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常なる忠誠

LEATHERNECK FAN別館または史跡巡りな話

呉羽三ツ塚古墳

2011-11-05 02:18:25 | 古墳(富山市)
 呉羽三ツ塚古墳は、呉羽山丘陵に一応属する古墳である。
 発掘調査前は、開墾と住宅建築で削られており、13m×15m、高さ2.5mの方墳とされていたが、平成15年の調査で一辺15.5m×16.5m前後、高さ約2から2.3mの方墳と確認された。実際には幅2~3mの周溝が掘られており、古墳の敷地自体は20m四方の規模だった。遺物は発見されていないが、古墳時代前期とされている。

 なお、この墳丘を見付けるまで、3回訪れてやっと確認できた。見ての通り、手前は畑。右手が住居。左手が保育園と私有地でばっちり周囲を固められている古墳である。



 昔は、獅子舞塚とか呼ばれていたらしい。




 三ツ塚の地名の由来のもう一つが、呉羽小学校の側にある山寺II遺跡内の経塚(三ツ塚)。少し西に一ノ塚遺跡があり、この付近の俗称一ノ塚の呼び名はそこから来ている。



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 富山県内では珍しい住宅地のまっただ中にある古墳(もう一つは、ちょうちょう塚古墳があるが、既に消失して記念碑のみ)。車を止める場所はないのに加えて地図を見れば分かるように保育園が真横にある。富山県内の史跡で普通に写真を撮るだけで不審者扱いされかねない遺跡の一つでもある。

古沢塚山古墳(呉羽山丘陵古墳群)

2011-10-31 00:45:18 | 古墳(富山市)
 古沢塚山古墳は、富山県では珍しい前方後円墳であり、同時に呉羽山にある古墳群では最大規模であり、かつ富山県内でも41基が確認された最大規模の古墳群である呉羽山丘陵古墳群内で呉羽No.26古墳とともに珍しく西側に位置する古墳である。くわえて、呉羽丘陵古墳内で唯一道が整備され、説明板が設置されている古墳でもある。
 発掘は行われていないため、詳細は不明だが、前方後円墳であることから中期古墳とされている(呉羽No.26古墳は後期)。呉羽丘陵古墳群の東側に位置するものは前期古墳のため、古沢塚山古墳頃を境に西側に勢力が移ったとされている。もっとも、麓には更に古い西金屋長尾塚古墳があったりするが。

 撮影は、2010年5月と2011年10月。



 前方部から見た全景。 標高95mに位置し、全長40.95m。前方部16m、後円直径25m。県内にある前方後円墳では、実のところ、ここと若宮古墳の二つしか整備されている古墳がない。



 前方部から見た後円部。直径25m。



 前方部。16m。高さはそれほどない。実際、目が肥えていない頃に最初に行ったときは登って振り向くまで円墳だと思った。



 北陸道を挟んで杉谷古墳群と向かい合う場所は公園として整備されており、そこに説明板がある。呉羽山丘陵古墳群自体を見るための道は整備されていない。

 この辺りに、おそらく四隅突出型墳丘墓が3基ある。

 鷲見から見た杉谷古墳群。

 古沢塚山古墳からの道にある墳丘らしき場所。



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 麓に駐車場がある。呉羽丘陵古墳群の説明は公園の方にあり、車で行くことは一応可能。ここから、陸橋で杉谷古墳群に行くことが可能。なお、呉羽山丘陵古墳群は北は白鳥城近辺から続いており、古沢塚山古墳は南部に位置する。

百塚住吉D遺跡発掘調査説明会

2011-09-30 22:53:11 | 古墳(富山市)
 9月23日。現在、富山市が行っている百塚住吉遺跡発掘調査。自転車漕いで20と数分。
 百塚古墳、百塚住吉古墳群周辺は、広範囲に遺跡が発見されている場所で、百塚住吉D遺跡もそのうちの一つ。
 8世紀あたりの集落跡で、旧神通川河岸に位置している。今年の調査で発見されたのは、竪穴住居跡、掘立柱建物三棟、詳細不明で新聞が勇み足で馬小屋跡と報じた大型土坑、畠跡が発見された。
 神通川河岸だった位置関係と大型土坑が馬小屋とした場合、対岸へ渡るための中継地点だったのではないかとも推測されている。




三つ発見された掘立柱建物跡。ここは同じ場所に梁行2間×桁行3間、東西4m×南北5mの物(SB02)と梁行2間×桁行4間、東西8m×南北5mの物(SB03)が発見された。



 畠跡(畝状遺構)。1.5mから8m。南側には、用水路と思われる水路も発見。道路に面しているのが、掘立柱建物SB01(梁行2間、南北5m)。



 上記の畠への用水路と思われる溝跡。東西幅0.8mから1.0m、深さ40cm。



 掘立柱建物と畠跡の間で発見された竪穴式住居跡と土坑跡。東寄り(写真右側)で土器が集中し、竈があったとされている。また、円形土坑も見つかり、何らかの作業も行われていたと推定。土坑(SX08)は、残存4.4m(推定5.2m)、幅1.8m、深さ0.4m。



 焼土跡。この痕跡から、ここに竈があったとされる。



 メインの大型土坑(SX07)。長さ5.3m、幅2.2m、深さ0.8m。県内では、この時代の建物跡に密接した土坑が見つかるのは初。新聞報道では勝手に馬小屋跡にされてしまったが、推測であり、厩舎、貯蔵穴、水利施設の可能性がある。ただ、同じD遺跡の別な発掘場所から大型哺乳類の骨が発見されていることや、他の地域(埼玉)で発見された同じような土坑が厩舎で確定しているため、今後、土を分析して明らかにする予定という。なお、右上隅は、コンクリートブロック。昭和辺りの遺跡と思う。




 発見された遺物。



 D遺跡の西側にある八山A遺跡から発見された遺物。



 今回、初めて公開された昨年のD遺跡発掘調査で発見された井戸跡から見つかった曲物。かなり、無造作に置かれていた。



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 調査が終われば消える遺跡ではある。

西金屋長尾塚古墳

2011-09-25 21:50:09 | 古墳(富山市)
 富山県内に数多くある古墳の内、唯一、有料なのが西金屋長尾塚古墳。入場料は500円。
 呉羽山丘陵には県内最大規模の古墳群があるが、そこから婦中町から西へは、縄文以降からの遺跡で埋め尽くされている。西金屋長尾塚古墳も、そうした古墳の一つであり、その周囲は窯跡が多数発見されている。
 古墳自体は、古墳時代前期(3世紀後半~4世紀中頃)に作られた、富山県内では珍しくもない前方後方墳。調査は行われておらず、墳丘の規模の計測のみが行われている。
 おそらく、県内において、国指定や県指定を受けていないにもかかわらず、それらに匹敵する整備が行き届いた古墳。
 でも、有料。




 西側から見た西金屋長尾塚古墳。なお、手前の池は、古くからあった訳ではなく、ここから、古い窯跡の遺跡などが発見されている。



 古墳へ繋がる道の目印。写真は、木曽馬。



 西側の道から。有料だけあって、道は整備されている。というか、最近、整備された。こちらから、墳丘は良く見えない。



 南側から。もしかすると藪に包まれ良く見えないのでは、という疑念が起こる。場所自体は、元々、竹藪で、平成22年に気合いを入れて整備された。




 後方部。この辺から、疑念は晴れる。非常に見やすい形で整備されていた。これで踏み込めれば完璧だが、一応、足首辺りの高さにロープが張ってあった。




 前方部。所々、視界を隔てる樹木があるが、全体的には見やすい整備をされている。また、道も古墳を南北と東側から眺められるように整備されている。



 北東側から見た古墳全景。発掘調査は行われていないが、規模の調査は行われており、墳長25m。後方部一辺17m、高さ3m、頂辺9m。前方部、幅7m、長さ8m、高さ1.2m。前方部と後方部のくびれは幅6m。


 有料の理由は、ここが富山ファミリーパークの敷地内になっているから。敷地の西側部分は全体的に遺跡跡になっており、古墳東側にセンガリ山窯跡、南側の県道に面した入り口付近は古沢A遺跡、池の中に古沢窯跡、駐車場側の入り口付近が下堤B遺跡、池の北側に古沢3号窯跡、西金屋・西金屋窯跡がある。

 センガリ山窯跡(6世紀末から7世紀前半。痕跡はないが、別な場所に同じ名前をつけた窯が作られている。なお、山を越えた東側、ファミリーパークからトンネルを抜けた右手にあるのが、金屋陣ノ穴横穴墓である。

 金屋陣ノ穴横穴墓。


 おまけ。

 雨降った直後のタヌキ。

 途中、大雨となり、身動き取れない間に餌やりの時間となって撮影したアライグマ。なお、園内のこの一帯はFOMAすら圏外である。一時間以上、足止め食ったおかげでアライグマの写真が、古墳並みに存在する結果となった(結局、諦めて雨が弱まったときに脱出した)。

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 富山ファミリーパーク敷地内にある。開演時間は3月15日から11月30日が、0900から1630。12月1日から翌月末まで1000から1530。駐車場の心配は、当然無い。

福居古墳

2011-07-03 21:46:04 | 古墳(富山市)
 福居古墳。富山市南部にある古墳。
 詳細不明。GISサイトに位置情報はあるが、富山市埋蔵文化センターによると実際には正確な場所などは一切不明らしい。
 実際、位置的には台地になっており、下は水田が広がり、上は畑が広がっているので、地勢的には古墳が作られてもおかしくない場所ではある。
 このすぐ南で、富山城に用いられたと推測される矢吹石が発見された。付近にそのような石が実際には存在しないため、古墳の石室として持ち込まれた石と見られ、それが福居古墳、もしくは伊豆宮古墳の石室の材料だったのではないかとされている。

 GISサイトによれば、この丘の上に存在していることになっている(現在、農地になっているので削られた可能性は高い)。



 右が古墳があるとされる台地、左手が水田。



 水田側から望む。



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