象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

誹謗中傷と権力批判は別もんだ〜ネット上の批判は誰が為にある?

2020年11月24日 07時31分40秒 | ブログ系

”巨人のV9なんて八百長よ”

 多くの弁護士は、書いてる事に公平性(或いは公共性)と中立性と真実性があれば、違法ではないと言うが、それでも相手を傷つける強力な凶器となる事は多々ある。
 真実と言う名の凶器を、誹謗中傷とみなすかは別問題として、物事の真相は何時の世も大きな物議を醸すものだ。

 ”巨人のV9なんて八百長よ”と、死んだ兄は口癖の様に言っていた。
 お陰で子供だった私も、かつては大ファンだった”我らがジャイアンツ”を疑う様になっていった。そして、王さんや長嶋さんの偉大な記憶や記録にまで、その疑問は及んだ。
 確かに、読売が阪神の江夏投手に圧力を掛けたのは事実だろう。江夏氏が普通に投げてたら、読売の栄光の9連覇はなかっただろうか。
 しかし、水面下で何が行われたとしても、9連覇を達成した事も事実ではある。

 そういう事を田舎の巨人ファンに漏らすと、今で言う”誹謗中傷”とみなされた。
 しかしそこには、公平性や中立性や真実性はないのだろうか?単なるアンチ巨人への誹謗中傷なのか?それとも、パッシングという名の批判か?

 
都合の悪い真実と誹謗中傷と

 カーチス・ルメイの無差別攻撃やトルーマンの原爆投下は、”世界の警察”アメリカにとっては甚だ失礼な誹謗中傷なのだろうか?それとも不都合なる真実か?
 でも日本にとっては最悪の現実であり、理解に苦しむ悲劇でもあった。
 一方で、東京裁判に正当性はあるのか?答えは明らかに”ノー”だろう。
 同じ様に、旧日本陸軍の南下政策に正当性はないし、”陸の三馬鹿”のやった事は絶対悪である。しかし、陸の三馬鹿の遺族にとっては、名誉毀損に近い誹謗中傷なのかも知れない。

 太った女性に”デブ”と言ったら、当然失礼に当たり、今で言えば純然たる誹謗中傷である。最悪相手はその事に悩み、自殺するかも知れない。
 しかし、”少し太めですね、生活習慣病となれば命をも奪いますから”と言えば余計なお世話かもだが、誹謗中傷を避ける事はできる。だが巨漢に”少し太めですね”と言おうものなら、逆に”デブってはっきり言えよ”って怒鳴られるだろう。

 世の中には公平性や公共性や真実性があっても、誹謗中傷とみなされるケースが沢山ある。大体において、”都合の悪い真実”ほど誹謗中傷や批判の対称になる。
 逆に、相手を庇うつもりのお世辞や励ましも、時と場合によっては相手を大きく傷つける事もある。

 そういう私は権力を、権力に依存してる人を批判する悪い癖?がある。
 安倍元首相を続けて批判すれば、”またアベガーかよ”と逆に突っ込まれ、誹謗中傷の常習者として、安倍シンパからは”陰キャ”と煙たがれる。
 しかし、誹謗中傷と権力批判は別物だと思う様になった。でも今やこの2つは同じ意味として用いられてる様な気がする。
 つまりブログで批判を繰り返せば、”陰キャ”とみなされ、炎上し、仲間外れにされる。しかし、逆に差し障りのない平和な記事を書けば、”陽キャ”と評価され、”イイね”もアクセ数も仲間も増える。


不都合な誹謗中傷とどう付き合う?

 そういう私も生身の人間ではある。批判系記事ばかり書いた所で、自分にプラスになる筈もないし、いい気持ちもしない。
 でも、批判のない平和ボンボンな”イイね”的記事は、炭酸が抜けたビールみたいで酔う事はないし、多少の同意や感動はするかもだが、心を打つ事はない。 
 さだまさしみたいに、”暗いと思われたくない”から、スタイルを変えようとは思わないし、無理して明るく振る舞う事の危うさと無謀さを知ってるから、スタイルを変えてまで人に好かれようとは思わない。
 批判を誹謗中傷と思われるのなら、それはそれで構わない。”陰キャ”と嫌われたなら、それでも構わない。私を含め、数学系ブログを書く連中に、”ネアカ”はまずいない(笑)。

 ネット上の誹謗中傷が原因で自殺する若者が増えてると聞く。私が子供の頃は、周りそのものが誹謗中傷の世界だった。母子家庭になってからは、完全アウエイの状態で生き抜いてきた。
 ”死ね”という言葉はごく普通に使われた。今で言うネット上の誹謗中傷とは次元が全く違った。体罰は当たり前で、1時間ぶっ続けで殴られた生徒もいた。
 そういう私も、毎晩の様に兄から殴られた。でもそれは、ごく普通の出来事でもあったのだ。

 いま、ネット上の誹謗中傷が問題となっている。その場の勢いで激しい言葉を使ったり、つい不確実な書き込みを拡散してしまったり、SNSが生活の一部になってきた今、傷つけ傷つけられる事は誰にでも起こり得る。
 本来は世界中の人と対話できる自由なネット空間だが、我らはこの不確実なSNSとどう付き合っていけばいいのだろうか?
 以下、「ネットの中傷、あなたは?匿名空間がもたらす問題」を参考です。


誹謗中傷と権力批判は違う

 アンケートに寄せられた声では、以下の様なコメントが目立った。

 誹謗中傷を軽々しく書いた事を未だに後悔してる(10代女性)。短い文章でニュアンスを伝える為に、目を引く強い文脈になりがちだ。”~すべきだ”とか”絶対よくない”という言葉が多すぎてしんどくなる(20代女性)。
 逆に、友人との意見の対立や火種を増やし、炎上させたい人に都合のいい火種が増えたと思う(東京都、20代)。中傷で人を挫くではなく、勇気づける様な使い方をしたら幸せになれると思う(30代男性)。
 匿名で書かれた意見は信用のしようがない(60代女性)。
 政治家や企業経営者など社会的責任のある人への揶揄や皮肉を含む批判は自由であるべきで、権力による封殺を防ぐ為にも匿名での発言を守り抜くべきだ(30代男性)。 
 誹謗中傷はなくなってほしいが、正当な批判までできなくなると、意思表示ができる場がなくなる。誹謗中傷と批判との線引きはとても大事だ(30代女性)。

 一番最後の”誹謗中傷と批判との線引き”には大賛成ですね。自殺とネット上の誹謗中傷をダイレクトに結びつける、昨今の傾向はとても危険だと思う。
 では専門家はどう思ってるのだろう?


ストレスのはけ口が誹謗中傷へ?

 小俣謙二(社会心理学)氏は、以下のように語る。
 中傷や炎上を引き起こす発信者に共通するのは、正当に評価されていないという不遇感や世の中への不満感だ。攻撃的な言動がストレスのはけ口として機能し、他者からの”いいね”などの賛同の声に、自らの承認欲求を満たす。
 ただ、中傷に至る動機は様々で、怒りや嫉妬心や差別もあれば、強い正義感が極端な発信に繋がる事もある。
 相手の顔が見えないSNSでは、抑制が利き難くなる。人類が時をかけてつくってきた対人関係における社会ルールをSNSが一瞬にして変えてしまったのかもだが、死を選ぶほど人を追い詰める事態は深刻な社会病理です。
 有効な対策は、各々が他者への共感や想像力や思いやりを育む事だが、下手をすると相手を傷つけ、自分も損をする。失う事もある事をきちんと理解させる事で中傷を統制するのが現実的だが、現代人はネット情報の獲得に躍起となり、内省や熟慮の時間が減ってるように思う。


違法ではないが凶器となる

 ネット中傷裁判に詳しい北沢一樹弁護士によれば、被害者救済の視点で見れば、権利侵害が明白なネット上の投稿は、事業者が任意で削除や情報開示をする事が望まれると。
 しかし、権利侵害の明白性を判断するのが難しいケースが多い。名誉毀損では、相手の評価を下げる投稿でも、公共性と公益目的と真実性の3要件があれば違法とはならない。しかしこの判断には困難を伴い、表現の自由が関わる問題を事業者が判断するに限界もあり、司法判断に委ねるケースも多くある。
 一般的に、被害者が一般人なら書き込みには公共性がない場合が多く、権利侵害が明白と認めやすい。逆に政治家だと公共性がある場合が多く、芸能人などの有名人も難しい判断を迫られる場合がある。

 被害救済の為に投稿者情報の開示手続きが早まるのは良い事だが、開示の要件まで緩めると開示請求が乱発され、政治家や企業への正当な批判までが対象となり、真っ当な批判をし難くなる。
 自由な言論空間は、一度壊れると元に戻すのが難しい。ルールの見直しは慎重に検討していく必要がある。
 結局、法律上ではどうにもならんという事ですね。

 不快だが違法ではない投稿もあり、そこの線引きが難しい。
 公共性のある記事を書く以上、記事への露骨な批判が違法となる事はあまりない。名誉毀損やプライバシー侵害が明白な投稿はなくなってほしいが、一方で違法でなくても凶器となる言葉がネット上には溢れている。
 今年5月、一人の匿名女性が始めたツイッターデモ”#検察庁法改正案に抗議します”は、大勢に支持され、政治を動かした。
 日本は諸外国と比べ、ネット上で匿名で発信する割合が高い。匿名だから話せる悩みもあるが、でも差別を受けたり、政治に物申したいと思ったりした時、誰もが実名で安心して考えを表明できる社会であってほしいと願うばかりだ。
 以上、朝日新聞デジタルからでした。


最後に〜批判はタブーなのか

 事実、匿名で政権を批判しても、調べればすぐに出何処は判明する。お陰で私もスマホがお釈迦になった。それに、嫌がらせのコメントが入る時は、大体において察しがつく。
 故に、匿名だからとて強く言える筈もないし、逆に実名だからとて、危険というものでもない。極論過ぎるが、政権を名指しで批判する場合は、名前を明記した方が、公共性や透明性という視点で見れば、大きな威力を発揮するのかも知れない。

 私が田舎で嫌われるのは、思ってる事が顔にストレートに出るからだ。お陰で私は、面と向かってズケズケと物を言うという、悪いイメージがある。
 日本では相手に対し、本当の事を言うのは失礼な事とされる。そういう私も、本当の事を言われるとやはり傷付く。それは繊細だからではなく、自分を等身大に把握していないからだと思う。

 人は弱い生き物である。弱点を見透かされると途端に脆くなる。攻めてる時は攻撃的な時は頼もしいが、守りに周ると途端に弱くなる。同じ様に、権力を批判する時は調子いいが、権力に囲まれた時は呆気なく無条件降伏状態である。 
 故に、自分よりも弱い者を対称にした”誹謗中傷”が減らないのは当然でもある。逆に、自分よりも強者を相手にした批判は、”陰キャ”とみなされ、仲間外れにされ、SNSからは弾き出される。

 勿論、実名で堂々と権力を批判する事ができれば、”陰キャ”とみなされる事もなく、逆に英雄と持ち上げられるかもだが、悲しいかな私には、そんな”無謀な勇気”は持ち合わせてはいない。
 しかし、私のブログのTOP10のうち7つは批判系の記事である。”批判はタブー”という風潮の中、これこそがSNSの現実なのだろうか。



10 コメント

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Unknown (kaminaribiko2、)
2020-11-24 09:22:16
私は悪口の中にこそ真実があると思っています。もちろん称賛の中にも真実はあります。が、おべんちゃらに傾きやすい危うさがあります。

いずれにしても、自分の利益のための悪口は誹謗中傷になりがちで、社会の利益のために特定の権力者等の悪口を言うことは社会を正常に保つお目付け役になり得ると思います。
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大きなものを批判する (平成エンタメ研究所)
2020-11-24 09:42:59
僕も結構、悪口を書いていますが(笑)、心がけていることは、
『権力者など大きなものを批判する』
『小さな個人は批判しない』
です。

例えば、タレントは小さな個人だと思っているので、彼らのスキャンダルが出ても「しょうがねえなあ」と思いながらスルーします。

テレビのワイドショーなんかを見ると、タレントの不祥事はメチャクチャ叩くのに、政治家や権力者には及び腰なんですよね。
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ビコさんへ (象が転んだ)
2020-11-24 16:46:28
私の場合、批判や悪口というより、ストレス発散の為の愚痴に近いんですが、故に本道からずれる事も多々あります。
ビコさん言う様に、称賛の中にも真実はなくもないんですが、聞かされてる方は眉唾臭く感じますよね。
でも欧米のように、実名で権力批判が出来る時代になってほしいもんですね。
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平成エンタメさんへ (象が転んだ)
2020-11-24 16:52:47
流石、権力批判慣れしてるエンタメさんらしく感心しきりです。
確かに、派手な芸能界も小さな権力と言えなくもないんですが、メディアに比べれば弱者に過ぎません。そのメディアも今や権力の奴隷ですから、どうしようもないですね。

そういう私も権力批判になると及び腰になり、エンタメさんみたいにズバッと効率よく言えればいいんですが、まだそこまでの域には達してません。

でも自分なりに権力批判はしつこくやっていこうと。お互いに頑張りましょう。
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仮想と現実が溶け合う時 (paulkuroneko)
2020-11-26 02:28:47
数学的に言えば、虚数と実数が溶け合う時って感じですか。
結局、サイバーハラスメントというネット上の誹謗中傷は、現実に漏れ出す仮想コメントでもありますね。

本の解説文にもあるように、仮想と現実の境界線(クリティカルライン)のスレスレに誹謗中傷が集中すると考えれば、リーマン予想ではないですが、ゼータの零点が1/2上に集中するというイメージと同じと言えます。
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paulさん (象が転んだ)
2020-11-26 13:31:04
”仮想と現実の境界線に誹謗中傷が集中する”
ですか、流石paulさんの考察は鋭いですね。

つまり、誹謗中傷というのは仮想でもあり現実でもある。いや、そういった事を打ち消す境界線上に集中するんでしょうか。
「サイバーハラスメント」には消失点という説明がなされてます。という事であれば、零点というより、極に近い感じですかね。

考える程に難しいです。コメント有り難うです。
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サイバーハラスメント (#114)
2020-11-27 00:19:38
誹謗中傷よりも
サイバーハラスメントと言ったほうが
具体的でわかりやすい。
それに、ヘイトクライムもいい表現だ。

アナログの憎しみからデジタルのヘイトへ
言論の自由と誹謗中傷の無差別な繁殖
この誹謗中傷こそが”大衆の反逆”だとしたら

単に人と違ってることが
批判の対象になったとしたら
これこそ不都合な誹謗中傷なのだろうか
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#114さん (象が転んだ)
2020-11-27 04:27:11
大衆の反逆
これいい言葉ですね。
早速近いうちにブログにしたいと思います。
今の時代にピッタリの言葉です。
いつもコメント有り難うです。
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Unknown (Purple Sun)
2021-08-30 23:53:33
転んださんはお兄さんに殴られても平気でいられるほど精神力が強いですね。私だったら逃げ出したいくらいです。
それにしても、なんでお兄さんは転んださんに暴力を振るうのかが気になります。
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Purple Sunさん (象が転んだ)
2021-08-31 06:27:44
兄は典型の内弁慶で、喧嘩自体は弱く、自分より弱いものには徹底して強く出た。それでいて、外面はよくクラスの人気者でした。
そんな兄に父は強く当りましたが、私には甘かった。それで父の死後怖い者が居なくなり、私に八つ当たりって訳です。

今で言えば単純なパワハラですが、殴られて勉強する事はとても多いです。
私の小さい頃は殴られる事が全てでした。でもお陰で、危機意識は凄く敏感になりました。
キューバ危機のケネディみたいに、殴られても絶対に手出しはしないって感じですかね。
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