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■「日本人と英語」を考えてゆくブログ

前倒しではないという小学校英語

2007年09月11日 | 記事
小学生の英語、「点数評価せず」 文科省方針
2007年09月11日00時28分

 文部科学省は10日、学習指導要領の改訂で導入を検討している小学校の「英語活動」について、検定教科書を使わず数値評価もしないという案を中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の教育課程部会に示した。部会では反対意見は出ず、教科ではなく現行の「道徳の時間」や「総合的な学習の時間」などと同様の位置づけになりそうだ。

 小学校高学年で早ければ11年春から英語活動を導入するという文科省案は、教育課程部会の下部にある小学校部会が大筋で了承している。教育課程部会はその結果を受けて検討した。

 文科省がこの日出した案では「幅広い言語に関する能力や国際感覚の基盤を培う」ことを目的とし、「中学校の英語教育を前倒しするのではない」と明記。教科のように数値評価すべきではなく、検定教科書を使うのではなく「国として共通教材を提供することが必要」と記された。

 委員から明確な反対は出なかったが、なぜ小学校から始めるかという点では、「中高の英語教育の課題や反省点を踏まえないと(導入に)納得を得られない」(中村正彦・東京都教育長)、「(目的は)国際理解なのかスキル養成なのか。文科省案には両方の考え方が並んでいる」(市川伸一・東京大教授)といった意見があり、引き続き議論することになった。


 重要な点をまとめると次のようになる。

  • 検定教科書を使わない
  • 数値評価をしない
  • 教科ではない
  • (中学の)前倒しではない

     「英語教育」ではなく「英語活動」なのだと文科省が言い張るところあたりは何とも言えないあいまいさを表している。彼らは小学校英語をしたいわけではなく、せざるを得ないだろうなと漠然と考えているような印象を私は受ける。これはよく言えば非常に慎重なものであり、悪く言えば中途半端以外の何物でもない。検定教科書を使わないということは何を教えるかが決まっていないことを表している。教科書は子どもたちに身につけさせるべき力が記述されている。
     評価をしないということは良く言えば自由で柔軟な指導ができるのだということになり、悪く言えば何でもありということになる。子どもたちから英語を学ぶ理由を問われたとき「世界中みんなが英語を話す時代だからだよ」などという返答を返す教師が現れるとしたらこれはある意味で洗脳教育だと言えよう。
     「教科」ではなく「活動」なのだと言うことにどれだけの意味があるかは分からないが2002年度から総合的な学習の時間などを使って英語活動をしても良いことになったときからこの点は一貫した言い方になっている。
     前倒しではないという言い草は何であろうか。一般的日本人の英語学習はかつては中学校から始まっていたわけであるが、これが小学校からということになったとき、それが「前倒しではない」という理屈はどこからやってくるのだろうか。13歳から学んでいた英語を11歳から学ぶことになったとき、それは前倒し以外の何者でもない。しかし文科省は前倒しではないと言う。ここに小学校英語のいかがわしさがある。小学校英語で一体ぜんたい何をしようとしているのだろうか。子どもたちに何を教えようとしているのだろうか。果たしてそれは英語なのかどうか。前倒しではないと言う理屈はこのあたりにあいまいさを残しており、中途半端さを感じさせる原因となっている。小学校英語を推進する論理には今、霧がかかっているのである。

    小学英語は「教科外」、教材は全国共通 中教審部会
    9月11日6時19分配信 産経新聞

     中央教育審議会の教育課程部会は10日、次期学習指導要領で導入を予定している小学校高学年の英語について、(1)算数や国語のような「教科」として扱わず、数値評価もしない(2)全国共通の教材を国が提供する-とした文部科学省の素案を大筋で了承した。
     素案によると、小学校の英語を教員免許の必要な教科とは別扱いとし、学級担任がアシスタントなどの支援を受けて授業を担当。一般教科のように3段階・5段階の評価をせず、教材は教科書でなく、道徳で用いられている「心のノート」のような副読本とする。
     ただ、授業目的や内容については委員の意見が分かれ、結論を持ち越した。文科省の素案は英語教育の目的について、言語や異文化理解の一環として「英語を中心とする外国語活動」と位置づけたが、委員の一人は「地域特性でスペイン語やポルトガル語などの指導も可能なら『英語』の表現を外すべきだ」と指摘。別の委員は「英語を学ぶためにスキル(技術)を教えるべきだ。『中学英語の前倒し』で何が悪いのか」とし、きちんと語学を学ばせることを求めた。
     梶田叡一部会長(兵庫教育大学長)は「玉虫色の表現では現場が混乱する」とし、改めて検討することとしたが、教育目的については「中学英語への導入でもあり、語学を学ぶとの表現が強くなるのではないか」との見通しを示した。
     小学校の英語導入をめぐっては、伊吹文明文科相が「必修化は不要」と難色を示すなど意見が分かれ、英語に慣れ異文化を理解するとの意味合いが強調されている 。


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