象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

数学後進国?ニッポンの憂鬱〜過ぎた教育が数学嫌いを生む

2024年04月02日 03時47分35秒 | 数学のお話

 日本人の学力低下が叫ばれて久しいが、本当に日本の子供たちは頭が悪いのだろうか?
 PISA2022(世界中学生学力ランク)によると、日本は数学力(5位)、読解力(3位)、科学活用力(2位)と、3分野全てにおいて世界トップレベルとなった(上図参照)。
 2022年は世界81カ国の69万人が参加し、15歳児を対象に調査を実施した。因みに、3部門とも1位はシンガポールだ。

 では、高校生を対象にした数学力はどうだろう?そこで、毎年行われる数学オリンピックを例に取る。
 1990年の第1回大会こそ20位(54カ国)と出遅れたが、2009年は2位(104カ国)と盛り返し、以降9年間は、7位/96カ国(2010年)、12/101(’11)、17/100(’12)、11/97(’13)、5/101(’14)、22/104(’15)、10/109(’16)、6/111(’17)、13位/107カ国(’18)と多少のバラツキはあるものの、受験大国らしく国内有数の進学校を輩し、かなりの健闘である。
 ただ、アメリカやシンガポールや中国、ロシアが強いのは理解できるが、発展途上とされる北朝鮮やベトナムやタイに負けるケースがしばし目立つ。特にここ10年で言えば、北朝鮮とは5勝5敗と全くの互角。”数学に卑賤はない”とも言えるが、それだけ数学という学問が国境を超えて親しまれてるのだろう。
 ともあれ、日本の子供たちに限って言えば、これら1次元的データを鵜呑みにするのも危険過ぎるが、数学力は世界レベルにあると言っていい。
 問題なのは、我ら大人の世代ではないだろうか。

 「日本に数学嫌い克服が必要な理由」では、数学者の芳沢光雄氏も警鐘を鳴らしておられるが、1998年の学習指導改訂で、数学授業の3割削減などの目標が設けられた。
 特に中学校での数学授業時間は3年ともに週3時間で、これは世界でも最低レベルとされる。その上、”3割削減”はゆとり教育の上限に過ぎず、90年代後半には数学の授業時間数が減り、高校の数学教員がゼロ採用になっただけでなく”数学の教員は役に立たない”とまで言われるようになった。
 数学の教職を目指した私としては全く悲しい限りだが、これも今そこにある日本の危機なのだろう。
 事実、アメリカでは教育省が「A Nation At Risk」(危機に立つ国家)1983年を発表し、全米科学アカデミーは”数学的な問題解決法を学ばなければ世界から取り残される”との危機感を打ち出した。更に97年、教育省は「数学により広がる将来」を発表し、数学の意義を訴えた。
 つまり、数学力の低下は国家の危機そのものである。

 確かに、”数学を好きになれ”と諭しても、それ自体に無理がある。一方で、数学の”好き・嫌い”と”得意・不得意”は必ずしも一致しないものの、”好きこそものの上手なれ”という諺もいい加減ではある。だが、数学を好きにならない限り、いや数学に親しまない限り、数学を理解する事は不可能である。
 しかし、冒頭で紹介した数学オリンピックやPISA2022の結果だけを見れば、日本人の数学力は安泰の様にも思える。勿論、数学を好きになり、理解できる様になってからが、真の意味での困難さを極めるのだが・・・
 

数学王国ニッポンの復活

 最近は、暗記型の無機質な基礎数学から、プロセス重視の記述式の数学が重要視され、その意義が文部科学省からも理解され、教育現場では広く認識され始めてるという。
 ところで、なぜ”暗記だけの算数や数学の学び”が盛んになってしまったのか?と自問すれば、”答えさえ当てればよい”とするマークシート的な試験が本質にある様に思える。
 1979年に導入されたマークシート式の大学共通1次学力試験がスタートした頃、数学の授業には大きな変化があった。それまでは”数学は答えを導く為のプロセスが大切”なるものが大半であったが、その後は”答えを素早く当てるテクニックも大切”という意識が広く浸透した。

 芳沢氏は”数学のマークシート問題で裏技等を使って答えを当てる事と、数学が好きになる事は無関係である”と、訴えて続けてきた。その気持ちを支えたのは、2008年に素粒子の研究でノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏の受賞後の記者会見で”マークシートを使った現在の試験は改めた方がよい”と述べられた事にあった。”基礎科学の充実を訴えるのでは”と思ってただけに、その時の感動は一生忘れられないものとなったという。
 数学の教育者として求められるのは、生徒らの頭の中に潜在する数学力を見抜く力である。つまり、難易度が高く、個人差や学力差の激しい数学という教科では、これが最も重要な事である。

 元々人間の脳は、数学を理解する様には出来てはいない。故に、人は本質的には数学を理解できないのだ。そこで、数学は教育の積み重ねが重要であり、更に、数学は個人差が大きいので、各駅停車の旅の様にゆっくりと学ぶ必要がある。
 特に、数学の各分野である仕組み(代数)、変化(解析)、図形(幾何)、確率・統計などの視点を、順に、あみだくじ・ヤミ金融・名刺手品などの身近な題材を用いて紹介するのも非常に有効的だとされる。
 以上より”数学嫌い”に関する抜本的改善策は、行政と国民が一体となった数学革命が必要である。
 人は相手の容姿や才能・趣味・心などの目に見える多様なきっかけで人を好きになる。人が数学を好きになるのも同じで、数学の魅力は無限にある。数学の本質は間違いを”間違いだ”と堂々と言える事にあるし、逆を言えば、間違いが堂々と許される学問でもあろう。
 故に我々大人は、多様な立場から数学を捉え、子どもたちに数学の多様性を諭す必要がある。

 一方で、数学好きになった人の中には、数学がもたらす”安心感”に憧れた事がきっかけになった人も多くいる。ベトナム戦争が激しかった頃、戦争に矛盾を感じた事がきっかけで数学好きになった人もいる。
 一例を挙げれば、”任意の正の実数a,bに対し、na>bなる自然数nが存在する”という「アルキメデスの公理」というのがある。
 判り易く言えば、どんなに小さい物質でも適当な倍率に拡大すると手のひらサイズになる。更に、掌に収まってるものの極一部分の小さい部分をとっても、適当な倍率に拡大すれば掌サイズになるというものだ。
 この議論は、際限なく繰り返し行う事ができるので、物質の最小限については夜眠れないほど夢中になり、まるで数学に逃避する様な”安心感”をもつ。故に、数学嫌いの子供や青少年を数学好きにさせるには、こうした”安心感”も含め、多種多様な”引き出し”を用意してあげる必要がある。

 冒頭で述べた”ゆとり教育”に邁進してた頃の日本と比べて現在は、2019年3月に経済産業省が発表した「数理資本主義の時代~数学パワーが世界を変える」の様に、数学に関しては明らかにフォローの風が吹く。
 今や、”数学嫌い”を”数学好き”に変えるには”待ったなし”の状況にある。数学好きになるきっかけは個人差があり様々だが、国家としての多様な取り組みが求められる。
 勿論、数学は難しすぎる程に難しいし、学力差が大きい教科である事も十分に考慮すべきではあるが・・・
 数学復活の著を数多く出されている芳沢氏は、ボランティア的に出前授業に出掛ける気持ちをもち、チョーク1本を持って日本全国各地への旅に出る夢をもつ。
 こうした数学者が1人でも増えれば、日本が数学大国になる事も夢ではないと、私は思う。
 

教育現場こそが、数学嫌いを生む

 公式・解法の丸暗記学習は数学の苦手意識を生み、理系人材不足にも直結する。が、数学オリンピックやPISAなどで良い成績を取ろうと思えば、丸暗記も必要である。
 ”受験算数は難し過ぎで、小学生にこんなに猛勉強させるのって?”とか”そもそも公立高校はいつまで「一発勝負型の受験」を続けるの?”とか、親たちの不満も聞こえて来る。
 そんな悲鳴が子どもの成長とともに耳に付いて回る日本の教育制度だが、掘れば掘るほど湧き上がる疑問や不安をどう払拭すればいいのか・・・
 以下、「学校の教育現場で”算数数学嫌い”生む決定的要因」より一部抜粋です。

 中学入試の算数の問題を見て、”こんなに難しい問題を解いているのか”と面食らった経験はないだろうか。親が教えようにも全く歯が立たない・・・との思いを経験した人も少なくない筈だ。
 受験算数が難しい背景に、昔に比べ難度そのものが上がっている事が挙げられる。私たち親世代で”難問”とされてたものが、今では”標準レベル”として扱われ、数十年のスパンで大幅に難化してるとされる。
 また、2021年から始まった大学入学共通テストでは、前身のセンター試験に比べ、点数が伸びない事が度々話題に上った。中でもセンター試験以降、過去最低点を記録した22年度の「数学Ⅰ・A」は、100点満点中で平均点が僅かに37.96点と、想定外の低さが注目を集めた。

 因みに私事だが、センター試験の頃の「数学1」は楽勝だった。殆ど勉強しなくても満点の200点近くが取れた。私は特に現代国語や社会が苦手だったので、数学を無視してそちらに労力を集中した。結果、得意な筈の数学で大きく足を引っ張られ、策に溺れた形となってしまう。
 今から思えば、”普通に(数学を)勉強してれば”って思うのだが、後の祭りである。

 一方で、難化傾向にあるとされる受験算数と数学だが、共通するのが”ここ数年、思考力が問われる出題が増えてる”という点だ。
 ”思考力を必要とする問題は、本来なら数学の魅力を十全に味わえる良問である場合が多い。が、子どもたちの反応は<難しすぎて解けない>と苦手意識を生む要因にもなってるのが現状です”と、前述の芳沢氏は指摘する。
 良問が子どもたちの苦手意識を強めてしまうーー”そこにあるのは問題が難しすぎて解けない、といった単純な理由だけではない。勿論、現行の受験問題に課題がない訳でもないが、それ以上に学校教育の現場で長年行われている指導方法が、良問を解く筈の思考力を阻害し、学問の魅力を味わえない状況にしてる”と続ける。
 ”中には、じっくりと根本から教えようとする先生もいるが、そんな先生は少数派で、公式や解法を丸暗記させればいいという指導者があまりにも多い。指導者自身もそうした教育を受けてきたかもだが、それこそが算数や数学教育における根深い問題であり、数学嫌いや理系離れを減らしていく為には指導者の姿勢にメスを入れる必要がある・・・”
 以上、日経ウーマンからでした。


最後に

 (私もそうだが)あんまり良い大学を出てない数学の先生の決り文句に、”これは受験で必要だから暗記しとくように”と教える。 
 これはまさに、教育ではなく脅迫である。
 つまり、暗記重視の教育や指導は脅迫と同義である。故に、こんな事を延々と続けても数学嫌いが治る筈もない。
 多くの塾の講師にも言える事だが、(公文式の様に)計算さえやらせとけば、子供達は算数や数学に慣れ親しむと勘違いしている。
 勿論、計算は算数の入り口かもだが、少なくとも出口ではない。事実、古代ギリシャの数学者プラトンは”計算は算術にはなり得ない”ときっぱり断ってるではないか・・

 そういう私が数学に興味を覚えたのは、絵が得意だったからだ。故に、関数が大好きだった。というのも、解けない筈の答えがグラフを描けば簡単に求まる事を知って、関数の虜になった。故に、大学でも関数論だけは殆ど勉強しなくても解けた。
 長く大学に留まってたお陰で、卒業時は多くの教授からはアホ呼ばわりされた私だが、関数論の教授からは唯一褒められた。
 一方で、力づくの計算力が必要とされる(基礎数学系の)代数学や線形代数は未だに全くの苦手で、特に後者は授業に出るのも苦痛で、お陰で大学を留年してしまった。

 よく、私は”数学が好きなのだろう”と思われてるらしいが、好きな分野はヒルベルトらが研究してた(フーリエ変換や微積分方程式に端を発する)関数解析学(位相解析学)である。
 一方で、卒業時の専攻は確か群論であった。因みに、卒論はネター環の定義の1つ「有限表示加群」である。今でも読み返すが、殆ど理解できていない(悲)。
 つまり、”数学が好き”とは言っても、現代数学は数多くの分野に細分化され、一概には言えないのだ。
 正直、数学の全ての分野が好きな人は地球上に1人もいないのではないだろうか。
 そう、数学は人が思うほど単純でもないのである。だが、そんな数学も日常生活と絡めた指導を行う事で、数学的思考力を高める事は可能である。

 つまり、数学を日常の一部に置き換える。言い換えれば、数学は暗記でも公式でも計算でもなく、日常や自然や宇宙を理解する為の論理的思考であるべきだ。
 数学の天才を数多く輩出した北欧との違いは、そういう所にある様に思えてならない。



4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
数学オリンピック (腹打て)
2024-04-03 17:34:06
理解度の差が激しい数学の教科においては
どうしても習熟度に差をつける必要がある。
簡単な問題なら皆が100点満点を取り
難解な問題なら皆が解けない。
公式丸暗記型にすれば、難易度も柔軟に調整できるし、何より採点者が楽である。

数学オリンピックの問題も統一試験みたいなもので、どうしても公式暗記型に偏ってしまう。
基礎数学みたいな純粋な数学力ではなく、これからは数学応用力や数学活用力が求めれる時代だろう。
返信する
腹打てさん (象が転んだ)
2024-04-03 22:25:38
確かに・・・数学オリンピックといえど
統一共通試験みたいなもんですから
公式暗記型に傾くのは仕方がない事ですね。
つまり、知らないと制限時間内にはまずは解けない。
結局、頭に公式群を詰め込むしかない。
それら公式が難しいほどコンテストには有利に働く。
順位をつけ、数学競争力を高める事は良いことなのかもですが、参加者の空洞化を招きそうな心配もあるますね。
返信する
家庭学習時間の殆どを費やした数学だったが… (数学が出来る奴等に嫉妬心を持つ肱雲)
2024-05-07 04:51:41
ワタシの数学は算数レベルで終わってシマッタ感が未だに尾を引いています
ワタシにとっての微積分は、高校定期考査や模試の得点を上げ、
大学受験へ有利に繋げる為だけのものでしか無かった
スピノザなんて彼の「エチカ」で唯物論的視点にシンパシーを抱いて終わりです
高校時代に数研出版のオリジナルやスタンダード問題集にドンダケ振り回され
屈辱を味わわされて来た事か
習熟度別クラス編成で数学・英語のおバカクラスに選別され
大いに劣等感を植え付けられた次第です
ワタシの貴重な青春時代の時間をコンナ数学に奪われたナンて
ナンて哀しい事ではア~りませんか
返信する
肱雲さんへ (象が転んだ)
2024-05-07 05:19:11
全くです。
受験というのは百害あって一理なしですよね。
こういうムラ社会の悪しき伝統を最初になくさないと、日本の子供は皆脳みそが腐っていく。
特に受験の数学なんてのは、公式や解き方を強制的に覚えさせるもので、数学嫌いや数学アレルギーを加速させる。
それに加え、塾というものが後押しする。
近くに公文塾がありますが、ああいうのはアカンですよ。

数学の本質を学ぶには、競争させない事が大前提で、チームで数学の問題を解かせる。各自役割分担し、チームワークの力で問題を解く。
そうする事で、少しづつ数学の楽しさが見えてくる。
そういう私も勉強なんかせずノンビリと本を読んでたら、結構良い大学に行けたのではと、今では後悔してます。
悲しいかな(原子力ムラと同様)、目の前の試験(点数)に拘ったが故に、墓穴を掘った結果となりました。

そういう意味では、私も肱雲さんと同じ様な悲しい経験をしてる訳ですかね。
返信する

コメントを投稿