多く残っていた。家を新築したのは下水道がない土地にであったが、それまでの水洗から汲み取り式トイレに逆戻りするのが嫌で、敷地内に浄化槽を埋め込んで浄化した水を雨水溝に流す方式で水洗にこだわった。

幼い子どもたちが通っていた幼稚園のトイレがまだ汲み取り式で、暗い穴に落ちた排泄物が「ボトン」と音を発するので、子どもたちは「ボットン便所」と称して怖がったのを覚えている。清潔好きで知られる日本人であるが、水洗便所の普及は遅かった。今でも小規模の自治体では下水道整備が遅れて水洗トイレの普及を阻んでいる。

世界的にみるとローマの支配地域が下水道・水洗トイレが最も早く普及した地域であろう。ローマ人は行く先々に大浴場を作った。そのためには上下水道を完備する必要があり、それに付随して水洗トイレも広まったのだろう。小アジアで大理石便座の水洗トイレ遺跡を見たことがあるけれども、冬は飛び上がるほど冷たかったに違いない。あるいはそれは思い違いで、床暖房方式でトイレ全体が適温に保たれていたのかもしれない。

わが家のトイレ工事は今日1日で終わるのだろうか。たかがトイレであるが30万円近く投資するのであるから使い勝手のいいものになって欲しい。


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10月17日(日)トイレ続き

トイレ工事は1日では終わらなかった。1階にもトイレがあるので不自由しなかったし、2階のも夕方には一応使えるようになった。しかし、業者が用意したお尻洗浄のリモコン操作をする指令機の仕様が他機種のものだったので、新しいのを取り寄せるまで手動で使わなければならない。

そんなことはたいした困難を伴うものでもないから一週間やそこら待つのは何でもない。新しい便器になって驚いたことが二つある。一つは大変静かなことである。以前のものは水を流すときに水流の音が大きく、最後の段階でゴボゴボと音がした。昼間はそんなに気にならない音でも物音がしない深夜には異常に大きな音に聞こえた。

二つ目は流す水の量がたいそう少なくて済むようになったことである。旧式のものは排泄物の匂い対策のためか、便槽の中ごろまで常に水が張られていて、それが一気に排泄物を押し流す方式だった。そのために貯水槽に再び水を満たすまでに時間がかかり、なおかつ水の使用量も多かった。

それが新式では水の流れを渦巻状にして勢いよく流すように改善されている。その工夫で便槽に貯めておく水の量は少なくて済むようになった。また洗浄のための温水は蓄熱方式から瞬間湯沸し方式になったので電気代も節約できそうである。

30年の年月は同じメーカーの製品でも格段に進歩を齎し値段が安くなった。ウオッシュレット方式の便座の普及で大量生産が出来るようになったから価格も安くなったのだろう。ウオッシュレット方式はお尻を清潔に保つことが出来るのでそれに換えてから長年苦しんでいた痔が治ったという人もいるそうだ。

便器は日本製が世界一の品質を誇る。それなのに、この優れものは世界的には広がっていない。外国旅行で泊まったホテルで採用しているところは一つもなかった。日本でもホテルの採用は少ないようであるが、まだ値段が高いせいだろうか。


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10月18日(月)野菜作り

今日の仙台地方の天気予報は終日晴れである。向こう一週間も曇りの日はあっても天気が大きく崩れることはなさそうだ。力仕事をしても汗だくにならずに済む快適な気温でもある。この時期を逃さずに菜園の冬支度を終えてしまおう。

3日前に苗床に蒔いたツボミ菜が発芽した。苗が少し大きくなって本葉が数枚出てから菜園に移植する。シソを片付けた後には春取りキャベツの苗を植え、もう二つある畝にはユキナとホウレンソウのタネを3条ずつ蒔くつもりである。ユキナとホウレンソウは年内は間引き菜が食べられるに過ぎないが、越冬して暖かくなると食べきれないほど収穫できる。ツボミ菜はトンネル栽培なので、年末ころから4月ころまで楽しめる。

野菜作りは誰に習ったのでもない。亡くなった父親が野菜作りをしていてその作業を手伝ったりしているうちに見よう見まねで覚えたものだ。土を耕し肥料をやりタネを蒔いてからも害虫駆除や水遣り、追肥に気を遣うなどの手間暇を考えたら、旬の野菜はスーパーで買った方が安上がりだと思う。けれども作物は育てること自体が楽しいのである。

野菜でも花でもタネから育てる方が楽しみが大きい。発芽には温度、伏土などタネの大きさや種類によって条件が異なり、面倒なものほどうまく行ったときの喜びが大きい。かれこれ50年近く野菜作りを続けているから、大概の物は失敗しないで作れるようになった。

そして切り口から水が滴り落ちるような新鮮そのものの野菜の味を覚えたら、少々高くついても野菜作りは止められなくなるのである。


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10月19日(火)クマに罪はない

クマがあちこちに出没している。毎年今頃の季節に話題になるけれども、今年は例年より多いような気がするし中には街中をうろつくものまで出てきた。昨日は北海道・斜里町の中心部にヒグマ3頭が現れ、通報で駆けつけた地元猟友会のハンターが2頭を射殺した。また会津ではツキノワグマ3頭が民家の柿ノ木に上っているのが目撃され、住民に注意を呼びかけて監視していたところ夜が明けてから立ち去ったと言う。

普通人間を恐れるクマが人里にまで出てくるのは、住んでいる山のドングリなど食料が不作で腹を空かしているせいだと考えられている。しかしことしは特に食糧難とも聞かないのにどうしたことだろうと思っていたら、記録破りの夏の猛暑でクマの頭がおかしくなったのではないかとクマの生態に詳しいある専門家が言っていた。

日本中のクマの頭がおかしくなったとは考え難いが、市街地を堂々とうろつくなんて行為は確かに尋常ではない。クマが人家に近いところに出てくる要因は他にもあるような気がする。それはクマが住む環境と人間社会との境界が判然としなくなったことではなかろうか。

分かりやすく言えば、非武装地帯・軍事境界線とも言うべき人間とクマの社会を分離する地帯が過疎化や住む人の高齢化で維持できなくなったのだと思う。従来は果樹などクマの好物を植える場所と里山の間には見通しのいい開けた土地があって、クマが身を隠したまま人家に近づけないようなバリアの役目を果たしていた。

ところが過疎化による人手不足や高齢化に伴う手入れ困難などで、バリアの維持が難しくなり、クマは山から続く荒れ放題の分離帯を通って安心して人の領域に入り込めるようになったのではなかろうか。もしそうだとするならば、出てくるクマが悪いのではなく、それを可能にしてしまった人間の方に責任がある。

生物多様性が注目されている現在、人間とクマとの共生も大切だ。賢い人間の方が何か良い手立てを考える必要があるだろう。


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10月20日(水)クマ続き

クマの出没が今年は多いようだと昨日書いたら、それを裏付けるような記事が今朝の地元紙に出ていた。クマと出会って怪我をした人が東北六県で17日現在41人にのぼり去年より8件多くなっていると言う。それだけクマが人間に接する機会が増えていると言うことである。

地元紙はクマが人里に出てくるのは山の餌不足が主な原因とみられるとしているが、今朝の朝日新聞は別の見方をしている。餌不足や里山の荒廃が原因と言う指摘もあるが、猟師の数が減った結果クマの数が増え、それがクマ被害増加につながっているとみている。

同紙によると、1970年代に全国で40万人を超えていた銃を扱う猟友会員は10万人を割るほど数が減ったという。その主な原因は防寒具として需要があった毛皮が高価で売れなくなったこと、鳥獣保護機運が高まって狩猟制限がきつくなった、レジャーの多様化などがあげられる。

さらにこの傾向に拍車をかけたのが銃刀法改正だ。それによって猟銃を扱うには免許試験に合格し公安委員会の鉄砲所持許可を得る必要ががある。さらに実包1発ごとに使用状況を細かく帳簿に記録することが義務化された。また3年に1度の免許更新にも厳しい条件が課せられ手続きが煩雑になり、猟を止める人が増えたのだと言う。

猟師が減ればクマなどへの圧力が減り個体数が増える。猟師に追われたことがない新人クマが人間と遭遇している可能性もあるという。クマ・シカ・イノシシなどによる農産物被害の悩む自治体の中には、自衛隊に応援を求めたり山にオオカミを放つことを検討しているところもあるという。

狭い日本だから人間も獣たちもお互いに住み分けて平和共存の道を探る以外にこの問題の解決策はないのだろうが、何とも「クマった」問題である。

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