象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

昭和の娯楽がなくなる〜趣味が娯楽を淘汰する時

2023年06月28日 13時51分18秒 | ブログ系

 総合アミューズメント施設、ボーリング場、ゲーセン、万博、噴水キャバレー、ビニ本、ノーパン喫茶、ピンサロ、トルコ風呂、大型海水浴場、スキー場にゴルフ場などなど、昭和の良き時代を支えてきた大衆の娯楽だが、令和時代の今、どれだけの娯楽が残っているのだろうか?
 今でも、何とか繁栄を続けてはいるプロ野球やアイドル文化やオリンピックではあったが、ここに来てSEXスキャンダルや性暴力、それに不祥事や汚職にまみれてしまった。

 こんな状態で、かつての国民的娯楽に明日はあるのだろうか?答えは多分NOである。
 2025年にに行われる大阪万博も2022年の”寂しすぎた”東京五輪と同じく、失墜に終わるのは目に見えている。更に、2030年の札幌五輪誘致なんて愚の骨董である。
 それでも昭和世代の生き残りの民は、そんな腐り果てた娯楽ですら追い求める。そして決まった様に汚職にまみれ、大衆もまた決まった様に裏切られる。が我々はそれすらも忘れさる。
 そう、人は忘れる生き物である。が故に、同じ間違いや失敗を永遠と繰り返す。
 何と身勝手な生き物ではあるが、だからこそ洗脳され、陰謀論を真に受ける。つまりは(根拠のない)新興宗教も超常現象も誹謗中傷も大衆の娯楽の一つなのかもしれない。


私の娯楽

 因みに、私の昭和の頃の娯楽と言えば、ゲーセン(ブロック崩しやゴルフやシューティング等の初期モノ)、更に人生ゲームや花札やトランプ。それにマージャンやスーパーヨーヨー、アメリカンクラッカーなんてのも流行ったが、危険過ぎると言う事で禁止になった。
 一方で、大学の頃にハマったのが、2bitパソコンを使って同士と共同で作った野球ゲームである。勿論、プログラムなんて書けないから、デザインとアイデアとプランを提供した。
 まず、ストライクゾーンを9つに分け、AIピッチャーが乱数を使って投げ分ける。どのゾーンを打つかは人が予測し、芯で捉えれば、AIが打者の能力や成績や(蓄積された)データに応じ、ヒットか本塁打を判定する。ゴロは実線でライナーとフライは点線で描く。
 つまり、点線がそのままフェンスオーバーすればホームランで、野手の間を抜ければヒットで、野手の正面で止まればアウト。実線(ゴロ)も同様に野手間を抜ければヒットで、野手の正面で止まればアウト。
 つまり、データが積み重なり、乱数が肥大化する程にAIは賢くなる。30年以上も前の事だが、AIに翻弄され苦労したもんだ。
 今で思えば、愚直な程までに単純な野球ゲームだが、ジョブズとウォズニアクが開発したと噂される(ブロック崩しの一種である)”ブレイクアウト”と並ぶ傑作に思える。

 話が少し脱線したが、昨今の娯楽が詰まらないという気はサラサラない。むしろ、娯楽は進化し、更に多様化し、世界の隅々にまで繁殖する。その一方で、娯楽自体が無味乾燥化してるのも事実である。
 グルメ然り、旅行然り、ペットブーム然り。あまりにも当り前すぎて、浅薄短慮に思える所もある。
 美味しい筈の外食も、可愛い筈の猫も、気分をリフレッシュされる筈の旅行も慣れてくると、気分が高揚するどころか、マンネリとウンザリ感で腰を引いてしまう自分がいる。
 ネット全盛の今だが、Twitterやインスタという言葉を聞くだけで、心が萎えてしまう。


昭和の娯楽

 昭和の娯楽には熱情と躍動があった筈だ。
 都市にはなぜ娯楽があるのか?
 巨大温泉、大劇場、噴水キャバレー、ボウリング場、総合レジャービル。街もビルも今までにないものをゼロからつくってしまう。
 人々はもの凄い勢いで集い、騒ぎ、汗を流し、酒を飲み、笑う。
 「昭和”娯楽の殿堂”時代」(三浦展 著)では、そんなパワフルな昭和の娯楽をひもときながら、娯楽の場としての都市を考察する。
 まさに、昭和の時代の娯楽は何でもアリの”ごった煮”状態であった。新しい娯楽施設ができたかと思うと、すぐに改築・改造がなされ、そのバイタリティーさは”狂ったように”との表現がふさわしい。つまり、高度成長期のクレイジーな熱気がそこには充填していた。
 本書で紹介されている船橋ヘルスセンターもあまりにも大衆的で、そこには欲望が充満し、大衆と同様にその存在もあり方も混沌としていた。
 今で言うコンプライアンスとか安全安心とかリスクがどうのとか、そういうのは眼中にない。単純に先行き何も考えずにやりたい事をやる・・・そんな良き時代だったのである。 
 そんな昭和の時代には、”ナウい”とか”ダサい”とかいう曖昧な基準が存在した。つまり、”カッコいい=お洒落”という単純な縮図だったのだ。

 言い方は悪いが、ネットの時代も同様に、大衆という名の”乞食”が娯楽を牽引していたのだろう。
 そう考えれば、昭和の娯楽の熱気が理解できそうな気がする。
 そんな貧困上がりの大衆が、お茶の間のTVを賑わすプロ野球選手になり、オリンピックのメダリストとなり、アイドルに君臨する。
 お陰で、更に乞食は熱狂する。
 オラがヒーローやヒロインは貧乏を覆して成り上がる。
 つまり、昭和の娯楽は貧困が根底にあったのだろう。故に、貧困という底知れぬ無尽蔵のパワーが昭和とその時代の娯楽を支えてきたとも言える。


最後に〜趣味は娯楽を淘汰する

 しかし今、娯楽は多様化し、どんな娯楽を選び捨てるかは、大衆の勝手である。
 そんな時代の娯楽に、我々はどう接していけばいいのだろうか?いや、そんな娯楽に一々接する必要があるのだろうか?結果として、人と時代が娯楽を受け付けなくなる日が来るのだろうか?
 そこで最後に、1つのテーマを掲げたい。
 それは、趣味と娯楽はどう違うのか?
 
 趣味とは、自分の時間を使って能動的かつ積極的に働きかけるもので、それが高じると人に負けない”特技”に近づく。その特技だが、それが長じると、仕事に進化・発展する事もある。
 一方で娯楽とは(例え必要であるにしろ)、発展性のないその場の”息抜き”とも言えなくもない(「趣味と娯楽の違い」より)。
 例えば、プロ野球観戦は趣味というより娯楽により近いと言える。つまり、10年間プロ野球観戦を続けても、特技に昇華する事は少ない。一部には、それが高じてプロ顔負けの野球解説のレベルになる場合もあるが・・
 しかし、”自分の将来に役に立つ”という視点で考えれば、趣味は人生の”必需品”であり、娯楽は(刹那的に消える)”暇潰し”に過ぎないとも言える。

 そういう私も、長らくプロ野球観戦を趣味にしてきたつもりが、今に思うと、記憶という残骸が僅かに残ってるだけで、必需品には程遠く、人生の暇潰しにより近い。
 (50を過ぎて)数学を趣味にした事で気づいたが、娯楽に多くの時間を潰す事は人生を無駄に生きるだけの様な気がする。 
 人生は人が思うほど長くはない。いや、呆気ないほどに短いものである。
 そんな人生という貴重な限られた時間を、娯楽という人工的・イベント的に演出された偶像や虚構に費やすのか?それとも、感性を育み、精神性を豊かにし、知性を蓄積する、能動的で主体的に働きかける趣味に費やすのか?

 つまり、娯楽というのは我ら大衆が思うほどに熱狂し熱中する程の要素はないようにも思えてくる。
 故に、大衆の人生の大半を食い潰した昭和の娯楽が死滅しても、何ら不思議はないのだろう。そんな娯楽に変わり、自分を成長させる趣味が大衆の人生を支配するとしても、何ら矛盾はない。  
 趣味が娯楽を淘汰しても、それは必然の流れかもしれない。



4 コメント

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Unknown (1948219suisen)
2023-06-28 16:08:13
ほんと、娯楽に限らずITの出現によって生活が変わりましたね。IT革命は産業革命以上の革命だったのでしょう。

私は昭和47年頃千葉県船橋市に住んでいましたが、船橋ヘルスセンターを知りませんでした。

そのくらい情報に疎い人だったのに、今では毎日ネットで知らなくても良いような情報まで知らされています。そのため心の安寧が保ちにくくなりました。かと言って、今更ネットを手放すことはできませんから、苦しみながらも付き合っていくしかないのでしょうね。

ああ皆が等しく貧しく、しかし楽しかった昭和は遠くなりにけり。
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ビコさん (象が転んだ)
2023-06-29 02:07:21
そ~なんですよ。
昭和の時代は、みんな貧乏でした。
だからみんな夢があったし、娯楽に没頭できたんですよ。
それが今や、貧乏と言うより貧困。娯楽どころか趣味すら持てない。
SNSでいくら庶民の苦情を訴えても、時代は知らんふりで、ダラダラと怠惰なまま流れていく。

IT革命で少しはいい方向に流れるのかなと思いきや、殆ど期待は出来ないみたいですね。
いつもコメント有り難うです。
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象が転んだ様へ。 (りくすけ)
2023-06-29 20:02:23
お邪魔します。

わが愛する競艇をはじめとした公営競技は、
競馬を除き、敗戦後の地方財政再建として始まった面があります。
つまりは「昭和の娯楽」の典型。
競艇は一時期存続も危ぶまれる程に売上が低迷しましたが、
ここ10年でかなり回復しました。
そこには「ネット環境の拡充」が大きく寄与しています。
先日のSGでは平成生まれのレーサーが初戴冠。
本場の観客も平成世代が多くなりました。
いい事です。

個人的には舟券を買うのが娯楽ではなく、
趣味になってきた気がします。

では、また。
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りくすけサン (象が転んだ)
2023-06-30 06:26:20
全く私とした事が
競艇や競馬などの昭和を代表してきた賭け事を忘れてました。
”地方財政再建”という点では、パチンコも似たりよったりで、地方競馬も存続の危機にあるみたいですが
競艇は見事に復活した感があり、言われる通り、令和の娯楽の筆頭になりそうな勢いですね。
確かに、競艇は娯楽というより趣味に近いのかもしれません。それだけコアなファンが多いんでしょうか。

私はギャンブルは殆どしないんですが、競艇には何か惹きつけられるものがあります。
これからも、りくすけさんの競艇の記事を楽しみにしてます。
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