日日の幻燈

歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと

【note】「Mr.ホームズ 名探偵最後の事件」、観てきました

2016-03-20 | 日日の幻燈



「Mr.ホームズ 名探偵最後の事件」、観てきました。
引退して田舎で暮らす、90歳を超えたシャーロック・ホームズ。彼が、引退するきっかけとなった最後の事件の記憶をたどっていく…といった内容。

ホームズの原作、確か文庫で2冊程度しか読んでいないのですが、映画やドラマに出てくる様々なホームズ、微妙に(時にはかなり)自分のイメージと違っているんです。
それにしても90歳を超えたホームズっていうのは、想像したこともなかったです。

推理と同時に描かれる、老いの悲しみ、養蜂を手伝う少年との交流、美しきイギリスの田園風景。こちらのほうが、個人的には印象に残りました。
日本への旅も描かれていますが、この日本…これまたちょっと微妙。

原作が存在するようですが、未読なので比較できないのは、良いのか悪いのか…。




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【music】「満州の丘に立ちて」

2016-03-16 | jukebox



国立ロシア合唱団による「ロシア合唱曲集・道/果てもなき荒野原」というCDが手元にあります。
ロシアの歌(ロシア民謡という言い方で括ってしまいがちですが…)というと、イメージとしては冬。だからこのCDも冬になると大活躍です。そして、春の訪れとともに、次の出番に備えて眠りにつくのです。
そのCDに収録されている「満州の丘に立ちて」という曲。
ロシアっぽい、哀愁たっぷりの雰囲気で好きなのですが、もともとは、日露戦争で倒れたロシア兵士たちのためのレクイエムとして、吹奏楽用に作られたそうです。
その後、歌詞がつけられ、今のような歌になったとのこと。

戦後、日本でも歌われるようになり、ピーナッツや加藤登紀子さんもカバーしています(加藤さんのは、まだ聴いたことがないのですが)。
動画はロシアのハバロフスクでの合唱。


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【note】「自由席券」の新解釈(?)

2016-03-15 | 日日の幻燈



出張で石川県小松市に行ってきました。
小松駅前には義経と弁慶の勧進帳。安宅関は、ここからそれほど遠くなかったはず。ずいぶん昔に訪れましたが、また、行ってみたいものです。あの頃は、海岸に神社と勧進帳の像があっただけ…という記憶ですが、今はどうなのかな?


それはそうと。
北陸新幹線で金沢まで行って、そこから在来線に乗り換えたのですが、その新幹線での一場面。
自分の後ろの席(指定席)に、20歳くらいの女の子が座っていて、後から来た人が、
「あの、そこ私の席ですよ?座る場所、間違っていませんか?」
女の子
「あ、すみません、私、自由席券で乗ったので…」
そういって、女の子は移動していきましたが、この新幹線(かがやき)は全席指定で、自由席なし。
なんか、女の子の会話、かみ合わないなぁ…って、思っていたのです。後から来た人も「全席指定なのに、自由席券で乗ったの?なんで?」…って連れと話していました。

でも突然、
おっ、そうか!
と気づいた、というかひらめいたのでした。

女の子、自由席券とは
「空いていれば、自由に好きな席に座っていい券」
と思っているのでは?
そう考えると、さっきの会話もつながってくるわけで。

そうか、そういう解釈もあるかもしれない。
なんとなく納得してしまいそうな私なのでした。
ま、単に飛び乗ったら全席指定だったのかもしれませんけどね。

ちなみに女の子、違う席に座っていましたが、最後まで自由席券で乗り通したのか、車掌に指定券のお金を払ったかどうかは、知る由もないのでした。


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【三成本】「近江が生んだ知将 石田三成」

2016-03-13 | 三成に寄す



「近江が生んだ知将 石田三成」
太田浩司著 サンライズ出版 2009年
(目次より)
・はじめに
・三成の誕生と出仕
・秀吉の家臣として
・天下人秀吉と三成
・佐和山城主 石田三成
・西軍の関ヶ原
・おわりに
・石田三成年表
・古文書釈文集

先日の「三成出陣式」で購入。滋賀県の出版社の書籍なので、読んでみたいなぁ~と前からチェックはしていましたが、なかなか購入する機会がなかったので、ラッキーでした。ま、今のご時世、ネットで買えばいいんですけどね。

検地・刀狩など、秀吉政権の中枢として天下統一に貢献した政策や、掟書きにみる領内統治の施策など、忠義の人として描かれる三成よりも、構造改革者としての三成を前面に出した内容になっています。
また、佐和山城の城下町の考察も興味深かったです。
まだ見ぬ聖地・佐和山。
行ってみたい!
昔、黄金の国ジパングに憧れたヨーロッパ人の心境がわかる気がします。

千利休切腹や豊臣秀次失脚などの事件についての言及はなし。ちょっと残念。
著者の太田さんは、長浜城歴史博物館の館長さんとのこと。この事件についての三成は、利休や秀次の御膝元の関西や滋賀県ではどういう扱いになっているのか、地元目線での見方を知りたかったところです。
あ、歴史を見る目に地元もなにも関係なし…でしょうかね。

そんなわけで、私の乏しい三成本コレクションに新たに加わった1冊でした。


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【note】一般国道八王子道路元標

2016-03-12 | 新参者の八王子探検

【八王子道路元標】


八王子の道路元標(どうろげんぴょう)が八日町交差点の歩道にあります。

----【道路元標説明文】----

道路元標は、大正8年制定の旧道路法において、各市町村に一個設置するとされた石標で、道路の起終点・経過地点として利用されました。八王子市では大正9年に当時の「八幡町三番ノ一」に定められていました。
近年では、道路元標の設置位置を定めた法令などはありませんが、一般国道16・20号の「八王子」を示す距離の起点として、ここに「一般国道八王子道路元標」を設置します。
本来の八王子の起点は、八日町交差点の中央部にあり、この道路元標の中心から北西におよそ19メートルの位置となります。この位置は、「一般国道16号では起点の横浜市桜木町より40km」、「一般国道20号では起点の中央区日本橋より45km」となっています。
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前から通りかかるたびに気になっていたこのモニュメント、そういうことだったそうです。なんか、ひっそりと設置されていて、道行く人は誰も気にも留めない感じ。ここにあることすら知らない人も多いと思われます。
設置されたのは、たぶん、2001年。碑の下部の右側には「甲州夢街道宣言」の宣言文。左側は半分欠けていて、設置した本人たち(甲州夢街道2001実行委員会)も、すでに放置プレイなのかな?
この実行委員会なるものが、今も存在しているとは思えないので、ならば八王子市、なんとかしてあげたら…と思う。
きっと、これが設置されたときはそれなりに盛り上がったのでしょうね。兵どもが夢の跡…じゃないけれど、ちょっと悲しいモニュメントなのでした。

【八日町交差点】


説明文にもあるように、本来の起点は交差点の中央部にあるそうです。かといって中央部に何かしらあるわけでもなさそうです。

【日本橋の道路元標】


ちなみに道の起点と言えば、今も昔も日本橋。こちら(↑)は日本橋に設置されている道路元標のモニュメント。格が違うといった感じです。

【すべての道は日本橋に通ず】


日本橋もモニュメントは歩道にありますが、本来の位置、車道中央にもちゃんと起点を示すプレートが埋め込まれています。

【道路元標のプレート】


拡大するとこんな感じ。
でも危険なので、車道には絶対に出て行かないでくださいね。





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