半田郷土史創立15周年と、榊原弱者救済保存会5周年記念式典に
お誘いを受けて行ってきました。
この弱者救済所は明治時代の博徒榊原亀三郎が、
獄中で典獄川村矯一郎に感化され、実業家金原明善の協力もあって、
服役後子分20数名とともに苦難の末、新しい村を鴉根の丘(半田市)
に設立しました。
出獄者、遊女、身体障害者、孤児、捨て子、貧しい老人、
家を追われた女性等、社会から見捨てられた人の救済に当った。
明治時代は差別意識も強く、
亀三郎は想像を絶するような努力を続けた結果、
お役所や企業の支援も受けられるようになりました。その跡地は
「史跡公園」となっています。
半田市は人口12万の小都市ですが、
豊田佐助ほか多くの有名な人を輩出しています。
ただこの救済所のことは長く埋もれたままで、半田市民でさえ
亀三郎のことを知らない人が多く、
半田郷土史研究会などの努力もあって、
近年になって世に知られるようになりました。
半田運河
運河と蔵の街
街を歩くと文化財の銘板が所々に見られます。↑
↓ミッカン本社ビル
半六邸(ミッカン一族の別邸)でお豆腐料理を
地元のお友達がご馳走してくれました。寒い日で温まりました。
かなり古く古民家風ですが、お庭の広さに驚きました。↓
二部のパーティーは夜になるので失礼しましたが
帰りJR半田駅へ来たときは暗くなっていて
駅舎の向こうでお月様が見送ってくれました。好い1日でした。
遠出されたのですか?
記念式典ですね。
でもおいしい食事もあり楽しそうですね。
私もどこかに行きたいです。
愛知県下ですし、名古屋への通勤圏内です。
今の私の体力ではこれでギリギリです。
どこかへ行きたい気持ちは持っていますが
今の私には無理なようです。
運河と蔵の街、半田、素晴らしいですね。
ゆっくりと歩いてみたいです。
博徒榊原亀三郎と書かれていましたが、
榊原亀三郎は賭博師、やくざだったのですね。
その榊原亀三郎氏が弱者救済所を設立し、
社会的弱者を救済したのですね。
立派な方ですね。
実業家金原明善は以前のブログでも紹介されていましたね。
人との出会いは大切ですね。
お豆腐料理も美味しそう。
良い一日でしたね。
私も先日講座を聞きに行き昔の方の意気込み強さなど感心しました。
地域の事これからのことなどをしっかりと考えて反対も抵抗にも強く成し遂げる。
感心ばかりして帰って来ました。
人ですね。
浜松の実業家金原明善の子孫が同じ会社にいて、
弱者救済に私財を投じたことを知りました。
地域の歴史の糸をたどると、思わぬ繋がりが
あって、興味が尽きないですね。
半田は小さな街ですが、私の足ではなかなか回れません。
講座は「座学」ばかりですが楽しいテーマもあり楽しんでします。
この日は特別少しだけ遠征しました。
世の中に善行積む人は多いですが、
亀三郎さんはやくざだったので
当初はなかなか信用が得られなかったようです。
次々と新発見もあると思います。
名古屋は範囲が広すぎて、郷土史の
勉強も難しいものがあります。
そういう点では半田の郷土史は勉強のし甲斐があります。
私も同じです。いつも感心して帰ってきます。
よくは知りませんが、
全国に名を轟かせていますね、
この亀三郎は殆ど無名の人です。
金原明善さんの財力がなかったら
救済所の設立はできなかったでしょう。
金原さんは地元ですから
会社にご子孫がおられたのですね。
えらい方だったのですね。
こういう話に弱くて、、。
かと言って、自分はなにもできず、
感動するだけ。
半田の蔵のある通り、
散策したことがあります。
お料理も美味しそう。
はっきり言います、関東はまずいです!
救済所を建てたのですから。
私は貧者の一灯でたまに募金箱に入れることくらいしかできません。
半田へお出でになったこと、おありなのですね。
車なら何でもない距離ですが
半田の街を歩くのは今の私には
大変なことです。