92歳・老大娘の日記

晩年を生きる

小林一茶

2024-05-28 21:28:01 | 読書

つつじ満開  ↓

ヒメシャラが咲き始めました。↓  ”花言葉” 愛らしさ 謙虚

「小林一茶」藤沢周平作 最近再読しました  ↓

 

俳人一茶は多くの句を詠みました。何万句とか。駄作も多くあったと言われる 

   我と来て遊べや親のないすずめ

   名月を取ってくれろと泣く子かな

   やれ打つなはえが手をする足をする

   痩せガエル負けるな一茶これにあり  等々、

私はやさしい一茶の為人ばかりを思っていました。  ところがこの本を読み

がらりと変わった。俳諧師として旅に明け暮れる日々。俳諧好きの地方の有力者宅に

数日、時に1か月も泊まり、句会を開いたり、人々と交流したり。

潮時を見て何がしかの草鞋銭(少額)や米を受け取り辞去する。

そのうちに俗塵にまみれてとまでは言いませんが、

如才なく振舞うすべを身につけて行ったらしい。

気鬱な俳諧師など好まれないことを知っていきました。

   秋寒むや行く先々は人の家

   秋の風乞食は我を見くらぶる 

   雪の日や古郷人もぶあしらい 

   是がまあつひのすみかか雪五尺

このころは貧乏を恐れ、人の世の冷たさが身に沁みます。

藤沢氏が書きたかったのはただの「人ぶり」なのだそうです。

しかし、ただならぬ才能の持ち主でもあると書いています。

次々にあるれるように句が出てくる才能も持ち、多面的な人柄でもあった由。

小動物を愛し、子供を優しいまなざしでみる好々爺のイメージは崩れました。

私が知らなかっただけかもしれませんが。

晩年は故郷信州柏原に帰り、江戸帰りの宗匠として受け入れられた。そして

着々と富裕な門人たちを増やしていきました。

晩年は中風を病み、子供3人みな亡くしたり、結婚3度も離婚や死別と恵まれなかった。

故郷柏原で雪の降る日、65歳の生涯を終えました。

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
一茶 (ryo)
2024-05-28 22:22:46
一茶の句はさりげない日常の中から
生まれていて私は好きです。
正岡子規が一番好きですが、彼も日々の中で
生まれた句が多いです。
一茶や山頭火や、芭蕉も同じような感じの
俳人ですね。でも偉大な俳人ですよね。
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>ryoさん (Rei)
2024-05-29 08:47:18
「♪一茶のおじさん♪一茶のおじさん♪~」の歌に
あるようにやさしいおじいさんのイメージだけでしたが
この本で新しい一茶の一面を知りました。
人間誰でも一面的に見てはいけませんよね
人には他からわからないこともあるでしょう。
江戸時代の三俳人、一茶、芭蕉、蕪村だとか。
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こんばんは (ふくちゃん)
2024-05-29 18:10:32
沙羅をわざわざ京都に見に行きました(#^^#)
ツツジ?さつき?
そうなのですか?一茶は私も子供好きな好好爺のイメージでした。
何度も結婚?
才能があるから泊めて頂けたのでしょうね。
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>ふくちゃん (Rei)
2024-05-30 16:56:03
ヒメシャラは、咲いても長い時間もちません、
京都まで見にいらしたということは貴重なのでしょうか?
つつじとさつきの違いがわかりません。すみません!
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一茶 (nko)
2024-05-30 19:52:56
一茶の句は日常の情景をやさしく詠い
親しみがもてます。
裏の顔もあるようですが、それを俳句に
出さないのは、才能の一つでしょうか。
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>nkoさん (Rei)
2024-06-01 10:00:09
裏の顔>一茶に限らず人はみな誰も一面的では
ないですよね。
一茶の場合は優しい句のみが有名になり
後世の人が優しい一茶のイメージを作ったように
思います。
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おはようございます。 (ふくちゃん)
2024-06-07 04:24:06
お元気ですか?ryoさんの所にもブログ散歩されていませんのでどうされているのかと気になりました?
お変わりなければ良いのですが。
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>ふくちゃん (Rei)
2024-06-09 17:52:33
ご心配いただきありがとうございます。
やらねばならぬこと、またやりたいことが(読書など)山のようにありまして
体力不足から思うに任せません。
ぼつぼつやりたいと思います。
重ねてありがとうございます。
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