教科書採択を考える会ブログ

愛媛県松山市内の中学の歴史教科書が「育鵬社」版に変わるのを機に発足した会です。教科書比較の学習会も行っています。

Nさんより学習会報告

2016-05-11 14:13:28 | 事務局日記
4月12日の第5回学習会でチューターをしてくださったNさんから学習会報告が届きましたので、ご紹介します。


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<近代産業発展の意味するもの>

 学習会の結果報告というよりは、進行した学習の反省、こうありたかったを交えた報告です。

テーマから外れた長話の再来と批判をいただくかもしれませんが…。


資本主義という経済システムが字義どおり経済の自然的発生過程として現れたのはイギリスで、

ゆえにイギリスの近代経済史は、マルクスなどが提唱する資本主義経済の言論と扱われます。

イギリスを典型とし、それ以後、相次いで近代産業を取り入れ発展させた国々の経済を、イギリスと比較考証することで、

その国の近代史の特殊性と一般性が明らかになり、その歴史認識が鮮明になるというわけです。


 イギリスは産業技術の発展とともに近代産業が発達し、世界の工場として農村人口を吸収し近代都市が生まれ大都市化する。

それが都市住民の地獄化につながったのは、土地の持ち主層が羊の飼育が利益につながるため。農民を農村から追っ払ったというイギリス史の特殊性ゆえ。


 これに比し日本は、近代化をイギリス化・西欧化だと思い込んだ明治のリーダーが、犠牲を恐れず、遮二無二資本主義化を進めたので、

近代産業部分は、婦女子がまかなう繊維工業か、炭鉱・鉱山くらいで、その労働市場もごくわずかだったので、人口の大半は農村に留まることになった。



 そんな農民におしつけられた極めて重く、かつ勝手知らない金納の地租は過酷で、

農民が地租を払えず土地を手放して、しかしほかに行き先もないので、かつての自分の土地を重い年貢の支払いを約束して借り受けて耕作し、

家族総出で必死に働いても、極貧で絶糧農民さえ珍しくない、これが昭和の前半までの日本の農村でした。


 こうした地主制下の極貧の農村からは、最低賃金や賃金は無く食事だけで働く農村出の子女や次三男が、工場・鉱山そして軍隊(兵士)を無尽蔵に供給したのです。


 しかし、そんな条件下の日本は、安価な工業製品は作れても、

人口の大半が農村住民か、低賃金の都市住民では、工業製品を買う力がないという矛盾を、明治の初めから抱えていたのです。

その対策は輸出で、その安定した市場の確保のための海外への植民地的進出で、活路を得ていたのです。


 文科省が望む歴史の教科書(育鵬社)は、こうした農民の貧困が、日本の軍国主義をもたらしたことを無視し、

この間の経済状態をまるでめでたい財閥の形成・発展史のように描かせようとしていますが、

こんな教科書でいくら勉強しても、子どもの財産にはならないと思われます。

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