あれから12年、早いものですね。こんな月日が経つのかと思うと、音とともに下から押し上げられ、時間にしてはさほど長くはなかったけど、時間以上に長く感じた激しい揺れ、飛行機か近くに落ちたのではないかという感覚。暗すぎて、余りあたりが見えず、最初は把握すら出来なかった。夜が明ける頃少しずつわかってきて、何度もウソやろ!ウソやろとつぶやいた。丁度、自分が厄年にあたり、次の日に厄払いを行こうとしたその日、会社も行けず、両方の両親の家が押しつぶされ、ガスの匂いが立ち込めた中での作業。余震がくる度に恐怖と驚き、そのたびにガレキの家から飛び出した。大人の私でさえ、変な気持ちになり、息苦しかった。あの日の朝、親の家が心配になり、電話をかけても呼び鈴はなるけど出る様子はない。心配、不安。その道中の行くまでの光景は戦争を知らない自分が、爆弾でもおとされたのといった錯覚。あれから12年。街は嘘のように形だけは復興。心までは、まだまだ遠い道のり、この経験も日が経つにつれ薄れ、何処か忘れ去る自分。家を見渡せれば、又、頭の上に落ちてきそうな荷物が山積み。人間って何処かで安心をするのかな。反省、反省。今から考えてみると、写真を趣味としていた自分が、あの時の光景。仕事では得意先のつぶれた家、周りの写真を収めた以外はカメラを持っていない。不思議ですね。自分自身は写真を収めた感覚があり、家中捜したけど1枚も見つからない。どうして撮らなかったのだろう。ルミナリエがはじまった時においても、写真は撮っていない事に初めて気づいた。自分の中には何時も写真を撮っていたと思っていたが、6、7年はカメラを持っていない空白期間。自分の何かがそうさせたのでしょうか?・・・・・・。
大阪に住んでいて、震災の影響は比較的少なかったのですが、住んでいたマンション(賃貸)が縦に細いマンションで、驚くほど揺れ、食器棚や冷蔵庫、金魚の水槽も倒れて室内は、足の踏み場もないほど水やガラス片が散乱。
小学生低年であった長男は、その恐怖でそれから数年間は早朝が怖くなり、熟睡出来なくなりました。
今でも睡眠が浅いように感じます。やはり恐怖体験がそうさせているようです。
今回の震災を体験されている方々は、身内や親族、友人などの死を目の前にして、もっと厳しい現実の中でこのようなトラウマを持ってられるんでしょうね。
長男は比較的軽い症状でしたが、もっとひどい方々には早く以前の状態に戻れるようにと思います。
そのようなこともあり、毎年なにもなく1/17を迎えることが幸せに思います。
昨年は有意義な一年を過ごせたかといつも1/17には自問自答しています、そして今年はもっと有意義に過ごしたいと。頑張らなければ。復興した神戸の街以上に!