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■「日本人と英語」を考えてゆくブログ

『わたしの外国語学習法』 ロンブ・カトー

2006年07月16日 | 記事
まず次の説明文をご覧ください。

14のヨーロッパ系言語と中国語、日本語を、ほとんど自国を出ることなく、純粋に学習という形で身につけてしまった女性の外国語習得術。25年間に16ヵ国語を身につけていく過程と秘訣をつつみ隠さず公開してくれるこの本は、語学の習得にあたって挫折しがちなわたしたちを、必ず目的の外国語は身につけられるという楽天主義に感染させてくれます。通訳者、翻訳者の入門書としても好適。
(「アマゾン」より)


本書は16ヶ国語を身につけた女性が書いた本です。彼女への評価に関してですが、彼女を単なる一人の天才と見るのか、それとも違った見方をするのかではなしはずいぶん変わってきます。ロンブー氏は次のように答えています。

 第三の質問――あなたのよに多数の外国語をものにするには、何か特別な才能がなくてはならないのでしょうか。
 答――いいえ、特別な才能など必要ありません。私の考えでは、芸術を除くあらゆる人間による成果とか効力とかいうものは、関心の度合いと、この関心の対象を実現するために費やされたエネルギーの量のいかんにかかっているのです。ことばを、そのありのままの姿で愛している人、他人の考えを伝えたり、自分の思いを表現したりするのにどんな言語的手段を駆使したらより美しく個性的になるかということに関心のある人ならば、必ず望むものを手に入れることでしょう。
(pp.10-11)


ことばを「ありのまま愛する」人という表現もすばらしいと思いますが、ロンブー氏は次のように上の記述を方程式化しています。

 消費された時間+関心度=結果
(p.225)


外国語を学習するということはどういうことなのでしょうか。彼女に言わせるとそれはさまざまな国の人々を結びつける橋の建設という大きな目的のためであります。また、同じような記述がいくらか見られます。

外国語学習の目的は、今では何度強調しても強調し足りないことですが、まず何よりも、実にさまざまな異なる民族の間に交流と相互理解を成立させることにあるのです。
(p.60)


また次の彼女の見解は考えてみる価値がありそうです。

 わたしたちが外国語を学習するのは、外国語こそが、たとえ下手に身についても決して無駄に終わらぬ唯一のものだからです。
(p.34)


英語を10年やっても喋れない、聞けない、読めない、書けない、電話の一本も取れなければ手紙の一枚も出せないなどと揶揄されている感のある日本の英語教育にとって上の彼女の言葉は何を意味するのでしょうか。考えてみる価値はありそうです。興味深いと思われた方はどうぞお読みになってください。

本書は語学的天才が書いた本ではありますが、内容としましては、外国語学習成功のためにはまずは学習者自身の努力を求めているという点で非常に正統的な本です。一日に一定の密度、外国語をやらないと物にはならないという彼女の指摘は受け止める必要があるでしょう。

またやらされる勉強ではなく、自分の興味関心に沿った学習を進めている点でも本書は良書だといえるでしょう。彼女曰く、何か外国語で書かれた書物を読んでいるときには辞書は使わないのだそうです。辞書を使えばせっかく自分がその書物の中に没頭していた雰囲気が台無しになるから。では辞書は何のためにあるのか。彼女に言わせるとそれは読むためだそうです。辞書は読み物。われわれの外国語学習(英語学習)にもいくらかの示唆を与えてくれるものでしょう。

WIKIPEDHIAでもKato Lomb氏については出ていました。ここでも良いことが書かれていますので一度拝見なされたらよいと思います。⇔(WIKIPEDHIAはこちら

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書籍:わたしの外国語学習法
著者:ロンブ・カトー
出版社:筑摩書房
発売日:2000/03
型:単行本


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