日日の幻燈

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【note】内藤新宿を往く(7) かつての仲町から下町、四谷大木戸へ-

2015-06-01 | 旧甲州街道を往く

それでは、宿場の中心・仲町から四谷方面へ歩いていきましょう。

【仲町あたり】

ちょうど太宗寺の門前あたりになります。かつて仲町と呼ばれていて、問屋場や高札場などがあったとされる内藤新宿の中心地的な場所です。
江戸時代には旅籠が軒を連ねていたのですね。そういった意味では、偶然とはいえ、APA HOTELはここにあって正解。さすがに飯盛女はいないでしょうけど…。

【下町あたり】

仲町から四谷方面へ進むと、江戸時代、下町と呼ばれていたあたりへ。今の新宿一丁目。
内藤新宿に住む人たちは、江戸に近い下町に住むことがステータスというか、憧れだったとか。少しでも下町へ近づこうと努力した…って記事をどこかで見かけた気がします。

【下町から四谷大木戸を望む】

そろそろ宿場の四谷側の端に到着します。
向こうに見える信号が四谷四丁目の交差点、江戸時代には四谷の大木戸があった場所です。ここが内藤新宿との境界となります。


【四谷大木戸(江戸名所図会より)】

1616年に設置されたときは木戸があり、夜には閉ざされたそうです。1792年には木戸が撤去され通行は自由になりました。
明暦の立返りで内藤新宿が宿駅として再認可され、繁栄を極めていたころのことですね。四谷あたりも江戸の市域拡大という流れを受けて発展し、ここに木戸を設けておくことに、不便さというか不都合が出てきたのかもしれません。

【四谷大木戸跡の碑】

四谷四丁目の交差点から少しばかり新宿寄りに、四谷大木戸跡の碑が建っています。
この碑、工事で出土した玉川上水の石樋を使っているそうです。贅沢な一品ですね。

【大木戸跡-四谷四丁目交差点】

大木戸があった場所は、今の四谷四丁目の交差点。

【大木戸跡から内藤新宿を望む】

かつての四谷大木戸から内藤新宿を見るとこんな感じ。
江戸時代、遊びに来た人たちが期待に胸を膨らませて望んだ光景…随分変わってしまったけど、この場所でワクワクした思いを抱いたのは間違いないと思う。

さあ、飲むぞ~
さあ、遊ぶぞ~

今も昔も、そんな感じ?


【玉川上水の水番所跡】


この四谷大木戸付近には、玉川上水の水番所がありました。
江戸に飲料水を提供するこの上水は、ここまで地上を流れてきて、ここから先は暗渠になります。地下に埋設し水を通した木樋・石樋を博物館などで見るにつけ、この技術はすごいよな~と、いつも感心してしまいます。
水番所の跡は残っていませんが、代わりともいうべきこの大きな石碑は水道碑記(すいどうのいしぶみのき)。1895年に建てられました。上部の篆刻は徳川家達によるもの。江戸を治めるにあたって重要課題だった飲み水。徳川宗家の家達がこの碑に関わるのは、至極もっともなことですね。

【玉川上水跡】

ちなみに、新宿御苑に沿うような玉川上水の跡は、現在、遊歩道として整備されています。

【東京都水道局新宿営業所】


かつての水番所のそばにあるのは、東京都水道局新宿営業所。
狙ったとしたら大ヒットですよ、東京都。


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