象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

「戦慄の記録 インパール」に見る、日本軍の失敗の本質と隠蔽の体質と〜

2019年08月13日 05時19分38秒 | 戦争・歴史ドキュメント

 ”インパール作戦の悲劇”に関しては、その1その2で、2度に渡り紹介しましたが、紹介出来なかった部分もありました。

 そこで今回は、「戦慄の記録 インパール」から読み取る、”失敗の本質”について語る事にします。

 書いてて情けなくなる。これが同じ日本人かと思うと、本当にツラい気持になる。しかし、今の日本人が知っておくべき実録と隠ぺいの真実が、そこにはある。

 以下、”白骨街道の責任を牟田口中将だけに押し付けたのは誰か?”(BOOKウォッチ)を参考ですが、少し生温いので、主観と加筆を交えて紹介です。

 

バカと陸軍参謀は叩いても治らない

 インパール作戦を強力に推し進めた第15軍司令官•牟田口廉也中将と作戦参謀のやりとりを紹介する。大体予想は付きそうですがね。

”どのくらいの損害があるか”(牟田口) 
”5000人殺せば、(陣地を)とれると思います”(参謀)
”そうか”(牟田口)

 誰でも、”敵を5000人殺せば”と思うだろう。ところが違った。実は、味方に”5000人の損害が出る”という意味なのだ。
 日本の将兵が戦って死ぬ事を、平然と”殺せば・・・”という。

 この作戦会議に出席した経理部の少尉は驚き、以下の様に書き残した。

 ”まるで虫けらでも殺すみたいに、隷下部隊の損害を表現するその傲慢さ•奢り•不遜•エリート意識、そして、人間を虫けら扱いにする無神経さ。これが日本軍隊のエリート中のエリート、士官学校、陸軍大学校卒の意識でした”

 確かに、陸軍大卒と言っても殆どはコネでしょうに。防衛大の軍医に知人がいるが、ホントにアホなんですよ。
 真面目に勉強し、軍人になろうという物好きがいる筈もない。当時の陸軍エリートと言っても、殆どが廃棄物的人種なんですかね。


 また、こんな話も紹介されている。

 牟田口司令官らは、戦闘が始まっても前線から300キロも離れた避暑地に本部を置いて留まってた。
 そこには将校専用の料亭があり、将校専属の芸者日本から来ていた。戦況報告なども料亭で行われた。前線からの命がけの報告を、女を抱き、酒を飲みながら温々と聞いていたのだ。

 これに類した話は、戦前の戦争予算の詳細に迫った「軍事機密費」(岩波書店)の中でも出てくるが、あくまで開戦前の話。しかし戦争がはじまり、戦況が悪化しても、”女と酒”に浸る姿は異様だ。
 全くこれじゃ、軍上層部が現場の悲惨で過酷な現状をを認識し、冷静は判断が下せる筈もない。

 

”インパール”の本当の黒幕は? 

 インパールの悲劇に関しては、NHKBSにて、まず2017年8月15日に、「戦慄の記録 インパール」、次いで、12月10日「戦慄の記録 インパール完全版」、そして18年4月4日の「インパール 慰霊と和解の旅路」として、3度に渡り放送された。

 インパール作戦が今日に至り、繰り返し蒸し返されるのは、単に犠牲者の多さやその悲惨さからだけではない。
 アジア太平洋戦争の各作戦の中では、実行に移す前から、軍幹部の間で異例なほど反対の声が多く、実行後も作戦転換を訴える声が多々あった。にもかかわらず強行されたという点が大きい。
 
 例えば高級参謀の一人は、”牟田口構想”に断固として反対したが、異動させられた。
 ビルマ南方軍のある後方参謀は、”作戦転換を”訴えたが、上司の参謀長は”予定通り実行できる”と突っぱねる。経理部長が”補給が全く不可能”と明言すると、”卑怯者、大和魂はあるのか”となじられた。

 大本営でも、秦彦三郎参謀次長が”インパール作戦の前途はきわめて困難だ”と報告しようとすると、東條英機参謀総長が発言を制止し、話題を変えた。

 インパールで勝つ事で、苦境の戦局を打開したいという思いが強くあり、作戦に絶大な期待を寄せていたのだ。結局、東條英機事実を覆い隠し、天皇陛下にウソの報告をした。

 秦参謀次長は後に回顧録で、”東條参謀総長に満座の中で叱責され、これ以上人前で言い争っても仕方ないと、黙って引き下がった”と振り返っている。

 

軍史に残る”抗命事件”と隠蔽と

 1944年3月のインパール作戦開始から3ヶ月後の6月、現地で戦っていた第31師団の佐藤幸徳師団長が”独断退却”を打電してきた。
 ”弾薬も食料もない中では戦えない”という判断だ。”食わず飲まず弾がなくても戦うのが皇軍である”という牟田口司令官に対する反乱でもあった。

 2万人の将兵を指揮する師団長が、軍の統帥を無視する異例の事態。これは、日本軍における「抗命事件」として歴史に残った。勿論、牟田口司令官は佐藤師団長を解任した。

 同師団の後方参謀は、牟田口と会談し、その迷走する牟田口の発言を書き残してる。
 ”佐藤を叩き斬って、俺も切腹する。31師団の幕僚は、腹を切ってでも佐藤師団長をいさめる者はおらんのか!腹を切れんのか!”と。

 佐藤は軍法会議で争うつもりだった。しかしそれはできなかった。牟田口の上司にあたるビルマ方面軍の河辺司令官が、佐藤を”精神錯乱”とし、問題を”隠ぺい”したのだ。

 つまり、軍法会議などで事実が露わになり、責任が上層部に波及する事を恐れた措置だったのだ。それに、河辺司令官は東條英機の陸大の同期だったという。

 多大な犠牲に加え、戦争末期の陸軍参謀部の混乱ぶりを見せつけたインパール作戦。それぞれの責任者たちは、お陰で殆ど責任を問われずに戦後を迎えた。

 この”隠ぺい”こそが、東京裁判での”A級戦犯逃れ”に結びつき、”インパールの悲劇”の責任を誰一人償う者がいないという、本当の悲劇を生んだのだ。

 

失敗の本質と責任逃れと

 但し、牟田口司令官だけは、”よく生きていられるな”と罵られた。慰霊祭に出ると、遺族から”あんたが牟田口か、帰れ”と叱責された。
 それに対し牟田口は、”あれは私のせいではなく、部下の無能さのせいで失敗した”とやり返した。そして最後まで、兵士たちへの謝罪の言葉は無かった。

 今日に至るまで”インパール作戦の大失敗=牟田口が無能だった”という定式で語り継がれてきたが、至極当然の事ではある。

 ”陸軍参謀が悪くて、牟田口に責任はない”という単純な問題ではない。両方共に超の付くA級戦犯なのだ。

 牟田口は1956年、防衛庁戦史室から依頼され、「回想録」を残してる。
 ”私の統率なり判断ぶりは、殆ど総てが非であったと思われてならない。私は終始自らを責め、懊悩の日々を過ごして居る”と。

 しかし牟田口は、”(インパールは)上司の意図通りに動いた結果に過ぎず、自らの独断によって実行した訳ではない”と言い訳をしてる。
 この回想録では、”私は決して、南方総軍および方面軍河辺将軍の意図に背いて作戦構想を変更し、我を通した考えは微塵もない事をここに宣言する”とも主張してる。

 しかし、これも明らかな言い逃れであり、典型の責任転嫁である。

 インパール作戦を立て、指揮したのは牟田口だ。しかし、その作戦を認可し、実行したのは、牟田口より上の司令部である。
 牟田口の意志ですぐに作戦を中止したとしても、彼に全ての非はない筈だ。しかし、負傷兵や餓死寸前の兵を見殺しにし、見捨てた責任は”自決”に値する。結局、司令部も牟田口も単に自決が怖くて、責任を曖昧にしただけなのだ。

 

失敗の本質の4原則と

 ここに、”改ざん•隠ぺい•忖度(そんたく)•責任逃れ”という、日本軍の”失敗の本質”の4原則が凝縮されているのだ。

 因みに、忖度という言葉は、”森友問題”で一気にブレークしました。元々は、相手の身中を察し、思いやる言葉ですが、権威や力のある相手へおべっかを使ったり、贔屓したりと、ここに来てネガティブな意味で用いられる機会が増えた。この”忖度”こそが、軍上層部の腐った慣習だったのだ。そしてそれは今、森友問題で復活した。

 自分の意見はお互いにズバズバ言う欧米人とは異なり、相手の心中を察し、その場の空気を読み、思いやり文化の根強い日本ならではの言葉とも言える。
 滝クリの”おもてなし〜”も、本番アリの芸人御用達の高級エステも、”忖度”の一種ですかね。

 少し横道それましたが。それは、今日の腐敗しまくった永田町や霞が関、それに不祥事が絶えない民間企業の姿にも通じると、デイリーBOOKは締め括るが。少し甘い気がする。


 前述した、”改ざん•隠ぺい•忖度•責任逃れ”という”失敗の本質”の4原則こそが既に、インパール作戦時に行われてたという事だ。

 敗北を前提にし、如何に責任を逃れるか?現場の兵士に”責任転嫁”し、軍上層部には”忖度”し、ヤバイ事は”隠蔽”する。現場からの報告は”改ざん”し、上層部の都合の良い様に書き換える。
 こうやって、陸軍参謀部は酒を呑み、女と戯れながら、インパールの責任をA級戦犯を巧みに逃れたのだ。

 現代の永田町と霞が関で起こってる事が、75年前のインパールで既に起こってたのだ。

 結局、安倍がやってる事と牟田口がやってる事は同じ事なんだな。舞台が森友学園かインパールかの違いだけか。



6 コメント

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触らぬ神に祟りなし (kouunh)
2019-08-13 09:33:15
失敗の本質は、「何もしない」事。
憲法も然り。
動かぬ事が一番楽で、動いた結果が拙く責任取らされる事も無い。
だが、7月27日のポツダム宣言に対し動かなかった結果、ピカドン・ドンと2発も打ち落とされた。
「果たして官邸は如何に…」。
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責任はやはり牟田口にある (tomas)
2019-08-13 09:46:23
転んださんが参考にしたコラムのタイトルには少しカチンときますね。どう考えても、インパール作戦の責任の半分は牟田口にあるでしょうよ。途中でやめとけば、犠牲者は少なかったはずです。少なくとも餓死者や病死者は出なかったはずです。

プロのコラマーでもこんな甘い事を書くのです。転んださんが甘いと見抜いたのも当然ですが。改ざん、隠蔽、忖度、責任逃れを失敗の本質の4原則に繋げるあたりは流石だと思います。
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kouunhさんへ (lemonwater2017)
2019-08-13 11:53:16
確かに、何もしない事は失敗の本質でもあり、同時に成功の本質でもありますね。

インパール作戦も最初で中止にして、何もしなければよかった。でも泥沼に入って、途中から何もしなくなったから、大きな悲劇を生んだんですかね。
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tomasさんへ (lemonwater2017)
2019-08-13 11:54:03
コラムのタイトルは少し皮肉ですよね。まるで私だけが”牟田口に責任を負わせてる”みたいで、まさか私のブログを読んだんでしょうか。

失敗の本質については、もう書きようがないです。何を書いても理不尽さだけが残りますもん。ホント日本人としてツラいですね。
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それらと比べれば (びこ)
2019-08-14 04:08:16
羆が女の人を襲って食べてしまうのは可愛いくらいのものですか?羆も食べなければ冬が越せませんからね。誰彼に忖度をして食べたわけじゃない。

同胞に命令して殺して、自分は安穏としているのが一番罪深いですね。しかし、人間社会は、昔も今も、そういうふうに回っているんですね。
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ビコさんへ (lemonwater2017)
2019-08-14 09:16:15
わずか数人単位で人を襲うヒグマと、数十万単位で平気で人を殺せる人間とでは、その共謀性と残念性では雲泥の差がありますね。

クマが人を襲うにしても、単に生きてく為の本能であり、人間の様に、改ざん•隠ぺい•忖度•責任逃れといったエゴはないですから。
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