勝手な片思いだけど、何度か栃木県の街歩きはしたことがあります。ただチョコチョコと歩くだけだから、誰とも交流できていないけれど、私なりにはつながりは持てたと思っています。
少し薄すぎて、本当につながっているのか、そこは不安定だけど、気持ちの中ではよそとは違う思い入れを持っています。
それはたぶん1980年代につながります。そのころ、大学で宇都宮から来た子と友だちになりました。彼は演劇を志向していて、活動もしていた。私はよくはわからないけれど、とりあえず、こういうのが演劇なのか、東京じゃ、もっと前衛的なのやら、きらびやかなのやら、ゴージャスなものとか、いろいろあるはずだけど、とにかく目の前で役者さんが、私たちと同じ空気を吸いながらお芝居をしている、そういう空間を味わわせてもらいました。
私に、演劇という窓を開いてくれたのが、宇都宮の人です。おもしろい人で、彼が宴会にいてくれたら、いろいろと提案してくれて、みんなを乗せてくれました。うまくみんなを扇動する力を持っていました。そりゃ、演劇をめざしていましたからね。それで、今もたぶんやってるんだと思います。
本当なら、彼の今の活動とか、教えてもらわなきゃいけないくらいです。会いに行かないといけないくらいです。
というわけで、彼の向こうに栃木県が見えるようになりました。地元の人たちも彼みたいなしゃべりをするんだろうなと、今でも栃木県の出身のタレントさんたちがテレビなんかで、地元のことばを使っているみたいのを聞くと、彼と重なって見えることがあります。
80年代の初めころ、念願の吉川英治の「私本太平記」を読みました。楠木正成さんも魅力的でしたが、圧倒的に足利尊氏さんの存在感に惹かれ、新田義貞さんの人望のなさにあきれ、足利びいきになりました。
それで、80年代の半ば、足利市を訪ね、また別の機会に、蔵のある町・栃木市を訪ね、当時の彼女(今の奥さん)と日光にも遊びに行き、今はオッチャンだから、益子にも興味があり、2年前にはギョーザの町・宇都宮でぜひギョーザを食べようと一泊したり、あれやこれやで縁のない栃木県につながろうとしていました。
そして、2年前、宇都宮から鹿沼市に行きました。
18キップだからJRで鹿沼に降りました。
町の中心は、JRではなくて、東武線の方にあるようでした。西の方へ20分くらい歩けば着きそうだから、まっすぐな坂道をとことこ歩き、大きな川を渡り、やっと中心部に着いたら、芭蕉さんが泊まったところ、芭蕉さんの句碑、芭蕉さんの像など、いろんな芭蕉さんつながりの名所がありました。
知らない町を歩いてみて、芭蕉さんを再発見した。ここは東北道やら、昔の街道やら、今も昔も南北につながる道がある土地でした。
けれども、芭蕉さんは、止まったくせに記述はスルーしていて、お供の曽良さんだけがしっかりメモをとっていたということになっています。
確かに、みちのくにたどりつくまでの道のりに、あれこれ記述していたら、エネルギーがなくなってくるのだと思われます。
旅はすでに終わっていて、書きたいところまでの細々としたことに力を使うと、肝心なところでパワーが出ないし、読むほうもダラダラ読まされていると、飽きてくるのだと思われます。
だから、改めて言うまでもないことですが、芭蕉さんは、「おくのほそ道」は一点豪華主義で、途中はバサリとカットしてしまう。鹿沼でも、滞在はした。でも、何もなかったから、書かない。
うちの奥さんのふるさとの一関市にも二泊したという話ですが、ここも書かない。
文学のネタのあるところだけを書くわけです。
ということは、私なんか失格で、あちらこちらでつまらない記述を繰り返している。
今日だって、二年前の鹿沼市のことを書こうとしている。
私自身は何もなかったのです。でも、こんな遠くの町で、川上澄生という版画家が生まれていたり、芭蕉さんが一泊だけしたと聞いたり、そんなことを大事にしている街そのものが、いとおしいなあと思い出されて、ふと無駄話を書きました。
川上澄生さんも、各地の美術館、いろんな書物、ネットとかで何度も見ていて、わざわざ訪れた川上澄生美術館も、収蔵品はたくさんあるはずだけど、すべてが見られるわけではなくて、せっかく来たのに、あまり目新しいものはないなあという感じだったのを覚えています。
ただそこにわざわざ来たのだ、というのを確認したかったから、来たのかもしれない。
結局、つながりは感じているけど、何もできていない自分を反省するというだけです。
ああ、何も見つけられていない。でも、何だか懐かしいし、今度は自分のクルマで行ってみたい。
それは、どうしてなんだろう。何か気になることがあるはずです。それが何なのか?
芭蕉さんも1つの理由です。川上澄生さんも1つの理由です。日光街道をもう少し見てみたいというのもあります。他には、栃木の人とお近づきになりたいというところかな。そんなことできるんだろうか。