![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/ec/a4f3dd0be6e0d5fb95abe540a8ad0f94.jpg)
昔、駅前にお気に入りのスナックがあった。
スナックと言っても、ホステスはおらず、50代?のおばさんが独りで切り盛りしていた。
駅前の一等地に、こんな地味でこぢんまりしたスナックがあるのも珍しかったが、不思議とお気に入りの店でもあった。
昔は柳川と言っても、駅前はそこそこ賑わってはいたが、所詮は田舎のスナック街に過ぎなかった。
育ちの悪そうな無学の若い女がホステスとして君臨し、そういう”マセた”女を見る度に私は、無意識の内に嫌な表情を浮かべてたらしい。
”何か嫌なことでもあったの?”と言われるのがしばしばだった。
駅前のスナック
勿論、中洲まで遠出すれば、そんな嫌な気持ちをする事もなかったが、遊び慣れてない頃は柳川や久留米での駅前でしかたなく呑み歩いたもんだ。
そんなド田舎の嫌な思い出しかない飲み屋やスナックの中でも、前述した駅前のスナックは大のお気に入りだった。
駅前の一応は一等地であって、こぢんまりした店内は洗練された何かがあった。ボックス席もあったが、ホステスがいない為に、利用される事は殆どなかった。
ママさんに”なぜ、若い子を雇わないの?”尋ねると、”雇ってた時期もあったけど、家賃が高くて続かなかった”と笑っていた。
”今も一杯一杯だから、もうすぐ止めようと思うの”
”でもお子さんはまだ小さいんでしょ?”
”出来が良ければね〜小さくても何とかなるけど・・・頭のほうがね〜それに見た目も悪いし”
”頭はどうにでもなるよ。勉強すればいくらでも賢くなる”
”いや、私の息子だからね。そんな訳には行かないのよ。見た目も私そっくりだし・・・”
ママさんと私の会話はいつもこうだった。
それでもママさんが出してくれるポテトサラダは、超のつく特級品だった。
私は、ママさんの屈託のない愚痴を延々と聞きながら、ポテトサラダをつまみにウィスキーの水割りを飲むのが大好きだった。
いくら飲んでも酔わなかった。
もし私に女がいたら、こういう言葉を返しただろう。
”横にいる女も大した事はないさ。
スッピンになれば見れたもんじゃないし、化粧すればグロテスク。裸になればホルマリン漬けのトドみたいで、それに学も品も教養もないし、強気なだけで育ちも悪い。
ド田舎の水商売の女ってそんなもんかね”
ポテトサラダとウィスキー
という事で話は横道に逸れちまいましたが、私のお気に入りの店はママさんがいなくなると、違う店に変わった。
その後何度か通ったが、気持ちが通じる事はなかった。今では駅前の飲み屋ビルの大半は空テナントになっているらしい。
柳川にも一応は飲み屋街はあるが、見るも無残で、廃墟と化した感がある。
しかし、そういった虚しい光景を目にするにつけ、ポテトサラダでウイスキーを飲んでた頃を思い出す。
コロナ渦がなくとも、地方の飲み屋街の多くは思い出と共に消えていく。そして残るのは、心がしんみりと来るような思い出だけである。
我々日本の親父はカネで女を抱くというより、雰囲気にお金を払って呑むという習性がある。故に、店に独特の魅惑な雰囲気がなければ、誰も寄り付かない。
危険な色気の香りがするほど、男はその雰囲気に惹かれ、散財し、人生の多くを犠牲にする。
私にお金があったら、その大半を夜の街で費やしてたであろうか。
しかし、ポテトサラダとウイスキーの思い出があったからこそ、最悪を逃れる事が出来た様に思う。
確かに頭は良かったですね。スナックのママにするのが勿体ないくらいで、教師か研究者向きでした。
私もポテトサラダはたまに作るんですが、大体(水っぽくなり)失敗します。何か隠されたコツとかあるんでしょうか?
そのまま茹で、そして熱いうちに潰し、すぐに塩コショウする。
この3つがポイントなんですね。
面倒くさがりでレンジでチンだからか、何度やっても味がボケるんですよ。
コロッケもたまに作るんですが、お袋が作ったコロッケほどに美味くない。味が濁るというか、ジャバイモ本来の味がボケてるというか・・・
たかがポテトサラダ、されどポテトサラダですね。