峡中禅窟

犀角洞の徒然
哲学、宗教、芸術...

『空壇ノ茶事』に寄せて...

2019-07-22 18:03:32 | アート

『空壇ノ茶事』に寄せて...

 

「空壇」...聞き慣れない言葉ですが、始めに、こちらを...

 

「空壇」は、現代アートチーム目[mé]と新潟三条仏壇伝統工芸士のコラボレーションによって、「暮らしの中で向き合う祈りの空間」として考えられたといいます。

 

「暮らしの中で向き合う祈りの空間」といえば、一世代二世代上の人たちにとっては「仏壇」が置かれ、床の間がある「仏間」であったはずです。
現代人の住む家屋から畳が消え、床の間が消え、「仏間」という言葉どころか応接間、居間、そしてお茶の間という言葉が死語となり、リビング、ダイニングに取って代わった今日、わたしたち一人一人の毎日の営みと家族の絆、そして家族の絆を通じて過去や未来に繋がる「家」という日本の精神文化は、ますます希薄になり、特に都市における生活の中ではその痕跡すら探し当てることが困難になっています。

 
「家」といえば古風で窮屈な旧時代の遺物...
 
そんな認識があたりまえになったとき、しがらみや旧弊から解放されると同時に、わたしたちのこころには何が起きたのか...そして何が起こりつつあるのか...
 
便利さ、自由さのような、プラスの要素は目に見えやすい。しかし、それと引き換えに失われてしまったもの、失われつつあるものは、いったい何なのか...
 
物事には、二つの面がある、といわれます。光りがあれば影があり、光りが明るく輝けば輝くほど、影はそれだけ暗くなる。
窮屈で古風なしがらみ、煩わしい旧弊...
これは裏を返してみれば、長い年月にわたって続いた、強く深く密接な繋がりを意味しています。
便利で自由...
これは、それだけ関係が希薄で、繋がりが失われていくことでもあるのです。

 

「家」というものが解体され、家族の絆が希薄になり、床の間が消え、仏間が消え、仏壇がなくなり、墓地がなくなって行くとともに、今の自分を生み、育て、支え、護ってくれているもの...家族と家というものが失われ、ご先祖様、としてかつては感謝と尊敬の対象となっていた人間の絆というものが失われていきます。
 
「家」というのは、自分が生まれる以前から連綿と続き、自分がこの世を去った後であっても脈々と受け継がれて行くであろう人と人との繋がり...血と縁によって幾重にも重なり合い、縒り合わされ、織り込まれた歴史を、今の自分自身に見える形で示してくれるものです。
名前でしか知ることのない遠いご先祖、微かな記憶とともに自分と結びつくご先祖、身近に知っていた祖父祖母...

遠くうっすらした御縁も、近く強力な御縁も、いつかは自分がその中に縒り合わされ、編み込まれていく「御先祖様」という「家」のネットワークなのです。その中にいる限り、人は家族によって生きているうちも、死んだ後においても、その人生の意味を支えられ、すくい上げられることができる。
 
科学が飛躍的に発展して、かつては尊崇の対象として、わたしたちに人生の指針を与え、社会的な営みの意味の源泉として機能していた「神仏」というものの意味が失われてしまった今日、わたしたちはいったいどのようにしてかつて「神仏」という存在が支えてくれていたような領域と繋がることができるのでしょうか...
 
どれほど科学が進歩しても、われわれの生命は儚く脆い...


たとえば生命の危機とともにわたしたちは、死という未知の領域に曝されることになります。
そして生死の問題に限らず、自分たちの能力を超え、自らの力では解決することができないような問題にぶつかる時、わたしたち人間には祈ることしか残されていません。 
 
祈っていたって何の解決にもならないじゃないか...
 
そんな言葉が頭をよぎります。しかし、どんなに努力しても現実が打開できない時...現実的な解決がどう考えても不可能な時...祈りとはまさしくそういう時にこそなされる行為なのです。

 
祈りというものの強さとは、解決不能な困窮のただ中にあって、この困窮に対して解決とは違う次元において向き合い、受け容れ、超えていくところにあります。現実そのものを変えることができなくとも、そうした現実にどう向き合い、どう受け容れ、そのように生きる自分自身の存在と現実とをどう意味づけるか...これはわたしたち一人一人の心の問題です。


現実という領域においては無力な祈りは、祈りを通して現実に向き合う自分自身と現実そのものの意味付けを根本から変えることができるのです。
現実を変革する科学の威力に目を奪われたわたしたちは、生きていく上で何事かのことをなすためには、ただ現実を変える以外には手段はない、と思い込んでしまってはいないか...


人間の生命が儚く脆いものである限り、ただ祈る、ということでしか応えることのできない問題があるということを忘れてしまってはいないか...
 


*******


さて「空壇」は、「暮らしの中で向き合う祈りの空間」として考えられたといいます。
かつての仏間が、仏壇が失われ、祈りの場所が日常的な生活の中に無くなってしまった今日、ささやかであっても静かに自分自身と向き合い、祈りを捧げる場を取り戻そうとする試みとして、とても大切な問題を提起していると思います。
 
「空壇」は「仏」ではなく「空」をお祀りする場です。
 
「空」は、大乗仏教の根本概念です。
「空」はインドで発見された数学の0のように、それ自身は何ものでもありません。
それ自身は何でもないことによって、すべての始まりとなり、すべてを受け容れ、すべてを生み出し、すべてを生かし、すべてを自由に働かせる場所です。
それでは、そんな素晴らしいものとは、いったいどのようなものなのか...
そんな風に注視するならば、空は見つけることができません。空は、何ものでもないものなのだから。
 
わたしたちが毎日出会っているあらゆる物事のように、計算し、設計し、操作し、管理することができるような領域にばかり目を向けている限り、わたしたちは「空」に出会うことはできません。
敢えて言うならば、計算し、設計し、操作し、管理する営みが限界に突き当たり、万策尽きたとき、初めて出会うことができるような領域...それが空です。
時間という軸で見るならば、生まれる前の自分...この世の生を終えた後の自分...
空間という軸で見るならば、果てしなく高い天空、果てしなく広く遠い宇宙の彼方...どれほど科学が進歩しても、その全容を知ることなど到底できない天地自然の営み...
そうしたものに思いを馳せるとき、わたしたちは「空」の身近にいる...そう言って良いでしょう。
 
だから、「空壇」にわたしたちの祈りを向けるとき、そこになにを思い浮かべても良い...
かつての仏壇のように、自分に縁のあった誰かの懐かしい姿でも、人間の思い描く理想の姿を形象化した清らかで尊い御仏の姿でも、時に過酷で、時に恵みに満ちた雄大な天地自然でも、何でも良い。
何か特別なことを思い描かなくとも、何か特別な儀式を行わなくとも、ただ祈れば良い。
ささやかな日常の中で、こころを鎮め、手を合わせて祈る。
自分が今生かされていることに感謝して、ただ、手を合わせて感謝の祈りを捧げる。
「暮らしの中で向き合う祈りの空間」としての「空壇」は、かつては伝統や文化という形で確固として存在していた祈りの姿が失われてしまった現代において、ささやかな祈りの場を取り戻す...そうした祈りに相応しい。
 


*****
 


この度、かねてから「恵林寺親子お茶教室』の指導をお願いしています茶道表千家の前嶋宗州君が、『空壇どこ置く?』というプロジェクトに応募し、森美術館において開催された『六本木クロッシング2019展:つないでみる』に展示された「空壇」の無料貸出の対象者に選出されました。

空壇の無料貸出の対象者は、3名。


貸出予定期間は、
 
   第1期:2019年7月〜8月
   第2期:2019年9月〜10月
   第3期:2019年11月〜12月
 
の6ヶ月で、前嶋君の担当は、第1期。

 


 
茶人である前嶋宗州君は、利休の茶の湯の精神に忠実に、茶の湯の席で空壇と向き合うと聞いています。

わたしは、この話を聞いたときに、やはりすぐに『南方録』の一節を思い浮かべました。


 


水を運び、薪をとり、湯を沸かし、茶を点てて、仏に備え、人にも施し、我も飲み、花をたて、香を焚き、皆々、仏祖の行の跡を学ぶのである...
 


今は「偽書」であるとされているテキストではありますが、このくだりは長い年月にわたって大林宗套、笑嶺宗訢、古渓宗陳と名だたる禅将に参じ、深く禅に通じていた利休居士に相応しい。
「空壇」をお茶の席に持ち込むということは、伝統的な「型」というものの本来の意味が失われ、形骸化してしまっているなかに、現代の日本に生きる前嶋君が、活きた茶の湯を取り戻す試みだとわたしは理解しています。
彼がいったいどのように利休の精神を我が物として、現代に生かした茶の湯を行じるのか、今からとても楽しみにしています。
 
そしてまた、前嶋宗州君とは因縁浅からざる立場にあるわたしも、禅僧として協力できることはないかと思っていたところ、前嶋君自身から、「乾徳山で空壇を使ったお茶会を開きたい...」、
と相談を受け、その大胆なアイデアに驚き感心するとともに深く頷くところがありました。
 


かつて日本でも「仏名会」という儀式が盛んに行われたことがありました。
陰暦12月15日から3日間、内裏の清涼殿を始め宮中や諸国の寺院で『三劫三千諸仏名経(仏名経:過去荘厳劫千仏名経、現在賢劫千仏名経、未来星宿劫千仏名経各1巻)』を読誦することによって三世諸仏の名号を唱え、その年の罪障を懺悔(さんげ)し、国家の安寧、皇室の息災などを祈願した法会です。古く『正倉院文書』にも記録が残されていて、奈良時代に始まり、室町期まで続いたとされています。
 
この行事は日本では「お仏名」あるいは「仏名懺悔」と呼ばれ、もっぱら罪障消滅の懺悔の儀式として執り行われたものですが、読誦されるお経の内容は、過去・現在・未来の三世、東西南北四維上下、計十方の国にいます三千ないし十万の仏の名を唱え礼拝するというもので、莫高窟やキジル石窟、ベゼクリク千仏洞などにに描かれている千体仏を思い浮かべるならば、むしろ古今東西を絶して天地山河、あらゆるところにおわします、ありとしあるすべての仏にこころからの感謝と敬意をもって礼拝する...今ここにこうして生かされてある己が身をふり返り、時間・空間を超えて連綿と続く豊かな天地の恵みに稽首礼拝する、感謝の儀式だと考える方がより相応しいように思われます。
 
ならば、かつて恵林寺の開山である夢窓疎石がその若い頃に登拝し、山中に一夏の班を結んで過酷な行に励んだ乾徳山の山頂直下に今も残される「坐禅窟」に、われわれもまた空壇を伴って登拝し、正面に富嶽をいただくその坐禅窟に安置される国師の座像に一碗の茶を捧げ、天地自然にこころからの感謝の祈りを捧げようではないか...
 
空壇を伴っての乾徳山登拝は、


    8月10日「山の日」を期して執り行われます。


国師ゆかりの乾徳山中の湧水である金晶水を汲み、まず初めに、乾徳山頂直下にある夢窓国師坐禅窟の国師像に、そして乾徳山頂の御社にそれぞれ一碗の茶を捧げ、二五六文字の中に空の世界を体現する『般若心経』を読誦する。
そして乾徳山中の扇平、月見岩の前で、富嶽を正面に仰ぎながらささやかなお茶会を開催する。
 
先に、大乗仏教の空は、「それ自身は何でもないことによって、すべての始まりとなり、すべてを受け容れ、すべてを生み出し、すべてを生かし、すべてを自由に働かせる場所」だと言いました。空は聖も俗も、すべてを包み込み、すべてをそこから生み出す場所です。
既に見た『南方録』に、
   仏に備え、人にも施し、我も飲み、花をたて、香を焚き、皆々、仏祖の行の跡を学ぶのである...
あるように、既に利休の茶の湯は仏作仏行を根本として、聖と俗とが切り結ぶ場所という性格を帯びています。
だから、そこから更に一歩を進めて、古くは修験の伝統を背景に持ち、若き日の夢窓国師の修行の聖地である乾徳山において茶の湯を行ずることは、いのりの場に相応しいように思うのです。


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