”たかがベーブ•ルース”の2話目です。写真は、若い時の投手時代のルース。この頃は全然スマートで、球も相当に速かったらしいです。
ルースは子供の頃から18歳まで孤児院で過ごしました。その孤児院とは実質の職業訓練校で、全寮制の矯正学校と孤児院を兼ねていました。そこでのエピソードも、彼の性格以上にユニークで興味深いですね。
元々手先が非常に器用だったらしく、将来はワイシャツの仕立て屋として就職が決まっていた。メジャーリーガーになっても、襟を縫ったり、ボタンを繕ったりして妻を驚かせたとの意外な一面も持つ。
それ以上に器用だったのが、葉巻の巻き方。子供の頃から素人裸足だったとかで、ボルチモアのマイナーにいた頃は、野球で成功しなくても、”葉巻屋の方がずっと稼げるだろう”と、チームメイトからからかわれた程だった。
セント•メリー工業学校時代
前述のルース少年が所属してたセント•メリー工業学校は孤児院も兼ねていた。両親が悪童ルース少年の素行を改善する為に、わざわざお金を払って行かせたという。
実は、工業高校と言っても名ばかりで、街で拾われた孤児や不良児や放蕩児、離婚で家庭が損なわれた子供など、親が貧乏で他に教育を受ける路のない家庭の子供たちを収容する施設だった。
勿論ルースは、不良児として扱われた。しかし、ルースにとってセントメリーでの生活は、結果的に極めて有意義な期間と場所であったのだ。
”ぼくは両親をほとんど知らない。ぼくは何か言訳をいったり、子供としてぼくが欠点だらけであった責任を、全部人や場所になすりつけたくない。仮にぼくが富豪に生まれたとしても、ぼくは手に負えなかったたろう。自分の境遇に気がつくまで長い時間がかかった”(「ベーブ•ルース物語」ボブ•コンシダイン著)
ルースが生まれたばかりの頃は、中産階級の裕福な家庭だったが。父は弟と共同でやってた避雷針屋を離れ、貧困街のボルチモアに移る。
因みにその場所とは、現在のボルチモア•オリオールズの本拠地であるカムデンヤードスタジアムの中堅の守備位置の辺りだったらしい。
ルース少年は兄のジョンに頼ろうとしたが、彼は若いうちに亡くなってしまった。姉のメームはボルチモアに住んでいたが、あまり面倒をみてくれなかった。
両親は一家の生活費を稼ぐ為に、一日20時間働き、祖父から継いだ酒場を繁盛させようと一生懸命だった。
しかし、酒屋の経営が思わしくなく、7歳のルース少年を、わざわざ金の掛かる寄宿学校に行かせる事にした。
父親は反対したが。病気がちの母親は、喧嘩、酒タバコ、万引きに明け暮れるルース少年を極端に嫌っていた。実際には、女遊びやドラッグをすでに覚え、それで母親の逆鱗に触れたとの噂も。
”ぼくは7歳までの年月の大部分を、ボルチモア西カムデン通りにある、父の酒場の上の部屋で暮らした。上の部屋で暮らさない時は、酒場暮らしで、仲仕や船員や波止場人足や港の浮浪者たちの荒々しい言葉づかいを覚えた。
酒場で寝起きしない時は、近所の街路で寝起きした。ぼくは出発点からそもそも腐っていた。そして、ぼくが自分の境遇に気がつくまでには長い時間がかかった”(同上)。
ルースが父親思いで、ハーマンという父の名をそのまま使ってたのもこういう所から来てますかね。
マシアス神父と野球との出会い
そして、ルース少年は会うべき人物、マシアス神父と出会った(その1参照)。
この巨漢の神父は、アメリカとヨーロッパの不幸な少年たちの救援事業に奔走していた。カトリック教団ザヴィエル派の教団員でもあった。6フィート6インチ、250ポンドの筋肉質の身体は悪童ルースを震え上がらせた。と同時に威圧感と畏敬の念を覚えたという。
マシアス神父は、ルースとキャッチボールをしているうちに、少年に野球の才を見抜いた。毎日時間を決め、広い校庭の片隅でバットで少年に球を送り、手や足の使い方を教えた。
マシアスは、ルースが8歳の頃には12歳のチームと、12歳の時には16歳のチーム、そして16歳の時は学校中で最も強いチームと試合をさせた。因みに、セントメリー校には30を超えるチームがあったとか。
しかし、悪童ルースは修道院での野球に本腰を入れる事はなかった。手先を怪我したら、既に就職先が決まっていた、仕立て屋の仕事が出来なくなるのを恐れてたのだ。
それでも悪童の活躍は、メジャーのオーナーの耳にも届いてた。ライバルのフェデラルリーグに横取りされない様にと、メジャーは先手を打ったのだ。
ボルチモア•オリオールズ(当時はMLB傘下のマイナー)のオーナー兼監督のジャック•ダンは、ルースの才を一目で見抜いた。
ルースの練習風景を30分ほど見たダンは、即座に年給600ドル(現在の約6万6000ドル)の契約を差し出した。
”君の事はよく知っている。どうだ!オリオールズと契約するつもりはないか?”
”この僕に給料をくれると云うんですか?”
”そうだ。まず600ドルからはじめよう。君が立派な成績を残したら、もっと沢山かせげるよ”
ルース少年には、セントメリーでのこの600ドルが、世界中の富の全部であるかの様に興奮した。野球がルースの運命に勝利した瞬間だった。
”元々仕立て屋として就職する予定であり、(手を痛める事が大いにありえる)野球はもう辞めようと決意していただけに、感極まりない嬉しさがあった”と、ルースは後に語ってる。書いててジーンと来ますな。
憧れのメジャーへ
オリオールズとの入団契約が決まると、初めて本気で野球に取り組んだ。その後のルースの活躍は、今更言うまでもない。
野球以外には、寄宿学校での生活も殆ど馴染めず、入出を繰り返し、7歳から19歳に至るまで、僅か7年程しかいなかった。喧嘩もやった方だが、そんなに強くなかった。子供の時、既にゴリラの様な風貌になってたのも、結構殴られてたからであろうか。
19歳になったルースは、1914年2月、600ドルでボルチモアに入団したが、彼に関心を持つ選手はいなかった。そしてそれは、どうでもいい事だった。
肝心な事は、ルースが既にボルチモアから離れるのが決まってた事だ。監督のダンは、1万ドル(現22万ドル)でルースを売り飛ばすつもりだった。勿論、交渉は決裂した。
汽車に乗るのも初めてだった。少年にとって何もかも全てが初めてだった。
夏には金銭トレードで、憧れのメジャーそれも、名門中の名門ボストン•レッドソックスに入団する。
3年契約で、年俸は3倍の1800ドルに跳ね上がった。身長は既に190センチ近くあり、スター揃いのチームの中でも頭一つ抜け出していた。今で言えば、2mを余裕で超えるレヴェルだろうか。
当時は左利きの投手だったが、打撃も半端なかったと言われる。よって、規格外の才能にチームメイトは嫉妬し、殆ど出番がなく、直にマイナーに落された。
ベーブ•ルース伝説の始まり
翌シーズン(1915年)のルースの活躍は、その後の彼の運命を決定づけた。僅か半年で父の生涯の総収入を上回った。メジャー初のアーチはポログラウンドの右翼最上段に飛び込み、全米中の度肝を抜く。"飛ばないボール"の時代の事である。
しかし、ルーキー1年目から、グラウンド外ではフロントを困らせた。既に放浪グセと女遊びは半端なかった。
因みに、初のお給料でルース青年が買ったのは何と自転車。この右も左も知らない無知なバカ男は、路面電車に自転車ごと正面衝突し、オーナーから怒られた。それ以来、大好きな自転車に乗る事を禁じられた。以後、彼は車と酒と女に夢中になる。
この年のルースは18勝を挙げ、打つ方も4本塁打(僅か92打数、チーム本塁打は僅かに9本)だが、アリーグの最高は僅かに7本の時代。当時は”デッドベースボール”全盛だったのだ。
ルースという20世紀最高のスーパースターを迎え入れたボストンは、ワールドシリーズをも制覇し、球団史上最高のチームと言われた。世界一の報奨金が何と3780ドル。ルースの年俸の6倍である。
この親不孝息子は、早速ボーナスの一部で父親に新しいバーを買ってやるのだ。父親思いの意外な一面ですね。
ルースがボストンで活躍してた頃は、典型のインサイドベースボールの時代。打撃よりも走塁や守備が重要視されてた頃ですから、守備に関してはかなりのレヴェルだった事でしょう。イチロー程ではないにせよ。
打率も4割近く打ったシーズンもありますし、選球眼も半端なかったはずです。ヒット狙いだったら、5割打つ事も可能ではと。
セントメアリー高時代は捕手をやってたというから肩も強く、下半身も筋肉質だったというから脚も早く、万能プレーヤーだった筈です。でも、NYに移り太ってからは、守備は負担となってたでしょうか。カーブは苦手だったみたいですが、狙い打ちもしてたようです。
あまりにもグラウンド外での放蕩や打つ方で注目されたし、当時はラジオ全盛の時代だったんで、荒れまくった私生活や数字や結果だけが独り歩きしたのかもです。
ただ、ルースの守備について詳しく書かれてる本はないでしょうね。ルースに関する本も少ないですから。今、気になってるのが、古書ですが、『ベーブ・ルース物語』(ボブ・コンシダイン)ですね。でも、これは自伝本っぽいですが。
『ベーブ•ルース物語』(ボブ•コンシダイン著)の中で、
”僕は外野の守備を学ばねばならなくなった。しかし、セントメリー高時代、マシアス神父のドデカイ打球を毎日の様に追っかけて暮らした。
初めからダフィルイスのようには行かないが、シーズンが終わる頃は、誰もが僕の所には打ってこなかったし、盗塁もさせなかった。僕は定位置からどの塁にも送球できたんだ”
と語ってるから、超一流とまでなくとも、強肩の外野手であった事は間違いないですね。それにこの頃は脚も速かったから。
特に、この本の古さには感動&感激です(昭和24年、定価200圓)。この本についても、ブログ立てたくなりました。
でも運命って恐ろしいですよ。マシアス神父に出会わなかったら、一生光の当たらない所で、シャツを縫ってたんですから。メジャーと契約した時は心躍る気持ちだったでしょうよ。
転んださんのブログ読んでると、まるでその場にその時にいたかのような錯覚を覚えます。
マシアス神父と野球との出会い。あまりにも出来すぎた運命と偶然。まさに神のなせる技ですね。
ベーブルースに関してはタイトルがイケてない為に、アクセスがないのかなとも思ってましたが。読み返してみると、やはりダメっぽで、半分以上更新&加筆しました。
タイトルを”ベーブルースの真実”に変えようかなと思ってますが。