象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

「さらば、サムライ野球」と渾身のルポルタージュ

2020年09月03日 01時44分59秒 | スポーツドキュメント

 20年程前に一度読んだ記憶がある。

 今振り返っても、実に新鮮に映るし、未だに斬新に蘇る。
 栄光の巨人軍を、”ガイジン”(W•クロマティ)とアメリカ人作家(R•ホワイティング)の目で見た、これこそが渾身のルポルタージュだ。
 読売ファンからすれば、日本のプロ野球を含めた完全無比の冒涜に過ぎず、苦々しく歯痒くにも映るであろうが。久し振りに再読すると、実に素晴らしい”日米文化比較論”であり、実に美しい日米野球比較論でもある。
 特に、クロマティ氏の鋭い観察眼には、感服する。多少感傷的ではあるが、現役バリバリのメジャーの視点で眺めた巨人軍の実像と、日本プロ野球の等身大の全体像に迫る。


斬新で新鮮な日米比較論

 多少、黒船来襲的な"上から視点"も目立つが、クロマティ自身、貧しいスラム街で育った経験から、アメリカ人にしては意外に中立的な立ち位置で描かれてはいる。
 彼が日本であれだけ受け容れられたのは、そういった貧しい生い立ちと、それから来る心の繊細さと優しさが同情を買った部分もあるが、それ以上に、クロマティの前向きで快活な順応性が決め手となったのだろうか。

 確かに、野球選手としての彼のパワーやスキルは、非力な日本選手と比べても極端に高くはない。王監督の熱心な個人レッスンがなければ、この貧困上がりの黒人は、僅か1年でクビだったろう。 
 しかし、クロマティの観客を酔わせるパフォーマンスは、往年の長嶋サンを彷彿させた。7シーズンも巨人軍のスターに君臨出来たのは、彼のイメージが読売の興行重視の路線とピッタリハマったとも言える。
 王さんや原や桑田や江川がアンチ巨人の格好の標的にされ続けたのとは、非常に対照的でもある。

 ただ、この頃の若き新生巨人軍は、V9時代とは大きく異なり、古くて重たいONの伝統から脱皮しつつあった。ガチガチの勝利至上主義からの読売のイメージの刷新でもあった。
 故に、クロマティの新鮮で異端の血がどうしても必要だったのだ。
 しかし、原サンのナルシスト振りには思わず笑った。勝負弱い不幸な4番打者というイメージが強い原は、常に周りの視線だけを意識した。ただ、メジャーでも非力な部類に属するクロマティが、非力な原に"もっとパワーアップを"としつこく主張するのも意外に思えた。
 どんなに気に入らないライバルも、困ってたら助けるという新大陸的性格が、クロマティにはあったのだ。


侍ニッポンの悲しい現実

 80年代のバブル全盛の日本も大国アメリカから見れば、”不幸の詰合せ”の島国に過ぎなかった。当時、”宮殿”と噂された月200万の億ションも、クロマティにとっては”ネズミ小屋”同然に映った。
 その宮殿から眼下を見下ろすと、マスコミが働きバチか黒アリの様に群がってる。彼は思わず涙が出た。そして背筋が凍りついた。
 ”これが世界第2位の経済大国の現実なのか・・・”

 お陰で、来日した殆どの外人はホームシックに掛かり、牢獄で暮らし、過酷な軍隊で野球をする様な錯覚と幻想に浸った。
 その度に、彼らは自分に言い聞かせるのだ。"元気を出せ、その為に地球の裏側の島国にまで来て、大金を稼いでんだからな"
 しかし、そんな中でもクロマティは、怒りを押し隠し、忍耐と快活なパフォーマンスで自らを日本人を勇気付けた。彼もまたサムライの血が流れていた。
 因みに、クロマティの奥さんは、このネズミ小屋に失望し、離婚の原因となった。
 ”3歩で渡れるリビング、両手を伸ばして届く寝室なんて”〜これが宮殿の真相だったのだから、無理もない。


さらば、サムライ

 しかしこれ以降、共著のホワイティング氏は野球に関する執筆を中止する。
 つまり、繊細な日本人には、その直線的な表現が露骨でハード過ぎたのだ。彼のベースボールと野球に対する深い愛情は、原爆やナパーム程ではないが、本質的でキツ過ぎた。
 当然、幾つかの球団は、この愉快で爽快なルポルタージュに拒絶反応を示した。

 クロマティが最後に語ってる様に、”日本人は、調和を大切にするが故に、嫌いなものや自分とは違うものを無視する。それに、失敗や人生の現実などを無視する傾向にある”
 自己否定が苦手な農耕族の欠点をバッサリと指摘する。でも、日米には多くの相違があるが、仲良くするのは可能だとも言ってる。
 彼は日本で多くを学び、別人になったと思える程、人生観が変った。今では日本が大好きなのだ。
 この本は、バブルで成りあがった日本人に、等身大の日本を伝えてくれた。
 当時読んでも面白かったが、20年後の今読んでもずっと面白い。さらに20年先になったら、もっともっと面白くなるだろう。傑作とはそういうもんだ。



4 コメント

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レジースミス (tomas)
2020-09-03 13:08:57
という親父がいましたね
プライドだけがやけに高いだけの人が
でもあの頃は、経済大国日本がアメリカと張りあえた唯一の頃です。
マンションは億ションと囁かれ、街を歩く人は皆DCブランドをまとってました。

そんな日本の絶頂期にいろんなガイジンが入ってきましたが、その中でもクロマティーは日本で一番恵まれたガイジンでした。
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Unknown (だんぞう)
2020-09-03 14:42:16
実はこの本、当時買って読みました。
当初はアメリカへのホームシックがありながらも、数年後にアメリカに帰った時に、日本が懐かしく感じて、日本に戻りたいという心境に変化した・・そんなことが綴られていたような気がします。印象的でした。

日本での通算成績ではバースのほうが上ですが、ファンからの愛されかたはナンバーワンだったのではないでしょうか。
生え抜きの原選手や中畑選手などに勝るとも劣らないぐらい愛されてました。
外国人選手が、巨人の「顔」のひとりになれたのは、巨人ではクロウだけだったような。
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tomasさん (象が転んだ)
2020-09-03 16:42:17
レジースミス
ひと目見て怖かったですね。
瓦礫の中から這い出たような人でした。

それに比べ、クロマティは礼儀正しく、優しく繊細で、ユーモアもあり、みんなから愛されたような気がします。
今も殆ど変わらないですね。
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だんぞうサン (象が転んだ)
2020-09-03 16:46:57
多分、クロマティは日本人と同じく繊細だったんですよ。
それが大いに受けたんじゃないでしょうか。
打撃も左右に打ち分け、決して力任せではありませんでした。そういったスマートな洗練されたスタイルも好評でした。

多分、歴代の読売の選手の中でも、一番愛された選手じゃなかったかと。
でももう少し守備が良ければ、文句なしなんですが。
コメント有り難うです。
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