昨日の合意を受けて,今回の騒動についての反応が様々な形で出されている。内容は,概ね,合意内容は双方痛みわけ,ただ,双方ともイメージダウンという負の効果を受けざるを得ず,大騒動になった割には大した成果を生まなかった。大山鳴動アリ一匹といった感じを受けた人が多かったと思う。
とくに,騒動の当初,堀江社長が放った「放送と通信(WEB)の融合」という命題に多くの人が飛びつき,中心核のないまま議論は拡散していった。結果的に,堀江社長の言う「放送と通信(WEB)の融合」は,世間の多くの人や識者が期待したような具体的な改革ビジョンではなく,空虚なものだったことは周知のとおりだ。結局,堀江社長にしてみれば,自己のポータルに誘導するコンテンツが欲しかっただけであり,その意味での放送と通信の融合でしかなかった。なにせ,ライブドアがフジに提示した業務提携プランの具体的内容が,女子アナのコンテンツをライブドアポータルに開設するという程度のものであったというのだから,命題の大きさと比較したときの中身の空虚さたるや想像を絶する。
もっとも,堀江社長が想起した放送と通信の融合はともかくとして,本来の意味での放送と通信の融合はこれから当分の間ビジネストレンドとなりうるものだと思う。
考えて見れば,放送と通信の融合という命題は,古くて新しいものだと思う。今から10年ほど前だったかと思うが,パソコンと家電の融合というのが将来のビジネスを考えるときのキーワードになったことがある。放送と通信の融合というのは,いわばパソコンと家電の融合という命題を受像機器レベルから媒体・コンテンツレベルに置き換えたに過ぎないものとも考えられる。
そう考えて見ると,時代はあまり進んでいないんだなと思えてくる。技術面からいえば,両者の融合などとっくに可能になっていると思う。その割にそうした技術を利用した具体的なビジネスは今現在も見えてこない。そうすると,そこで問題となっているのは,パソコンと家電ないし放送と通信を融合したときのビジネスモデルの構築が進んでいないことということになる。
ただ,両者の融合がまったく進んでいないというわけではない。個別のコンテンツを軸とした融合は,ひとつのモデルとして広がりつつある。例えば,楽天やソフトバンクが保有球団の試合というコンテンツをWEBで映像配信する試みは,コンテンツを軸とした両者の融合の典型的モデルを提示している。また,TV通販などで購入手続や商品詳細の検索などをWEBで行うようにすることは,TVを入り口とした両者の融合の1形態だろう。
もっとも,この程度の融合は誰しもが思いつくもので,あとはコンテンツ次第というものだ。放送と通信の融合を至極単純に考えると,もう少し抽象化したところに融合の具体的な姿があるように思える。そのとき,検討すべきポイントは,受動性と能動性にあると思う。
放送は,基本的に受動的性格を有するメディアであり,反対に,通信は,双方向性に代表されるように自己の積極的関与を要請する能動的性格のメディアであると考えられる。例えば,TVやラジオでは,チャンネルを決めるという基本的決定を行った後は,送られてくるコンテンツをひたすら受信することになる。笑ったり,怒ったりあるいは考えたりと,受信した情報に対して反応はするが,それに関与したいとは思わない構造になっている。これに対して,通信では,それが音声であっても文字や静止画であっても,あるいは動画であっても,極めて細かい情報の取捨選択が要求される。WEBコンテンツをとってみても,自己が欲する情報を決定し,その情報の存在するサイトなりを検索発見し,実際にその情報を確認する作業が必要になる。その意味で,能動的であることを要求されるメディアといえる。
このように,両者には,受動性と能動性という特性があるが,融合した場合にそれらをどう活かすかが問題なのだと思う。そして,1人の個人の一日を想像したときに,どのような面で受動的メディアが必要となり,どのようなときに能動的メディアが必要となるか検討を加えることで,融合後のメディアにおいて2つの側面をどのように活かしていくべきかが見えてくるのではないだろうか。
と,まあここまで書いてみて,さて具体的に受動性と能動性を意識した融合後のメディア像を自分が想像できているのかと考えて見て,難しい,簡単なことではないなあと思い知る。自分と同年代の個人を措定して考えることはできるが,世代間の差や家族構成の差を前提としたイメージはどうにも描けない。凡庸なる自己の脳みそに窮するのみである。昔の子供,例えば,大阪万博の頃の子供が描いたような21世紀の生活像をイメージすれば,何となく答えが見えてくるような気もするが,そのような想像力は自分にはなさそうだ。SF小説を読んでも生活感がないから参考にはなりそうにはない。
さて,誰か,昔の子供が思い描いたような近未来の姿を放送と通信の融合の側面から語れる人はいないものだろうか。
まあ,いっそのこと,コンクールかなにかで今の子供たちにそうした未来像を考えてもらい,それをヒントにしてみるのもよいかもしれないが。
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とくに,騒動の当初,堀江社長が放った「放送と通信(WEB)の融合」という命題に多くの人が飛びつき,中心核のないまま議論は拡散していった。結果的に,堀江社長の言う「放送と通信(WEB)の融合」は,世間の多くの人や識者が期待したような具体的な改革ビジョンではなく,空虚なものだったことは周知のとおりだ。結局,堀江社長にしてみれば,自己のポータルに誘導するコンテンツが欲しかっただけであり,その意味での放送と通信の融合でしかなかった。なにせ,ライブドアがフジに提示した業務提携プランの具体的内容が,女子アナのコンテンツをライブドアポータルに開設するという程度のものであったというのだから,命題の大きさと比較したときの中身の空虚さたるや想像を絶する。
もっとも,堀江社長が想起した放送と通信の融合はともかくとして,本来の意味での放送と通信の融合はこれから当分の間ビジネストレンドとなりうるものだと思う。
考えて見れば,放送と通信の融合という命題は,古くて新しいものだと思う。今から10年ほど前だったかと思うが,パソコンと家電の融合というのが将来のビジネスを考えるときのキーワードになったことがある。放送と通信の融合というのは,いわばパソコンと家電の融合という命題を受像機器レベルから媒体・コンテンツレベルに置き換えたに過ぎないものとも考えられる。
そう考えて見ると,時代はあまり進んでいないんだなと思えてくる。技術面からいえば,両者の融合などとっくに可能になっていると思う。その割にそうした技術を利用した具体的なビジネスは今現在も見えてこない。そうすると,そこで問題となっているのは,パソコンと家電ないし放送と通信を融合したときのビジネスモデルの構築が進んでいないことということになる。
ただ,両者の融合がまったく進んでいないというわけではない。個別のコンテンツを軸とした融合は,ひとつのモデルとして広がりつつある。例えば,楽天やソフトバンクが保有球団の試合というコンテンツをWEBで映像配信する試みは,コンテンツを軸とした両者の融合の典型的モデルを提示している。また,TV通販などで購入手続や商品詳細の検索などをWEBで行うようにすることは,TVを入り口とした両者の融合の1形態だろう。
もっとも,この程度の融合は誰しもが思いつくもので,あとはコンテンツ次第というものだ。放送と通信の融合を至極単純に考えると,もう少し抽象化したところに融合の具体的な姿があるように思える。そのとき,検討すべきポイントは,受動性と能動性にあると思う。
放送は,基本的に受動的性格を有するメディアであり,反対に,通信は,双方向性に代表されるように自己の積極的関与を要請する能動的性格のメディアであると考えられる。例えば,TVやラジオでは,チャンネルを決めるという基本的決定を行った後は,送られてくるコンテンツをひたすら受信することになる。笑ったり,怒ったりあるいは考えたりと,受信した情報に対して反応はするが,それに関与したいとは思わない構造になっている。これに対して,通信では,それが音声であっても文字や静止画であっても,あるいは動画であっても,極めて細かい情報の取捨選択が要求される。WEBコンテンツをとってみても,自己が欲する情報を決定し,その情報の存在するサイトなりを検索発見し,実際にその情報を確認する作業が必要になる。その意味で,能動的であることを要求されるメディアといえる。
このように,両者には,受動性と能動性という特性があるが,融合した場合にそれらをどう活かすかが問題なのだと思う。そして,1人の個人の一日を想像したときに,どのような面で受動的メディアが必要となり,どのようなときに能動的メディアが必要となるか検討を加えることで,融合後のメディアにおいて2つの側面をどのように活かしていくべきかが見えてくるのではないだろうか。
と,まあここまで書いてみて,さて具体的に受動性と能動性を意識した融合後のメディア像を自分が想像できているのかと考えて見て,難しい,簡単なことではないなあと思い知る。自分と同年代の個人を措定して考えることはできるが,世代間の差や家族構成の差を前提としたイメージはどうにも描けない。凡庸なる自己の脳みそに窮するのみである。昔の子供,例えば,大阪万博の頃の子供が描いたような21世紀の生活像をイメージすれば,何となく答えが見えてくるような気もするが,そのような想像力は自分にはなさそうだ。SF小説を読んでも生活感がないから参考にはなりそうにはない。
さて,誰か,昔の子供が思い描いたような近未来の姿を放送と通信の融合の側面から語れる人はいないものだろうか。
まあ,いっそのこと,コンクールかなにかで今の子供たちにそうした未来像を考えてもらい,それをヒントにしてみるのもよいかもしれないが。
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