昨年の記事ですが、ごちゃごちゃとしたまま終わらせては何も変わりませんので、もう一度...
いわゆる「パクリ」バッシングが少し沈静化して、やっとまともな議論が少し出ましたが、その頃には問題そのものに対する関心が薄れ...
多くの場合、専門的な知識を持ち合わせている人は、知識の専門性ゆえに、大騒ぎの渦中にあっては口を噤まなければならないのです。大規模なバッシングが始まっているとき、公平な意見は、「敵」と見なされてしまうからです。ですから、きちんと考えたい人は、時間をおいて事態の推移を見なければなりません。このときも、せめて、このレヴェルのコメントが出るのを待っていました...
まずは、こちらを。
よくわかる、なぜ「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?
深津貴之 UIデザイナー fladdict THE GUILD代表(2015年9月7日:Yahoo Japan ニュース)
もしも、市井の、一般の人がそういうことをしても信用をなくさずに済んでいるとしたら、それはその人が思慮のない素人であり、何を言ってもそれほど真剣には取って貰えない程度の人でしかないのだと、最初から見切られているからにすぎません。...
しかし、じっさいはそんないい加減な人間ではないはずの人が、しばしば公の場で過激な決め付けをし、ことによると不特定多数の人が見ているSNSに無思慮に偏った意見を開陳している姿を見ることは、とても悲しいことです...
こうした事態が起こる度に、おだをあげて口汚く罵り、一方的な決めつけをしている人は、やはりその人の見識や思慮、人品を疑われずには済まないのです...
周りにいる人は、黙っているだけで、やはりがっかりしているのですから...
専門家でないのであれば、静かに、落ち着いて、事態の推移をしっかりと見つめることです。
どのような場合にも、一定期間待っていれば、必ずきちんとした意見の展開が公開される...これは、小保方氏の時もそうであったし、今回も、そうだと思います。
そして、大事なことは、この記事に限らず、その文章、その意見開陳が、一体何を言わんとしているのか、静かに落ち着いて、謙虚に耳を傾ける姿勢です。
言わずもがななのですが、この記事は、東京オリンピックエンブレム騒動について、白黒をつけようとしているのではないのです...この記事の文章から、騒動についてのある一定の判断評価を引き出すことは、もちろん可能です。
しかし、それはこの記事の書き手の意図ではありませんね。
なぜ、この書き手はそうした判断を控えているのか...
それは、本文を読めばよくわかります。そして、それがわかれば、なぜ、この文章を書いたのかも、わかるはずです。特に、この文章が誰に向けて書かれていのかが...
よく、なぜ、専門家は速やかにはっきりとした事実を語らないのか! 事実関係がわかっているんだから、黙っていないで、早く説明せよ!
というコメントを目にしますが、騒ぎの最中にあっては、どれほどきちんとした、優れた説明も、誰も真剣に読んだりはしないのです。
バッシングが始まっている時に、冷静に考えよう、と呼びかけることは、じゃあ、お前はあんな奴を擁護するのか! とならざるを得ないのです。
泥水をかき回したら、しばらくは何があっても、水は汚れて見通しがききません。
憤懣の嵐が収まり、水が澄んでから、検証は静かに始まるのです...
しかし、騒ぐだけ騒いだ人は、そのときになってなお、冷静に、静かに、謙虚に、事態の検証につきあうでしょうか?
その人本人は忘れていても、冷静に物事を考える人たちは決してそうしたことを忘れたりはしないものです。忘れたくても、がっかりした記憶とともに、忘れることなどできないではないですか...見て、聞いてしまったのですから...
この問題が、うずたかく積み上げられて来た「喉元過ぎれば...」の最新の例、それも、残念ながら決して最後とはならない実例になるのではないか...
そう危惧せざるを得ないのです...
唯何も言わずに黙って静観するか黙々と従っていれば良いこれはどんな業界においても同じ
自ら物を考えようとする群衆ほど愚かな物は無い