甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

新十津川物語 川村たかし その1

2019年05月25日 05時42分27秒 | 古本探しの旅

 全部で十巻もあるうちの、ほんの数十ページしか読んでないのに、記事を書こうとしています。いつもながらムチャしますね。

 でも、この本を取り上げたことを書いておきたいと思うのです。

 もう二十年以上前のヒット作です。NHKのドラマにもなりました。小林綾子ちゃんも出ていたのかなあ、調べないとわからないけど、出てたのではないかな。

 何週間か前に、NHKの「ブラタモリ」で二回にわたって熊野を取り上げてもらいました。熊野というと、当然和歌山県中心になります。最初が那智大社と青岸渡寺、補陀落渡海という那智勝浦町のあたりを回っていました。二回目は熊野本宮大社のあたりで、湯の峰温泉・川湯温泉と本宮が百年以上前まであったところ、大斎原(おおゆのはら)まで行ってました。

 二回も熊野を取り上げたのに、タモリさんは花粉症でオッカナビックリで歩いておられました。それはもう、花粉症の人には厳しい杉だらけの地域で、落ち着かなかったみたいでした。そして、二回とも、人々と自然の不思議な暮らしで終わっていました。

 一回目は、補陀落渡海(ふだらくとかい)、どうしてそんなことをやるようになったのか、あまりに恐ろしい風習で、外に出られない船に入れられたお坊さんは、辛かったでしょう。海の藻屑(もくず)になるために黒潮に漕ぎ出すのですから。

 二回目の終わりは、明治の大洪水で、熊野本宮大社が今の場所に移転したというところで終わっていました。

 私は、そこから、久しぶりに十津川村のことを思い出したのでした。

 以前、クルマの免許を取って半年くらいして、家族で十津川経由で大阪をめざそうとしたことがあったのです。海側のルートを走るよりも距離が短いだろうと考えて突入したのです。

 ところが、十津川はずっと道沿いが壁状態で、ほんの一瞬だけ、日本一のつり橋という谷瀬のつり橋のところで開けはするんですが、あとはずっと切り立った壁沿いに走らねばならなくて、うちの奥さんは気分が悪くなり、引き返したことがありました。

 そんな壁に挟まれた土地が延々と続いている。ホッとするところが一切ないのです。とてもしんどい、運転しづらい広大な村でした。

 その十津川村から、北海道に渡らねばならない時があったのです。それが明治22年の大洪水のせいで、その時に本宮大社も流されてしまったのです。

 明治22年の次の年、明治23年といえば、森鴎外の「舞姫」が出た年で、浪漫主義が生まれる大事な年ではなかったですか。

 教科書ではそんなつまらないことは教えています。でも、明治22年の大洪水なんて、絶対に教えないのです。私の持っている「日本史年表」(河出書房新社)にも記述はありません。西暦でいうと1889年で、「新十津川物語」は移住百年を記念した1989年ころに作られたのでしょう。

 「舞姫」と大洪水、全然関係はないけど、私の中ではセットなのです。

 鴎外さんがドイツでもがきながら、個人的な失敗を格調高く書いているかと思えば、同じ時期にふるさとを追われて、北海道に移り住んだ人たちがいた。同じ国で行われていた人々の動きなんだよなと思うのです。

 書き写したいところはすでにいくつか見つかりましたので、夜にでも打ち込みます。まあ、今日は仕事だから、夜はへばっているかもしれません。とにかく本読みは続けるでしょう。「おくのほそ道」もたどりたいし、早く栃木県を出たいのだけれど、なかなか出られないですけど、また、書いてみます。



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