象が転んだ

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フェルマーの最終決着”ちょっと休憩編”

2022年10月09日 02時23分44秒 | 数学のお話
 「フェルマーの最終決着」の記事ですが、クンマーの理想数で頓挫し、昨年7月末の”4の1”で中断して、なかなか先へ進めません。
 事実、フェルマーの大予想はクンマーの死闘も虚しく、大きな壁に阻まれてしまいます。
 足立恒雄氏の「フェルマーの大定理」は整数論から眺めたフェルマー予想であり、理解するにとても苦しみます。逆に、同じ足立氏の「フェルマーの大定理が解けた」は楕円曲線論から眺めたもので、直感で理解できる部分があり、そこそこわかりやすい。
 事実、アンドレ・ヴェイユ(仏)は(フェルマー予想は)”代数的整数論というよりは数論的曲線論の先駆けと見るべきだ”と述べてます。
 しかし、フェルマー予想の証明の基盤となったのは19世紀の整数論であり、その大きな源流がなかったら、20世紀の(楕円)曲線論にバトンタッチされる事はなかったろうと思います。

 ただ、難解すぎるクンマーの偉大な仕事もですが、もう少し簡単にフェルマー予想の歴史を紹介できないかと、「小説・フェルマーの最終定理」(日沖桜皮 著)という本に出会いました。
 ライト感覚な恋愛小説風で、数学的知識がなくてもスーッと読み通せます。そんな私もこんな軽いノリで数学史上の難題を紹介したいんですが、当然限界があります。
 そこで、もう少し判り易くこれまでの全5話の「フェルマーの最終予想」を数学的な記述を使わずに、ライトな感覚で振り返ってみたいと思います(多分、無理)。
 
 
序章〜フェルマーという人

 1630年代に、本職は弁護士であるピエールフェルマー(1607-1665、仏)が提唱した予想こそが、後にフェルマーの最終定理(Fermat's Last Theorem=FLT)と呼ばれる、世界中の多くの(アマチュアを含む)数学者を虜にした予想でした。
 フェルマーは趣味で数学を始めたんですが、やがては近代代数論の基礎を作り上げ、今では”数論の始祖”と呼ばれるようになる。
 360年間も世界の数学者を悩ませ続けたこの大予想とは(整数論的に言えば)、”xⁿ+yⁿ=zⁿ,n≥3を満たす自然数(x,y,z)は存在しない”という”不可能の予想”でした。
 ただ、(曲線論的に)”n≥2ならば、xⁿ+yⁿ=zⁿを満たす方程式は自然数解(x,y,z)を持たない”と言い換えれば、見通しはずっと明るくなりますね。

 フェルマー自身はn=3の時に成立する事を(証明はせずに)自身の予想(FLT)を主張してたが、n=4の時は不完全ではありながらも証明してました。
 ”驚くべき証明を見つけたが、この余白は書くには狭すぎる”という彼の言葉は有名ですね。
 フェルマーの死後から約100年、”数学界の超新星”であるオイラーがn=3とn=4の倍数の時のFLTを同時に証明した(1770年)事で、”nが素数pの時だけを証明すればいい”という所まで強引に推し進めました(さすがオイラー)。
 つまり、FLT(n)はFLT(p)の世界に突入します。
 19世紀に入ると、ある一人の裕福な出の天才令嬢がこの難題に果敢に参戦します。
 もう1人の”数学の巨人”であるガウスを救ったソフィー・ジェルマン嬢(仏)ですが、彼女は1823年に、”p(素数)≤100の条件付きでFLT(p)が成り立つ”事を発見した。
 彼女は、xyzが奇素数(3以上の素数)で割り切れる時と割り切れない場合に分け、FLT(p)が成立しないとすれば、”(前者の)割り切れる場合に限る”と示した。
 その後は、4人のフランス人数学者が挑みます。まずは、ディリクレとルジャンドルがn=5の時を(1825年)、ラメとルベーグがn=7の時を証明した(1839年)。
 一方で、ソフィー嬢は憧れのガウスに手紙を書き、FLT(p)の証明に助け舟を求めますが、”証明も反証も出来ない予想なんて(数論の世界では)幾らでも書き出せる”と相手にしません。 
 事実、誰にも理解できて現在の未解決問題というのは整数論には幾らでもある。更に、”フェルマーの大定理が数学の進歩に重要であるという問題ですらない”と足立氏も述べてます。


ソフィーからクンマーへ

 ソフィー嬢の悲運の死後、1847年に前述のラメが”全ての素数で証明できた”と衝撃の発表をします。
 つまり、全ての数が素数の積で(一意的に)表せるから、xⁿ+yⁿを素数の積に(一意的に)分解できると勘違いしてしまった。しかし、同じ時期にコーシー(仏)も同じ事を主張し、大きな論争を巻き起こす。
 しかし学友のリュービルから、ラメのやり方は間違ってると指摘。実は、リュービルもクンマーも、ディリクレから”全ての数は素数の積で一意的に表す事は不可能だ”という助言を頂いていたからだ。
 つまり、虚数iがネックになるんですね。例えば、15=3×5だが、虚数を使えば、(1+√(14)i)×(1−√(14)i)も存在し、一意的ではなくなる。

 元々、フェルマーの大定理には興味がなかったアーネスト・クンマー(独)だが(専門分野の整数論の立場から)、”理想の素数”を導入し、”正則素数に関してはフェルマー予想は正しい”事を証明します。
 更に、100以下の素数を再検証するも、p=37,59,67は(非正則素数が故に)問題が発生する。しかしクンマーは、気の遠くなる様な計算の結果、p=37,59,67の時を個別に証明し、p≤100の全ての素数でFLT(p)が成立する事をも証明します。
 因みに、この理想数はデデキント(独)により一般化され、イデアル論に発展する。
 また正則素数とは、円のp分体(円のp等分点を有理数体に添加した体)のイデアル類群の位数(要素の個数)である類数を”割り切らない”素数の事で、逆に類数を割り切る素数を非正則素数といいます。
 このクンマーの正則素数を使った手法ですが、イデアル類群の構造(類数定理)を使う事で、フェルマー予想の解決に(条件付きではありますが)成功したんですね。

 お陰でラメもコーシーも諦め、論争は静まったかに思えた。が、クンマーの”理想数”(理想の素数=正則素数)を持ってしても、フェルマーの完全証明には程遠く、ガウスが言う様に整数論の領域だけでは歯が立たなかったのだ。
 事実、このクンマーの理論をスパコンで極める事で、1994年には400万以下の自然数でフェルマー大予想は正しいとされます。しかし数学とは無限を扱う学問で、無限に比べたら400万なんて数は2や3と何ら変わりはないのである。
 しかし、この挫折の結果はフェルマーの完全決着に向け、大きな成果と意味を持つ様になります。
 この1840年代〜60年代のクンマーの死闘編が一番ややこしいのですが、それまでの過程を大まかに説明しました。

 ただ、フェルマーの大予想の解決はクンマーの代数的整数論から数論的(楕円)曲線論にバトンタッチされるんですが、その触りの部分だけを述べて、この休憩編は終りにしたいと思います。


新たなる発見と進歩

 20世紀に入ると、裕福な出の数学者ヴォルフスケール(独)は失恋で心を病み、自殺を考えますが、自殺する数時間前に(偶然にも)クンマーの著書が目に入る。
 ”クンマーの理論には欠点がある。ひょっとしたらフェルマー予想が解けるかもしれない”
 そう閃いた彼は自殺を思い留まり、研究に没頭するも自らの勘違いに気付き、1906年に死去する。
 しかし(驚く事に)、”フェルマーの大定理を解いた者には(当時の貨幣価値で)10億円をやる”という遺言が(それを管理してた)ゲッチンゲン大学から公表された(1908年)。
 だが、当時の数学界では”(10億を出されても)無理なものは無理”という風潮にあったので、(いたずら好きな素人を除き)色めく数学者はいなかった。
 確かに、オイラーでもガウスでも無理なのだから・・・という気持ち判りますね。
 但し、1994年にワイルズにより証明された時は500万ほどの価値にまで下がってたとか・・・(悲)
 
 実は、10億の遺言が公表される4年前、ポアンカレがある予想を立てました。「ポアンカレの奇悲劇」でも書いたんですが、ポアンカレ予想とは”宇宙の形をめぐる仮説”とも言われ、”単連結な三次元閉多様体は三次元球体と同相である”というものでした。
 つまり、”ロープをどの様に掛けても無理なく外せる物体(多様体)は球(三次元球体)に変形できる”という事。
 例えば、ドーナツの様に穴が空いた物だとどんなに変形しても掛けたロープは引っ掛かって戻ってこない。つまり、ドーナツ状の風船を針で刺しても1点で収束しない。逆を言えば、(単連結な三次元閉)多様体という風船を針で刺した時、1点で収束する事を証明すればいいのだが、世界の数学者をとことん悩ませたんですね。
 このシンプルな概念こそがトポロジー(位相幾何学)で、貫通穴がない物体を位相0の多様体、つまり穴がn個の多様体を位相nと考える。
 従来の幾何学(微分幾何学)では”形”や”量”に注目してたが、トポロジーでは”質”を問う。
 つまり、モノの本質をシンプルに捉え、複雑なものを単純化して考察するというポアンカレの発見のお陰で、その後の数学に絶大なる影響を与えます。
 このポアンカレ予想と同様に、フェルマーの最終定理も様々な分野の天才が挑戦し、跳ね返され、21世紀を迎えていく。 
 ペレルマン(露)はポアンカレ予想をトポロジーではなく”固くて古臭い数学”と退けられた微分積分学を使って解決した。

 ”発想を変えなければ、世紀の難問は解けない”
 フェルマーの最終定理も20世紀半ばに入り、同じ様な局面に迎えるが、その伏線こそがポアンカレが生み出した”モジュラー形式”という、周期性と対称性を持つ関数でした。
 因みに、三角関数の様に(2πの)周期でズラせば(変換すれば)元に戻る性質を”型を保つ”事から”保型形式”と言い、その保型形式を拡張したのが”モジュラー形式”です。
 が、このモジュラー形式は非ユークリッド幾何学が支配する4次元空間で考える必要があり、三角関数の様に図や式で表す事の出来ない超難解な関数とされます。
 一方で、モジュラー形式(関数)は”お行儀のいい関数”とも呼ばれ、一般に正則(微分可能で連続)な関数を扱うが、非連続である素数の性質に深い関係があるのも、(このモジュラー形式こそが)異なる2つの世界を繋ぐ架け橋として見れば、ユニークな事実を提示している。
 オイラーやソフィー嬢やクンマーらが考えたように、”フェルマーの大定理と素数には密な繋がりがある”事は周知の事実になる。
 そこで、従来の視点とは異なった方法で素数を捉える事が重要になったのだが・・・

 そして舞台は、ヨーロッパから我が日本に移ります。


8 コメント

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フェルマーの最終復活? (paulkuroneko)
2022-10-11 11:27:59
約一年ぶり強のフェルマーですね。
ある意味、正攻法で最もフェルマー予想の解決に近づいたのがクンマーだったとも言えます。
転んださんも正攻法で行き過ぎたために多くの数学者がはまり込んだ罠に出くわしたんでしょうか。

一方でフェルマーは自身が予想した大定理ばかりが目立ってますが、同世代の偉大な哲学者であり数学者でもあるデカルトやパスカルともよく比較されます。
デカルトは解析幾何学の祖として式(代数学)と図形(幾何学)を結びつけ、パスカルは懐疑論や確率論を重視し、数学的機能法を定形化しました。しかしフェルマーは最も困難な整数論という分野で大きな業績を遺しました。

そのフェルマーはデカルトと大論争を繰り広げてます。
フェルマーは微分という極限を使って接線を求めようとしましたが、デカルトは方程式の重根から求めようとしました。
微積分が確立してない頃でしたから大きく揉めたんですが、整数論だけじゃなく微積分の祖としてもフェルマーの名が挙がるのも当然かもしれません。 
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paulさん (象が転んだ)
2022-10-11 18:07:25
私もフェルマーという数学者に対しては(大予想以外には)殆ど興味を持ってませんでした。
しかし、パスカルは彼の事を”欧州一の数学者”と評価していました。
フェルマーは自らの整数論の研究成果をパスカルに編纂&出版してもらおうと必死で懇願しますが、”もう数学には興味がない”とあっさりと断られます。

(デカルトもそうですが)パスカルも精神や推論の鍛錬の場と考え、数学に没頭する事はありませんでしたが、フェルマーは違ってたんですよね。
フェルマーは若い頃にディオファントスの「算術」を読み、整数論に目覚め、フェルマーの大定理を予想した辺りは、根っからの数学者なんだと思いますね。

コメントとても参考になりました。ありがとうございます。
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ディファントス解析 (UNICORN)
2022-10-13 06:02:56
数論は厳密には整数論と有理数論に分かれるけど、方程式の整数解や素数の研究は前者で、曲線や曲面上の有理数点(有理数解)の研究をディファントス解析と呼びます。

フェルマーは最初に自然数の研究に取り組みます。
まず、「4n+1型の素数は2つの平方数で表せる」という有名な定理(当時は予想)でした。後にオイラーより証明されますが、フェルマーはこの証明にとても苦しみます。
任意の4n+1型の素数が2つの平方数で成り立たないと仮定すれば、それと同じ性質を持つ小さい素数が存在し、更に小さな素数が存在する。最後には4n+1型を満たす最小の素数は5となり、これは2つの平方数の和(=1²+2²)となり、矛盾する。故に背理法により、4n+1型の素数は2つの平方数で表せると推論せざるをえないとは書いてます。
これはフェルマーが最小降下法と呼んだが、数学的機能法の一種です。故に数学的機能法の創始者とされるんですが、自身の大定理もこれを使って証明したと信じこんでいた。

更にフェルマーは自然数解を求める方程式を沢山書き出します。しかし、3次以上の方程式となると整数解は有限個しかなく殆どが有理数解にとって代わり、ディファントス解析にのめり込むようになる。
面白いことに、フェルマーの大定理は「0でないaに対してn>2ならば方程式aⁿ=xⁿ+yⁿは0でない有理数解を持たない」という命題になる。
この等式の両辺aⁿで割って曲線論で言い換えれば、「n>2ならば曲線1=xⁿ+yⁿは(±1,0)(0,±1)以外の有理点を持たない」と言い換えれる。
つまり、フェルマーの大定理は整数論の問題でもあり、曲線論というディファントス解析の問題でもありました。更に最後には楕円曲線に帰着し、最終決着を見たんですね。
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UNICORNさん (象が転んだ)
2022-10-14 03:20:40
ディファントスについて色々と教えてくださって、感謝&感謝です。

紀元3世紀頃の数学者ディファントスの「算術」で有名な問題は、”与えられた(平方)数を2つの平方数に分けよ”というものでした。
例えば、16=4²=(16/5)²+(12/5)²が与えられ、一方で、4n+1型の(平方数でない)素数13に対しても、13=(18/5)²+(1/5)²なる解が与えられますね。

以上から、前者の例ではx²+y²=a²の円上の有理点は(a=4の時では)x=16/5,y=12/5となり、後者ではx²+y²=aの円上の有理点は(a=13の時では)x=18/5,y=1/5となります。
これは今で言う”不定方程式”の一種ですが、整数論全盛の古代ギリシャの時代に、こうした有理数解を求める考察を色々と張り巡らしていたディファントスの解析術には脱帽ですね。

最古の整数論とされるユーグリットの「原論」は、完全数や素数の無限性や素因数分解という自然数に関する考察でした。一方でディファントスは今で言う”数論的代数幾何”の元祖だと足立氏は称賛されてます。
古代ギリシャでも紀元前5世紀頃までは数論(算術)は幾何学よりも上位とされてましたが、幾何学から無理数という有理数を超える数が発見され、幾何学は算術をも含有し、数学の中心的存在となります。
因みに、算術と(下等な)計算術を明確に区別したプラトンですが、彼の弟子たちが幾何学に傾斜していくのもこの時期なんですね。

それまで、直感や計算を重視する算術から公理や命題を重視する幾何学に数学全体が傾斜していく過程は、とても興味深いと思いました。
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有理数解 (腹打て)
2022-10-14 11:39:56
x²+y²=aの有理点を求める問題だけど、与えられた自然数aに対し、x²+y²=aなる自然数x,yは何組あるか?って問題だと、数学者でも頭を悩ますだろうね。
一方で、x²+y²=a²はx,y,aが自然数の組だとピタゴラス数として知られ、古くは古代バビロニア人がすでに発見してたとされる。

前者の問題だが、有理数解を求めよって問題にすれば簡単に解ける。しかしディファントスの偉大さは有理点を求める幾何学的研究を(結果的にだが)算術に取り込んだ事にある。
後にデカルトが代数学と幾何学を結びつけ、数論的代数幾何学という現代数学において大きな華を咲かせる訳だ。

整数論はピタゴラス派により、有理数論はディファントスにより創始されたと言えるけど、ピタゴラス教団は信仰上の理由から自然数を重要な研究の対象とし、プラトン学派は算術と幾何学を数学の2本の柱とみなした。
しかし以降ディファントスの算術はアラビアに受け継がれるも、欧州では千年近くも忘れ去られ、数学においては暗黒時代とも言える。
十字軍をきっかけに高度なギリシャ数学が欧州に流れ込み、ヨーロッパ人の知的好奇心は大きく刺激されたんだが。
フェルマーもその一人だけど、ユーグリットやアルキメデスではなくディファントスに興味を持った事に大きな意義があるってもんだ。

フェルマーがディファントスの「算術」に出会ったのが大学生の頃だから、法律は放ったらかしで数論にのめり込んでたんだろうね。
x²+y²=a²の問題は«平方数は2つの平方数に分解できるが立方数は2つの立方数に分解できないし、4乗数も2つの4乗数に分解できない»という主張(フェルマー予想)に繋がった所も面白い。
特に、当時のイギリスでは算術(数論)に代わり微積分学が確立されようとしてた時期だったから、自然数(整数)を対象にしたフェルマー予想は素人の数トレにしか映らんかったんだろうな。 
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UNICORNさん (象が転んだ)
2022-10-15 05:05:03
訂正です。
ディファントスの「算術」の件ですが、”与えられた(平方)数を2つの平方数に分けよ”ではなく、”与えられた数が2つの平方数に分けられる時、これを別の平方数に分けよ”という問題でした。
つまり、13=2²+3²が与えられたとして、13=(18/5)²+(1/5)²を解とし、これはx²+y²=13の円周上に有理点(2,3)(18/5,1/5)が存在する事を、同様に16=4²=x²+y²を満たす有理点は(0,16)(16/5,12/5)である事を示してます。

以上、初歩的な勘違いを深くお詫びします。
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腹打てサン (象が転んだ)
2022-10-15 05:38:29
腹打てさん

ここまで詳しいコメントを寄せられると
まるで高価なプレゼントを貰ったみたいで、何にもお返しは出来ないんですが・・・

言われる通り、フェルマーの大定理(当時はフェルマー予想)は”立方数は2つの立方数に分解できない”という(素人目から見ればですが)とても単純で淡白な予想に思えたんですよね。つまり、分解できる立方数さえ見つければフェルマー予想は簡単に否定されると・・・

しかし、x²+y²=aのというディファントスの考察を2次曲線として考えると少しややこしくなる。
まず、x²+y²=a²の円周上の有理点は、明確な有理点(0,a)を通る傾きtの直線との交点となります。一方で、x²+y²=aの場合は明確な有理点が存在するとは限らないから、有理点が存在する事を条件として、他の有理点を求める必要があります。
つまり、有理点は全く存在しないか、又は存在すれば(傾きtの数だけ)無数に存在する。これは一般の2次曲線にも言える事ですね。

そこで、この問題を3次式に拡張し、”3次曲線:x³+y³=a(≠0)上の有理点を求めよ”とすれば、これは今で言う楕円曲線上の有理点の問題になります。勿論、楕円曲線は同じ3次曲線でもy²=x³+ax+bという特異な形ではありますが・・・
この様に、ディファントスの「算術」から既に3次曲線(楕円曲線)の本質をも見抜きつつあったフェルマーの洞察は驚異というしかないですね。
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腹打てサン (象が転んだ)
2022-10-15 06:08:12
補足です。

x³+y³=a(≠0)が楕円曲線である事の証明ですが、一般にはay²+by=cx³+dx²+ex+f(ac≠0)で表せます。
そこで、x+y=uとおきx³+y³=aに代入すると、u³−3u²y+3uy²=a。両辺をuで割り、Y=y/u,X=1/uで整理すれば、3y²−3y=ax³−1と楕円曲線の形になりますね。
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