LIPRIVERの部屋 (フォトブログ)

1日数枚の写真を掲載 花の写真、神戸の素敵な所、関西を中心とした写真を紹介。ただ、写真と記事とは余り連携していません。

熊本地震

2016年04月16日 | 花のかおり

地震予知なんて、ホント、無理なんですね。色々な地震学者の方がテレビで出演して言っていますが、ホント、後付けにしか聞こえない専門家の声。国が莫大な税金を投入しても一体どんな成果が上がるのでしょうね。疑問に思う。それより、宇土市役所の姿、これこそ、耐震強化するべきでしょう。あの建物を見て、ホント、九州ではよそ事だったんだなと思う。ある意味悲しくなりますね。もし、時間が違っていたら、それこそ、大勢の方が死んでいますよ。国も淡路・阪神大震災の教訓なんて、何にもない。九州の方は今、地震の恐怖と戦っている。1995年1月17日から21年目をむかえた。神戸に住む私達もあの恐怖を今でも覚えている。余震が来る度に不安にかられ、これからどうなるのだとうと、不安の日々を過ごしたの思い出す。ただ、ただ、頑張って欲しいとかありきたりの言葉しか浮かばない。日が経つに連れて、色々な事が解り、呆然とする毎日。それでも21年間も経つと、遠い記憶になる。阪神、淡路大震災では、色々な所から火が上がり、数々の思い出の品をなくした方が大勢いたけど、火が出ない事を願う。知り合いにも、何もかも失ったと、嘆いた方もいましたしね。神戸ではホトンドが都市計画にかかった場所が焼けてますけどね、こればかりは不思議の一つ。昔からですけどね・・・・・。ある意味都市伝説?私の思い込みですがね。それにしても上手く出来すぎていますものね、それはさておき、まだまだ余震が続く中、不安の中を過ごしでしょうが、ただただ、未来を見つめるしかない。あの頃、不安の中で子供達の成長、私達はまだ神戸でも恵まれた家族だった。兄も姉も母、そして家内の両親も無事。家は壊れ悲惨な目にあいましたけど、此処まで来れた。多くの方が家族、友人を失い、そんな人を大勢見てきた。体育館に並べられた大勢の遺体。すぐに葬式も出来なかったしね。身元も解らなかったしね。戦争を知らない子供だったけど、壊れた街を見ると、そして、多くの方が亡くなり、街は戦争跡の様に感じたもんね。それと得に言いたいのが報道の姿、神戸ではハエのように群がったヘリコプター。あの爆音で埋まった方の声が聞きとれず、後で聞くと、そこに人がいた。何もかもあの音で・・・・・。スクープを撮りたいのは理解出来るけど、ある意味、私に言わしてみれば、その群れが人の命を奪ったと今でも思っている。

コメント
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