夕陽丘

時事問題とロースクールの日常など

◆製造業の空洞化

2006年01月29日 20時29分27秒 | 企業法務学習日記
 29日付日経朝刊7面に,FOMAの開発・生産が一部中国に移管されていることが明らかになったとの記事があった。現在は,NECと三菱電機が一部移管を実施しており,パナソニックも移管を検討しているという。

 移管の理由は,開発・生産コストの削減にあるという。今年中にはLG電子等の海外メーカーが日本市場に本格参入するため,コスト削減が喫緊の課題だという。

 その理由自体には合理性があるし,やむを得ないかなとも思うのだが,長期的に見ると,日本の製造業の空洞化に一段と拍車がかかる気がしてならない。

 携帯電話は,意外にも労働集約型の側面があることを何かで見聞きした記憶がある。微細な部品の組み立てが必要な上,頻繁に生じるモデルチェンジに対応するため,専用の機械設備の導入は困難なのだそうだ。

 しかも,コスト削減のため,未熟練の工員をパートや季節雇用で集め対応するのだという。その意味でコスト削減は相当行っているはずだが,生産移管が行われるということは,それでもやはり日本の労働コストは高いということなのだろうか。

 しかし,微細な部品の組み立てや臨機応変の対応ができる工員の存在は,かつての日本の製造業の力そのものだったと思われる。現在の製造業の花形である自動車産業も一つ一つの部品に関与する幾万の工員の総合力で生み出している。

 コスト削減を第一として未熟練の工員を使っている上,生産そのものを海外に出してしまうことは,日本の中から精緻な作業を臨機応変に行える熟練工を消滅させてしまうことになりはしないだろうか。

 何だか不安である。 

◆55年体制から05年体制へ。変化の内実は?

2006年01月19日 01時58分29秒 | 新司法試験日記
■ 55年体制から05年体制への変化は事実か

 昨年の衆院選の結果を受けて,政治は1955年体制から2005年体制へ変化したと一部でいわれている。自分なりに検討してみると,その概要は以下のようになる。

 55年体制下では,有権者である個々の国民は,所属する会社等の団体・組織の一員として政治的に行動しており,政治家は,団体・組織に集約された意見を最終的に調整する役割を負っていた。

 また,そこでの国民の関心事は,自らの職業や生活地域,経営者か労働者か,といった組織属性を通じた経済的利益だったといえる。

 したがって,55年体制下での政治問題は,究極的には税金として集まった富の再分配につきるのであり,政治家そして政党の役割は諸団体・組織の利害調整であったといってよいのではないか。

 自民党は,企業や都道府県あるいは宗教団体などの組織の利害を,それらを代表する政治家を通して調整することで政党としての基盤を整え,他方,社会党は,労働組合や市民運動団体などの組織の利害を調整することで基盤を整えた。

 そして,最終的には自民党と社会党の水面下の妥協と懸案の先送りで政治は進行していたといえる。

 このような政治体制が機能した理由は,冷戦下の地政学的メリットを日本が享受できたので,いわゆる軽武装路線を維持して経済発展に注力できたこと,そして,その結果としての右肩上がりの高度成長のおかげで,拡大する富を分配するだけで国内政治もまとまりをみせたことが挙げられる。

 しかし,時代は変化した。冷戦は終了し,日本経済は成熟を迎え,55年体制は維持できなくなった。したがって,政治的にも従来のような利害調整では有権者は満足しない。それが端的に現れたのが,無党派層が自民党に流れた昨年の衆院選ではないだろうか。

 05年体制では,従来のような組織間の利害調整で政治上の問題が解決できるわけではなく,無党派層の提起する政治的要求をどう取り込んでいくかという新しい枠組みが必要になる。当然,選挙を考える場合,従来のような組織戦では限界があるということにもなる。

 ただ,無党派層の要求が何なのか,本当に従来型の組織戦に変わりうるものなのか,まだ試行錯誤の段階なのだと思う。

■ 実利の時代から感性の時代へ

 05年体制を読み解くキーワードを私なりに考えてみた。

 ヒントになったのは,ジャン・ボードリヤールの消費社会の神話と構造という本の内容。つまり,時代は消費社会であるということ。消費社会では,モノやサービスだけでなく社会の森羅万象のすべて,例えばファッションから広告,健康への強迫観念といったものまでが消費の対象であるということ。そこでは当然,政治も消費の対象になる。

 従来,政治の世界は政治家と有権者との間に直接的な取引関係があったと考えられる。有権者は,特定の政治家に投票する代わりにある種の利益を享受する。投票の指標は,実利であったと考えられる。55年体制下では,有権者は明確な実利を要求していたといえるのではないだろうか。

 しかし,それは生産者が優位だったから起こったことと考えられる。考えて見れば,55年体制下での究極の利害衝突,財界と労働界はともに生産者側での内部対立であり消費者という視点での対立ではない。しかし,現在は生産者優位ではない,むしろ消費者優位の時代。

 消費者にとっては政治も消費の対象であるとして,消費者は何を指標として政治を消費するのだろうか。これが最も重要な問題だと思う。

 いや,それ以前に明らかにしなければならない問題があった。消費の対象を決定するのは集団か個人かという問題である。ただこれは,生産者から消費者へという文脈とは関係なく決定され,現在は主に個人であるといえる。ただし,大きな例外がある。宗教の存在だ。宗教は現状でもなお集団として把握するべきだろう。反対に,それ以外の理由はおおむね個人レベルでの決定がなされていると考えてよいと考えられる。

 話を戻す。ことが個人レベルでの決定であるとすると,個人的嗜好が大きくかかわるから,消費を決定する理由は無限に広がりうる。しかし,それを大づかみにまとめることが許されるとすれば,消費の理由は,その人の感性という言葉に集約できると思う。たとえ表面的な理由が明確な理論的根拠があるようにみえても,その背後にはその人の感性がメタ認知のような機能を果たしていると考えられる。言い換えれば,いくら理論的に正しいことを言おうと,感性に訴えるものがなければ消費対象とはならないということだ。

 消費対象の決定要因が感性であることの好例がある。小泉首相と杉村太蔵代議士だ。両者とも従来の政治家の常識としては望ましくない発言を平然としている。論理立てて説明することはほとんどないように思える(YKKでいえば,加藤代議士が論理的志向)。消費対象決定要因が理性にあるとすれば,両者は広汎な支持は得られない政治家ではないだろうか。実際,理論的な軽さの影響かマスメディアや政治的玄人筋から批判されてきた。しかし,両者とも一般的人気は抜群である。小泉首相に関してはコミュニケーションの天才との評価があり,杉村議員に関してもかなり高いコミュニケーション能力を有していると私見では考えている。コミュニケーションの巧さで支持が得られているとすれば,そこに介在している要因はまさに感性だといえるだろう。正しい理論を述べるからではなく応援したいと思えるからこそ消費対象として選ばれるのではないだろうか。



◆読後感:WEBを食い物にする検索エンジン

2006年01月18日 23時00分10秒 | 日記・書評
 興味深いレポートを見つけた。検索エンジンがWEB上の諸価値を独り占めしているという内容だ(Jakob Nielsen博士のAlertbox 2006年1月9日 Webを食い物にする検索エンジン)

 思いっきり要約すれば,「検索エンジンが登場して以来,WEB上の諸価値を提供しているのは個々のサイトであるにもかかわらず,その価値を検索エンジンが奪い,本来得られるはずの利益を検索エンジンが得て個々のサイトは損害を被っている。検索エンジンの集客機能は益々強化され,利益の集中は加速している。ここは,発想を転換して検索エンジンを頼らないサイト運営を考えるべきである。そのための手段も複数存在している。」というものだ。

 確かに,グーグルが提供する様々な機能の充実ぶりと,その結果としての膨大な利益を考えると,論旨は正しいと思える。ただ,脱検索エンジンを選択するか,あえて検索エンジンに乗っかるかは,極端にいえば,農協を通して流通させるか独自に流通させるかといったレベルの選択であって,どちらが望ましいかは個々の企業によって異なると思われる。であれば,食い物にする云々はある種の理想論を背景にした批判で現実的には意味はないようにも思える。


◆強制捜査@ライブドア,ホリエモン逮捕はあるのか?

2006年01月17日 12時22分13秒 | 企業法務学習日記
 昨日来,またしてもメディアの主役はライブドア,そしてホリエモンだ。ついに検察が動いた。被疑事実は風説の流布と偽計取引という証券取引法違反だという。今日のライブドア株価は,前場は取引成立せずストップ安水準で推移している。つられて資本関係のあるフジテレビも下落,関係者からは新興市場の相場を冷やすのではないかと懸念する声が上がっている。

 検察が動く兆候はあった。ネット上では昨年末から検察がライブドアに取り組んでいるという情報が流れていた。とくに某有名サイトではソースがあるのかわからないが,かなり確信を持った書き方をしていた。

 それにしても,午後6時からの捜索差押というのは一般的ではない。このタイミングで検察が入った理由はどのあたりにあるのだろう?

 今日行われるヒューザー小嶋社長の証人喚問つぶしを目論んだ自民党が背後にいるのだという見方が2chあたりで盛り上がり,マスコミも便乗して報道していたが,それはない。昨年の衆院選でホリエモンを応援した自民党だ。今回の強制捜査は自民党にとってもネガティブに働く。

 それよりは,電子データの証拠隠滅阻止を狙った作戦と見るべきか?

 5時以降であれば,従業員数も減るし疲れも出ている。不意をつけるので証拠隠滅のタイミングがなくなる。しかし,そうだとするとあのタイミングでのNHKの報道は検察にとっては誤算だったかもしれない。

 今後の展開はどうだろう?

 ホリエモン逮捕まで検察は計画しているのだろうか?

 いずれにしても,一昨年来のライブドア騒動は新たな局面を迎えたといってよいだろう。やはり,ライブドアはやりすぎたのだろう。

 しかし,今回の事態を肯定的にとらえることもできる。

 新興企業は往々にしてやりすぎるものだ。既存の社会との軋轢も起こす。しかし,その軋轢を通じて企業は磨かれ,社会へと同化していく。フジテレビとの手打ち,経団連への加盟で落ち着いて同化していくのかなと思っていたが,そこはライブドア。まだもう一波乱必要なようだ。


◆会社法改正の舞台裏

2006年01月16日 20時21分34秒 | 企業法務学習日記
 今日の日経朝刊1面「ニッポンの力-15」に会社法改正がなぜあんなにも早くなされたか書かれていた。答えは簡単,異質なDNAを有する官僚が立法を主導したからなのだそうだ。以下,抜粋。

「 前例踏襲主義の代名詞,霞ヶ関にも変化の波が打ち寄せる。昨年,半世紀ぶりに改正された会社法。従来なら改正作業は法学部出身の文系官僚が仕切るのが「村の掟(おきて)」だった。今回は東大工学部出身の技官で,九三年に通商産業省(現・経済産業省)に入省し,その後,〇〇年に法務省に出向した郡谷大輔(35)が手掛ける異例の展開をたどった。
 通産省時代にベンチャー振興に携わった経験から得た結論は,国が上からカネを落としても「会社は育たない」。むしろ「すべての会社が使う道具である法律を整備すべきだ」と考えた。数学的思考に基づく論理能力と粘りで,文系官僚が二の足を踏んだ条文改正を三年がかりで練り上げた。
 文系官僚や学界からは「伝統的な法秩序を理解していない」との批判も出たが,M&A(企業の合併・買収)などに対応しやすい法律を作ることは時代の要請でもあった。物事を変えるのに臆病になりがちな霞ヶ関で「とりあえず制度を変える」ことが優先された。かつてなら考えられない光景がここにもあった。」


 法律家にとって既存の法律は,神の言葉と同様の金科玉条。それを旨とする法学部出身官僚や学者からすれば,おいそれと改正なんて考えるだけでも恐れ多いことだ。利害関係者の意見を満遍なく拝聴し長期間をかけて集約する。何より,変えざるを得ない部分だけ変える。法律家は社会の中で最悪の守旧派といわれる所以だ。

 結局,法律家のDNAを有する法学部出身官僚では,タイムリーでスピーディな改正作業は望むべくもないということだろう。理系出身でダイナミックな経済の現場を扱い財界とも密接な通産省で育ったからこそ,出向先で大胆な法改正ができた。組織体の前向きな改革を行うには,異なった血を有する者,違う水で育った者,異質なDNAを有する者をある種劇薬として導入することが最良の処方箋ということを示す好例というべきかもしれない。


◆詩篇 鎮守の森

2006年01月16日 18時55分52秒 | 日記・書評
空を行き 鎮守の森を真下に見る

森の真ん中 ひときわ大きな木がそびえる

森の真ん中 周りの木々を包み込む様な 大きな木がそびえる

私はその木を見守ってきた

大地から芽生え 若木となり 力強く枝を伸ばして行く様を

幹から枝が 枝から小枝が 小枝から瑞々しい葉が

四方に 八方に その木は翼を広げるように 育ってゆく様を

その木から言霊は生まれた

その木から世界が生まれた

私は大地を知る

私は幹を知る

私は広がり行く枝を知る

私はひとつひとつの葉を知る



◆思索メモ 1月16日

2006年01月16日 12時46分18秒 | 日記・書評
 宗教的にはカトリックとプロテスタントという二大潮流が存在しているにもかかわらず,西欧がひとつの文明として統一されているのは,カトリック教会が世俗権力を放棄するという合意ができていることにより,宗教的差異を近代国家システムから捨象することができたからに他ならない。

 そうすることで,西欧は,国家という枠組みと宗教的組織という枠組みの衝突を避けることができている。


 

◆書評 再読:文明の衝突(サミュエル・ハンチントン)

2006年01月16日 01時30分44秒 | 日記・書評
文明の衝突

集英社

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 全世界に大ブームを巻き起こしたサミュエル・P・ハンチントンの「文明の衝突」を読み返している。この本が発表されて以後,世界はまさに文明の衝突かと思えるような激動の時代の入った。アメリカに対する繰り返されるテロ,そしてそれに対する報復としてのアフガニスタン攻撃,イラク戦争。

 マスメディアもイラク戦争を批判する文脈で,文明の衝突に至るような道は避けるべきだと繰り返し主張していた。アメリカ対タリバン,アメリカ対アルカイダがキリスト教対イスラム教の対決へと拡大しかねないというのだ。

 しかしそうかな? と私は違和感を抱いていた。対テロ戦争,対イスラム原理主義という構図を表面的に見れば,確かにキリスト教対イスラム教という文明間の争いに見える。でも,実質を見れば,それは誤りではないかと思っていた。

 私には,むしろビンラディンのようなテロリストが目指しているのは,近代の秩序を否定して中世的な秩序をアラブ世界に築いていくことのように思えた。

 そしてそうであるなら,キリスト教あるいは欧米対イスラム教あるいはアラブ諸国という構図を描くことに意味はないのではないか。そうではなく,近代の秩序の中では富や権力を手にできない層の不満がイスラム原理主義という理屈をまとって,近代秩序の担い手であるアメリカを攻撃していると考えるべきなんじゃないか。

 閑話休題。

 「文明の衝突」を読んで最も興味を引かれたのは,もちろん我が日本の将来について。まず,日本文明の位置づけについて,ひとつの独立した文明圏とされている点については「日本は中国文明から派生した特異な存在のように扱われるのが普通なのに,独自性を認めるなんてすごいね」などと思っていた。

 もっとも,今後に関しては暗い。独自性を有するが故に孤立して,アメリカと中国の間を右往左往,最後は中国に飲み込まれるように書かれていた。

 読んだ当初はなかなかショックだった。しかし,今現在の米中の存在感を考えると日本の衰退は否めないし,米中を両睨みしながら立ち回るしかないという予測は徐々に現実になりつつあるように思える。

 やはり,ハンチントンの予測はなかなかに的を射ているというべきなのだろう。

 そうすると問題は,諸文明の優勝劣敗をかけた衝突という構図の中,日本はどうすればハンチントンの予測を回避できるかということになる。

 これを考える上で,諸文明の相関関係を理解することは欠かせない。そのためにも,文明の衝突を今一度精読して見ることにしよう。


◆荒れる政局2006,序盤戦

2006年01月15日 23時03分55秒 | 新司法試験日記
 小泉劇場最終章。永田町はすでにヒートアップしているようだが,マスメディアが煽るおかげで一般国民も政治から目が離せない。昨年の熱を引きずって今年も一年,政治が暑そうである。

 ひとつの山はもちろん9月の自民党総裁選。

 これに埋没しまいと民主党が仕掛ける。ところが党内は自民党以上にガタガタ。ついに前原代表は,路線統一ができなければ次期代表戦には出馬しないと表明した。これに対し,横路副議長以下の左派は小沢氏を軸に対抗していく素振り。管グループも水面下で動く。

 この全体が計算された行動なら民主党も役者ぞろいだなあと感心するけれど,その可能性はないでしょ。


 さて,自民党。

 「自民新人有志が無派閥サロン結成へ」,というニュースが13日に出た。小野次郎氏,近江屋信広氏,中川泰宏氏,長島忠美氏,安井潤一郎氏ら5人が新人83人を対象に「無派閥新人サロン」なる情報交換会のようなものを作るという。

 報道によれば,国会日程や冠婚葬祭への対応などで情報交換をするという。20日に初会合,その後の方針を決めるようだ。派閥ではなく,すでに派閥入りした議員も対象とするという。

 既存の派閥が新人の勧誘合戦を繰り広げる中,現執行部が描く新しい自民党のためには派閥入りにブレーキをかける必要もあったのだろう。

 そんな中,今日もタイゾー議員はブログでタイゾー節に磨きをかけている。おいおい,そんな内容でいいのか,と外野で心配してしまうほど弾けている。

 いや本当に,彼は自民党にとって切れ味のいい諸刃の刃ですね。


◆自民党の変貌

2006年01月14日 19時26分43秒 | 新司法試験日記
 ブログ巡回中,タイゾー議員のブログにはまった。

 この人のブログ読んでいて思うのは,自民党もラッキーだったよなあということ。タイゾー議員,マスコミ含めて,総じて玄人筋からは大ヒンシュクを買っているが,全体として見ればなかなかどうして人気者である。当然,彼に対する人気は少なからず自民党に対する支持に影響を及ぼすことになる。もちろん肯定的に。

 タイゾー議員を選出したのは武部幹事長だったと記憶しているが,武部幹事長は何を期待して彼を選出したのだろう?

 最初は福岡1区で小選挙区の激戦を戦う予定だったのだから,多少なりと目算があったと思うのだけれど,その理由がぜひとも知りたいと思う。最近明らかになったところでは,タイゾー議員の存在は,山崎拓代議士経由で武部幹事長に伝わったらしいのだが(某テレビ番組でヤマタク氏が言っていた),小選挙区擁立案がコイズミ首相の決断で御破算になった後も比例に擁立したのだからそれなりに理由があったのだと思う。

 それにしても,タイゾー議員の言動を見てみると,今まで政治的に無関心だったり斜に構えていたりした若年層にモーレツにアピールする要素を備えている気がする。彼をうまく育てていけば,自民党も批判の多い旧来の体質を完全に捨て去ることができるかもしれない。

 来年の参院選,自民は昨年の衆院選大勝の反動で負けるという下馬評が多いけれど,案外また勝つかも知れないですねえ。とくに,民主党が前原代表のもと結束できず,党内での右派と左派の主導権争いを続けているようだと,国民の多数意思は「やっぱり自民党でいいや」となりうる。

 まあともかく,今後の政治を占う意味でもタイゾー議員の動向は楽しみ。



◆書評 再読:マキアヴェッリ語録(塩野七生)

2006年01月13日 23時55分27秒 | 日記・書評
 何年か前に読んで以来書棚に放置していた,塩野七生さんの「マキアヴェッリ語録」を再読した。

 この本は,著者が記すように完訳でもなく要約でもなく解説でもない,マキャベリの著作の抜粋というスタイルをとっている。この点は「ドラッカー 365の金言」と同様,著者の思想のエッセンスを容易に理解することができるのでありがたい。

 いうまでもなくマキャベリは,ルネサンス期の著名な政治思想家であって,彼の思想は,時としてマキャベリズムとして批判の対象となる。曰く,卑劣な権謀術数であるとして。しかし,そうだろうか? マキャベリの思想は優れて現実的であって,生の人間の有り様から政治思想を見出したに過ぎない。もしそれが卑劣だというならば,人間そのものの有り様が卑劣ということになりうる。

 マキャベリ自身が言っている。「わたしがここに書く目的が,このようなことに関心をもち理解したいと思う人にとって,実際に役立つものを書くことにある以上,想像の世界のことよりも現実に存在する事柄を論ずるほうが,断じて有益であると信ずる。」「人間いかに生きるべきか,ばかりを論じて現実の人間の生きざまを直視しようとしない者は,現に所有するものを保持するどころか,すべてを失い破滅に向かうしかなくなるのだ。」

 マキャベリの思想は,多くの人がそれぞれの目的に向かって活動し交渉する現実の中から形作られた普遍的な人間の技と理解すべきだろう。つまりそれは,客観的な技術としての思想であり,倫理や道徳といった価値に対しては中立的であると理解できるのではないだろうか。そうだとすれば,マキャベリが倫理や道徳を軽視していたと考えることは誤りだとわかる。

 そこから一歩進めれば,むしろ倫理や道徳を重んじる者は,進んでマキャベリの思想を客観的に,つまり技術として会得するべきかも知れない。なぜならば,技術そのものに善悪は無く,善悪はそれを用いる人の心にあるからだ。マキャベリはいう。「善を行おうとしか考えない者は,悪しき者の間にあって破滅せざるを得ない場合が多い」と。もしあなたが善を行いたいと思うならば,マキャベリを通して人間の生の姿を知るべきだ。そうすることで,あなたは善の意思を保持しつつ人の技を知ることができる。


 などと思索に耽ってしまうほど,奥の深い本である。いい本は何度読み返しても意味がある。そのことを実感させてくれる1冊でありました。

塩野七生 著
マキアヴェッリ語録


新潮社

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◆書評:ドラッカー 365の金言

2006年01月11日 01時17分18秒 | 日記・書評
 昨年11月11日,経営学の泰斗であり,日本の名立たる経営者に多大なる影響を与えたドラッカーが亡くなった。追悼の意味も込めて出版されたのが「ドラッカー 365の金言」だ。1日1ページで構成され,従って,365の金言が日めくりで読めるようになっている。

 初めてドラッカーの本を読んだのは法学部1年生か2年生のことだったと記憶している。読む以前は,小難しい文章なんだろうなと思いつつタイトルに引かれて手に取った。翻訳者の功績もあるかと思うが,これが読みやすいのだ。おかげで,頭に残ったかは別にして,すごい勢いで読破したことを覚えている。

 ドラッカーの本は,何度も読み返すのがいい。読めば読むほど,そのエッセンスが,言い換えれば応用可能な一般論が明確に理解できるようになり,体系的理解が進む。

 その意味で,この本は便利だ。数多くの本の中から,ドラッカーを理解するうえで重要な文章を抽出してくれている。デザインもいい。

 考え方を変えてみれば,これは入門書としても使える。この本を基礎として,原典に当たっていける。これは効率がいい。

 さて,今日の一言はなんだろうか?


ドラッカー 365の金言

ダイヤモンド社

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◆書評:プロフェッショナル広報戦略

2006年01月10日 19時56分07秒 | 日記・書評
 話題の書,参議院議員世耕弘成著「プロフェッショナル広報戦略」を読んだ。バス車中+セガフレードでキール飲みながら一気に読破!

 読みやすかった。自民大勝の舞台裏がよく理解できた。それ以上に,日本の政界には広報なんてなかったんだと驚いた。小泉首相のぶら下がりトークの上手さも小泉純一郎という人間の個人技にすぎないことを知った。

 内容は,自民大勝までの政府自民党の広報の実態とコミ戦の活動をケースとして,著者の考える戦略的広報の方法論を論じるというもの。政治家本なので,ありがちな著者の半生を語るといったPR部分もあるが,組織的広報活動のケーススタディとしても十分読めると思う。

「プロフェッショナル広報戦略」
参議院議員 世耕弘成 著

第1章 戦略的広報とは何か
第2章 自民党の広報改革プロジェクト
第3章 プロジェクトマネジメントとしての広報
第4章 組織を勝利に導くための広報戦略
第5章 プロの広報マンになるために
第6章 コミュニケーションのプロが広報だ


ゴマブックス

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◆自民・民主,シンクタンク始動

2006年01月10日 19時45分09秒 | 新司法試験日記
 自民党と民主党のそれぞれが進めているシンクタンク設立計画が実行段階に入ったという。いよいよ日本でも政党自身がシンクタンクを抱える時代が到来した。

 霞ヶ関とは別のシンクタンクによって政策研究・立案ができるようになれば,日本の政治システムにとって大きなインパクトを与えることになる。今後の展開が楽しみ。

◆名称
  自民党:不明
  民主党:公共政策プラットフォーム(プラトン)

◆形態
  中間法人

◆政党の政策との関係
  自民シンクタンク:研究は外部の研究者。研究成果は政調会長に報告,さらに外部公表。党の政策に取り入れるかは政治判断。
  民主シンクタンク:研究は外部の研究者と国会議員でチームを組む。党の政調部門と密接に連携。党政調の活動より数ヶ月先行する形。

◆予算
  自民:4月以降の予算措置はされていない。
  民主:年間1億2千万円。


◆ケータイ投資家

2006年01月09日 15時40分25秒 | 企業法務学習日記
今日の日経朝刊の一面は,「ケータイ投資家 膨らむ」だった。

 ケータイ経由の投資は投資家にしてみればいいことだらけだが,企業サイドからすると従業員管理の面で難しい問題がある。

 自己の投資に気を取られて業務に専念できなくなるなんて現実的な問題だけでなく,投資の失敗で作った借金返済のため会社の財産に手をつける従業員だって出かねない。

 就業規則で個人所有の携帯を業務時間内に使用してはいけないなんて規制をかけてる企業があると聞いたことがあるが,ただ規則に盛り込んだだけではどれだけ実行力ある規制になっているか疑問がある。

 コンプライアンス研修のようなものを実施して従業員のモラルを高める手法もあるが,ケータイの誘惑に打ち勝つだけの成果を出すのは簡単ではないだろう。

 結局,従業員のモチベーションをどれだけ業務に向けさせられるかに掛かっているとは思うが,ケータイ投資はゲーム感覚で面白いだけに手強い敵だ。