甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

夜汽車と石川さゆり 1977

2022年10月16日 17時23分09秒 | 1970ばんぱくkids

 金曜日の夕刊のトップ記事として「開業150年 石川さゆりさんが語る鉄道愛」(10/14 アサヒ)というのがありました。

 彼女は1977年を通して、「津軽海峡冬景色」を歌いつづけ、もう少しでレコード大賞に手が届くか、というところまで行ったはずでした。けれども、沢田研二の「勝手にしやがれ」に持っていかれてしまいました。それは残念なことでした。でも、一つの作品の同時性と歴史性みたいなのを感じさせてくれます。レコード大賞という業界の評価は、何もかも見通すものではないし、一過性の評価で、その年限定で、評価者たちはいろんな基準をもとに選んだはずです。気分的には公正だし、その年(時間・瞬間・時代)を表していました。ジュリーが取るべきものだったんでしょう。

 でも、大賞(グランプリ)を取れなくても、歴史に残っていく作品というのはどこの世界でもあるし、日本の歌謡曲の世界にもあったんです。

 1977年の他の候補には岩崎宏美ちゃんの「思秋期」もあったそうですが、今振り返ってみると、「津軽海峡」の重さ・強さと比べものにはなりませんでした。宏美ちゃんの「思秋期」もいい作品ではあったけれど、青春がテーマですから、若い時限定の歌でもあったのかもしれない。二人とも同級生だけど、二人ともレコード大賞のグランプリには縁がなかったようです。

 1982年の「聖母(マドンナ)たちのララバイ」も、宏美ちゃんの代表作なんですけど、候補にもなれなかったみたい。それから40年、日本は歌謡曲の世界というのをそぎ落として、なんだかわからない、分断された音楽世界になりました。だから、年末の紅白歌合戦も、ヒット曲というものはなくて、NHKでポイントを上げた人たちが、大晦日に新曲・旧曲なんでもいいから、とりあえず歌うという形になりました。


 さゆりさんは、小五の時に熊本から横浜に家族で引っ越しすることになり、寝台特急「みずほ」に乗ったんだそうです。

 カンカンカンという踏切の音が遠ざかっていくのを聞いたとき、なぜだか「ああ、もう戻れないんだ。私はこれからどんなところへ行くのだろう」と、決意と不安が入り交ったような気持ちになったことをいまでも覚えています。

 そうして八年後にはアイドル路線から演歌路線に切り替えたさゆりちゃんは大ブレークするのでした。


 たしか、高校生の時、現国の担当の先生が私たちに、「今年、一番頑張ったのは石川さゆりだ」というのを教えてくださいました。

 どんなにか、さゆりちゃんが歌い、その歌唱力、情念、影響力、歴史性みたいなのを伝えてくれたことか。

 賛同する同級生もいたんですけど、私は、石川さゆりがいかなる人か、どんな歌をうたっているのか、興味もなかったと思います。そして、すぐに忘れてしまってたはずです。ただ、すごいなあ、そんなに褒められる人がいるし、それがわかる人もいるんだと、そっちが驚きでした。

 1982年の簡易版時刻表を何年か前に古本市で買いましたので、そんなこんなでまたこのネタを引き延ばそうと思います。

 さゆりちゃんが子役の頃とか、デビューのころとか、youtubeがあるので、全部見てみようと思います。どれくらい見つけられるかなあ。そして、根気のない私がちゃんと見られるかどうか。すぐイヤになってしまうのですから、とりあえずデビュー作を探してみます。



 とかなんとか言いながら、なかなか動画って見ないんです。今の世の中、ものすごく動画がもてはやされているし、それがないものって、あまり見てもらえない。動画優先で、見てくれる人を一瞬にしてつかまえなきゃならない時代なのに、私って、ものすごく動画を敬遠してしまいます。それなのに延々とMLBの野球なんかは見てしまう。投げて打ってするだけで、代わり映えしないのに、そんなとで一喜一憂するんですから、変なもんです。

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