象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

本を読まない人〜ブログが絵日記になる悲しい時代

2023年08月10日 15時32分03秒 | 読書

 最近、不思議と気になりだしたのが、ブログの”絵日記化”現象である。ペットやグルメや旅自慢はブログの王道と化し、ここまで常習化すると流石にウンザリである。
 権力の軍門に下ったメディアやジャーナリズムも深刻だが、昨今のブログもここまで軽薄になると、SNSやスマホが幼稚園児のオモチャになる時代も近いのかもしれない。 
 事実、Gooブログも編集部おすすめ記事の殆どが三面記事や絵日記の類である。少なくとも純文学や自然科学のテーマが紹介される事は殆どない。多分、編集部の人たちも小さい頃も今も読書に親しむ事はなかったのだろう。

 そういう私は教養の低い女性が好きになれない。どんなに美人で可愛くても、本を読んでそうにない女性を見ると、デリヘル嬢に思えて、軽く見下す悪い癖がある。一方で、不器用な女性でも教養さえあれば、会話は弾むし、盛り上がる。
 どんな本でも読みさえすれば、そこそこの日本語は喋れるようになるし、そこそこの文章も書けるようにはなる(多分)。それでも今の日本人は本を読まない。いや読まなさすぎる。
 美しい日本語はともかく、正確な日本語はネット上の会話でも非常に強力な支えとなる。しかしネット全盛の時代、大衆に要求されるのは印象に残る薄っぺらな言葉だ。故に、炎上なんて日常茶飯事である。勿論、”炎上”という言葉自体が軽薄すぎるのだが・・・

 顔に表情がある様に、言葉にも表情がある。勿論、ヘビやワニにも表情はあるが、同じ動物でも猫の表情とは異なる。同じ猫でも野生の猫と飼い猫ではその表情は全く異なる。
 同じ日本語でも、その言葉の表情は喋る人によっても異なる。同じ様に聞こえる日本語でも、言葉の持つ濃密さや奥行きに違いがある。 
 つまり、日本語は生きている。主に日本人という宿主に棲み付き、運良く教養の高い人に出逢えば、美しく進化するし、そうでない人と出逢えば、醜く退化する。


本を読まない人

 こんな偉そうな能弁を垂れる私だが、そんな私も典型の”本を読まない”人間だった。いや、読めないから読まなかったのだろう。環境や遺伝もあるだろうが、好んで本を読むという事はなかった。
 確かに、小さい頃は国語は嫌いじゃなかったが、数学に対する憧れがそれに勝ってたのだろうか、日本語を軽視し過ぎてた様にも思う。
 お陰で若い頃は、”お前の日本語は変だ”とよくからかわれたし、正しい日本語を知らなかったせいで、とても苦労したし、赤っ恥も掻いた。
 正確な日本語を喋る事は日常生活だけでなく社会生活にても、とても有効で不可欠なツールだと思い知らされた。

 例えば、一発で炎上する様な内容も書き方次第では炎上を免れる事もある。一方で、どんなに正しい事を書いても、書き方次第では誹謗中傷の火種を作る。
 私がYouTubeやTwitterやInstagramが好きになれないのは、そこで使われる軽薄で無味乾燥な日本語にある。
 三面記事的な稚薄な日本語がポンポンと飛び交い、本質を見事に指摘した言葉ほど正しく伝わらないし、逆に誤解を生む。例え、伝わったとしても、相手が全てを理解するとは限らない。つまり、理屈と言えばそれまでである。

 故に、本を読む事で正確な日本語を理解するというのは日常や現実を上手く生き抜く上でも必須のツールとなりうる。
 つまり、本を読める人は日本語が理解できる人に他ならない。逆を言えば、日本語を理解出来ない人は本を読める筈がない。もっと言えば、日本語の奥行きを理解出来ない人は、日本語に奥行きを与える事はできない。

 今の日本はネットのお陰で活字離れが進んでるという。でも、それはネットだけの責任なのだろうか?
 たとえネットがなくとも、日本人は英語やフランス語に憧れ、日本語を理解しようとしないかもしれない。
 そういう私は洋書を英語のまま読もうとは思わない。勿論、英語が読めないというのもあるが、優れたプロの翻訳者が奏でる日本語がとても優雅に美しく感じるからだ。そこには生の英語にはない、温もりすら感じる事がある。
 少し前置きが長くなったが、今日は”本を読まない人”について書きたいと思う。


なぜ?日本人は本を読まないのか

 本を読まない人の割合は過去20年ほどに注目すると増加中である。が、それより以前は本を読まない人の割合はもっと多かったとされる。
 様々なデータを総合的に判断すると、2004年〜2007年頃に本を読まない人の割合は最も少なく、その後は現在に至るまで少しずつ増えている。
 1979年の調査結果(サンプル数は3000名)によれば、本を読まない人の割合(不読率)は42.1%で、2016年の調査(同4000名)の35.9%(ネット調査で23.8%)よりも高い。更に、2018年の調査(同1960名)では47.3%に上昇し、概ね本を読まない人の割合は40%前後と考えられる。
 つまり、日本人の5人に2人は本を読んでない事になる。本を読まない人が、どんな雑誌を読んでるかは想像に難しくないが、ここ20年ほどに注目すれば、不読率は上昇している。
 しかし、それ以前の時代も含めれば、本を読まない人の割合に大きな変化はないとも言える。
 以下、「本を読まない人の割合はその理由と特徴」を参考に大まかにまとめます。

 本を読まない人が増えたのは、SNSとスマホの普及に原因があるのでは?とされるが、本当だろうか。
 先進国の中で、日本のスマホの普及率は2018年現在で13位(66%)。アメリカは81%、イタリア71%、英国76%、韓国95%ですが、読書率は韓国以外は遥かに高い。
 2017年の調査(GFKジャパン)によれば、日本の読書率は63%で、先進国では15位。アメリカ・イタリア・英国は70%を超える。また本を読まない人の割合では、日本は37%で、米・伊・英は25〜29%となる。

 しかし、”日本人はなぜ本を読まないのか”については信頼を置けるデータが少ない為、これら調査データを鵜呑みにする訳にもいかない。
 実は(全国学校図書館協議会のデータによれば)小学生と中学生の読書量は、2000年以降概ね増加傾向を示している。また本を読まない人の割合は、小・中・高校生とも2000年以降は減少し、過去15年は横ばいである。但し高校生は、不読率は横ばい傾向ながらも少しずつ増えている年度もあり、読書量は小・中学生と比べ、圧倒的に少ない。
 高校生が本を読まない理由で最も多いのが”受験やクラブ活動等で時間がなかったから”で、本を読む優先順位が下がったとも言える。また、過去15年ほどの期間に限定すれば、高校生の読書の優先順位が下がった理由は、巷で言われる通り、スマホの普及によるSNSの末広がりにあるのかもしれない。
 

本を読まない人の特徴

 人は学習する事で、新しい言葉を脳内に蓄積し、更に本や文章を読み、知らない言葉に出会い、それらを調べ覚えていく。
 もう一つは、周りから言われたり、誰かが話してるのを聞く事でいい言葉も悪い言葉も覚えるが、これは生まれ持った環境に大きく左右されるので、本を読んで覚える方がずっと楽で効率的で、正確で美しい日本語を獲得できる。
 学生時代には、自分の周りには同じ様に言葉を知らない人が沢山いるかもだが、社会人になると、”その言葉を知らないのは自分だけ”という悲しい状況が起きてしまう。
 ”この人は本を読まない人なんだ”と気づくのは会話をした時である。会話の中に出てくる言葉がワンパターンなので語彙力がないと判別できる。つまり、”語彙力がない=教養不足”が判明する。

 例えば、いつも同じ職場の人とばかりだと、使われる言葉が固定的かつ限定的になり、そういうのが気づきにくい。故に、我々社会人は自ら意識的に成長しようと自覚する必要がある。ならば、本を読んで(社会人として恥ずかしくない)知識や教養を得る必要がある。でないと、いずれ恥を掻く場面が必ずやって来る。
 一方で、本を読まない人は文章を読んで理解する事が苦手である(というか出来ない)。読解力は文章に限らず、相手が言う事に対しての理解も乏しいし、言葉の表面的な意味しか考えない傾向にある。
 人は必ずしも明確ではない言葉で何かを伝えたり、発信する事があるが、読解力不足の人は言葉を額面通りにしか理解しない。
 つまり、言葉の背景を想像し、裏側を読み取る事ができない。が故に、”思慮が浅く、薄っぺらい人”とか、”自分軸でしか物事を考えない人”と見下される傾向にある。

 一方で(語彙力にも関係するが)相手に伝えたい事を相手に判るように言葉を組み立て、文章にする事を苦手とする。
 人は感情や感覚で気になった事や思いついた事から優先して発言する生き物だ。SNS上で飛び交う記事やメールも同じで、本を読まない人のブログは、その内容の程度は読まなくても想像は付く。結局、この人は何を言いたいんだろうってなる。
 そういう私もブログを書いてて、本当は何を書きたいんだろうかと自分を疑う時がある。
 これこそが(私を含め)本を読まない人の最悪のシナリオなのかもしれない。

 文章力にも関係するが、ある程度大事な事や非常に大事な事を見分けるのが苦手な為、要点をまとめ、発言する事が苦手になる。
 特に社会人になれば、会議の場で”端的に要点を述べる”必要がある。しかし重要度の見分けがつかない為、無作為に何でも話し、メールや文章にもその傾向が強く現れる。
 結果、”それで結局はどうなの?”ってなる。
 その他にも、知的好奇心が少ないとか、(気にしてはいるが)本当の評価に気がつかないとか、物事を整理して考えるのは苦手という致命的な欠陥がある。
 以上、長々と「読む書くblog」からでした。


最後に

 結局は、本を読まない人は本を読めない人で、正しい日本語すら喋れなくなるし、相手の日本語も正確に理解できなくなる。
 植物も含め、地球上のあらゆる知的生命体は対話というコミュニケーションが生存戦略にても不可欠なツールとなる。
 しかし、その対話で正確な言葉が喋れなかったら?いや正確に言葉を理解出来なかったら?
 例えば、対話の相手が英国人だったら、(ブロークンではなく)正しい文法に沿った英語を話し、理解する必要がある。しかし、相手が日本人でも正しい日本語を喋り、理解する必要がある。それは、SNSでもインスタでも同じ事だろう。
 昔ながらの同郷の友人だからとて、理解不能で貧相な日本語はやはり誤解を招く。逆に、語彙が豊かな日本語は(それがたとえ方言で訛りがあったとしても)実に優雅に感じる時がある。
 つまり、豊かな日本語は生活だけでなく精神をも豊かにする。そんな豊かな日本語を支える語彙を増やす手っ取り早い方法は読書である。それも流行りの探偵本や人気作家のエッセイではなく、専門家の高い評価を得続ける古典文学や純文学を読むべきであろう。
 古本なら安価なペーパーバックでも、かなりの量の優れた語彙を確保する事が出来る筈だ。

 私は「アメリカン・スクール」(小島信夫著)や「プールサイド小景」(庄野潤三著)を何度も読み返す癖がある。村上春樹の本を10冊読むくらいなら、この2冊の方がずっとオススメである。
 そんな私も読んだ本はそう多くはないし、日本人の平均からすれば少ない方かもしれない。しかし、気に入ったフレーズがあれば書き記し、脳にインプットする事で効率よく語彙が増やせる。更に、文章の断片やデータやレビューを考察する事で思考力を鍛える事はできる。
 因みに、IQが高い人は本を読まなくても読解力に長けるとされる。一方で、記憶力のいい人は本を読む事で更に記憶力が高まる事が知られている。
 つまり、(個人差はあるが)余計に本を読まなくても、日本語を豊かにする事は出来る。

 我々はネットの海に浸かっている。ネットに溺れようが人の勝手だが、ネットに埋没しない為には、読書という浮き輪に捕まり、スイスイと泳ぐしかない。
 その浮き輪が大きくで丈夫なほど、ネットの海を優雅に泳ぐ事ができる。つまり、読書はネット社会を豊かにする必要不可欠なツールでもある。
 そう思えば、本を読めない人も本を読まない人も、読書に関する考え方も変わってくるだろう。
 そうなれば、少なくともブログが絵日記いや写真日記になる事はない筈だ。



4 コメント

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Unknown (1948219suisen)
2023-08-10 17:33:22
結局当たり障りのないことを書いていれば問題が生じないということなのでしょう。

うっかり問題意識を持つと必ずそれに反発する人がいて炎上するんだと思います。

旅行の記事だとか料理の記事だとかは役にも立つところもあるし、反発されにくいテーマと言えるかもしれません。

日本の社会全体がもっと大人にならないと真面目な記事は嫌われるのがオチです。

本を読まなくても現実から学ぶことのできる人はいます。こういう人は元々賢い人だと思います。

そんな人が本を読めばより賢くなりますが、馬鹿はいくら読んでも賢くなりません。

知能というものは平等ではないのてす。

馬鹿に付ける薬はないと言う言葉がありますが、馬鹿は一生直らないのです。

え、わたしのこと?

そうかも!
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象が転んだ様へ。 (りくすけ)
2023-08-10 21:58:36
お邪魔します。

本を読むか読まないかは、自由選択。
読む人と読まない人に優劣はありません。
一方僕にとって読書は「欠かせません」。
文字・文章を通じて知る表現・語彙は、
食欲・性欲に勝るとも劣らない情念、
「知識欲」を満たしてくれる。
そう考えています。

また「書くこと」も同様。
「創作欲」「思考欲」を刺激してくれます。
いつか自身が納得のいく美しい文を書いてみたい。
そう思っています。

では、また。
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ビコさん (象が転んだ)
2023-08-11 04:33:13
アハハ
結局は
”バカに読ませる本はない”と言う事ですかね。
一本取られました。
もっと言えば、日本人に読ませる本はないと。
ま、そこまで書くと、あんまりでしょうから

言われる通り
本を読まなくても現実から学ぶ事も多いですから。
要は、学ぶ姿勢なんですかね。
今回はビコさんのコメントから学ぶ事の方が多かったみたいです。
とても参考になりました。
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りくすけサン (象が転んだ)
2023-08-11 05:04:38
私は
やはり本は読むべきだと思います。
特に、純文学や古典文学は必須だと思います。
昔の日本人が書く文章はとても正確で美しく、読んでて教えられる事が沢山ある。
ただ、人気作家の現代小説なんかは嗜好の領域の自由として、むしろ読むだけ無駄とも思う事もあります。
そういう自分ですが、今は数学の本ばかりで、それでも読書から学ぶ事は腐るほどあります。
自分を正確な日本語で表現する。
それだけでも贅沢だとは思いますが、言われる通り、個人の自由もあるから、一概には言えませんね。

コメント参考になります。
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