[現代日本史] 政教一体 利権政策 ”闇” グローバル(「世界統一」原理主義)汚染 心理誘導政治
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※ 日米崩壊 Sequence 進行中 - 誰も儲からない”株高”
■ 「敵失」! 自民・公明・日本共和 「バブル再燃の夢」 - 消える国家の政権選択
・ おんな 子どもで”しゃぶりつくす”教団政治、 消される国民。 ニッポンの身売り。 株高ドロ沼不況
「<国連委>女性差別撤廃で日本の対応非難」 (毎日新聞) 7月24日11時51分配信
【記事抜粋】 ◇ 委員(11人)が、政府代表団(代表・南野知恵子元法相)に質問した。
■ 日本は85年に女性差別撤廃条約を批准しているが、条約の効力を高めるため、被害を受けた個人や団体が国連の委員会に通報できる制度などを盛り込んだ「選択議定書」(99年に国連総会で採択、97カ国が批准済み)は批准しておらず、国際社会から批判が集まっている。
■ 日本側は05年に男女共同参画社会基本法に基づく基本計画を作成し、20年末までにあらゆる分野で指導的地位をしめる女性の割合を30%にするなどの数値目標を設定していることなどを説明。
◇ 議定書批准については「検討中」と繰り返した。
■ 委員側からは、条約に合わせた国内法の整備状況が遅いなどの厳しい意見があった。
◇ 8月後半に、日本への勧告を含む委員会の最終見解が出る。
■ 日本から女性差別に取り組むNGOのメンバー84人が審査を傍聴。
◇ 代表世話人の山下泰子さんは「政府側は何度も同じ答えを繰り返し、はがゆい思いがした」と不満を語った。
[記事全文] http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090724-00000050-mai-int
過去記事を提示して 思いつきの意見ではないことの 証明にする。
<負の遺産(議定書)>
偽りから始まった京都議定書もさることながら、25年も経った議定書は 時代にも合わなくなる。
'80年代初頭には 男社会に挑戦する 女闘士 も少なくなかったが、 '80年代後半以後は むしろ ”女”を武器にする女性で溢れた。
長年 ”男女平等(対等)” を訴えつづけてきた私が 『日本ではムリ』 と判断したのが 国際婦人年で日本が沸いた年。 (後述)
その後 多くの外国人女性らと接する機会が増え、 アジア人だからではなく 日本人だけが特異な文化に有ることを確認してきた。
差別ではなく、 公平(平等)になることを否定してきたのは その機会を得た女性たち自身だったのが現実だろう。
日本文化は 子育て段階から失敗 したのだ。
記録する。
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「<国連委>女性差別撤廃で日本の対応非難」 (毎日新聞) 7月24日11時51分配信
【記事抜粋】 ◇ 委員(11人)が、政府代表団(代表・南野知恵子元法相)に質問した。
■ 日本は85年に女性差別撤廃条約を批准しているが、条約の効力を高めるため、被害を受けた個人や団体が国連の委員会に通報できる制度などを盛り込んだ「選択議定書」(99年に国連総会で採択、97カ国が批准済み)は批准しておらず、国際社会から批判が集まっている。
■ 日本側は05年に男女共同参画社会基本法に基づく基本計画を作成し、20年末までにあらゆる分野で指導的地位をしめる女性の割合を30%にするなどの数値目標を設定していることなどを説明。
◇ 議定書批准については「検討中」と繰り返した。
■ 委員側からは、条約に合わせた国内法の整備状況が遅いなどの厳しい意見があった。
◇ 8月後半に、日本への勧告を含む委員会の最終見解が出る。
■ 日本から女性差別に取り組むNGOのメンバー84人が審査を傍聴。
◇ 代表世話人の山下泰子さんは「政府側は何度も同じ答えを繰り返し、はがゆい思いがした」と不満を語った。
[記事全文] http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090724-00000050-mai-int
過去記事を提示して 思いつきの意見ではないことの 証明にする。
<負の遺産(議定書)>
偽りから始まった京都議定書もさることながら、25年も経った議定書は 時代にも合わなくなる。
'80年代初頭には 男社会に挑戦する 女闘士 も少なくなかったが、 '80年代後半以後は むしろ ”女”を武器にする女性で溢れた。
長年 ”男女平等(対等)” を訴えつづけてきた私が 『日本ではムリ』 と判断したのが 国際婦人年で日本が沸いた年。 (後述)
その後 多くの外国人女性らと接する機会が増え、 アジア人だからではなく 日本人だけが特異な文化に有ることを確認してきた。
差別ではなく、 公平(平等)になることを否定してきたのは その機会を得た女性たち自身だったのが現実だろう。
日本文化は 子育て段階から失敗 したのだ。
記録する。
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