(あえて言い訳は無用だが、これは個人史Blog なのだ。記録を続ける)
日本のバブル経済が閉塞期に向かい始めた頃、すなわち世界中でまだ日本が経済的に優位だった1990年は『国際婦人年』として、世界中で女性の為の会議や集会が開かれていた。
韓国からは、企業の中でも『男尊女卑』の体質があり女性たちの処遇の低さについての報告に来たり、日本の各自治体もこぞって 関連集会 等を開いていた。
日本型バブルの直後だから 参加者の意気も高いものであった。
当時は私も 『男女対等』 を意識していたので、多くの人々とも話し合っていた。
だが間もなく、日本における障壁に気が付いた。
女性側が 男性から対等に接せられる事がどのような事なのか判らない(経験していない)のである。
多くの”古きお父さん”たちは 「オレが(女房を)喰わせて(養って)いるのになぜに女房のご機嫌を取らなければならないのか?!」の一点張りだ。なにせ、日本のバブル期には 各地の”農協”さんが台湾や韓国などへの”買春ツアー”が流行っていたのである。男女対等などみじんもない。
女性は「私を理解して」と望みはするが、男女対等 文化の無い国日本では、主張すべき権利の内容がいまいち判りかねる状態であったと思う。
後年、若い世代から 女性側が強くなった(男性が優しくなった)かのような関係に変わって行ったが、単に 女王と家来 のような関係になっただけで ”対等” が根付いた訳ではない。
対等 が ”何もの” なのか男女ともに判らないからだ。
この理由で、その次の若い世代からは 女性側から男性へ媚びるような傾向が強まっていった。”横暴(稚拙)な男性”に対し、「男らしい」と評価する 不可思議な社会現象が始まって行ったのだ。
その結果、近年では再び女性が、より軽んじられる 国家体質 に変わってしまったようである。
(男女対等社会というのは、”成功” のウラに男性(権力)の存在を必要としない社会体質の事だ。)
日本のバブル経済が閉塞期に向かい始めた頃、すなわち世界中でまだ日本が経済的に優位だった1990年は『国際婦人年』として、世界中で女性の為の会議や集会が開かれていた。
韓国からは、企業の中でも『男尊女卑』の体質があり女性たちの処遇の低さについての報告に来たり、日本の各自治体もこぞって 関連集会 等を開いていた。
日本型バブルの直後だから 参加者の意気も高いものであった。
当時は私も 『男女対等』 を意識していたので、多くの人々とも話し合っていた。
だが間もなく、日本における障壁に気が付いた。
女性側が 男性から対等に接せられる事がどのような事なのか判らない(経験していない)のである。
多くの”古きお父さん”たちは 「オレが(女房を)喰わせて(養って)いるのになぜに女房のご機嫌を取らなければならないのか?!」の一点張りだ。なにせ、日本のバブル期には 各地の”農協”さんが台湾や韓国などへの”買春ツアー”が流行っていたのである。男女対等などみじんもない。
女性は「私を理解して」と望みはするが、男女対等 文化の無い国日本では、主張すべき権利の内容がいまいち判りかねる状態であったと思う。
後年、若い世代から 女性側が強くなった(男性が優しくなった)かのような関係に変わって行ったが、単に 女王と家来 のような関係になっただけで ”対等” が根付いた訳ではない。
対等 が ”何もの” なのか男女ともに判らないからだ。
この理由で、その次の若い世代からは 女性側から男性へ媚びるような傾向が強まっていった。”横暴(稚拙)な男性”に対し、「男らしい」と評価する 不可思議な社会現象が始まって行ったのだ。
その結果、近年では再び女性が、より軽んじられる 国家体質 に変わってしまったようである。
(男女対等社会というのは、”成功” のウラに男性(権力)の存在を必要としない社会体質の事だ。)