歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと
日日の幻燈




【2】9月9日(土)富岡製糸場



沼田からもと来た道を今度は南下、目指すは世界遺産・富岡製糸場。世界遺産になったときは大いに盛り上がったけど、最近はあんまり話題にものぼらないし、閑古鳥が鳴いているのかぁ~なんて思いきや、予想を上回る人出にビックリ(失礼!)。
実家の周りも養蚕が盛んだった地域で、今でも養蚕農家の家屋が残っています。今住んでいる八王子も桑都(そうと)と呼ばれるほど、絹織物が栄えた場所。お蚕様にこれほど縁がある自分としては、やはり富岡製糸場に行かねばなるまい。いや、富岡が俺を呼んでるぜぃ…といったところか?


【富岡製糸場1・正面入口】


富岡製糸場は、明治政府の殖産興業政策の一環として1872(明治5)年に操業を開始しました。フランスから技術者を招き、全国から技術習得のため工女を募集しました。彼女たちは、その後、各地に設立された製糸工場で活躍したといいます。
当初は官営でしたが、後には民営となり、1987(昭和62)年まで操業を続けました。
2014(平成26)年、世界遺産に登録されました。

【富岡製糸場2・東置繭所】


入場料は1000円。高いかどうかは、どれだけここに興味があるかによるでしょうか。まぁ、世界遺産価格と言われたらそれまでですけどね。

【富岡製糸場3・お富ちゃん】


敷地内はかなり広いので、じっくり見学するとかなり時間を要します。
暑い中、ガイドによる案内ツアーが盛況でした。私たちの世代は、なぜか日本史の授業で近代史は雑な扱いを受けていました。教科書のページはほとんどすっ飛ばし。ガイドさんの説明をじっくり聞けば、養蚕と近代史、両方の知識を一挙両得!だったのでしょうが、時間の都合もあり断念。
ちなみにゆるキャラ(?)のお富ちゃん、永遠の14歳(ん?15歳だったかな?)で悩みはただ一つ、3頭身ってことなんだとか。

【富岡製糸場4・東置繭所の2階】


乾燥させた眉を貯蔵していた場所だそうです。西置繭所(現在は保存修理中のようです)と合わせると、かなりのスペースです。今のがら~んとした感じからはちょっと想像できませんが、ここに大量の繭が保管されていた光景は、それはそれは壮観だったのでしょうね。政府のお役人も大いに満足したことかと。

【富岡製糸場5・繰糸所】


繭から生糸をとる作業が行われていた場所。古い写真でよく見るように、工女がずら~っと並んで黙々と作業を続けていたのでしょうね。

【富岡製糸場6・オリジナル缶バッジ】


敷地内の4か所でスタンプを集めると、オリジナルの「方言缶バッジ」がもらえます。何種類か用意されているようですが、私のは「とくせぇ」。
英語で「a lot of」とあるので、たくさんという意味ですな。


そんなわけで、まだまだ賑わっていた富岡製糸場。ここを舞台にした映画も公開されるそうで、関連イベントも行われていました。糸を紡ぐ実演も人だかりでした。
世界遺産になって終わりではなく、それをどう生かしていくのかが大切なのだと思います。地元のボランティアの士気も高く、まだまだ上り調子の富岡製糸場なのでした。


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