LanguageStyle

■「日本人と英語」を考えてゆくブログ

英語を使った政治家に

2007年09月23日 | 記事
 今日は自民党の総裁選挙の日。2時から自民党本部において自民党国会議員投票が行われる。そんななか私は朝の情報番組「サンデージャポン」を見ていた。すると英語が話題に。どのような内容かと言えば、麻生太郎総裁候補が「英語で」スピーチをしたという話。19日に行われた日本外国特派員協会に対する記者会見でのことである。

ジャパニーズ福田VSイングリッシュ麻生」より

  • ジャパニーズ福田VSイングリッシュ麻生
  • 総裁選、特派員も注目 2氏会見で自民への厳しい意見も
  • 麻生氏べらんめえ英語、福田氏マイペース…国際派アピール合戦
  • 村山談話ともに「継続」外国特派員協会で福田、麻生両氏
  • Aso, Fukuda address foreign press club

     麻生氏は会見の中で次のように語ったという。

    Now is the time for Japan to need a strong leader, a reliable leader to lead the machine in Kasumigaseki ― not the one who is tempted to be led by that very machine.
    Aso, Fukuda address foreign press clubより一部修正して)


     日本に求められるリーダーについて語ったものである。Now is the time...と聞いて思い出すのはキング牧師の有名な演説である。キング牧師は次のように語った。

    Now is the time to make real the promises of democracy. Now is the time to rise from the dark and desolate valley of segregation to the sunlit path of racial justice. Now is the time to lift our nation from the quicksands of racial injustice to the solid rock of brotherhood. Now is the time to make justice a reality for all of God's children.
    ("I Have a Dream"より)


     「今こそ立ち上がるのだー」的なこの表現はなかなかかっこよいものがあるが、番組内で盛り上がっていた話題は麻生氏の「英語について」である。番組のパネリストの中に英語圏に長年の留学経験を持つ方が麻生氏の英語の話題をふられ次のように述べた。

    麻生さんのはイギリスなまりですよね。イギリスなまりの英語ですね。


     日本人の英語に対する関心事はいつもこのようなものである。「イギリス英語といえば正式な英語ではないかー」とか「発音がどうだー」という。「日本の政治家が英語でスピーチしたこと自体が報道されるのは日本の政治家だけだ。他国の政治家が英語で会見をしたとしても『○○さんは英語を話しました』ということがニュースになることはない」という情報提供まであった。外信の記事を何人が書いているのかは分からないが。その書き手が日本人だっていう可能性も…。 日本人にとっては「何を」話すかではなく「どのように」話すかが最大の関心の的である。「英語で何を」ではなく「英語を」話したことが自体が問題なのであって、その次に問題になるのはその英語は上手か下手かということである。番組内では触れられなかったが、もうすこし時間があれば話はおそらく日本の英語教育批判の方向にいっていただろうと思われる。

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  • 精神鑑定をめぐる宮崎・野田論争

    2007年09月18日 | 記事
     山口県の光市で起きた母子殺害事件がテレビなどで議論の俎上に載ることが多くなった。『たかじんのそこまで言って委員会』(2007年5月27日放送)において橋下徹弁護士がこの事件裁判の被告弁護団に懲戒請求を行うよう視聴者に呼びかけたとされる件が最近では賑やかだ。「21人の弁護士に懲戒請求を求める」というサイトに代表されるように、懲戒請求の具体的方法などを紹介し、懲戒請求テンプレートを用意するサイトまでネット上に現れた。もちろんこれらが橋本氏の発言に触発されたものかどうかは分からない。そんな中で『たかじんのそこまで言って委員会』のレギュラーパネリストである宮崎哲弥氏もまたこの光市母子殺害事件に関して大きな論争をしていることを私は知った。それは弁護側精神鑑定人である野田正彰氏との間の論争である。その論争内容を以下のファイルにまとめてみた。

    光市母子殺害事件裁判 精神鑑定をめぐる宮崎・野田論争(2007年8月20日 現在)(PDFファイル)

     まったくの素人である私のような一般人が、あるいはこの事件に全くの無関係である私のような一般人がこの事件に対して向き合うとすれば、そこにはどのような反応の仕方があるのか。模索中ではあるが、私個人の感覚を頼りにする以外にはないとは思っている。事件についてはいろいろ考えるところはあるが、無責任な物言いはするまい。

     遺族の方が出版された本『天国からのラブレター』(新潮社、2000年)が映画になったという話を聞いた。公式ホームページはこちら。私自身はまずは書籍のほうから拝読したいと思う。

    今日から3日間(18日~20日)、差し戻し控訴審3度目の集中審理が広島高裁で行われます。

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    クローズ・テストについて

    2007年09月15日 | 記事
    クローズ・テスト

     クローズ・テスト(Cloze Test)は総合的な英語力の判定に使われるもので、大学入試問題の中にも時々見受けられるものである。クローズ・テストの概要について簡単にまとめると次のようになる※1

    [1]作成
    ①被験者に対して適当な難易度を持った350語前後から成る散文を選ぶ。Readabilityの測定を目的とする場合には、少なくとも50のblanksが作れる長さが必要である。
    ②散文中のある語から始めて5~10語間隔(外国語としてのテストであれば7~10語間隔が適当)で機械的に語を消去する。この際、消去する語の難易度によって多少の修正を加えることもある。文脈に対する手がかりを与える意味から、最初と最後の少なくとも1文、場合によっては2~3文はそのまま残すのが良いとされている。

    [2]実施
    特別な注意は必要なく、普通のテストと同様に行えばよい。

    [3]採点
    採点には次の2通りの方法がある。
    ①exact-word method(消去した語と同一の語のみを正答として扱うもので、実施する側にnative speakerがいない場合、最も簡単でかつ信頼性の高い方法と考えられている)
    ②acceptable-word method(消去した語と同一の語でなくとも、前後関係から正しく意味を伝える語であれば正答と見做す方法で、あらかじめ、可能性のある答を各blanksに対して十分に検討、用意しておかなければならない。native speakerがいる場合には、比較的簡単にこれらの答が用意できる)

    [4]判定
    他のテストとの相関などを利用してあらかじめ規準を設定しておくとよい。
    ※赤字はブログ作成者

    クローズテストの例

     例えば次のような英文があるとしよう。

    There was an old shrine in a village. One day a storm came and washed the shrine away.
    The next day people looked for the shrine. But they only found a big hole. People looked into the hole. It was deep and dark. Someone called into it, "Hello? Can anyone hear me?"
    No echo came back.

    A boy threw a stone into the hole. He listened, but there was no sound.
    People heard about the hole on TV. They came from far away to see it.
    One day a man said to the people of the village, "I'll build a new shrine for you. But you must give me the hole." The people of the village agreed.
    The man advertised the hole as a new dump.

    People gave money to the man and dumped things into the hole. They dumped garbage, test papers, old love letters and so on. Trucks came from many places. They dumped industrial waste, nuclear waste and many other things.
    A few years went by, but the hole did not fill up. People stopped worrying about garbage because they now had the perfect dump.

    The sea and sky became clean and beautiful. The village became a city.
    One day a young man was working on the roof of a new building. He heard a voice from the sky. "Hello? Can anyone hear me?" it said.
    He looked up, but he only saw the blue sky. He started working again. Something fell down from the sky and hit the roof near him. But he did not notice.
    It was the stone!
    Let's Read 3 Can Anyone Hear Me?(東京書籍『New Horizon English Course2』)より

     この英文を使ってクローズ・テストを作ると次のような感じになる。

    There was an old shrine in a village. One day a storm came and washed the shrine away.
    The next day people looked for the shrine. But they only found a big hole. People looked into the hole. It was deep and dark. Someone ( 1 ) into it, "Hello? Can anyone hear ( 2 )?"
    No echo came back.

    A boy ( 3 ) a stone into the hole. He ( 4 ), but there was no sound.
    People ( 5 ) about the hole on TV. They ( 6 ) from far away to see it.
    ( 7 ) day a man said to the ( 8 ) of the village, "I'll build a ( 9 ) shrine for you. But you must ( 10 ) me the hole." The people of ( 11 ) village agreed.
    The man advertised the ( 12 ) as a new dump.

    People gave ( 13 ) to the man and dumped things ( 14 ) the hole. They dumped garbage, test ( 15 ), old love letters and so on. ( 16 ) came from many places. They dumped ( 17 ) waste, nuclear waste and many other ( 18 ).
    A few years went by, but ( 19 ) hole did not fill up. People ( 20 ) worrying about garbage because they now ( 21 ) the perfect dump.

    The sea and ( 22 ) became clean and beautiful. The village ( 23 ) a city.
    One day a young ( 24 ) was working on the roof of ( 25 ) new building. He heard a voice ( 26 ) the sky. "Hello? Can anyone hear ( 27 )?" it said.
    He looked up, but ( 28 ) only saw the blue sky. He started working again. Something fell down from the sky and hit the roof near him. But he did not notice.
    It was the stone!


     これは7語間隔で機械的にカッコ抜きにしたものである。このようなテストを簡単に作ることが出来るエディターがフリーソフトとして公開されているので紹介しておこう。それは「BigEditor」というものである。問題番号(上記の例では1~28)を入れるのは手動で行わなければならないが、機械的に語を抜き出す作業は自動でやってくれる。

    --------------------注釈---------------------
    ※1 文献は不明だが、これはコピーをしてとっておいた何かしらの文献からの引用である。分かり次第ここに記載しようと思う。

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    前倒しではないという小学校英語

    2007年09月11日 | 記事
    小学生の英語、「点数評価せず」 文科省方針
    2007年09月11日00時28分

     文部科学省は10日、学習指導要領の改訂で導入を検討している小学校の「英語活動」について、検定教科書を使わず数値評価もしないという案を中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の教育課程部会に示した。部会では反対意見は出ず、教科ではなく現行の「道徳の時間」や「総合的な学習の時間」などと同様の位置づけになりそうだ。

     小学校高学年で早ければ11年春から英語活動を導入するという文科省案は、教育課程部会の下部にある小学校部会が大筋で了承している。教育課程部会はその結果を受けて検討した。

     文科省がこの日出した案では「幅広い言語に関する能力や国際感覚の基盤を培う」ことを目的とし、「中学校の英語教育を前倒しするのではない」と明記。教科のように数値評価すべきではなく、検定教科書を使うのではなく「国として共通教材を提供することが必要」と記された。

     委員から明確な反対は出なかったが、なぜ小学校から始めるかという点では、「中高の英語教育の課題や反省点を踏まえないと(導入に)納得を得られない」(中村正彦・東京都教育長)、「(目的は)国際理解なのかスキル養成なのか。文科省案には両方の考え方が並んでいる」(市川伸一・東京大教授)といった意見があり、引き続き議論することになった。


     重要な点をまとめると次のようになる。

  • 検定教科書を使わない
  • 数値評価をしない
  • 教科ではない
  • (中学の)前倒しではない

     「英語教育」ではなく「英語活動」なのだと文科省が言い張るところあたりは何とも言えないあいまいさを表している。彼らは小学校英語をしたいわけではなく、せざるを得ないだろうなと漠然と考えているような印象を私は受ける。これはよく言えば非常に慎重なものであり、悪く言えば中途半端以外の何物でもない。検定教科書を使わないということは何を教えるかが決まっていないことを表している。教科書は子どもたちに身につけさせるべき力が記述されている。
     評価をしないということは良く言えば自由で柔軟な指導ができるのだということになり、悪く言えば何でもありということになる。子どもたちから英語を学ぶ理由を問われたとき「世界中みんなが英語を話す時代だからだよ」などという返答を返す教師が現れるとしたらこれはある意味で洗脳教育だと言えよう。
     「教科」ではなく「活動」なのだと言うことにどれだけの意味があるかは分からないが2002年度から総合的な学習の時間などを使って英語活動をしても良いことになったときからこの点は一貫した言い方になっている。
     前倒しではないという言い草は何であろうか。一般的日本人の英語学習はかつては中学校から始まっていたわけであるが、これが小学校からということになったとき、それが「前倒しではない」という理屈はどこからやってくるのだろうか。13歳から学んでいた英語を11歳から学ぶことになったとき、それは前倒し以外の何者でもない。しかし文科省は前倒しではないと言う。ここに小学校英語のいかがわしさがある。小学校英語で一体ぜんたい何をしようとしているのだろうか。子どもたちに何を教えようとしているのだろうか。果たしてそれは英語なのかどうか。前倒しではないと言う理屈はこのあたりにあいまいさを残しており、中途半端さを感じさせる原因となっている。小学校英語を推進する論理には今、霧がかかっているのである。

    小学英語は「教科外」、教材は全国共通 中教審部会
    9月11日6時19分配信 産経新聞

     中央教育審議会の教育課程部会は10日、次期学習指導要領で導入を予定している小学校高学年の英語について、(1)算数や国語のような「教科」として扱わず、数値評価もしない(2)全国共通の教材を国が提供する-とした文部科学省の素案を大筋で了承した。
     素案によると、小学校の英語を教員免許の必要な教科とは別扱いとし、学級担任がアシスタントなどの支援を受けて授業を担当。一般教科のように3段階・5段階の評価をせず、教材は教科書でなく、道徳で用いられている「心のノート」のような副読本とする。
     ただ、授業目的や内容については委員の意見が分かれ、結論を持ち越した。文科省の素案は英語教育の目的について、言語や異文化理解の一環として「英語を中心とする外国語活動」と位置づけたが、委員の一人は「地域特性でスペイン語やポルトガル語などの指導も可能なら『英語』の表現を外すべきだ」と指摘。別の委員は「英語を学ぶためにスキル(技術)を教えるべきだ。『中学英語の前倒し』で何が悪いのか」とし、きちんと語学を学ばせることを求めた。
     梶田叡一部会長(兵庫教育大学長)は「玉虫色の表現では現場が混乱する」とし、改めて検討することとしたが、教育目的については「中学英語への導入でもあり、語学を学ぶとの表現が強くなるのではないか」との見通しを示した。
     小学校の英語導入をめぐっては、伊吹文明文科相が「必修化は不要」と難色を示すなど意見が分かれ、英語に慣れ異文化を理解するとの意味合いが強調されている 。


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  • 世界自殺予防デー

    2007年09月09日 | 記事
    自殺の現状


    児童・生徒の自殺者推移(文科省発表)
    ※警察庁の調査とは齟齬が見られるがこれについてはこちら(PDF)を参照
     WHO(世界保健機構)は9月10日を「世界自殺予防デー」としているようだ。明日がその日。ということで自殺に関してすこし調べてみようと思う。人はいずれ死ぬとはいえ、自ら命を絶つということは異常事態である。
     「自殺」に当たる英語はsuicideだ。sui(=self)は「自ら」という意味で、cideはdecideにもあるように「切る」という意味だ。語源から分析すると「自らを切る」という意味になる。日本では年間3万人以上もの人たちが自殺により自ら命を絶っていると言われている。先進国G7諸国(日・米・英・伊・加・独・仏)中で日本人の自殺率は1位(こちらこちらを参照)である。男女別に見ると日本では男性の方が女性の2倍以上の率で自殺にいたっている(こちらを参照)。先日も引越会社の社長が自殺により命を絶ったというニュースを耳にしたばかりだ。死ぬことを考えることとそれを現実に移してしまうことは紙一重なのか。それとも自殺にいたるには何か決定的な原因があるのだろうか。そのような難しい問題は私の手に負える問題では到底ありえない。ここで扱うのは昨年に大きく表面化したいじめによるいじめ自殺の問題である。
     文部科学省は「児童生徒の自殺の状況(PDFファイル)」においてその自殺者数を表にしてまとめている。右図はその数をもとに作成されたものである。これを見ると相対的には子どもたちの自殺者数は減ってきていることが分かる。しかし少子化といわれる世の中だ。子どもの数自体が減っていることも勘定しなければいけない。
     昭和25年には総人口の3分の1を超えていた子ども(14歳以下)の数が第1次ベビーブーム期(昭和22年~24年)を越したあたりから昭和45年にかけて減り続け約4分の1となった。第2次ベビーブーム期(昭和46年~49年)の出生児数の増加によってわずかに上昇したも50年代に入って再び低下し平成19年2月現在では13.6%にまで落ち込んでいる。数で言えば昭和49年には2600万人を超え、昭和53年には2777万人を超えていた子どもの数が平成19年2月現在では1739万人にまで減少している。
     しかしこのように見ていっても全体の傾向としては子どもたちの自殺率は減っているというのが事実だ。それではなぜ子どもたちの自殺が社会問題となったのか。それは自殺がいじめの問題と結びついたからである。
     ここで私は子どもたちが自殺をする原因にまでは立ち入らない。自殺の理由はさまざまあり、特に子どもたちの場合はその時の突発的な行動によるものが多いのではないかと思われるからである。ちなみに文科省の発表している数字によれば平成16年度にいじめを理由にして自殺した子どもは0人であり、平成17年は1人である。が、この数字が事実を表しているかどうかは分からない。
     
    いじめの定義

     文部科学省は2007年1月19日、これまでのいじめの定義を見直すことを決めた。従来のいじめの定義は次のようになっていた。

    文部科学省(1985)の定義
    1.自分よりも弱いものに対して一方的に、
    2.身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、
    3.相手が深刻な苦痛を感じているもの。
    4.学校としてその事実を確認しているもの。
    ・なお、起こった場所は学校の内外を問わないこととする。

    文部科学省(1995)の定義
    1.自分よりも弱いものに対して一方的に、
    2.身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、
    3.相手が深刻な苦痛を感じているもの。
    ・なお、起こった場所は学校の内外を問わないこととする。


     新しいいじめの定義では「一方的」「継続的」「深刻な苦痛」などの条件を見直し、次のようになったと伝えられた。

    子どもが一定の人間関係のある者から、心理的・物理的攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。いじめか否かの判断は、いじめられた子どもの立場に立って行う。


     これは見直し案ということだが、いじめがいじめであると判断される条件がゆるやかになったとは言えそうだ。

    いじめと自殺


    文部科学省調査
     昨年、いじめを理由にした子どもたちの自殺が相次いだ。皆さんもご存知の通りだ。テレビをつければ自殺のニュース。これから自殺しますという予告文が文科省に送りつけられるという事態まで発生した。これらの事態に対して文部科学大臣が「文部科学大臣からのお願い」と題するメッセージを発表するという対応もあった。いじめ問題に対して真剣に対応してゆくという姿勢を見せたという点では文部科学大臣をはじめとして文科省の対応はすばやかったといえる。
     しかしいじめと自殺が直結する問題なのかについてきちんと考えておくことも必要である。文科省によればいじめの発生件数は右図のようにまとめられる。しかし先に見たようにいじめを原因に自殺をしているのは平成11年に1人、平成12年から平成16年度までは0人、平成17年度に1人である(「子どもの自殺予防のための取組に向けて(一次報告、PDFファイル)」児童生徒の自殺予防に向けた取組に関する検討会)。この数値が信用に値するかどうか、現実を正しく評価しているかどうかは議論の余地があるだろう。ただ、ここから言えることは、いじめは自殺の主要原因ではなく、その一つであるということである。
     
    自殺と報道

     いじめが自殺の原因のひとつであることに間違いはない。しかし一方でいじめの問題と自殺の問題は分けて考えなければならないという議論もある。これは言い方が難しいが、いじめと自殺の問題は別問題だというわけである。いじめに対する対応も充実させる必要があるが、自殺を防止するための対策もまた重要である。
     WHOが9月10日を「世界自殺予防デー」としていることを紹介したが、WHOはまた「自殺を防ぐために-マスコミへの手引き(PREVENTING SUICIDE A RESOURCE FOR MEDIA PROFESSIONALS)」において自殺報道のあり方を勧告している。原文はこちら(PDFファイル)で読むことができる。この中では「WHAT TO DO(するべきこと)」に関しても述べられているが、それ以上に「WHAT NOT TO DO(してはならないこと)」に挙げられている項目に注目する必要がある。それは次のような行為である。
     
    してはいけないこと

    □写真や遺書を公表しない
    □自殺の方法について詳細に報道しない
    □原因を単純化して報じない
    □自殺を美化したりセンセーショナルに報じない
    □宗教的・文化的な固定観念を用いない
    □自殺を責めない


     これらは群発自殺(自殺の連鎖)を起こさないための報道ガイドラインである。X-JapanのHIDE氏の自殺報道、ネット自殺報道、練炭自殺の報道などからこの度のいじめ自殺報道も含めて日本のメディアを振り返ってみてどうだろうか。これらをきちんと守っているといえるのだろうか。自殺予告文に代表されるように、自殺を言葉の上では拒否しながらも行為から見れば助長をしているといえないだろうか。メディアの目には見えない自殺助長が行われているとするならばメディアの責任は重いし、ほとんど取り返しのつかない問題である。

    -------------参照-------------
  • 我が国の推計人口(大正9年~平成12年)
  • 推計人口(平成19年2月、XLSファイル)
  • こどもの割合は30年連続低下
  • 「自殺を予防する自殺事例報道のあり方について」のWHO勧告(PDFファイル)

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  • 英語村について

    2007年09月03日 | 記事


     拙ブログでは以前「英語熱の行方」(2007年02月18日)において「英語教育のために移民したい」という韓国国民の英語熱、その結果生まれる「雁のパパ」の問題を紹介した。同記事では「舌を切る子供たち」という問題も取り上げたが、この話はどこまで本当かどうかは分からない。
     話は変わるが、私は以前『暗号読解』(サイモン=シン、新潮文庫、2007)を読んだ。軍事目的のために暗号が必要となったこと、そこで繰り広げられた暗号作成者と暗号解読者のいたちごっこの様子が興味を引くかたちで書かれていた。史上最強の暗号として外国語の存在が書かれていたことは非常に興味深かったが、ここでは取り上げるまい。ここでは次のことばを紹介したい。それは埋蔵された2000万ドル相当の宝のありかを示す謎の暗号文の解読に一生をささげた者からの話を伝えた名の知れぬ“筆者”※1からのことばである。

     三つの文章を公開するに先立ち、興味をもたれるかもしれない人たちに、苦い経験から得られた教訓を一つだけ与えておこう。暗号解読をやるのは生業(なりわい)の余暇だけにしておくこと。余暇がなければ、この件にはかかわなぬことだ。……繰り返すが、夢かもしれないことのために自分と家族を犠牲にしてはならない―この私がいい見本だ。しかし、一日の仕事が終わり、暖炉の前でくつろぐわずかな時間を捧げるのであれば誰にも迷惑をかけはしないし、それが報われることもあるかもしれない。
    [ p.189 ]


     この忠告は英語学習にも当てはめることができるのではないだろうか。英語の宝箱を開けてみたところで本当に宝が入っている保障はどこにもないのだから。
     そのようなことが頭にあるかどうかは分からないが、韓国人の英語に対する態度は明るい。英語村と称される仮想村を韓国国内に作ってそこに韓国人を放り込む。その姿を直接的に見たことはないが、能天気だなという印象を持つ。これが「暖炉の前でくつろぐわずかな時間」を捧げているのであればまだしも、伝え聞くところによると本気(マジ)らしい。ここで「英語村」についてその成立をまとめておこう。
     ウィキペディア※2によると最初に英語村(English village)が登場したのはスペインはソリアにあるValdelavilla(読みが分からないのでアルファベットで書く)という村らしい。2001年7月のことだ。スペインでは標準スペイン語(Castilian)が全域にわたる公用語となっているが、ウィキペディア※3によればこの地方では英語も公用語らしい。ちなみにスペインの憲法では第3条で次のように定められている※4
     
    第3条
    1.カスティージャ語は、スペイン国の公用語である。すべてのスペイン人は、これを解する義務を負い、かつこれを使用する権利を有する。
    2.スペインの他の言語もまた、各自治州において、その自治憲章に基づき、これを公用語とする。
    3.スペインの言語の豊かな多様性は、文化遺産であり、特別の尊重及び保護の対象とされる。

     
     英語が公用語になっているということは第3条2項にその根拠を置くのだろう。その設置目的などは知りたいところであるがスペインの英語村についてはこのくらいにしておこう。
     さて、本題の韓国の英語村。韓国で最初に英語村が開かれたのは2004年8月のこと※5。京畿(キョンギ)道にある安山(アンサン)市においてであった。その後、いくつの英語村が韓国に建設されたのかは調査不足で分からないが(2006年11月時点では全国に10箇所)、この英語村の発想は韓国政府が主導的に実行に移しているという点ではまさに韓国国民一丸となった取り組みなのである。朝鮮日報の社説(2007年8月17日)によれば韓国政府は、済州島で建設が予定されている426万平方メートルの「英語専用タウン」に、英語による教育を行う小中高校を12校設立する方針を決めたという。英語村の様子についてみていこう。「第25回:韓国の英語教育事情」によると、英語村はキャンプと称した合宿形式で、1週間コースや週末コース、4週間コースなどが用意されており、その間に日常生活に必要な英語を実践で学ぶのだという。日帰りコースもあるようだ。村民希望者はそれぞれのコースを事前に選択しておくのだろう。以前に放送された「小学校に英語がやってくる?」ではその入場料は子どもが100円、大人が200円ということだった。経済的に塾に行けない子どもたちも利用できるように考えられているのだという。村民希望者たちは到着後、入国管理局へ行くことになるがその対応は英語で行わなければならない。パスポートを示しながら、入国管理間から一対一の口頭審査が行われる。これをパスすれば審査官から英語村内だけで通用するお金30ドルを受け取る。その先に待っているのは英語村。広さは東京ドーム6個分。レストランやショップはもちろんのこと路面電車まで用意しているところもあるという。飲食など必要なものに受け取ったお金を使うことになるが、使い切っても心配は無用だ。村内にある工場で働けばバイト代がもらえる仕組みになっている。野外・屋内劇場では楽しい劇やショーが繰り広げられている。子どもたちの顔には笑顔があふれるわけだが、彼らはおそらくそこを新世界だと思うことだろう。
     英語村という発想。それは教室で学ぶ座学としての英語ではなくスポーツ感覚的な英語である。英語をどのように学ぶのか―それは大きく分けると次の2つに分けられる。
  • 英語の型である英文法を徹底的に勉強し、辞書を引きながらていねいに英語を学ぶべきである
  • 英語のシャワーを浴びながらコミュニケーションを通じて楽しく自然に学ぶべきである
     前者の態度は『英文法の論理』(斉藤兆史、NHKブックス)で英語学習の王道として勧められているものであり、後者の態度は同書が批判をしている態度である。みなさんは経験上どのようにお考えになるだろうか。
     韓国の英語村は政府が率先して勧めているため、おそらくは税金が入っているのだろう。それは国家戦略として英語教育を進めているという言い方もできるし、子どもたちに英語遊びをさせるために税金を無駄使いしているということもできる。日本では英語村の話を聞くことは「まだ」ないが、仮に出来るとしても政府が税金を使って建設するということは起こらないと私は妄信的に思っている。ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンのような一つのテーマパークとして民間が建設する分にはよいが、税金を使って国が施設を作るとなれば話は別である。昨今は政治と金の問題が世間を賑わせており、グリーンピアのような問題もある。レジャー施設として“筆者”が言うように「暖炉の前でくつろぐわずかな時間」を捧げるための場所であるならば私が口を出す範疇にはない。

    英語村 (えいごむら)
    -国際関係 -2006年8月7日

    韓国の地方自治体が最近相次いで開設している、海外に行かなくても留学体験ができる施設。韓国では2004年度だけで1万6000人以上の小中高生が、アメリカ、カナダ、ニュージーランドなど英語圏の国々に留学しており、これに大学生を加えると10万人以上の留学生を送り出している計算になるという。また地方都市では、子供が小学生になると英語教育を求めて家族でソウルへと移住してしまう傾向が強くなっている。そこで英語しか使えない施設をつくることによって、人口流出に歯止めをかけようとしているのである。韓国国内で海外生活ができる仕組みとなっていて、英語だけでなく生活や遊びなどを中心に英語圏の文化を自然に体験できる施設が多い。商店街、ホテル、郵便局、病院、銀行、警察などもあり、内装も全て欧米風である。この施設で使用できるのは英語だけで、韓国語は絶対に使ってはならない。06年春にはソウル近郊に27万平方メートル(東京ドームの約6個分)の巨大施設が誕生し、話題を集めている。
    [ 新語探検 著者:亀井肇 / 提供:JapanKnowledge ]


    ---------------〔注〕---------------
    ※1 “筆者”とは本書の著者であるサイモン=シンのことではなく人生をこの暗号(ビール暗号)解読に捧げたモリスという人物から事情を聞き1885年に小冊子においてそのことを書き記した名の知れぬ人物のことである。
    ※2 English villageこちらを参照しても良い。
    ※3 Valdelavilla
    ※4 スペインの公式ホームページ(英語編)を参照。訳はこちらを参照。
    ※5 ウィキペディア〔English Village in Korea〕〔English Village〕を参照。

    ---------------〔英語村に関する朝鮮日報の記事〕---------------
  • 「国内で海外留学」 慶北・浦項に英語村誕生(2005/09/26)
  • 済州道オリジナルの「英語村」造成へ(2006/04/07)
  • 城南英語村、29日オープン(2005/12/30)
  • 安山英語村の広報大使に「爬虫類少女」キム・ディエナーさん( 2004/08/20)
  • 京畿道・安山の「英語村」、23日オープン(2004/08/20)
  • 「自分のタイプ把握して英語学習を」 駐韓米大使夫人パティ・ヒルさん(2005/01/20)

    ---------------〔参考〕---------------
  • 韓国「英語村」 “Edutain(楽しい英語教育)”(2007/01/26)
  • 英語村の様子が写真で見られるホームページ

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