語、句、節、文
ターゲット1900で単語を覚える。データーベース4500で単語を覚える。先日、テスト前ということで2時間の授業のうち1時間を自習の時間とした。するとテスト勉強をする代わりにターゲット1900を机の中から取り出して眺めている生徒がいた。
「これ、学校での採択率が一番高いんですよね」
どこの情報だろうか。ターゲット1900を使う学校がどのくらいいるのか、私は知らない。私の勤務校ではデーターベース4500を生徒全員に持たしている。しかしその生徒はそれとは別にターゲット1900を購入して自学自習に励んでいるのだ。
この姿をどう見るか。この生徒はなぜターゲット1900をやっているのか。データーベース4500の方はやめてしまったのか。4500の方は毎週月曜日に確認テストが行われるのだが、そちらの方は完ぺきなのか。定期試験にも5割出るぞ。いやいや、4500の方は完ぺきにしており、逆に物足りなさを感じたからターゲット1900に乗り換えたのか。
私の観察[推測]ではこの生徒がターゲット1900をやる[やろうかな、と思って単語集を購入した]理由はただ一つ。
「みんながやっているから」
ここでいうみんなとはその生徒の周りにいる人間のことである。あるいはその生徒が他から見聞きした範囲での「みんな」である。本当に本来の意味での「みんな」がターゲット1900をやっている確証はないのだが。
「学校での採択率が高い」ということを開口一番私に語ったその言葉こそがこの生徒のモチベーションなのだ。
「みんな」がやっている問題集を自分もやろうとする。この態度に根本的な問題はない。だが、「みんな」がやっている問題集を自分がやっているという事実に安心してしまってはいけない。みんなと同じ行動をとること自体に自己満足してはいけないのだ。
そもそもデーターベース4500にしろ、ターゲット1900にしろある一定の問題を含んでいるのだ。単語集というものは基本的には「語」を対象に扱っている。言語は語、句、節、文の順に構造の広がりを見せるが、単語集の基本は「語」に視点を置いているのだ。そこに両者の単語集とも例文という「文」の要素を入れているのである。左ページには語とその意味を、右ページにはその語が用いられた例文を載せている。ここで抱く一つの疑問はなぜ「語」から「文」に飛んでしまうのかという点である。語、句、節、文という具合に単位が流れていくとしたら、語から文に飛んでしまうこと自体に違和感を感じる。その違和感は次のような形で現実問題として急浮上する。
たとえば、手元にあるデーターベース4500(これは2001年モノなので内容的には少し古いが)の1番目の単語はweatherであるが、その意味として「(特定の日の)天気、天候 ⇒climate(年間通しての)気候」という記述があった上で右ページには"The weather has been very hot lately."という例文が載せてある。2番目のtemperatureではThe temperature rose to 38 degrees centigrade today.という例文が載せてある。3番目のwindでは"My hat was blown off by the wind."であり、4番目のrayでは"Rays of sunlight were shining through the clouds."といった具合である。どうだろうか。weather、temperature、wind、rayを覚えてゆくのにこれらの例文が現実的に役立つのだろうか。私は疑問に思う。一番はやはり、例文中に無造作に難解な文法事項が含まれている点が気になる。その文法事項に通じていない者はどう対処すればよいのだろうか。現在完了をマスターしていなければweatherという語は使えないのか。weatherと現在完了はセットなのか。先日もwishの項目に仮定法をあげている問題集を見つけた。どうしろというのか。I wish I were a bird.のような暗記に耐えられるような例文ではない。いったい学習者はその例文から何を学ぶことができようか。文法の問題を解決するにはやはり語→文に飛んでしまうのではなくて、語→句という親戚付き合いを大切にすることである。weatherであれば"the weather forecast"でいいではないか。temperatureであれば"the average temperature"でいいではないか。windも"blown off by the wind"でよくrayも"rays of sunlight"で十分である。語から句に流してやることで文法という気の散る問題を最小限にすることができる。もちろん句の中にも語文法が含まれることになるのだが、それはhorse raceがrace horseになるような興味深くとっつきやすい現象を多く含むものであり面白い(?)。roleでは"She played an important role in the drama."という連文が挙げてあるが、これも"play an important role"でよく、play a roleを取り出してrole playにしてみたり、importantをほかの語に変えてみたり、play以外の動詞を探させたり、いろいろなことができる。学習者にとっても文よりは句のほうが認知処理が楽になる。
さて、話を戻そう。1900を取り出した生徒。単語学習をどのように処理しているのか観察してみた。すると1900に付随しているという赤透明のシートを取り出して単語ごとに日本語を覚えているらしかった。英語⇔日本語のやりとりで英単語を学んだことにしているのだ。これを1900続けていく体力がこの生徒にはあるのか。まだ100を少し越えたページを開けていた。日本語⇔英語を結びつける学習が単語集を通じて行われるとは私には思えない。それは膨大な時間を必要とするばかりではなく、たとえば1000位やったところで最初の100をすっぽり忘れてしまっているという現実問題が存在するのである。
思うに単語学習の最適の場は「読み」の中にある。決して単語集などではない。「読み」とは何か。生徒にとって最も身近な「読み」とは教科書である。リーディングの教科書を丁寧にやる。これが語彙サイズを大きくするもっとも確実な方法だろうと思うのである。単語集はどのように使うか。基本的には復讐の場として使用すればよい。赤透明シートで隠しながら時間をかけてやるという勉強法は長続きしないし、記憶の保持も悪い。単語集は分野別になっているものを使い、読み込んでゆく。スピードを上げて読み込むのである。語と例文を徹底して読む。例文中に対象語以外に難しい単語がある場合は無視をすればよい。そのような例文は捨ててしまえばよいのである。例文を捨てるということはその語は捨ててかまわないということ。その代わりにリーディング教材の中できちんとやりましょうというだけの話。
語というのは語単体で日本語とのやり取りをしてみるよりかは句を基本に使い方と意味の広がりを意識した学習の方がよいだろうと思う。graduateを「卒業する」とやるよりもgraduate from collegeで「大学を卒業する」とやったほうが得るべきところは多いと思うのだ。生徒にもよく言う。単語はその使い方と一緒にまとめるように、と。教科書に登場した単語を「単語、日本語」の繰り返しでまとめてしまっては無味なのだ。おいしくするには単語とその前後関係をまとめることが肝心である。...
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