LanguageStyle

■「日本人と英語」を考えてゆくブログ

謳われていない歌

2008年12月26日 | 放言

 第17回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『絆 家族と歩む音楽少年』を見た。生まれながらにして知的障害を持っている少年。多くのハンディキャップを抱えているのだが、この世の人間がそれぞれ別々の個性や才能を持っているように、この子もまた多くの人に好かれる何かを持っている。圧巻だったのは発想の豊かさ。私のような音楽的センスを持ち合わせないものは、「楽器」と聴けばピアノやバイオリンなどのきちんと名の付くものを想像するのだが、この子の発想は私の予想を超えていた。壁や床、電信柱まで、叩いて音が鳴るものはなんでも楽器にしてしまうのだ。滑り台の裏側までをも楽器にしてしまう姿は、滑り台を子供たちが遊具としてすべるものという対象としか捉える発想しか持ち合わせていなかった私にとっては一種の感動でもあった。この子は楽しいからそういうことをやっているのだろうが、子供の発想力・想像力の豊かさから大人が学ぶべきことは多い。身の回りにおいて行われる発想の転換は例えば学校の教室における日常風景をガラリと変えてくれる何かを与えてくれるかもしれない。

 この番組を見て思ったこと。子供の発想力もそうであるが、音楽の力というものも私の興味を引いた。それは知的障害を持つ子供たちにとっての音楽に限らない。私たちにとって音楽とは何か。人間にとって音楽とは何か。音楽は本能なのか。私はリズムを刻むことは本能だと思っているが、それは世界のどこを見ても音楽を知らない民族はいないだろうと思うからである。だとすれば、英語にとって音楽とは何か。英語の世界にも音楽がある。日本語の世界にも、どの言語の世界にもきっと音楽はあることだろう。だとすれば英語学習者にとって音楽とは何か。新学習指導要領(案)で謳われた英語で教えるの教えないのという議論が(ネット上では)盛んであるが、その学習指導要領の中で音楽はどういう位置づけなのか。コミュニケーション能力の中に音楽は含まれるのか。少なくとも音楽や歌という記述は学習指導要領の中では謳われていない(外国語)。

 話は変わり先日、生徒の一人が「何か良い問題集ないっすかね」と聞いてきた。「ないっすか」は「ないですか」の早口バージョンとしてのご愛嬌として、この質問の意味はなんだろうか。よい問題集とは何か。この生徒が「よい」にこめている意味は何か。
 「分かりやすい」

 この生徒が意味するものがこれならば私はホッと安心するのだが、おそらくは次の意味だろうと思う。

 「模試で点がとれる」

 巷にはよくこんな謳い文句の問題集なり参考書なりがある。もっとひどいのになれば「これさえやれば!」や「これしかでない受験英語!」なんていうのもある。「これしかでない!」って他に出たらどうするの?責任は誰が?もちろんすべての責任は学習者に跳ね返ってくるのだ。

 「よい問題集」における「よい」の定義。これをやれば点があがるというのがあれば私のほうが教えていただきたい。私が言ったのは地道に少しずつやっていくほかはないということ。問題集であれば君の場合は中学レベルの問題集からスタートすべきであるということ。図書室には音読教材が入っているのだからそれを有効活用すべしということ。中学レベルからやり直しなさいといって示したのは公文教材や手元にあった問題集。どの文が何文型だなどというラベル貼りに一喜一憂するくらいなら、問題となっている英文をとことんまで読んだほうが健全である。文型だというものはきちんと英文が読めていればあとからついてくるものだろう。SVCにおいてはS=Cが成り立つとか、SVOOにおいてはO≠Oだが、SVOCではO=Cだとかという説明は頭では理解できていても実際に英文が読めなければ役には立たない。英文が理解できているというのはまずはきちんと訳せること。次に読んで意味がとれること。訳に頼らず意味が取れる状態。この場合、意味の切れ目で一呼吸おける力というのが決め手になる。ときどき「スラッシュはどこに入れるのですか?」と尋ねてくる生徒がいるが、「どこでも好きなところにどうぞ」ということにしている(先輩教員には怒られそうだが)※1。「好きなところ」というのはデタラメという意味ではない。好きなところというのは読みやすいところという意味である。読みやすいというのは読み手の問題であるからして、「私ならばここで一呼吸置きますが…」とはいえても「絶対にここで一呼吸置きなさい」とはいえないのだ。そもそもスラッシュで切ってポーズが置けるというのは、意味の切れ目が分かっている証拠なのだ。私がここで切りなさいといって生徒が実際にスラッシュをいれたところで生徒の力にはならない。スラッシュが入れられるように、意味の切れ目が分かるように、練習していく以外に道は無いのだ。

 さあ、年内の冬季講座は明日で終わり。新学習指導要領(案)を精読する必要もあるだろうし、年末からは花園ラグビーもある。ゴルフもあるしなかなか忙しい年末年始になりそうである。これが今年最後の投稿かどうかはわからないが、そうであるならば。
「よいお年を~」




※1「接続詞、疑問詞、関係代名詞などの前で区切る」や「長い主語はひとまとめにする」などのルールは一応示していることは前提。しかし、「長い主語」と言ってみたところで、生徒自身にその判断する力が備わっていなければこういったルールを示してみてもなかなか難しいだろうと思う。

予測読みシート

2008年12月22日 | 放言

 今日は終業式。式後は大掃除。トイレが持ち場。今日は生徒たちみんな気合を入れて掃除をしていました。「すばらしい!」の一言。夢中で手洗い場をスポンジで磨く生徒の姿はこれからの飛躍を感じさせる。

 午後は図書整理。2ヶ月たっても3ヶ月たってもいっこうに届かない図書があったので書店に電話。お願いしますよ。

 3時ごろに一本の電話。アマゾンで頼んでいた商品がいっこうに届く気配がないので前日にメールにて問い合わせをした件。輸送会社の手違いでもう一度発送からやり直すとのこと。お願いしますよ。本当に。

 残った時間は教材研究。今日は「予測読み」というものを考案してみた。英文の情報を予測して読むこと。なかなかいけるのではないかと思う。今日作ったワークシートは注1のリンクよりダウンロードできる(今日より7日間)。何かアドバイスをお願いします!

 「予測読み」とは何か。簡単に言えばpay attentionと来たらtoを予測するとか前置詞が来たら次には名詞を予測するなどの読み方をするということ。空所をぶち抜いたワークシートでもいいのだろうが、中には何も考えずにただ空所に入る語を暗記する生徒がいる。これをどうにかしたいと思ったのだ。ならば空所の前段階を練習させてやればいいではないか。「予測読み」シートでは空所に入る語にいたるまでの考え方を簡単に示してみたがこれが成功するかどうかはやってみなければわからない。今のところ、結構いけるのではないかと思っている。

 家に帰って音読をしてみた。題材は年末の整理で捨てられそうになっていた教科書見本。啓林館が出している"ELEMENT English Course1"だ。一気に読むのはやはり疲れるが、簡単な英語なのでスラスラ感は維持できる。明日は"ELEMENT English Course2"を読もうと思っているが、自分が読んでいて思うのはやはり生徒たちのこと。生徒たちが読みに目を向けるいいきっかけ作りどうしたものか。何かいいアイデアは転がっていないものか。




※1「予測読みシート」はこちらからダウンロードすることができます。

カモメが飛ぶ日

2008年12月21日 | 放言

 お笑いグランプリM1。NON STYLEが優勝した。納得の優勝。面白かった。NON STYLEと聞けば私の地元に営業に来ていたのを思い出す。

 さて、話は英語。訳す意味を考える。

 訳す意味は何か。たかが200語程度の文章を1時間かけて訳す意味とは何か。これが英語教師の仕事なのか。生徒が上手に訳せるようになること。それが英語教師の仕事なのか。

 200語といえば2分程度で読める分量である※1。それを1時間かけて訳すことに本当に意味があるのか。この場合、「意味がある」「意味がない」の二分論でないことは確かである。問題は「どの程度意味があるのか」ということである。この場合の意味とは、このような和訳がどの程度、生徒の英語力につながるのかということである。

 例えば次の文章を和訳させてみることにはどの程度の意味があるのだろうか。

 ①With today’s advances in biotechnology, the 21st century may be called the bio-century. ②Late in the last century, scientists started to develop GM foods using genetic engineering. ③For the past ten years, more and more land has been used to produce these new foods. ④As of 2004, GM food crops, mainly soybeans, corn, cotton, and rapeseed, are planted in 17 countries in the world. ⑤The U.S. is the largest grower among them.

 ⑥What are GM foods? ⑦They are foods created by changing the genes in food plants in order to improve them. ⑧In the past, we used to improve crops by selective breeding. ⑨Watermelons with no seeds, for example, are produced in this way. ⑩This process, however, takes a long time. ⑪Now, with biotechnology, we can achieve a desired result in one step. ⑫We can produce tomatoes, for example, that taste good and are resistant to disease. ⑬We can even introduce genes from different species. ⑭For example, we can put fish genes into tomatoes, which is impossible with selective breeding.

Revised POLESTAR English Course II Lesson8より

 和訳によって確認すべきところを挙げてみよう。①の文はwithの解釈だけでよいだろう。②はusingの解釈か。③は現在完了と出だしの前置詞句。④はas ofだけ。⑤と⑥は問題ないだろう。⑦はin order to。⑧~⑩は問題なし。⑪はwithの解釈。⑫は関係代名詞節の修飾関係。⑬は問題なし。⑭は関係代名詞。といったところか。

 ただし、これらの項目がどんなに大切だとしても、これらを1時間かけて訳しながら教えることにどれほどの意味があるのかについては疑問が残る。

 (With / In) today’s advances (in / with) biotechnology, the 21st century may be called the bio-century. Late (in / on) the last century, scientists started to develop GM foods using genetic engineering. (In / For) the past ten years, more and more land has been used to produce these new foods. As (by / of) 2004, GM food crops, mainly soybeans, corn, cotton, and rapeseed, are planted (of / in) 17 countries (with / in) the world. The U.S. is the largest grower (in / among) them.

 What are GM foods? They are foods created (at / by) changing the genes (by / in) food plants (on / in) order to improve them. (In / For) the past, we used to improve crops (at / by) selective breeding. Watermelons with no seeds, (in / for) example, are produced (in / on) this way. This process, however, takes a long time. Now, (in / with) biotechnology, we can achieve a desired result (at / in) one step. We can produce tomatoes, (in / for) example, that taste good and are resistant (to / from) disease. We can even introduce genes (to / from) different species. (In / For) example, we can put fish genes (in / into) tomatoes, which is impossible (with / for) selective breeding.

 訳すのに時間がとられてしまい、たとえばこのような前置詞に焦点を当てた練習や次のような動詞に焦点を当てた練習などをする暇がなくなってしまうのが一番の問題である。

 With today’s advances in biotechnology, the 21st century may be (call) the bio-century. Late in the last century, scientists started (develop) GM foods using genetic engineering. For the past ten years, more and more land (be used) to produce these new foods. As of 2004, GM food crops, mainly soybeans, corn, cotton, and rapeseed, (be planted) in 17 countries in the world. The U.S. is the largest grower among them.

 What are GM foods? They are foods (create) by (change) the genes in food plants in order to improve them. In the past, we used to improve crops by selective breeding. Watermelons with no seeds, for example, (be produced) in this way. This process, however, (take) a long time. Now, with biotechnology, we can achieve a desired result in one step. We can produce tomatoes, for example, that taste good and (be) resistant to disease. We can even introduce genes from different species. For example, we can put fish genes into tomatoes, which is impossible with selective breeding.

 音声を用いての練習も面白い。訳す以外にも面白い練習はたくさんあるのだ。文章を一、二度読み、訳して終了というのではなんとも貧弱である。訳しただけで英語ができるようになるのであれば問題はないが、訳すだけではできるようにはならないのが現実である。ラーメンのおつゆいっぱいになってはならないということである。

 授業が和訳に支配されてしまうと生徒の方もなぜか安心するようで、授業は教師の日本語ばかりをおねだりすることにつながる。「先生、もう一度言ってくださーい」「もう一度、ゆっくりと言ってくださーい」などということになりかねない。

 ということで今考えているのは授業では和訳は行わないということ。プリントを配布し、生徒は予習段階で全訳を作ってくる。それを授業前に提出し、授業では具体的な練習に入る。単語一語一語からきちんとした発音の練習をさせ、文につなげてゆく。単語は連語を意識させ、繰り返し練習をさせる。前置詞や接続詞は説明ではなく、実物から学ばせる。何度も何十回も読むように仕向ける手だてを考える必要はあるが、訳で1時間、つまり1レッスン分の4時間をつぶしてしまうような無味な授業からは脱せられるだろう。

 読んだこと、つまりインプットしたことはアプトプットすることも忘れてはならない。音読によって半ば強制的に覚えてしまった表現をアウトプットによってどんどん使ってゆく。口頭日本語を英語にしてゆく作業、英作文や発表によって学んだ表現を自分の表現に変えてゆく。

 文法解釈がリーディングの授業ではないはずだ、と思っている。解釈だけで学習が成立するはずがない。解釈が先なのか、後なのかはともかくとして、授業は練習の場であり、訓練の場である。

 最近では、これと同じことを模試に対しても思っている。模試のために模試をして、模試のための模試に対して模試解説を行う。その模試解説は模試でどのように点を取ればいいのかという技術論であり、根本的な英語力の育成にはなっていない。「もしもしカメよカメさんよ」のように少しずつでも着実に前に進んでいる時間であるならばともかく、開設の授業に私はそのような思いを抱けない。もっと経験を積めば模試解説の意味がハッキリと見えてくるのだろうか。


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※1この場合の「読める」とは「音読できる」という意味である。

日頃のご褒美に

2008年12月19日 | 放言

 今日は3年2コマ、2年2コマ、1年1コマ。3年は模試解説。模試で点を取ろうと思えば英語ができなければならないのです。小手先の学習に陥ることなかれ。今日の解説は文法問題を中心とした。長文問題において「解説」とは何だろうか。きちんと英語が読めれば正答が見えてくるわけだから、やはり必要なのは解説ではなく練習だろうと思う。試験で長文が読めるようになる練習は決して試験ではない。

 2年生は2コマを使って映画を見せた。見たのは『ゴースト ニューヨークの幻』だが、私自身まじめに見たのはこれがはじめて。生徒たちもなかなか面白がってみていた。冬休み前の最後の授業ということもあり、いつも頑張っている生徒たちにはよいご褒美となったことだろう。

 1年生は基本的には自習。冬休みの課題をやってもよし、テスト直しをやってもよし。教科書の予習でもいい。彼らの学習を見ていて思ったのはやはり基礎の大切さ。一人の生徒につきっきりで一緒に問題を解いていったが、この生徒は英語を苦手とする生徒の代表例だろうと思って接した。問題演習において答えがなかなか出ない。私が答えを教えても何にもならないので辞書を引かせながらやったが、私が言ったのは1年後、2年後にいまあなたがやっている問題に何の疑問もなくきちんと答えられるようになっていればいいわけだから、どうか英語を嫌いにならないでほしいということ。わからない問題は勇気を出して放っておきなさい。「後でね、後でね」の精神である。それよりも「わかる」を大事にしなさい。

 このような生徒を見ているとやはりこれまでのやり方ではいけないのではないかという思いに駆られる。問題演習をやらせ、教科書を訳させるだけではなかなか突破口は開けない。このような生徒こそライティングが有効なのではないかとも思った。解釈ではなく創造から英語を学ぶ。条件英作文において英語を創造する。ヒントを少しずつ与えながら英語を創造する。和訳からは得られない英語との関係を築くことができるのではないだろうか。

 語順表みたいなものがベネッセさんから出ていると聞いたので問い合わせてみたが非売品とのこと。すごく興味があったので残念(どなたかお持ちの方はいらっしゃいませんでしょうか?)。ベネッセの出しているのをあきらめたわけではないが、田尻氏の書籍に語順を正面から扱ったものがありそうなので早速注文。『田尻悟郎の英語語順トレーニングノート』を1年から3年まで。『自己表現お助けブック』の中にある語順表はかなり参考になる。中学レベルだと馬鹿にする人はいないだろうが、これが基礎というもの。基礎は土台。土台はがっしりとしていないといけない。

 3時50分から学年会議&科会議。そこで出た話題の一つに模擬試験があった。大学を視野に入れていない生徒まで模擬を受ける意味があるのかという話題。私はそもそも模擬試験の数が多すぎるのではないかと思う。2、3ヵ月に1度の頻度というのは多いと思う。模擬を受けさせその結果に一喜一憂するのは教師の勝手というものではないか。もっと落ち着いた学習というか、模擬に振り回されない体制というか、そういった方向へいってくれたらなぁ。でも生徒の学力をきちんと把握しておく必要もあるのは理解できるところ。難しい問題だ。


練習すれば上手くなる

2008年12月18日 | 放言

 最近、頻繁※1に英語科通信を発行している。B5のザラ紙に両面印刷。表面は私自身の英語学習の様子を紹介したり、韓国の英語熱を紹介したり、はたまたルビンの壷のような興味を引くようなものを載せてみたり、外来語事情を扱ってみたりと内容に縛りはない。裏面は英語の問題。英文中の間違いを訂正させたり、日本語和訳(ヒント付き)をさせたり、2択問題に答えさせたりとこちらも内容はバラエティーに富む。

 英語学通信は今のところNo.9まで発行した。そしてNo.10の記事として私は「訳してなるものか」と題して私に英文和訳に対する姿勢を述べてみた。いや、英文和訳というよりは音読についての思いを書いたといったほうが正確か。これはまだ発行はしていない。冬休みがあけての1月に発行しようと思っている。内容については1月に入ってからこのブログにもあげたいと思う。



※1「ひんぱん」を「はんざつ」と読み間違えたのをそこまで追求しちゃうの?正確に読めたことに越したことはないけど、人の失敗をそこまで責められるあなたは何者?ちょっとおかしいでしょ。

妄信、猛進、もう心配で、もうしんどい

2008年12月14日 | 放言

 最近、ゴルフを始めた。きっかけは先輩教員。テスト期間中や長期休暇などを利用してやりましょうという一声に後押しされたのだ。

 ゴルフをしていて思う。

 「これを強制されたら・・・」

 ゴルフの練習をなぜやるのか。理由は単純である。

 「楽しいから」「上手くなりたいから」

 最近はしばしば近くの練習場に足を運ぶ。それは「上手くなりたい」という欲求が自分の中にあるからである。2度ほどコースにも出た。ますますやる気に火がつく。

 しかし日本全国津々浦々の人たち全員がゴルフをする義務はどこにもない。ゴルフに興味を持つ人もいれば、そうでない人もいる。それで全くもってかまわないのだ。しかし、こと英語になると世間の態度は一変する。

 「ゴルフをやる義理はないが、英語はやらねばならん」

 ゴルフには選択の自由があるが、英語には選択の自由はない。これを異常事態として考えずして何を異常事態と捉えることが出来ようか。この強制状態に対して違和感を覚えずして、他のどんな問題に違和感を覚えろというのだろうか。

 皆が「犬」を飼わなければならない、といえば誰しもがある種の違和感を感じる。皆が「野球」をしなければならないといえば誰しもがある種の不気味さを感じる。それは「犬」や「野球」に対してではなく、「強制」に働く感覚である。しかし「英語」をやることに対して「どこかおかしいな」という感覚はそれほど共有されてはいないようである。「英語は宗教か?」と思わせるような妄信ぶりである。

 英語への妄信。妄信が猛進している。

 「学生時代に英語をちゃんとやっていればよかった」

 ときどきこのような後悔を表明される方がいる。「あのとき…すればよかったな」とは仮定法の勉強風景としてはふさわしいかもしれないが、現実問題としてはうっとうしい。「やればよかった」が意味するところは「今はできません」という表明である。「できません」というよりは「やる気はありません」と言ったほうが正確か。

 今を生きている者の口からは過去への後悔の言葉はでてこない。出てきようがないのだ。過去への後悔は現在の否定だからである。今を生きる者にとって、言ってみれば過去などはどうでもいいのだ。過去が無意味だという意味ではない。過去の自分も自分であり、今の自分も自分である。すべてをひっくるめて自分という人間なのだから「あのとき…すればよかったな」という台詞は今の自分次第でどうにでもなるということなのだ。そのことに気づきもしないで、「あの時…すればよかったな」というのは過去と今とを2分して捉えているといわざるを得ない。そこにはタテのつながりはない。あるのは「やらなかった自分」と「できない自分」という分断された自分がいるのみである。

 分断が何を生み出すのか。それは妄想である。「やらなかった自分」と「できない自分」という具合に自分を過去と現在とで分断して、無理やりその裏を見ようとする。つまり「やった自分」と「できる自分」である。

 しかし人生は1度きりである。大人になった自分がもう一度子どもに戻ることはできない。では「やった自分」と「できる自分」という理想像をどこにぶつけるのか。一つの答えが「こども」である。「こども」に対する入れ込みが人生一度きりだという事実と自分の失敗(したと思い込んでいる)経験から作り出されるとき、それは非常にたちの悪いものになる。


 と、まあ、不思議なことを考えてみたりした今日この頃。このような文章を書く自分はどこか疲れているのだろう。テストの採点に追われているせいか?ゴルフのしすぎか?(笑)

 手帳を購入。これまでそれほど継続してつけたことはないが、手帳をつける習慣をつけたい。

 年末年始には色々やることがあるからあれやこれやをメモできそうだ。これまでも手帳を買ったことはあるが、引き出しの中に入れたままになったことが多かった。今回はと気持ちを新たにするということで、色は「赤」を選択。理由はこれまで買っていたのがすべて黒だったから。

 また、同じ書店で『その英語、ネイティブにはこう聞こえますSELECT』と『その英語、ネイティブにはこう聞こえますSELECT 2』を購入。語感というものはあなどれません。意味が伝わる段階、相手に配慮できる段階。上るべき階段は何段もありますね。

 試験で次のような問題が出題された(高3)。

次の各文を和訳しなさい。

1. The secret of success lies in the ability to get the other person's point of view and see things from his angle as well as from your own.

2. There is nothing in the world but teaches us some good lesson.

3. Reading is to the mind what food is to the body. If you try to do without reading, you simply cannot. On the other hand, if you try to read more than your brain can absorb, you can easily lose your appetite for reading.

「2」の和訳で多かった誤答は次のような解釈。
先生は世界にないいくつかの教訓を私たちに教えてくれる

 問題のポイントはThere isで「何かがあるといっているんだな」、nothingで「何もないといっているんだな」、in the worldで「世界には何もないといっているんだな」と来た段階でbutの解釈に慣れているかどうかである。いわゆる関係代名詞のbutといわれるものが分かっているかどうか。「私たちによき教訓をもたらさないものなど世界にはない」というところまでたどり着いたものは数えるほどしかいなかった。頑張れ、受験生。


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和訳からの流れ

2008年12月10日 | 放言

 テスト2日目。試験監督は2コマ。採点を行いながらの監督。

 指導について考える時間は普段からとっているが、試験週間は特に考える。昨日は和訳課題について考えてみた。その実践版を今日作成。このようなプリントになった※1。授業で私が訳す日本語をディクテーションすることなどそもそも求めていないのだ。きちんと自分の訳を作ってくる。その上で文法上の説明を聞き、ノートにて整理する。その後は徹底した音読につなげてゆく。一連の流れを生徒たちには確立してもらいたい。

 本日、『やっぱり英作文―英語の語順をマスターする』、『愉しみながらの英作文』がアマゾンより届く。中古で購入したので送料の方が高くつく。後者のほうはなかなかいい感じ。古本だけに中にはびっしりと書き込みが。きれいな筆記体ですべてのページの問題が解かれている。このような本を買うとなんだか得した感がある。頑張っている人がいることに少しだけ感動。本の内容はすべてが中学レベルだが、英作文の取っ掛かりとしては使えそうである。最近、「読む」ことを通して文法を意識させるよりも、「書く」ことを通じて意識させたほうが効果的なのではないかという思いを持っている。「読む」となれば単語の意味が分かれば大体の言いたいことが「理解できる」状態になることはしばしばある。そこでは改めて英語と日本語の言語的差異に目が向けられることはないか、きわめて起こりにくい状態となる。一方、書くこととなればどうしても英語の並べ方に目が向けられる。英語の語順と日本語の語順の差異を否でも意識せざるを得ないような状況に生徒を追いやることができるのではないかと期待している。

 さて、話は前者の本に進む。前者の本の内容に少々違和感を持った。それは文型判断である。別にどうでもいいと思われる方もいるだろうが、callやnameを動詞で用いたときに出来上がる文を第4文型のSVOOだと判断する根拠は何か。著者に伺ってみたい。だいたいどの教科書でもcallやnameが作り出すのは第5文型のSVOCであるとなっているはずだ。「誰々を何々と呼ぶ/名づける」における誰々をIO(間接目的語)とし、何々をDO(直接目的語)と判断している著者の考えには納得できない。第五文型をとる動詞は授与動詞が基本でありcallやnameとは明らかに性質を異にする、と思ってきたがこれは間違いか。どなたかご教授ください。

 明日のテスト監督は1コマ、の予定。


※1こちらからダウンロードしてみてください。何かとご指摘いただければ幸いです。なお、ダウンロード期間は本日より7日間とさせていただきます。

経済界の声はコエエ

2008年12月10日 | 放言

 すべての単語の意味が分かったとき、英文が正しく読めるか。この場合、「単語の意味が分かる」とは「日本語に置き換えられる」と同義である。このような疑問を発したのが誰だったのか、記憶が頼りない。確か渡部昇一氏だったような気がする。

 リーディングの授業。予習をどうするか。リーディングの授業において和訳以外にすることはたくさんあるだろう、という批判はもっともである。和訳のみの授業でいいはずがない。しかし、和訳以外にもこれもあれもといろいろな性格の指導を取り入れることには冷静でいたいと思う。あれこれと追いかけるあまり焦点がぼやける可能性がある。「二兎追う者は一兎も得ず」を心に誓いぐっとこらえる。

 生徒の和訳をどうするか。予習段階でリーディング教材の日本語訳を求めるわけだが、授業では生徒が作ってきた和訳を確認することもなく、一人ずつ指名して和訳させてきた。しかし今、これではイカンだろうと思っている。予習で和訳を求めるならば、生徒がやってきたその予習のすべてをきちんと評価してやる必要があるだろうと思えてきた。いや、というよりもむしろ「予習が生徒の仕事」であるならば、「その予習を評価することは教師の仕事」なのではないかと思えてきたのである。やらせっぱなしに反省しなければならない。

 そこで今後取り組もうと思っているのは生徒の作ってきた和訳のすべてに目を通してそれを点数評価して返すというもの。この点数はもちろん成績には入れないが、生徒のやる気には繋がるのではないかと期待する。教科書の一文一文にまずは番号を振り、一文ごとに生徒には和訳を求める。授業の前日までに和訳の提出を求め、私がそれにすべて目を通す。生徒が作ってきた和訳を評価することによって生徒と対話ができればと思う。

 今日は広島市内にて私学向け「新学習指導要領」についての研修会があった。私はそれに参加。名古屋大の先生が講師で来られ、いろいろなお話をいただいた。今回の研修会について学校に提出する書類として明日以降、まとめなければならないが、慶應シンポの際に江利川氏が発表なさった内容と重なる部分があり、財界の影響力の大きさを改めて認識させられた。非正規雇用の増大と教育問題が深い部分でつながりを見せていることなどは明日はわが身として考えさせられた。ニートはともかくとしても、フリーターや派遣の増大によって生み出される社会問題もさることながら、積極的にそういった非正規雇用を増やすように求める政策を恥ずかしげもなく披露する経済界の無責任さにあきれ果ててしまった。ただ、彼らには彼らの論理があるのだろうから「話し合い」で解決をしていかなければならない。が、このような状況を許すのは日本人だからという部分があるのだろうなとも感じた。

 帰りは広島駅近くの福屋にて本の物色。安河内氏の著書を何冊か手にし、英語科費で購入することを提案してみようかと思う。とはいっても時間がなかったのでチラッとしか見ていない。チラ見で英語科費を使うのも後ろめたさを感じるのでやはり自費購入が適当か。あとはオバマ特集もチラ見。『感動する英語!』(近江 誠)は良書だと思うが、オバマ演説だけを聴く気には今のところなれないので購入は延期。

 ところで中学では英語科教室というものを聞いたことはあるが、高校では今のところまだない。そこで授業をやるやらないにかかわらず、英語科の教室があれば何かと便利だろうなと思ったりする。そこに音源を聞く機会などを適当な数だけそろえておけば、音源を用いた課題が出せる。授業の幅も広がりそうな「気」がする。まだ今のところ「気」だけであるが。


【解答乱麻】TOSS代表・向山洋一 会話練習だめ?小学校英語

2008年12月07日 | 放言
【解答乱麻】TOSS代表・向山洋一 会話練習だめ?小学校英語
2008.12.3 08:08

 やっとのことで小学校に英語が入ることになった。

 世界の主な国々の中で、小学校に英語の授業がないのは日本ぐらいだ。

 10年前、上海を訪れ、いくつかの小学校を見学したときの驚きは今もよみがえる。小学2年生から、オールイングリッシュで授業をしていた。IBMのパソコンをつかっていた。

 バスから見えた「あの学校を見学したい」という突然の申し込みの結果も同じだった。

 30人の日本の教師は青くなった。「教育で負ける」と思ったのだ。「算数の授業」は、日本より2学年分レベルが高かった。小学1年で3000の漢字の「読み」を習得させていた。

 その当時、上海で、韓国、日本、中国の高校生が修学旅行で出会った。韓国、中国の高校生は英語で仲良くなっているのに日本の高校生は仲間に入れなかった。「読む、訳す」のこれまでの英語教育の前に「聞く、話す」の英語教育が必要だと痛感した。

 私たちは、総合的学習の国際理解の時間を活用して、週に1時間ぐらいの「小学校英会話」の授業を開発してきた。何よりも楽しいこと、子供たちがのりのりになること、しかも日常的な場面で英会話ができることを目指してきた。

 週に1時間、1年間で35時間ぐらいの授業で、子供たちは英会話をしゃべるようになった。学校公開もされた。子供たちは、本当に楽しそうだ。

 ところが文科省の担当者は、このような英会話の授業をいけないのだという。「スキル学習は外国語活動ではありません」「ダイアローグの学習は外国語活動に入りません」という。

 これは、自動車学校で「坂道発進などのスキルを練習してはいけません」、水泳の授業で「クロールの練習をしてはいけません」というようなものだ。

 学習指導要領では「外国語を用いて積極的にコミュニケーションを図ることができるようにする」とある。そのため「外国語を用いてのコミュニケーションの楽しさを体験させる」「積極的に外国語を聞いたり話したりすること」などと示されている。

 私たちは、この課題を実現しようとしてきた。それが駄目だという。「外国語を聞いたり話したりする」のに、「スキルの学習」や「ダイアローグの学習」をぬきに、どのようにしろというのだろう。

 指導要領には「場面」の例も示されている。「自己紹介」「食事」「道案内」「買い物」「あいさつ」「子供の遊び」「行事」などである。これらを「聞く」「話す」ことができるには、その場面特有の会話「ダイアローグ」を練習させる必要がある。

 「話す」ことができるには、「くり返しの練習」(スキル)が必要だ。絵、イラスト、写真を示しながらやると、子供たちは熱中して授業に参加をする。

 楽しい授業が、全国で指導主事の先生などからつぶされている。この10年間努力してきたことは何だったのかと思っている教師は多い。


 「世界の主な国」とはどこか。小学校に英語の授業がないのを憂うセリフの中に登場するこのセリフが私には一番気になった部分である。

 上海を訪れたことを引き合いに出しているから中国がまずは念頭にあるのだろう。「教育で負ける」という感想は極めて情緒的なものであるが、そこにきて上海の子供らが小1で3000の漢字の「読み」を習得するというネタを盛り込んでいる。小1で3000とはいやはや驚きではあるが(本当に事実か?)、そもそも漢字の総数が中国と日本とでは雲泥の差があるのだから比べようもないはずだ。

 ある修学旅行の話。韓、日、中の高校生が出会ったとき、日本人の高校生はその仲間に入れなかったという。理由は英語だというが、はたしてその分析は正しいのか。立ちすくむ日本人高校生を目の当たりにし、日本の英語教育に疑問を持ったというが、その結論は「「読む、訳す」のこれまでの英語教育の前に「聞く、話す」の英語教育が必要だ」というありきたりのもの。まだ「「読む、訳す」のこれまでの英語教育ではなく「聞く、話す」の英語教育が必要だ」と書いていないだけ不健康ではない。

 向山氏は「スキル」に目を向けない文科省の言う外国語会話を批判する。カタカナ語を使うと私などは意味がぼやけてしまう気がするが、要は「英語を教えなさい」という意見だとみていいだろう。歌やダンスばかりでいいのですか?という問いかけだとすると私などはこの点には賛成したい。が、向山氏の言う「スキル」を子供たちに教えるとなれば、それを教えられるだけの「スキル」が指導者側にも備わっていなければならない。「坂道発進などのスキルを練習」させるのであれば、助手席に座っている教官が手取り足取りサイドブレーキの引き方、足の使い方などを教えてやれるスキルが必要だ。「クロールの練習」をさせる時も、それを教える指導スキルが必要だろう。間違えればおぼれ死んでしまう危険すらあるのだからなおさらである。

 冒頭部分。世界においてゆかれる日本を強調する形で小学校英語の意義を知らしめようとする言動は勘弁してほしい。小学校に英語がないのは日本だけだという状態を「悪いもの」として決め付け、小学校に英語を入れさえすれば万々歳という意見に見える。

 ところで話は少しだけ変わるが、次の文言はどういうことだろうか。

言語を用いてコミュニケーションを図ることの大切さを知ること。

 これは新学習指導要領(小学校学習指導要領、第4章 外国語活動 第2 内容)にあらわれた文言である。その解説部分には次のようにある。

 社会や経済のグローバル化が急速に進展し,異なる文化の共存や持続可能な発展に向けた国際協力が求められている。また,人材育成面での国際競争も加速している。このような社会にあっては,言語を用いて他者とのコミュニケーションを図っていくことが大切である。

 さらに,「1 目標」で述べたように,現代の子どもたちは自分や他者の感情や思いを表現したり,受け止めたりする表現力や理解力に乏しいとされる。児童が豊かな人間関係を築くためには,言語によるコミュニケーション能力を身に付けることが求められる。そこで,外国語活動では,多くの表現を覚えたり,細かい文法事項を理解したりすることよりも,実際に言語を用いてコミュニケーションを図る体験を通して,それらの大切さに気付かせることが重要である。児童に,普段使い慣れていない外国語を使用させることによって,言語を用いてコミュニケーションを図ることの難しさを体験させるとともに,その大切さも実感させることが重要である。

 勘弁してはいただけないものだろうか。言っていることの無茶苦茶ぶりに唖然としてしまう。外国語活動を英語活動にし、英語をやるかと思いきや中学の前倒しではないといい、英語活動にもかかわらず多くの表現を覚えるさせるには消極的である。そうかと思えば、コミュニケーションを図ることの難しさを体験させろと言ってみたり、その大切さを実感させろと言ってみたりする。言葉を入れずに言葉の難しさを体験させる。言葉を入れずに言葉の大切さを実感させる。言葉を用いないジェスチャーゲームをしろと言っているのではない。真面目にそれが実現できると考えていそうな感じである。


英語科通信

2008年12月07日 | 放言

 ゴルフの練習。やりすぎで手が痛い。腱鞘炎気味だ。

 学校は期末試験前。試験問題を作らないといけないが、気合いがいまいち入らない。

 最近、英語科通信を発行している。内容は表面が言語関係の話題を集めた「読み物」(日本語)であり、裏面が英作文を中心とした練習問題。配布翌日までに職員室にある英語科BOXに入れることをお決まりとしている。表面の文章は私のブログ記事を使ったり、アマゾンの書評を使ったり、いろいろなところから仕入れている。英語学習に取り組む動機づけをいろいろな角度から行えたらいいと思う。裏面の練習問題については試行錯誤中ではあるが、今使っている教材は『神戸文章の英語合格英作文作成法―試験で点がとれる<改訂版> 大学受験V BOOKS』(学研)、『なるほど英作文!』(文芸社)、『道場主の英文法いじわる2択250』(学習研究社)、『日本人に共通する英語のミス121』(ジャパンタイムズ)、『UPGRADE 英文法・語法問題』(数研出版)などである。

 英作文に力を入れようと考えている。先ほどアマゾンで以下の書籍を注文した。

  • 自己表現お助けブック
  • In Other Words: A Language Lover's Guide to the Most Intriguing Words Around the World
  • くもんの中学英文法
  • 超速&確実!ケリー伊藤式「声を出す」英語上達法
  • 愉しみながらの英作文
  • 英語の語順と文法―文の組み立てがわかる
  • やっぱり英文法―やりなおし英語のバイブル
  • やっぱり英作文―英語の語順をマスターする
  • 英語ライティング講座入門


     英語の語順に意識が向くように通信を作っていこうと思っている。

     ところで、電子たばこなるものも一緒に購入してみた。私は喫煙者ではないが、どういうものなのか興味があったのです。



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