大阪は、私の育った町でした。生まれたのはカゴシマだけど、育ったのは大阪です。30まで住んでいました。だから、自分のことを大阪人だと思っていました。
今も心のどこかに大阪人としての自負は持っていますが、大阪そのものがコロコロと変化していくし、大阪は育ててくれたけれど、私をそのまま置いておいてはくれなかったので、単純な大阪愛ではなくなって、少し屈折した感じでふるさと大阪を見ています。
だから、素直になれない部分があって、新しく万博を誘致しようとか、シャープを再生させようとか、ふたたび大阪都構想を打ち立てようとか、どれもこれも否定的な気分になってしまいます。
もちろんこんな私ですから、若い人には人気のUSJも、全く興味が持てず、全くおもしろくないと思いました。それもずいぶん昔のことだから、今のUSJはおもしろいのかもしれないけど、もう私がトシだから、何もおもしろくないのかもしれない。人工的なアミューズメントはもうコリゴリなのです。
そんなところよりも、古びた駅の方に興味があります。電車はたまたまいなかったけれど、遠くまで走っていく電車ではないけれど、こんな古くさい駅と路線が今も残っているのが奇跡的です。こちらにはすごく興味を引かれます。できたら、電車にも乗りたいです。でも、無意味に乗ってはもったいないし、いつか南海電車のフリーきっぷでも買って、1日乗りまくりたいです。高野山にも行ってみたい。クルマじゃなくて、電車で行きたいなあ。
こちらは、水門のウラです。表は表紙に掲げました。
汐見橋駅から歩いてすぐのところに、道頓堀川が木津川につながるポイントに水門があって、そちらに行きました。そういえば、うちの姪っ子が通う学校も近くにあるはずだと、ついつい歩き始めました。
川を渡って、どんどん大阪の中心部に向かいます。この川には、木材がたくさん置いてあった記憶がありますが、それもつい30年くらい前のことになるのかな、ものすごい昔は昨日のことのように憶えている。つい3日前、昨日のことはまるっきり思い出せない、ああ、なんというジイさんになっているんでしょう、私は!
姪っ子の学校を見つけて、とても立派な校舎が建っているなあと感心し、ここでもうすぐしたら卒業式やるのかな、そうすると、うちの母は、孫の式に参加するのかな、すごいなあ、こういう行事好きだな……、とか思っているうちに、大阪ドーム方面に出てきました。川は深く、流れているのか、沈んでいるのかよくわかりません。とにかく昔の商業・海運の先進地だったのだろうなと思って歩きました。今は、ドームにつめかける女性たちのパワーに参りそうになるけれど、とにかくそういう場所へと変化しつつあります。
私は、わりと実家に近いのに、ドームには近寄っていません。一度だけ入って、あとは全く足を踏み入れていない。うちの姪っ子はドームでもしっかり売店でバイトしたりしたという話だけど、彼女は大阪でしっかり生きているようです。それはそれでいいことなのかな。
1時間ほどフラフラしていたら、最後の方はくたびれて、川のそばの公園を歩く頃にはヘロヘロになっていました。
実家に帰るべく、岩松橋を渡って、バスに乗って、実家へ向かったのでした。
どうして今回白黒で撮ってたんでしょう。昔の自分を引き出したい気分でやってたんだと思われます。でも、ちっとも昔らしい気分は生まれてきません。そりゃもう、白黒写真で十代の頃の自分にもどろうとしても、それは無理な話なのです。
今も心のどこかに大阪人としての自負は持っていますが、大阪そのものがコロコロと変化していくし、大阪は育ててくれたけれど、私をそのまま置いておいてはくれなかったので、単純な大阪愛ではなくなって、少し屈折した感じでふるさと大阪を見ています。
だから、素直になれない部分があって、新しく万博を誘致しようとか、シャープを再生させようとか、ふたたび大阪都構想を打ち立てようとか、どれもこれも否定的な気分になってしまいます。
もちろんこんな私ですから、若い人には人気のUSJも、全く興味が持てず、全くおもしろくないと思いました。それもずいぶん昔のことだから、今のUSJはおもしろいのかもしれないけど、もう私がトシだから、何もおもしろくないのかもしれない。人工的なアミューズメントはもうコリゴリなのです。
そんなところよりも、古びた駅の方に興味があります。電車はたまたまいなかったけれど、遠くまで走っていく電車ではないけれど、こんな古くさい駅と路線が今も残っているのが奇跡的です。こちらにはすごく興味を引かれます。できたら、電車にも乗りたいです。でも、無意味に乗ってはもったいないし、いつか南海電車のフリーきっぷでも買って、1日乗りまくりたいです。高野山にも行ってみたい。クルマじゃなくて、電車で行きたいなあ。
こちらは、水門のウラです。表は表紙に掲げました。
汐見橋駅から歩いてすぐのところに、道頓堀川が木津川につながるポイントに水門があって、そちらに行きました。そういえば、うちの姪っ子が通う学校も近くにあるはずだと、ついつい歩き始めました。
川を渡って、どんどん大阪の中心部に向かいます。この川には、木材がたくさん置いてあった記憶がありますが、それもつい30年くらい前のことになるのかな、ものすごい昔は昨日のことのように憶えている。つい3日前、昨日のことはまるっきり思い出せない、ああ、なんというジイさんになっているんでしょう、私は!
姪っ子の学校を見つけて、とても立派な校舎が建っているなあと感心し、ここでもうすぐしたら卒業式やるのかな、そうすると、うちの母は、孫の式に参加するのかな、すごいなあ、こういう行事好きだな……、とか思っているうちに、大阪ドーム方面に出てきました。川は深く、流れているのか、沈んでいるのかよくわかりません。とにかく昔の商業・海運の先進地だったのだろうなと思って歩きました。今は、ドームにつめかける女性たちのパワーに参りそうになるけれど、とにかくそういう場所へと変化しつつあります。
私は、わりと実家に近いのに、ドームには近寄っていません。一度だけ入って、あとは全く足を踏み入れていない。うちの姪っ子はドームでもしっかり売店でバイトしたりしたという話だけど、彼女は大阪でしっかり生きているようです。それはそれでいいことなのかな。
1時間ほどフラフラしていたら、最後の方はくたびれて、川のそばの公園を歩く頃にはヘロヘロになっていました。
実家に帰るべく、岩松橋を渡って、バスに乗って、実家へ向かったのでした。
どうして今回白黒で撮ってたんでしょう。昔の自分を引き出したい気分でやってたんだと思われます。でも、ちっとも昔らしい気分は生まれてきません。そりゃもう、白黒写真で十代の頃の自分にもどろうとしても、それは無理な話なのです。