象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

173Kをも記録した伝説の快速球王、ノーラン・ライアン

2023年08月08日 13時39分57秒 | スポーツドキュメント

 ”オオタニは(昨季から)10試合連続2失点以下の先発を終えた。これは、1972年から73年にライアンが樹立した<先発9試合連続2失点以下>の記録を破り、<先発10試合連続で2失点以下>の球団新記録を樹立した”と、米スポーツESPNのレポーターは興奮して言い放った。
 大谷が今季3試合目の先発で、7回92球を投げ、被安打1で無失点で2勝目を挙げた4月11日の事である。

 この試合で、ノーラン・ライアンという伝説の投手を知った日本人も多いだろう。
 何とライアンは、大谷の165kを優に超える173kを投げた伝説の快速球王だった。それもホームベース付近で更に威力を増し、キャッチャーミットにズドンと突き刺さる。メジャーの誰もが恐れた快速球である。
 因みに、1974年に赤外線レーダーによる球速の測定が行われ、100.9mph(162.4㎞/h)を記録、ギネス世界記録にも認定された。また、引退年の93年、46歳にして157.7kを計測する。今のスピードガンなら165kは出てたろうか。
 それに比べ、大谷のそれは初速は160kを何とか超えるものの失速も激しく、ボール2個分ほどお辞儀しながらミットに収まる。まるで、高校生が投げる様な100マイルに興ざめをしたもんだが、今でもその思いは変わらない。
 ”格の違い”と言えばそれまでだが、大谷の二刀流の活躍を加味しても、ライアンの凄みと真実はメジャーの歴史をも凌駕するレベルである。

 当時のビデオで見ても判るが、こんな超速球が顔面付近に来たらと思うと、打席に立つメジャーリーガーらは死を覚悟しただろう。まさに、高い殺傷能力を持つ快速球でもあった。
 一方、日本で速球王と言えば、真っ先に江川卓氏を思い出すが、彼の145kが大谷の165kと殆ど同じ球速である事がユーチューブで実証された事がある。
 確かに、江川のホップする快速球も来日したスーパーメジャーらを驚愕させた。
 ”なぜ打てないんだ?たった140k台のストレートじゃないか”
 ”浮き上がるんですよ、ボールが”
 ”そんなバカな事があるもんか・・”
 こんな会話がベンチの中で交わされたという。
 そんな江川卓氏をも超えるノーラン・ライアンという投手は、どんなに凄かったのか?


ノーラン・ライアンの真実

 昨年3月、全米で劇場公開されたノーランライアンのドキュメンタリー映画「ノーラン・ライアン “伝説の投手”の真実」(2022年、アメリカ)がNHKBSで放送されていた。
 アメリカには優れた野球映画が数多くあるが、実在の名選手を描いたドキュメンタリーはそう多くはない。
 そういう私は、歴代最多の5714奪三振、通算7度のノーヒットノーランをはじめ、実に51個もの大リーグ記録を達成した”偉大なる投手”としてのライアンしか知らない。
 がしかし、1965年にドラフト12巡目でNYメッツに入団した22歳の彼は、それほど将来を嘱望される存在ではなかったという。
 以下、「ノーラン・ライアン“伝説の投手”の真実」より一部抜粋です。

 メッツ時代の捕手ジェリー・グロートが”ノーランのストレートは172〜173㎞/hだった”と証言してる通り、スピードこそ滅法早いものの、コントロールが悪かったからだ。
 ライアン本人も大投手になろうという野望を抱いていた訳ではなく、故郷のテキサス州で牛を育ててた事から、人生における当初の目標が獣医だったと明かしている。
 制球難や右肘の故障で、これと言った活躍が出来ないまま迎えた1969年、チームが”ミラクルメッツ”と呼ばれた、この年のナリーグ優勝決定シリーズで好投し、一躍その名を知られる事になる。が、いきなりスターの座に駆け上がった訳ではない。
 実は、その年のシーズンオフは故郷のメルヴィンで、エアコンを設置する副業に精を出していたそうだ。

 ライアン曰く、”当時はシーズン中しか給料が出なかったし、メッツとの契約金はたったの7000ドルだったので余裕がなかった”
 ライアンの幼馴染でもあったルース夫人によれば、”ワールドシリーズの優勝で得たボーナスは、両親の自宅のローンの援助や自分の牧場用の土地の購入に充てた”という。
 この頃もまだ、ライアンは”牧畜への情熱”を持ち続け、根っからのテキサス人だった彼は”ニューヨークは性に合わない”と違和感を感じ続けていた。
 ”野球以外にも天職があるのではないか”と悩むライアンを、(元テニスプレイヤーであった)ルース夫人は”貴方には野球の才能がある。もう少し続けてみたら?”と励まし続けた。

 1971年にトレードされる事が決まり、西海岸の球団だと聞いててっきり名門ドジャースだと思ったら、創立10年目の新興球団エンジェルスだと知らされて”死にたくなった”と漏らす。
 しかし、このトレードでライアンの野球は一変し、数々の偉大なる記録を打ち立て続けていく。
 ピート・ローズ、ロジャー・クレメンス、ランディ・ジョンソン、ジョージ・ブレット、デーヴ・ウィンフィールドなど、超豪華版のメジャーのレジェンドたちが次から次へと登場し、ライアン伝説を証言する。
 知っているようで知らないメジャーリーグの歴史だが、ライアン家の孫まで勢揃いするエンディングには、古き良きアメリカの心温まるものを感じた。
 以上、akasaka-cycle.comからでした。


Facing Nolan

 昨年、ノーラン・ライアンのドキュメンタリー映画「Facing Nolan」が全米で公開されたが、監督を努めたブラッドリー・ジャクソンは2020年夏、故郷のテキサス州を車で旅行し、この企画を思いついたという。
 マイケル・ジョーダンのドキュメンタリー「ラストダンス」を3度見たが、見る度に始点が変わり、あんなドキュメンタリーを撮りたいと思った。
 監督の故郷でもあるテキサスの人たちにとってのマイケル・ジョーダンは誰なんだろう?
 ”それはノーラン・ライアンしかいない”と決断した。
 そんなジャクソン監督だが、昨年10月にFOXスポーツで放送された大谷翔平の番組「Searching for Shohei」の監督も務めた。
 以下、「映画の舞台裏を監督に聞く」より簡潔にまとめます。

 そもそも、”ルース夫人の一言がなければ、この映画は実現しなかった”とジャクソン監督は明かす。
 事実、(息子たちを通じて)映画製作の打診をしたが、ライアンは最初は首を縦に振らなかった。しかし、裏ではルース夫人の説得があった。
 ”野球ばかりの貴方に27年も振り回された。一つぐらい、私の言う事を聞いてくれでもいいじゃない”と迫ったらしい。
 勿論、奥さんの為ではない。夫ライアンの功績を形として残す事は、息子や孫など家族全員の願いでもあったのだ。

 名だたる往年の名選手らがインタビューに応じてるが、(1人を除いて)全員が二つ返事で承諾してくれた。
 ”普通なら、その調整が大変なんだが、むしろみんな<俺にもしゃべらせてくれ>って感じだった”とジャクソン監督。
 ライアンがレンジャーズでプレーしてた頃の球団オーナーの1人であるジョージ・W・ブッシュ元米大統領(第43代)も、いとも簡単にインタビューに応じてくれ、拍子抜けする程だったとか。

 このドキュメンタリー映画は、時系列でライアンのキャリアを追う。
 ドラフトされ、ワールドシリーズ制覇も経験したメッツ時代(1965〜71)、その後覚醒し、4度のノーヒットノーランを記録したエンゼルス時代(72〜79)、故郷に戻って過ごしたアストロズ時代(80〜88)。そして、通算5000奪三振、40代で2度のノーヒットノーランを成し遂げたレンジャーズ時代(89〜93)。
 そこに例えば、65年にドラフトされた時、ルース夫人は”陸軍に徴兵された”と勘違いした話や、69年にメッツでワールドシリーズ制覇を果たしたオフに、エアコン設置のバイトで生活を支えたエピソードなどが挿入される。
 前者はベトナム戦争の最中の事であり、後者は当時のメジャーの主力でもそれが当り前だったという、時代背景も透けて見える。

 更に、節目節目で家族のインタビューも挿入されているが、ジャクソン監督はその意図を”ライアンが家族を大切にする人だという事を強調するだけが理由じゃない”と説明する。
 ”彼のキャリアは家族あってこそ。実際、結婚してなかったら、彼はメッツ時代に野球を辞めてた。彼の偉大さは、勿論持って生まれた才能もあるが、家族が彼の事を信じたから。だからこそ、家族との関係を野球のキャリアと並行して描き、最後にファミリーを強調し、その象徴にしたかった”と語る。
 最後に紹介される殿堂入りした時のスピーチでも、ライアンは家族への感謝の言葉で締め括っている。
 ”野球選手の家族は大変だと思う。長く野球をやれたのは彼らのサポートのお陰だ。私はその事を決して忘れない”
 以上、日本経済新聞のコラムからでした。


最後に

 ノーラン・ライアンと言えば、私が一番真っ先に思い出すのが、ロビン・ベンチュラとの乱闘シーンである。
 26歳の若造が46歳の引退間際の選手に返り討ちにあったシーンはいまも語り草だが、右肩に快速球をぶつけられたベンチュラはマウンドへ向かうも、逆に頭を抱えられ、マシンガンの如くパンチを浴び続けた。
 晩年は”血の気の多いオッサン”のイメージが強かったが、この頃は乱闘なんて当たり前のように行われ、ある意味でMLBの黄金期を支えていた。
 特に、この頃のメジャーの乱闘は皆本気だった。プレースタイルも同じ様に血生臭かった。
 1993年のライアンの引退は、メジャーの歴史の1つの終着駅だったようにも思える。
 事実、彼が引退した翌年に労使交渉が決裂し、選手会はストライキを起こし、シーズンが中断した。
 これ以降のメジャーの衰洛は目を覆うばかりである。そこそこのスター選手は輩出してはいるが、70年代から80年代のMLB黄金の時代と比較すると、雲泥の差だ。

 そんなMLBの黄金時代に縦横無尽の活躍をし、数々の快挙を作ったライアン氏の偉大な功績は今も語り継がれている。
 それに比べると、野茂やイチローや松井や大谷の活躍は日本列島を大騒ぎさせるに十分な出来であったかもだが、今から思うと、本場アメリカではどれだけのインパクトを残し得たであろうか。
 インタビューにもあるように、メジャーの特にアメリカ白人の選手は家族を真っ先に優先する傾向にある。自分の成績や状態以上に、家族の事を思いやる。
 映画「Facing Nolan」では、”19世紀最高の右投手”と評価されるライアン氏の現役時代の数々の偉大なる記録よりも、彼を支え続けた奥さんや家族の描写がとても印象に残った。
 そう、ノーラン・ライアンのという男の本質は、大切な家族を思いやる温かい心そのものだったのである。



6 コメント

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ライアンに見習え (tomas)
2023-08-08 16:41:39
テーマは変わりますが
大谷の残留が決まった後のエンゼルスは7連敗。これも<大谷の呪い>なんでしょうか。
打つ方では絶好調だった7月が終り
天王山の8月ではヒットは出るものの大きいのが出ない。むしろ投げる方が不思議と調子良くなってきた。
ただチームとしてはこれからという時期にケガ人が続出し、これまで1人でチームを支えてきた大谷もこれからが正念場。
もし不沈艦大谷が沈没するようなことがあれば、チームは大崩れでBクラス転落もあり得る。

このチームはスター選手は生み出すけど戦い方を知らない。
トレードが中途半端との声もあるけど戦術が貧弱で大谷だけに依存するチーム。
これじゃチームは勝てない。
ならば
思いきってドル箱の大谷を放出し、将来あるプロスペクトを数多く獲得すべきでしょうね。
転んださんが言う大谷限界解説を鵜呑みにすれば、他球団に行った大谷は沈没し、大谷が去ったエンゼルスは復活する。
そうなれば大谷にとっては最悪のシナリオですよね。 
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tomasさん (象が転んだ)
2023-08-08 22:51:09
大谷にとっての最悪のシナリオは
二刀流で活躍する程にチームが勝てなくなるというジレンマです。
大谷も大谷で、ワイルドカード争いが激化する夏場以降に体力や調子を温存してればいいものを(WBCの疲れもある筈なのに)前半から快速で飛ばしました。
故に、8月はそこそこ調子はいいものの、確実に体力は削ぎ落ちつつある。

一方で、無尽蔵とも言える大谷の体力には脱帽ですが、その体力がどこまで持つか?は全くの不透明です。
ある日突然、自壊の危機が来るのもスーパースターの宿命ですが、嫌な予感がしなくもないですね。
勿論、この予想は外れてほしいのですが・・・
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二刀流のジレンマ (tomas)
2023-08-09 10:18:56
多分、チームにとっては大谷の二刀流での活躍は、典型のありがた迷惑だと思います。
当然、日本人観光客は大谷の活躍に浮かれっぱなしですが、地元のファンは大谷の活躍もですが、チームの勝利を優先します。
しかし、二刀流で活躍する程にチームはギクシャクし、大谷を中心に回るもチームは肝心なところで連敗。
チーム内でも大谷に対し微妙で不穏な空気が流れてるのも確かで、大谷の残留がチームに何らかの悪影響を与えてるのも事実ですね。

囚人のジレンマじゃないですが、チームの為にと一生懸命にやってる事が逆に最悪の結果を招く。今のエンゼルスの状態がそうなんでしょうか。
いつもテーマから離れすぎてしまってスミマセン。 
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tomasさん (象が転んだ)
2023-08-09 11:50:40
結果論ですが
大谷を金銭で放出し、そのカネで若く有力な選手を獲得した方がチームとしては良かったかもです。
多分、大谷の二刀流は今年が限界だと思うので、来季からの商品価値は下がる一方です。
つまり、来季の大谷との継続契約は大損覚悟のギャンブルみたいなものですから、放出するなら7月がチャンスだったでしょうね。
しかし、チームは全く動かなかったし、動く気配すらなかった。昨年はチームの身売りも噂されたんですが、それも引っ込めた。
ま、それだけチームとしては大谷に大きな期待を賭けたんですよね。

勿論、危険な推測に過ぎませんが、エンゼルスは大谷と共に沈没する運命にあるような気もします。
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大谷巨砲主義の崩壊 (tomas)
2023-08-25 05:10:05
転んださんの予想がピタリと当たりましたね。
まずはおめでとうございます。
でも不可解なのは、右肘靭帯断裂が判ってながら、本人の意向を受けて第2試合も出場させたことにあります。
そもそも腕の疲労ではなく肘のケガだったことは明白であり、それでも監督は出場させ続けました。
大谷は以前にも右肘損傷で手術を受けましたが、その時は軽い断裂だったのですぐに復帰できましたが、全く同じ箇所を損傷しました。
多分商品価値は大きく下落するでしょうし、二刀流は絶望ですね。

けが人が続出するエンゼルスですが、オハピーもネトも一度痛めた箇所を後に出場させて悪化させ長期離脱になりました。トラウトも骨折から復帰して僅か1試合で負傷者リスト入りしました。
GMは大谷を精神力の強い選手と感心してましたが、その大谷を潰してしまったフロントの責任はどう問われるんでしょうか。
悲しい限りですよ。
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tomasさん (象が転んだ)
2023-08-25 09:35:39
今回の件は
チームにその多くの責任がありますが
厳しい言い方をすれば、大谷にも責任はあります。
昨日の第2試合の出場ですが、試合前に大谷にも右肘の損傷は伝えられていました。
にも関わらず、彼は出場を志願したらしいです。この時、時間を掛けて精密検査し、ケガの重大さを彼に伝えてたら、出場はまずなかった。
日本的に言えば”精神的に逞しい”となるが、アメリカ的に言えば”リスク管理がなってない”となる。

こうした万年Bクラスのチームって、フロントも選手もリスク管理が甘いんですよね。だからいつも同じ問題でチームは沈没する。
でも、まさかこんな事で大谷が沈没するとは思っても見ませんでした。
山本五十六じゃないですが”3年は暴れてみせましょう”ってなりましたね。
また”日本人は3年でポシャる”という事も証明された気がします。
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