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■「日本人と英語」を考えてゆくブログ

自民党「英語が使える日本人育成」

2007年07月26日 | 記事
 自民党は「クローズアップ あなたの生活 こうなります」において「『英語が使える日本人の育成』のための行動計画(pdf:47.6KB)」について簡単な解説をしています。自民党は英語教育を論ずるとき、国語教育の視点も入れて論じているようです。

 英語が使える日本人育成
 外国人とのコミュニケーション能力を飛躍的に向上させる

「適切に表現、正確に理解」国語力増進にも力点

 今年度より「英語が使える日本人」を育成するための向こう五年間の行動計画がスタートしました。国際化が進むなか、自らの意思を表現できる語学力を持ち、外国人とのコミュニケーションを円滑に図ることができる人材を育てることが目的です。しかも、単に英語力だけでなく、国語力の増進にも力点が置かれています。こうした人材の育成は、わが国が世界とつながり、一層発展していくための極めて大きな課題といえます。わが党は早くからこの問題の重要性を認識、公約にも掲げてきました。これにより、日本人の英語力が飛躍的に向上することが期待されます。

「文法・訳読」中心から「聞く・話す」能力を重点に

 経済・社会のグローバル化が進展するなか、これからの日本人が二十一世紀を生き抜くためには、語学力の重要度がますます増加しているといえます。しかし、外国人とのコミュニケーションを図るには、単に外国語の能力だけでなく、まず、しっかりとした自分の考え方を持ち、それを表現できる国語力も兼ね備えていなければなりません。
 わが党は、早くからこうした問題意識を持ち、英語教育をはじめとする外国語教育の充実や国語力増進についてさまざまな取り組みを行ってきました。平成十三年に行われた参院選の公約には一項目を割いて、「外国語教育の改革・拡充」を掲げ、国語力と語学力の双方を身につけた人材の育成に努力する方針を打ち出してきたところです。
 これを受け、文部科学省は一昨年、「英語指導方法改善の推進に関する懇談会」を設置。この報告や「英語教育改革に関する懇談会」で二十人の有識者から聴取した意見を基に、「『英語が使える日本人』を育成する戦略構想」をまとめました。さらに、今年三月には同構想を実現するための今後五年間の行動計画を策定。今年度からさっそく実施に移されています。
 これにより、英語教育は大きな転換が図られることになります。
 まず、これまでの「文法・訳読中心」から「聞く・話す」など、コミュニケーション能力を向上させることに重点が移されます。また、中学校卒業段階では「あいさつや対応等の平易な会話ができる(英検三級程度)」、高校卒業時には「日常の話題に関する通常の会話(英検準二級~二級程度)」、仕事で英語が使える人材は各大学が育成するなど、具体的な達成目標が示され、この目標に向かってさまざまな施策が講じられることになりました。

戦略構想を具体化した今後5年の行動計画策定
 英語による少人数・習熟度別指導を実施

 今年度よりスタートした五カ年計画には、英語の授業の大半を英語で行い、二十人程度の少人数指導・習熟度別指導を取り入れることなどが盛り込まれています。
 授業には英語圏出身の外国語指導助手、英語に堪能な地域の人材を活用し、優秀な外国人助手の正規教員への採用を国で後押しします。
 すでに国が地方公共団体に外国人教師を紹介する「JETプログラム事業」で、昨年度は英語圏を中心に六千人以上が、わが国に招致されました。
 さらに、英語教育を重点的に行うスーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクールを平成十七年度までに百校指定(現在は五十校)。成功例を蓄積して、成果の普及を図ります。
 中・高校の英語教員六万人に対しては、都道府県が指導力向上を図る二週間程度の集中研修を今夏より実施。費用の半額を国で補助します。また、優れた教員の海外研修制度も充実されました。

 高校生の留学を倍増 大学入試とも連携

 英語学習への“やる気”を向上させるため、高校留学生を倍増させ、年間一万人を目指します。国際生活・異文化を体験することで、より広い視野と適応力が身についていくことは大きな意義を持っています。
 そして、せっかく小学校から一貫性ある指導によって全体のレベルが上がっても、入試と連携しなければ意味がありません。大学入試センター試験でリスニングテストの導入(平成十八年度実施予定)を決め、さらに英語による口頭試問の導入、検定試験の活用を促しています。

 小学校の英会話支援 外国人助手を活用

 総合的な学習の時間などを使い、すでに全体の半数を超える公立小学校で、会話を中心とした英語活動が行われています。実施回数は週一回から月一回とバラツキはありますが、今後は三回に一回は外国人教員や中学校の英語教員が指導することを目指します。
 外国人の先生と一緒に歌ったり、ゲームをしたりして、楽しみながら外国の生活や文化に触れることで英語に対する関心を身につけていきます。

 しっかりした日本語力を身につけさせる

 国語力の推進については、「朝の読書」の推進などにより、子どもの読書に親しむ態度や習慣を身につけさせることや、諸学校教員の国語に関する知識や運用能力を向上させるための研修などを実施する考えです。また、児童・生徒の意欲、習熟の程度に応じた補充学習を実施することにより、「適切に表現し、正確に理解する」能力の育成を目指します。


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公明党「小学校で英語教育を必修に」

2007年07月25日 | 記事
 公明党のマニフェスト(公約)に「小学校で英語教育を必修に」というのがあるようですね。はじめて知りました。


 参院選も近いので下手なことは書けませんが、小学校に英語を導入すること自体を公約にするという感覚にはわたし自身は首を傾げたくなります。以上。

  • 公明党ホームページ
  • 小学校で英語教育を必修に」(公明党の公約052)

    ※小学校英語についての公明党の公約は〔教育毒本〕というブログサイトで知りました。

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  • 百ますを英語に

    2007年07月17日 | 記事
     「百ます計算」というのをご存じない方はいらっしゃらないでしょう。岸本裕史という元小学校教師の方が考案されたそうです(ウィキペディアを参照)。この方はもうすでに亡くなっていらっしゃるようですが、この方の考案された百ます計算を世の中に知らしめたのが陰山英男という方です。陰山氏がこの百ます計算を活用し、小学生の基礎学力向上に成果を見せたことが百ます計算を有名にすることになったのでした。
     百ます計算の様式を右図に示しました。これはインターネット上で自動的に作成できるサイトでこしらえたものですが、百ます計算の方法は単純で、左上に「+」とあれば、それぞれ交差するマスをどんどん足してゆくというまさしく計算ドリルです。ドリルというのは本来的には複雑な要素が入ってはいけない。それは単純な練習を無意識的に行い、ある技能を自動化してしまうという訓練です。その意味で百ます計算は小学1年生にも理解可能なようにもってつけのドリルだと言えるのです。
     実はわたしはこの百ます計算というのをやったことはないのですが(今からやってみようと思っても、やる気がしないのは年齢のせいか?)、非常に興味は持っています。これは小学生だから、あるいは友達と一緒に学校という場で行うから集中して行える代物なのかもしれません。
     いずれにしても、この百ます計算というものにとても興味を持っています。わたしは現在、非常勤講師ではありますが、英語教師の端くれであることはすでに別の記事で書きました。そんなわたしはこのような機械的訓練を英語にも応用できないかと少し考えたことがあります。そうすると次のような教材があるのを知りました。



     これぞまさしく英語の百ますドリルです。実はこれは以前も紹介させていただいた「英語教育2.0 ~my home, anfieldroad~」というブログで知ったものです。この問題集の見本を右図にて見てみましょう。
     「百ます」っぽい感じがします。実は「3×7=21ます」なんですが。これで何ができるのか。1つには三人称単数現在の練習ができるでしょう。もう少し発展させれば否定文や疑問文の練習もできるでしょうし、過去形の練習にも応用できるでしょう。
     そんなわけでこの問題集を各学年1冊ずつ購入してみようかと思ったのですが、正進社という出版社は「個人向け」には販売しておらず「学校向け」の商品のみだということを知りました。残念ながら…でした。
     こういった機械的な練習を通して学ぶことは、教師に長い説明をされて学ぶよりは簡単だし、身に付くのではないかとわたしは思っています。特に三人称単数現在の-sなどは教師にとっても合理的に説明のしようがないものなのではないかと思います。なぜ-sをつけるのか、ということよりも、-sをつけるのだということを知っておくことが、そして実際に生徒自らが判断して三人称単数現在の時には一般動詞の語尾に-sをつけることができるようになることが大切なのではないかと思います。
     とても惜しい教材だと思いました。1冊ずつだけでも購入の方法があるのかどうか、今度学校の正規職員に尋ねてみようと思います。

     これは余談ですが、『英語のたてよこドリル』の発売元である正進社のホームページではファイルが数点ダウンロード可能になっており、その中にはとても便利なファイルも含まれています。例えば、中学1年生を終えた頃から書きたくなる人には書きたくなる筆記体。この練習プリントがPDFファイルで公開されています。
  • 筆記体ペンマンシップのダウンロードページ

     わたしもこのファイルを使わせてもらい、筆記体をかけるようになりたいという生徒がいたらこのプリントを配布したいと思います。
     その他の参考サイトを以下にあげておきましょう。とはいっても、もうすでにリンクを張っているものですが。
  • ㈱正進社 ホームページ
  • 英語のたてよこドリル


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  • 藤原正彦、小学校英語を語る

    2007年07月16日 | 記事
     Youtubeに藤原雅彦氏(お茶の水女子大学理学部数学科教授)の小学校英語についての考えを述べたシーンがアップされています。以前、フジテレビで日曜朝に放送されている「報道2001」に出演されたときのシーンです。『国民の品格』の著者である藤原雅彦氏は本来は数学者であるといいます。著書を並べてみますと、やはり数学者列伝的なるタイトルが並びます(『国民の品格』出版前の著書)。

  • 若き数学者のアメリカ』〔1977年、新潮社〕
  • 数学者の言葉では』〔1984年、新潮社〕
  • 父の旅 私の旅』〔1987年、新潮社〕
  • 遥かなるケンブリッジ―一数学者のイギリス』〔1991年、新潮社〕
  • 数学者の休憩時間』〔1993年、新潮社〕
  • 父の威厳 数学者の意地』〔1994年、講談社〕
  • 心は孤独な数学者』〔1997年、新潮社〕
  • 古風堂々数学者』〔2000年、講談社〕
  • 天才の栄光と挫折―数学者列伝』〔2002年、新潮社(新潮選書〕
  • 祖国とは国語』〔2003年、ISBN 4062117126(講談社) ISBN 4101248087(新潮文庫〕
  • 国民の品格』〔2005年、新潮社(新潮新書)〕


    わたしが見学したある小学校の英語授業の様子
     『国民の品格』は大ベストセラーになりましたね。藤原氏は「武士道」や「祖国愛」、「情緒」の大切さを常に訴えておられます。
     藤原氏の小学校英語反対論は「英語より国語」という主張に集約されます。英語をやる時間があったら国語をやれ、というわけです。とてもわかりやすい議論ですし、一応の説得力ある議論です。日本人であるならば国語(日本語)をやれというのは当然といえば当然です。それは第二言語を小さなころからやれば効果があるのだとする議論とは別の議論として成り立つでしょう。藤原氏の議論だと、仮に“The earlier, the better”の仮説が支持されるとしても、英語を小学校教育に入れるかどうかの判断は別に行われるでしょう。
     以前、小学校英語についての討論(BSディベート「どうする小学校の英語」、2006年8月27日)を見たときに、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏が持ち出しておられたたとえ話を思い出します。鳥越氏は小学校英語の大切さについて、野球を例に出して「中学校ではじめて野球ボールを握るような子がプロ野球の選手になることはない」というようなことを述べ、小さいころからの積み重ねが大切であることを主張なさいました。しかし、この主張には少なくとも次の3つのレベルにおいて疑問を抱きます。
     
    1.小学校英語と野球とがどのようになぜ結びつくのかが不明。
    2.野球の開始年齢と野球に関する総合的な力(以下、「野球力」と言おう)がどの程度はっきりしているのかが不明。
    3.全員が野球選手に「ならなければならない」ことはない。
     
     これは誰もが抱く疑問ではないでしょうか。仮に、小さい頃から野球をすることと野球力に秀でることとが結びつくとしても、その論理がなぜ英語に当てはまるのかは不明です。英語と野球の関係、言語とスポーツの関係がどのようになっているのかわたしは知りません。鳥越氏がこの関係についてはっきりした根拠を持って述べているとも思えません。
     次に、そもそも野球にそのようなこと(開始年齢と将来的な野球力の高さが相関すること)が言えるのかどうかわたしは知りません。毎日とは言わずとも毎週毎週「野球」の練習をしなければプロ野球選手にはなれないのか。もちろん「小さな頃からの夢でした」というのはよく聞く話ですが、小学校で少しやり、中学校では陸上部、高校では外野手で、大学からピッチャーとなった巨人の選手などの例もありますからね。
     さらに言えば、全員が全員プロ野球選手にならなければならないということもないはずです。野球をやりたい人だけが野球をやってがんばればよいし、その中でも野球に対して特別に情熱のある人が「特訓」と呼ばれるその他の選手とは格段に厳しい練習を行えばよいし、その中の何人かがその努力を結果に結びつけてプロ野球選手になればよいのではないかと思います。彼らは学校の授業を通じてプロ野球選手になるのではありません。あくまでも個人の選択の結果としてそのようになるのだとわたしは思います。毎週毎週、全生徒(法律的には「児童」)に、「野球」を「強制」するといった話は聞きませんし、そのようなことを思いつく人もいないでしょう。休憩時間、あるいは学校外活動として野球のボールを握るのと、学校の授業として英語を行うというのはそのレベルの違いをわかっていないたとえだといわざるを得ません。この点、その意味では学校を離れたところで小学校から英語をやるぶんには文句を言えないということになります。しかしそれは個人の自由として認められるべきで、親の権利というべき問題かもしれません。
     小学校教育は義務教育です。義務というからにはそこには何かしらの強制的な力が働く。言語の場合、それを強制するならば徹底的な強制をしなければ効果は薄い。「できるようにならなければ、殺される」というような環境に置かれれば、あるいは「できるようにならなければ、生きてゆけない」という環境に置かれれば、強制としての言語学習はその効果を生むことでしょう。しかし、この日本ではそのような環境を用意することはあり得ませんから、強制としての言語学習〔教育〕には限界があるということです。「馬を水のみ場に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」というたとえはよく知られています。どんなに我々が言語を教えようとしても、学ぶものにその意思がなければそれは飲まれることのない水なのです。そもそも言語が教えられるのかどうかも疑問です。知識の塊として言語が成り立っているならばその知識を徹底的に叩き込めばよいわけですが、言語の本質がルールの発見とその応用にあるとするならば、学習者に言語の根っこを発見する意思とそれを応用する冒険心がなければできるようになることはないことは言うまでもありません。小学校で野球をさせることもよいでしょう。しかしそれは硬式ボールによる練習ではなく、軟式か、あるいは走りを中心とした全身運動としての野球であるべきではないでしょうか。
    と、わたしは思います。


    藤原氏のYoutube動画を貼り付けておきましょう(初めてgooブログで動画を貼り付けます。試験的意味合いもこめてブログパーツ機能を使っています)。




     最後にもう一度。
     You can lead a horse to water, but you can’t make it drink.

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