峡中禅窟

犀角洞の徒然
哲学、宗教、芸術...

『空壇ノ茶事』に寄せて...

2019-07-22 18:03:32 | アート

『空壇ノ茶事』に寄せて...

 

「空壇」...聞き慣れない言葉ですが、始めに、こちらを...

 

「空壇」は、現代アートチーム目[mé]と新潟三条仏壇伝統工芸士のコラボレーションによって、「暮らしの中で向き合う祈りの空間」として考えられたといいます。

 

「暮らしの中で向き合う祈りの空間」といえば、一世代二世代上の人たちにとっては「仏壇」が置かれ、床の間がある「仏間」であったはずです。
現代人の住む家屋から畳が消え、床の間が消え、「仏間」という言葉どころか応接間、居間、そしてお茶の間という言葉が死語となり、リビング、ダイニングに取って代わった今日、わたしたち一人一人の毎日の営みと家族の絆、そして家族の絆を通じて過去や未来に繋がる「家」という日本の精神文化は、ますます希薄になり、特に都市における生活の中ではその痕跡すら探し当てることが困難になっています。

 
「家」といえば古風で窮屈な旧時代の遺物...
 
そんな認識があたりまえになったとき、しがらみや旧弊から解放されると同時に、わたしたちのこころには何が起きたのか...そして何が起こりつつあるのか...
 
便利さ、自由さのような、プラスの要素は目に見えやすい。しかし、それと引き換えに失われてしまったもの、失われつつあるものは、いったい何なのか...
 
物事には、二つの面がある、といわれます。光りがあれば影があり、光りが明るく輝けば輝くほど、影はそれだけ暗くなる。
窮屈で古風なしがらみ、煩わしい旧弊...
これは裏を返してみれば、長い年月にわたって続いた、強く深く密接な繋がりを意味しています。
便利で自由...
これは、それだけ関係が希薄で、繋がりが失われていくことでもあるのです。

 

「家」というものが解体され、家族の絆が希薄になり、床の間が消え、仏間が消え、仏壇がなくなり、墓地がなくなって行くとともに、今の自分を生み、育て、支え、護ってくれているもの...家族と家というものが失われ、ご先祖様、としてかつては感謝と尊敬の対象となっていた人間の絆というものが失われていきます。
 
「家」というのは、自分が生まれる以前から連綿と続き、自分がこの世を去った後であっても脈々と受け継がれて行くであろう人と人との繋がり...血と縁によって幾重にも重なり合い、縒り合わされ、織り込まれた歴史を、今の自分自身に見える形で示してくれるものです。
名前でしか知ることのない遠いご先祖、微かな記憶とともに自分と結びつくご先祖、身近に知っていた祖父祖母...

遠くうっすらした御縁も、近く強力な御縁も、いつかは自分がその中に縒り合わされ、編み込まれていく「御先祖様」という「家」のネットワークなのです。その中にいる限り、人は家族によって生きているうちも、死んだ後においても、その人生の意味を支えられ、すくい上げられることができる。
 
科学が飛躍的に発展して、かつては尊崇の対象として、わたしたちに人生の指針を与え、社会的な営みの意味の源泉として機能していた「神仏」というものの意味が失われてしまった今日、わたしたちはいったいどのようにしてかつて「神仏」という存在が支えてくれていたような領域と繋がることができるのでしょうか...
 
どれほど科学が進歩しても、われわれの生命は儚く脆い...


たとえば生命の危機とともにわたしたちは、死という未知の領域に曝されることになります。
そして生死の問題に限らず、自分たちの能力を超え、自らの力では解決することができないような問題にぶつかる時、わたしたち人間には祈ることしか残されていません。 
 
祈っていたって何の解決にもならないじゃないか...
 
そんな言葉が頭をよぎります。しかし、どんなに努力しても現実が打開できない時...現実的な解決がどう考えても不可能な時...祈りとはまさしくそういう時にこそなされる行為なのです。

 
祈りというものの強さとは、解決不能な困窮のただ中にあって、この困窮に対して解決とは違う次元において向き合い、受け容れ、超えていくところにあります。現実そのものを変えることができなくとも、そうした現実にどう向き合い、どう受け容れ、そのように生きる自分自身の存在と現実とをどう意味づけるか...これはわたしたち一人一人の心の問題です。


現実という領域においては無力な祈りは、祈りを通して現実に向き合う自分自身と現実そのものの意味付けを根本から変えることができるのです。
現実を変革する科学の威力に目を奪われたわたしたちは、生きていく上で何事かのことをなすためには、ただ現実を変える以外には手段はない、と思い込んでしまってはいないか...


人間の生命が儚く脆いものである限り、ただ祈る、ということでしか応えることのできない問題があるということを忘れてしまってはいないか...
 


*******


さて「空壇」は、「暮らしの中で向き合う祈りの空間」として考えられたといいます。
かつての仏間が、仏壇が失われ、祈りの場所が日常的な生活の中に無くなってしまった今日、ささやかであっても静かに自分自身と向き合い、祈りを捧げる場を取り戻そうとする試みとして、とても大切な問題を提起していると思います。
 
「空壇」は「仏」ではなく「空」をお祀りする場です。
 
「空」は、大乗仏教の根本概念です。
「空」はインドで発見された数学の0のように、それ自身は何ものでもありません。
それ自身は何でもないことによって、すべての始まりとなり、すべてを受け容れ、すべてを生み出し、すべてを生かし、すべてを自由に働かせる場所です。
それでは、そんな素晴らしいものとは、いったいどのようなものなのか...
そんな風に注視するならば、空は見つけることができません。空は、何ものでもないものなのだから。
 
わたしたちが毎日出会っているあらゆる物事のように、計算し、設計し、操作し、管理することができるような領域にばかり目を向けている限り、わたしたちは「空」に出会うことはできません。
敢えて言うならば、計算し、設計し、操作し、管理する営みが限界に突き当たり、万策尽きたとき、初めて出会うことができるような領域...それが空です。
時間という軸で見るならば、生まれる前の自分...この世の生を終えた後の自分...
空間という軸で見るならば、果てしなく高い天空、果てしなく広く遠い宇宙の彼方...どれほど科学が進歩しても、その全容を知ることなど到底できない天地自然の営み...
そうしたものに思いを馳せるとき、わたしたちは「空」の身近にいる...そう言って良いでしょう。
 
だから、「空壇」にわたしたちの祈りを向けるとき、そこになにを思い浮かべても良い...
かつての仏壇のように、自分に縁のあった誰かの懐かしい姿でも、人間の思い描く理想の姿を形象化した清らかで尊い御仏の姿でも、時に過酷で、時に恵みに満ちた雄大な天地自然でも、何でも良い。
何か特別なことを思い描かなくとも、何か特別な儀式を行わなくとも、ただ祈れば良い。
ささやかな日常の中で、こころを鎮め、手を合わせて祈る。
自分が今生かされていることに感謝して、ただ、手を合わせて感謝の祈りを捧げる。
「暮らしの中で向き合う祈りの空間」としての「空壇」は、かつては伝統や文化という形で確固として存在していた祈りの姿が失われてしまった現代において、ささやかな祈りの場を取り戻す...そうした祈りに相応しい。
 


*****
 


この度、かねてから「恵林寺親子お茶教室』の指導をお願いしています茶道表千家の前嶋宗州君が、『空壇どこ置く?』というプロジェクトに応募し、森美術館において開催された『六本木クロッシング2019展:つないでみる』に展示された「空壇」の無料貸出の対象者に選出されました。

空壇の無料貸出の対象者は、3名。


貸出予定期間は、
 
   第1期:2019年7月〜8月
   第2期:2019年9月〜10月
   第3期:2019年11月〜12月
 
の6ヶ月で、前嶋君の担当は、第1期。

 


 
茶人である前嶋宗州君は、利休の茶の湯の精神に忠実に、茶の湯の席で空壇と向き合うと聞いています。

わたしは、この話を聞いたときに、やはりすぐに『南方録』の一節を思い浮かべました。


 


水を運び、薪をとり、湯を沸かし、茶を点てて、仏に備え、人にも施し、我も飲み、花をたて、香を焚き、皆々、仏祖の行の跡を学ぶのである...
 


今は「偽書」であるとされているテキストではありますが、このくだりは長い年月にわたって大林宗套、笑嶺宗訢、古渓宗陳と名だたる禅将に参じ、深く禅に通じていた利休居士に相応しい。
「空壇」をお茶の席に持ち込むということは、伝統的な「型」というものの本来の意味が失われ、形骸化してしまっているなかに、現代の日本に生きる前嶋君が、活きた茶の湯を取り戻す試みだとわたしは理解しています。
彼がいったいどのように利休の精神を我が物として、現代に生かした茶の湯を行じるのか、今からとても楽しみにしています。
 
そしてまた、前嶋宗州君とは因縁浅からざる立場にあるわたしも、禅僧として協力できることはないかと思っていたところ、前嶋君自身から、「乾徳山で空壇を使ったお茶会を開きたい...」、
と相談を受け、その大胆なアイデアに驚き感心するとともに深く頷くところがありました。
 


かつて日本でも「仏名会」という儀式が盛んに行われたことがありました。
陰暦12月15日から3日間、内裏の清涼殿を始め宮中や諸国の寺院で『三劫三千諸仏名経(仏名経:過去荘厳劫千仏名経、現在賢劫千仏名経、未来星宿劫千仏名経各1巻)』を読誦することによって三世諸仏の名号を唱え、その年の罪障を懺悔(さんげ)し、国家の安寧、皇室の息災などを祈願した法会です。古く『正倉院文書』にも記録が残されていて、奈良時代に始まり、室町期まで続いたとされています。
 
この行事は日本では「お仏名」あるいは「仏名懺悔」と呼ばれ、もっぱら罪障消滅の懺悔の儀式として執り行われたものですが、読誦されるお経の内容は、過去・現在・未来の三世、東西南北四維上下、計十方の国にいます三千ないし十万の仏の名を唱え礼拝するというもので、莫高窟やキジル石窟、ベゼクリク千仏洞などにに描かれている千体仏を思い浮かべるならば、むしろ古今東西を絶して天地山河、あらゆるところにおわします、ありとしあるすべての仏にこころからの感謝と敬意をもって礼拝する...今ここにこうして生かされてある己が身をふり返り、時間・空間を超えて連綿と続く豊かな天地の恵みに稽首礼拝する、感謝の儀式だと考える方がより相応しいように思われます。
 
ならば、かつて恵林寺の開山である夢窓疎石がその若い頃に登拝し、山中に一夏の班を結んで過酷な行に励んだ乾徳山の山頂直下に今も残される「坐禅窟」に、われわれもまた空壇を伴って登拝し、正面に富嶽をいただくその坐禅窟に安置される国師の座像に一碗の茶を捧げ、天地自然にこころからの感謝の祈りを捧げようではないか...
 
空壇を伴っての乾徳山登拝は、


    8月10日「山の日」を期して執り行われます。


国師ゆかりの乾徳山中の湧水である金晶水を汲み、まず初めに、乾徳山頂直下にある夢窓国師坐禅窟の国師像に、そして乾徳山頂の御社にそれぞれ一碗の茶を捧げ、二五六文字の中に空の世界を体現する『般若心経』を読誦する。
そして乾徳山中の扇平、月見岩の前で、富嶽を正面に仰ぎながらささやかなお茶会を開催する。
 
先に、大乗仏教の空は、「それ自身は何でもないことによって、すべての始まりとなり、すべてを受け容れ、すべてを生み出し、すべてを生かし、すべてを自由に働かせる場所」だと言いました。空は聖も俗も、すべてを包み込み、すべてをそこから生み出す場所です。
既に見た『南方録』に、
   仏に備え、人にも施し、我も飲み、花をたて、香を焚き、皆々、仏祖の行の跡を学ぶのである...
あるように、既に利休の茶の湯は仏作仏行を根本として、聖と俗とが切り結ぶ場所という性格を帯びています。
だから、そこから更に一歩を進めて、古くは修験の伝統を背景に持ち、若き日の夢窓国師の修行の聖地である乾徳山において茶の湯を行ずることは、いのりの場に相応しいように思うのです。


坐水月道場 修空華萬行...『あるようで、ないもの  恵林寺・古屋絵菜展』に寄せて...

2019-07-11 11:56:37 | アート


   坐水月道場 修空華萬行


恵林寺の大書院には、円相の中に「坐水月道場 修空華萬行」と大書された額が掛けられています。

書の書き手は越渓守謙(1809-1884)...

幕末から明治にかけて、廃仏毀釈の荒波に敢然と立ち向かった近代の傑僧です。


円相の中の言葉は、 


  「水月の道場に坐し、空華(くうげ)の萬行(まんぎょう)を修す...」と読みます。


臨済禅の世界では、この語は修行の核心を射当てるものとして、特に重んじられています。

それはどういうことなのか...


   水掬(きく)すれば月手に在り 花を弄(ろう)すれば香り衣に満つ...


という言葉があります。
清らかな水を両手で掬(すく)えば、掌中の水に明るく輝く月が映ります。
花を愛おしんで優しく愛撫すれば、楚々とした花の移り香が衣に残ります。


両手で掬うだけの、ちっぽけな一掬いの水が、夜空に輝く月をわたしたちの手元に引き寄せ、そっと手を伸ばして愛撫するだけの一瞬の触れ合いが、儚く繊細な花の香をわたしたちの身に纏わせてくれるのです。


「水月」とは、水に映る月のことです。

夜空に輝く月を掌中に捉えることはできないけれど、両手で水を掬(すく)えば、小さな手のひらの中に収められるだけの、ただ一掬いの水の中にも、皓々と光る月は宿ります。


光り輝く月に憧れ、天空に手を差し伸べても、決して月には届きません。

しかし、身をかがめて、両手に清らかな水を一掬いすれば、そこにはちゃんと清らかな月が光るのです。
どれほど身を削り、努力しようとも、欲望と執着に駆られてただ天空を睨み、身を焦がすだけでは、大切なものには届きません。

大切なことは、身をかがめ、ささやかであってもわたしたちにできることを真摯に行うこと...

掌中の一掬いの水は、無心だからこそ、天空の月を曇りなく映すことができるのです。

心の中から欲望や執着を追い払い、無心に水を掬う...

 

「水月の道場に坐す」とは、傲ることなく、高ぶることなく、求めることなく、ただ無心に端座することを言うのです。無心に坐る姿ほど美しいものはありません。月とは、澄み切った無心の心の象徴なのです。


しかし...とさらに禅は教えます。


掌中の月をわがものとして捕まえようとするならば、その瞬間、水は指の間から流れ落ち、月は幻のように消え去ってしまいます。美しさに執着した瞬間に、すべては失われてしまうのだぞ、と。


無心の行は確かに美しい。しかし、どれほど美しい行であっても、わたしたち人間に実現できるのは水月...無心の間だけ輝く儚い月なのです。

 


「空華の萬行を修す」...

 

一人一人のすべての行いは、心の底から咲き出る一輪一輪の花です。

優しく慈しみに満ちた行いは、その行いに触れる一人一人のこころに爽やかで優しく、暖かい芳香を残します。
「万行」、万(よろず)の行...

修行僧であれば、坐禅、托鉢、作務...あるいは看経、念仏、滝行、断食行...

街に生きる普通の人であれば、

おはようございます、こんにちは、ご機嫌いかがですか、と思いやりに満ちた声を掛ける。あるいは、電車の中で席を譲る、道を譲る、心をこめて仕事をする、感謝の思いでご飯をいただく...

どのような行いであっても、心をこめて行ずるならば、それは自らを清め、磨き上げる修行となってきます。


「空華の萬行を修す」とは、平凡な毎日に生きるわたしたちの、ささやかな振る舞いも、ただ無心に、ひたすらに、高い志をもって、自分に厳しく心切に、生きとし生けるすべてのものに優しい思いやりの心を持って行ずるのであれば、それがそのまま尊い仏作仏行になり得るのだ、と教えています。


 

しかし、実はこの言葉にある「空華」とは、眼の病のために視界にキラキラと輝いて見える幻の花のことなのです。

 

 

美しく輝いて見えるような行いも、尊い修行者たちの厳しく美しい修行の姿も、水月と同じく儚い幻の姿です。
欲望に駆られ、執着にとらわれた瞬間に、大切なものはすべて失われてしまうのです。


   転(うた)た得れば、転た捨てよ...


わたしたちの人生は、努力しなければ、何も得ることはできません。

だから、辛くとも厳しくとも努力を積み重ねていく...そこにわたしたちの人生の喜びはあります。


しかし、努力して得たならば、捨ててしまいなさい...


明るく済んだ美しい月も、心に残る香しい花も、儚く脆い生命を授けられているわたしたち人間にとっては、すべて過ぎ去っていく仮の姿でしかないのだから。


どれほど尊く美しい振る舞いも、一時の姿...
そこに執着してしまうと、美しく清らかなものが、かえって人を苦しめ、迷わせます。


だからこの言葉は同時にまた、どれほど美しい修行も、行いも、水月のように儚い...だから、繰り返し繰り返し、絶えず、得たものを捨てなさい、と教えるのです。


   転た得れば転た捨てよ...


得ては捨て、得ては捨て...人生は、この繰り返しです。このように無心に繰り返す中に、人は水月の輝きを、煌めきながら乱舞する空華を観るのです。


このたび、ご縁をいただきまして、令和元年の7月27日から8月4日にかけて、恵林寺の大書院において、甲斐大和に活動の拠点を置く染色作家・古屋絵菜さんの展覧会が開催される運びとなりました。


会場の下見に来られた古屋さんは、大書院の正面に掲げられているこの言葉「坐水月道場 修空華萬行」の意味するところをわたしに訊ねられました。


修行の奥義、禅の奥義を表すこの言葉に深く感応した古屋さんが、クリエイターとしてどんなかたちで応答してくれるのか...わたし自身も、開催の日を楽しみに待ちつつ、皆様のお越しをこころからお待ちしております。

   *******

展覧会のお知らせ...


 
   在るようで、ないもの。 


 
    古屋 絵菜 個展


 
令和元年7月2 7日(土)– 8 月 4 日(日) 


 
 午前11時~午後4時30分


 
   於 乾徳山 恵林寺


*入場料として、拝観料(300円)とは、別途200円をお願いいたします。


詳しくは、こち を御覧下さい...

 
 
   ***特別企画***


 
ーーー 古屋絵菜 × 茶ノ湯 ーーー


 
7月27・28日(土・日)、8月3・4日(土・日)


 
 午前11時~午後7時


 
茶席:前嶋宗州


 
*お茶・お菓子代として、別途500円をお願いいたします。


主催 乾徳山恵林寺


後援 甲州市教育委員会


お問合せは、恵林寺受付までお願いいたします。


〒404-0053

山梨県甲州市塩山小屋敷2280

   乾徳山 恵林寺 

☎0553-33-3011・FAX0553-33-3182

(午前9時ー午後4時30分)

 


『退蔵院方丈襖絵プロジェクト』のこと...

2019-03-22 10:15:23 | アート
 
 
私事ですが、私が恵林寺にご縁を結ぶことができたのは、ひとえにこの『退蔵院方丈襖絵プロジェクト』の舞台となっている妙心寺山内塔頭退蔵院の住職、松山英照和尚様のおかげです。和尚様が私を徒弟として受け入れ、退蔵院のメンバーとしてたくさんのことを教えてくださり、今があります。
そして、道場での修行を終えてから、紆余曲折があって道が定まらず、路頭に迷っていたところを、助けていただいたのも、実はここで表彰されています退蔵院の副住職松山大耕師のお力添えによります。
 
ちょうど私が退蔵院の徒弟として住み込みの修業をさせていただくとき、数日の違いで同期で一緒に入門したのが、このプロジェクトの主人公の一人、絵師の村林由貴さん。
 
私は、半年の短い期間でしたが、一緒にお寺の様々な行事を体験し、日常を過ごしました。
そして、私は山梨。村林さんは、京都。
絵師として重い責任を背負い、創造に携わるという厳しい日常の緊張感の中、この4月で「九度目の春」を迎える...
 
今回、3月18日に『平成三十年度 文化庁長官表彰』を受けたとのこと。ほんとうに嬉しいこと...
受賞理由は、
 
「襖絵を制作する過程を通じて、若手芸術家の育成と伝統技術の継承を合わせて行う取り組みは、現代社会における文化支援の在り方を提示している」と高く評価いただいたことによります...
 
とのこと。
 
発案者の松山大耕師、絵師の村林由貴さん、プロジェクトに関わる職人さん、スタッフの皆さん、そして退蔵院の和尚様、奥様、お寺を支える皆さん...ほんとうにおめでとうございます。
心からのお祝いを申し上げます。
 
退蔵院での半年間は、和尚様、奥様、そして副住職の大耕さんが、「人を育てる」ということにどれほど多くの労力を割き、真剣に向き合っているのか、私自身が肌で実感する毎日でした。
今回の受賞は、アイデアの斬新さもさることながら、こうした着想が付け焼き刃のものではなく、日常の積み重ねの中で自然に生み出されてきたものだと、身をもって知っている者として、喜びはひとしおです。
アイデアは思いつくとしても、それがどれほど大変なことなのか...
その大変なことを黙々と、人生の時間を削りながら、成功するという確証がないところに踏みとどまって格闘を続ける...宣伝や広報、発信などといった軽薄な思いつきの類いとは次元が違うこと...当然のことそれなりのお金がかかっていて、大勢の人の仕事がかかっていて、そして何よりも才能ある一人の女性の人生がかかっているのです。
 
この受賞によって、絵師の村林さんの役割は、一層重大なものになります。そして、ここまで来ると、私は、この役割をまっとうに向き合って果たす人は、村林さん以外には誰もいないと思っています。
 
 
創造という仕事は、徹底的に孤独な作業です。 
しかし、そもそも人間は、多くの人の愛情と力を借りて、多くの人の暖かい手に支えられてこの世に生を享け、生きていくものではありますが、それと同時に生まれるのも、死ぬのも独りきり...
心からの喜びとともに笑顔で誕生を見まもってくれる人がどれほど大勢いたとしても、惜別の涙に頬を濡らしながら最期を見送ってくれる人がどれほど大勢いようとも、誰もが最後のギリギリのところでは、独りで生まれ、独りで死んでいかなければなりません。誰も同伴することはできませんし、代わってもらうこともできない。
これは、人間に限らず、すべての生命に共通に定められたことです。
だから、徹底的に孤独に向き合うということは、創造に従事する者だけではなく、すべての人間、すべての生命に課せられたことではないか。
後はどこまでそれを直視し、目を逸らすことなくまっすぐ歩くか...
それは一人一人銘々の問題です。誰かがどうのこうの言うことではないと、私は思います。
 
かつて、この絵師の村林さんと妙心寺の法堂の傍らで、戯れにサイダーで乾杯しながら、それぞれの進むべき道に正直に、誠実に、誤魔化さないで立ち向かうことを誓い合った時のことを、今も思い起こします。いわば戦友の宣言。
二十代の前半だった村林さんはともかく、私に関して言えば、年齢を考えるならば青臭く愚直な限りだと、今は若干の恥ずかしさを覚えつつ、そうは言いながら、そうしたものをすべて捨て去ってしまうような人生以外には、本当の魅力は感じない自分を今も抱えています。
 
ともあれ、遙か彼方を見つめ続けるだけではなく、同時に、あたりまえの日常を真摯に、淡々と、しかし情熱を持って送る者だけがこの道を行くことができる。
受賞の喜びのその足下から、厳しく息詰まる日常の積み重ねが再び始まります。
「本表彰をいっそうの励みに進めて参ります」
の言葉、この人から発せられることの重みと、そしてその先に広がる世界に大いなる期待を持って、遠い山梨の地から熱いエールを送りたいと思います...
 
 
 
 

ゴッホに寄せて...

2017-07-29 01:41:50 | アート

 

今日は、フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh;1853-1890)の命日です...

「最短の軌道」を駆け抜けた画家の中の画家を追悼です...まずは、こちらを...


*Loving Vincent - Official Trailer...

 

 

*ゴッホの「失われた耳」を子孫のDNAから培養して復活させたアート作品...

ZKM | Exhibitions 2014 :: Diemut Strebe: Sugababe(German museum shows live replica of van Gogh’s ear)

 

 

こちらも、一緒に...

 

*ゴッホの耳の「生きた」複製、美術館で展示 ドイツ、再生医療を応用【画像】...

 

 

この計算された趣味の悪さは、ほとんど醜悪と言って良いですね...

テクノロジーのもたらす豊かな果実は、それとちょうど同じだけ、あるいはそれ以上の、不快で気味の悪い成果をもたらします。
この作品は、現代テクノロジーの抱えるおぞましい闇を浮かび上がらせているという点では、アートとして成功しているのでしょうか...

狂気は、アートというものが人間に要求する生け贄のようなものですね...狂気がなければ、芸術は力を持たない...プラトンは、神的な狂気(マニアー)について語っています。
もちろん、こうした思想はプラトン、アリストテレスよりも遙かにさかのぼり、古代ギリシアにまでその淵源をたどることができるものなのです。
創造性と引き替えの狂気...切り落とされたゴッホの耳は、その象徴であり、美術史のそこかしこに横たわる墓石の一つのようなものですね。私たちはそこに、痛ましさを感じざるを得ないのです。だから、この作品は不謹慎なものだという感情を喚起しうるものです。

それでは、この作品は、冒涜なのか...

芸術が時代に対して何らかの形でコミットしようとする場合、美や心地よさ、好ましさだけではなく、醜さや不快さのようなものもまた、強力な武器となります。とりわけ、批判、挑発、告発のようなメッセージを担っているのであれば、冒涜的な性格を帯びていることは、作品の機能としては全く正当なものでありうるのですね。

しかし、この問題は、とても難しい...

醜悪なものが芸術の原理となり得る、ということを、公式に、高らかに宣言したのは、一九世紀のヴィクトル・ユゴー(『クロムウェル』序文)だと言います...ある意味では、そうした事柄をはっきりと認めるためには、何百年もかかった...ロマン主義の運動を通じて、過剰な自己の流出を経験する必要があった...そんなことがいえなくもないのです。


それはともあれ、さて、この作品は、どうか...


「禅とアニメの融合」...そこに禅はあるか?

2016-09-17 00:01:01 | アート

はじめに、こちらを...

村上隆さんが描く「禅とアニメの融合」

THE WALL STREET JOURNAL  2016年9月16日

詳しくは、こちら...

Zen and the Art of Takashi Murakami

by Inti Landauro : WSJ


禅は、自由なものですから、こうでなければ禅ではない...と大上段に振りかぶることによって、かえってそこから禅そのものが失われてしまったりするものです。

一見「禅らしいもの」「禅ぽいもの」が禅であるとは限らないのと同様に、まったく禅に見えなくても、禅ぽくなくても、そこには禅の精神が息づいていたりするものです。

あるいは、ここではもっと「禅的」に、


禅、禅、と言うけれども、禅とは一体何なんだ?

そもそも本当に「禅」など存在するのか? 


と逆に訊き返しても良いのです。

ここで紹介されている村上隆氏の『禅とアニメの融合』について言うべきことは、ただ、自分で見て、自分で判断しなさい、ということだけです。

ただ、作家や詩人や劇作家のように、言葉を駆使する人たちは別にして、画家にせよ彫刻家にせよ、自分の作品を自分自身の言葉で創造的に語ることのできる人とそうでない人がいます。それは、その人が自己言及を好むかどうか、自分自身の創造活動について饒舌かどうかとは別の次元において、言われるべきことです。

このインタヴューは、そういう点から言えば、あまりうまくいっているとは言えないように思います。世界的に評判となり、こうしたとりあげ方をされているという点で、成功だと言えなくもないのですが、内容がとてもベタで月並みです。それは質問する側の問題でもあるのですが、禅に限らず、日本文化全体の理解に関しても、所詮はそういうものなのかもしれません...


さて、一つ注意するべき点は、禅というものは徹底して「実参実究」の世界のものですから、何事であれ、真摯に仮借なく向き合うところにしか立ち現れてはくれません。禅が「修行」の宗教だというのは、まさしくそういう意味において言われることです。

道場に行くとか行かないとか、出家するとかしないとか、厳しいめに遭うかどうかとか、そんなことではなく、何事であれ、薄紙一枚、兎の毛一本、塵一つ交えないところで、端的直接に物事に向き合っているか...

言葉も、身振り手振りも、何も挟まないで、共感とか感応とかいうことすら挟まないでいるかどうか...

「以心伝心」ですら、「以(〜をもって)」と「伝(〜を伝える)」というものが間に挟まっていますし、そもそも「心」というものが挟まっています。大事なことは、そんなものを一切挟まないで、「ピカッ」「ガラガラッ」と来るかどうかなのです。

するとここで、「ピカッ」「ガラガラッ」とは言うけれど、「ピカッ」「ガラガラッ」間に「間(ま)」があるじゃないか、「間」が挟まっているじゃないか...そう言う人がいます。

私はそう言う人に聞きます、

その「間」はどこにあるのですか? あなたが勝手に入れているのではないですか?

「ピカッ」「ガラガラッ」の間に「間」などないのです。私たちがストップウォッチを片手に「〜秒」と計って見せても、それは「わたしたち」がその間に「時・間」を挟み込んでいるだけなのです。そこに「間」を挟み込んで「時間」を見てしまうのは、私たち人間の謂わば「性(さが)」であり、私たち人間の都合でしかありません。そうした私たちの側の都合を抜きにすれば、「ピカッ」「ガラガラッ」があるだけなのです。禅ではだから、この「ピカッ」「ガラガラッ」に参ずるには、まずは一息に「ピカッガラガラッ」と工夫せよ、と教えます。

この、「ピカッ」「ガラガラッ」を指し示すものを私は「禅」と呼びます。それは、「月を指す指」です。月とは「ピカッ」「ガラガラッ」のことです。そして多くの場合、月を指しているようで、月を指すはずが、指を指してしまうのです。

「ピカッ」「ガラガラッ」の間に「間」を見てしまう人は、「ピカッ」という指と、「ガラガラッ」という指を見て、その二本の指を月だと思い込んでもう一本の指、三本目の指で指し示すのです。

この、「禅とアニメの融合」に禅があるかどうか...

肝心なことは、まず第一に自分自身で月を見ることです。禅では、ここを「禅とアニメの融合」はしばらく措く...と言います。「禅とアニメの融合」はどうでも良い。ただ、あなたが、私が、ちゃんと月を見ることです。月をしっかりと見届けることができたならば、「禅とアニメの融合」のことは、自ずとわかります。

指を見るな、指を見るな、月をみよ...

大切なことは、この一点なのです。