峡中禅窟

犀角洞の徒然
哲学、宗教、芸術...

グルックの『精霊の踊り』...

2016-12-30 12:45:57 | 音楽

今年もいよいよ大詰め...

大晦日を前日に控え、日中は多忙で気ぜわしくなりそうですが、このようなものも、年の押し迫ったタイミングには良いものです...

 

Chr.W.グルック:『精霊の踊り』...

グルックの作品の中でも最も有名なものですが、原作のままではなく、編曲版で親しまれているものです。

もとはグルックのオペラ:『オルフェオとエウリディーチェ』(1867年:全3幕)の第2幕第2場で、インテルメッツォ(間奏曲)として流れる作品です。

オペラそのものがタイトルの通り、ギリシア神話の「オルフェウスの冥界降り」をストーリーの骨子としています。

黄泉国に赴いたオルフェオが、冥界で精霊と共に踊るエウリディーチェを見つけます...この音楽は、そこで流れているものなのです。

『精霊の踊り』あるいはグルックの『メロディ』として知られていますが、原題は《Ballet des Champs-Élysées》...「シャン・ゼリゼの踊り」。

シャン・ゼリゼの「エリゼ」というのは古代ギリシアの神話世界では英雄たちが死後に赴く死者たちの楽園「エリュシオン(Ἠλύσιον)」のことです。

 

オルフェウスの冥界降りは、伝統的にとてもよく知られたエピソードで、音楽家のみならず詩人や画家、彫刻家...古来芸術的なインスピレーションの尽きる事なき源泉となってきました。

アポロン神の弟子、竪琴の名人オルフェウスは、森の中で蛇に噛まれて急死した、亡き最愛の妻エウリディーチェを追って死者たちの国に赴きます。

愛する人を喪った痛切な悲しみを歌う竪琴の威力によって妻を取り戻すことを許されるものの、オルフェウスは、地上への帰り道、途中、決して振り返ってはならない、という約束を破ったために、エウリディーチェとは永遠の別れを告げねばならなくなってしまいます。

本来はこの後、たった一人で悲嘆に暮れるオルフェウスは、心を動かされて言い寄る女性たちの姿も眼中になく、最後には怒りをかって、八つ裂きにして殺されてしまうストーリーが一般的なのですが(たとえばモンテヴェルデの『オルフェオ』...)グルックのオペラでは、ハッピー・エンドになっています。

 

クリストフ・ヴィリバルト・グルック(Christoph Willibald von Gluck;1714-1787)は、作品そのものは舞台にかけられることのほとんどない人になってしまいましたが、音楽史的には「グルックのオペラ改革」として知られる業績を残しています。

代表的なものは、「レチタティーヴォ(recitativo:叙唱、朗唱)」の改革です。

 

舞台上の劇の進行を説明するために台詞が必要となる部面において、独唱者がメロディ的ではない形で台詞を歌い、説明します。これをレチタティーヴォと言いますが、アリアとアリアの間で、音楽(アリア)部分との流れの調和を乱さないために、台詞のはじまり部分で伴奏楽器(チェンバロが基本的で、チェロ、オルガンなども用いられた)が和音を呈示するというやりかたがあり「レチタティーヴォ・セッコ(recitativo secco)」と呼ばれています。

こうした場合、多くは楽譜にはその部分のコード(調性)が簡単に指示してあるだけで、チェンバロ奏者なりが自由にその場で装飾を付けていたのです。たとえば、モーツァルトの『フィガロの結婚』などを聴いていて、アリアではなく台詞のやりとりが続く場面で、チェンバロがキラキラと鳴っていますが、あれがそうです。

軽やかで、自由な感じの作品にはとてもマッチしたやり方です。

 

一方、グルックが導入したのは、コードだけではなくレチタティーヴォ部分にも伴奏を付けてしまう、というやり方で、「レチタティーヴォ・ストロメンタート(recitativo stromentato:器楽付レチタティーヴォ)」「レチタティーヴォ・アッコンパニャート(recitativo accompagniato:伴奏付レチタティーヴォ)」と呼ばれています。

このやり方だと、作品全体を一貫したトーンで統一することができますから、緊密なドラマ的構成を考えるとき、グルックのやり方はとても威力を発揮します。

こうした方向性の行く先に、途切れることなく音楽が進行するワーグナーの『楽劇』が登場します。グルックは、ワーグナー的な実験の先駆者なのです。

 

さて、それはともあれ、今回はグルックではなく、その編曲版の世界を...

 

まずは、フリッツ・クライスラーによるヴァイオリン独奏版です...

 

*ジネット・ヌヴー...

 

ジネット・ヌヴー(Ginette Neveu;1919-1949)は、20世紀前半を代表するフランスの女性ヴァイオリニスト。カール・フレッシュやエネスコに就いた人ですが、天才ぶりが有名で、1935年のヴィニャフスキー国際ヴァイオリン・コンクールに出場し、一位...このときの2位はダヴィッド・オイストラフ!!!

このクリップは、1938年の録音で、このときヌヴーは、19歳...

私の初めての「ヌヴー体験」は、この演奏ですが、凄い...としかいいようがありません。

残念ながら、飛行機事故によってわずか30歳でこの世を去りました...

 

*ミッシャ・エルマン...

 

 エルマンは、わたしの父親以上の世代(昭和一桁生まれ)のオールド・ファンには格別の思い入れのある演奏家です。
エルマン・トーンと呼ばれる美しい音で一世を風靡した、20世紀を代表するヴァイオリンの巨人...
テンポがかなり自由に揺れ動き、ポルタメント(音符と音符の間を滑らかに繋いで演奏する技法)をたっぷりかけての演奏スタイルは、戦前には圧倒的な人気を生み出すのですが、戦争を挟んで、聴衆の好みも変わり、ヴァイオリニストたちの演奏スタイルも変わり、晩年には、エルマンの演奏スタイルは、時代遅れのものとされてしまいました。...
エルマンはとても優れた技術を持っていましたので、演奏生活がとても長かったのです。
何しろ、世に出るにあたっては、キエフの貧しいヴァイオリン弾きの息子であったエルマンは、サラサーテの推薦状でペテルブルグ音楽院に入学し、レオポルド・アウアーの弟子になったという人です。要するに、19世紀の伝説的な雰囲気のまっただ中から出てきた人で、その人が、一九六〇年代半ば過ぎまで現役ばりばりの演奏活動を続け、ステレオ録音まで残しているのです...ただ、反対に、その息の長さが、仇となったと言えなくもないですね...

ごちゃごちゃしたことは、これぐらいで...

それにしても、この演奏はとても良いですね...
このクリップに寄せられているコメントのとおり、かなり自由に崩して弾いていますので、異様とまでは言いませんが、相当個性的ですね...

しかも、オクターヴ低く引いています...でも、やっぱり、とても素晴らしい...魂の奥底に響く音楽です...

ヴァイオリンは高く華やかな音が魅力...

そういうステレオタイプで考えてはいけません。

ルマンは、聴いたらすぐにわかります...
物凄く甘美で、物凄く情熱的...
叶わぬ夢とは言え、日本には三度来ているのですが、わたしもこの人は心底、生で聴きたかった...


 もう一つ...

 

*ヤッシャ・ハイフェッツ...

 

ヴァイオリン演奏では、この人を抜きにすることはできません。録音そのものも膨大ですが、このグルックの『メロディ』にも素晴らしい演奏を遺しています。

これは、ハイフェッツ自身の編曲版です。

この人は、正確無比な的ニックと賞賛される一方で、冷徹で機械的だと散々言われましたが、わからないものです...

聴く、という行為も時代の制約を強く受ける、という見本でしょうか...今聴くと、とても激しく、切ない演奏です。

 

次に、ピアノ版を...

『精霊の踊り』は、いろいろな楽器で演奏されるのですが、ここでのピアノ編曲版はジョヴァンニ・ズガンバティ(Giovanni Sgambati;1841–1914)。イタリアの作曲家です。ということで、聴き較べを...初めに、

 

*グィヨマール・ノヴァエス...

 

弾いてるのが、20世紀を代表する女流ピアニストの一人、ブラジル出身のグイヨマール・ノヴァエス(Guiomar Novaes;1895-1979)...
良く歌う、独特のフレージングですね...美しいタッチも合わせて、とても素晴らしい...

この人、日本ではあまり知られてはいません。とても残念...

次は、

 

*ヨーゼフ・ホフマン...

 

この人はとても有名...

ヨーゼフ・カシミール・ホフマン(1876-1957)は19世紀から20世紀にかけてのピアノの伝説です。

ロシアのピアノの巨人、アントン・ルビンスタインの個人指導を受けることを許された唯一の人物です。綺羅星のごとく大ピアニストが妍を競った19世紀末から20世紀前半にかけて、ホフマンは同業者からも別格の存在と見なされていました...

カーチス音楽院で大勢の弟子を育て、教育者としても有名ですが、その中にはシューラ・チェルカスキーやゲイリー・グラフマンがいます。

ホフマンのこの演奏、ホーム・レコーディングということですが、とても美しい演奏です。ノヴァエスは、ホフマンにとてもスタイルがよく似ていた...そんなことも言われていますが、それは最高の賛辞なのです。

次は、このヨーゼフ・ホフマンのライバル、

 

*セルゲイ・ラフマニノフ...

 

作曲家・ピアニストのセルゲイ・ラフマニノフ(Sergei Vasil'evich Rachmaninov;1873-1943)の演奏...これも、とても素晴らしい...
とても録音が良いので驚くのですが、これは、ピアノ・ロールだからです。

 

最後に、オリジナルに近いものを...フルート独奏版です。オリジナルではオーケストラのバックなのですが...演奏家で選びます。

 

*マルセル・モイーズ...

マルセル・モイーズ(Marcel Moyse;1889-1984)は、20世紀を代表するフルートの巨匠です。深く艶やかな音、そしておおらかでゆったりとしたフレージングが印象的です...

 

 

 

 

 

 

 

 


ジークフリート牧歌...クリスマスに寄せて...

2016-12-25 08:11:33 | 日記・エッセイ・コラム

1870年の12月25日、つまり46年前の今朝、ワーグナーの私邸、ヴィラ・トリープシェンに、優しく繊細な音楽が響きました...

『ジークフリート牧歌』...

まずは、こちらを...

 

*『ヴィラ・トリプシェンにおけるジークフリート牧歌』...

 

 

これは、全曲ではなく、ドキュメンタリーの一部ですね。
この作品は、長男のジークフリートの一歳のクリスマスの朝、奥さんのコージマに内緒でワーグナーは一三人の音楽家を集め、この曲を演奏させるのです...12月25日のクリスマスは、コージマ・ワーグナーの誕生日でもありました。

この時、コージマは33歳...この年、まさにコージマは、最初の夫、指揮者のハンス・フォン・ビューローと離婚をして、ワーグナーの生涯の伴侶となったのです。だから、このプレゼントは、誕生日、クリスマス、長男ジークフリート1歳の記念と夫妻の新しい人生の始まりを祝うものなのです...


このクリップの場所が、まさしくそこ...ワーグナーのスイスの別荘、ヴィラ・トリプシェンです。ここは、今日では「リヒャルト・ワーグナー博物館」になっています。


1870年の12月25日、朝7:30分を期して静かに音楽が始まり、気が付いたコージマが寝室の扉を開ける...すると...

感激し、喜んだコージマのために、演奏はこの日のうちに何度も繰り返されたといいます...


全曲は、こちら...
最近では、大編成のオーケストラで演奏されるのですが、このクリップは最初の編成に近いものです。コージマと、まだ幼い子供たち、そしてジークフリートが耳にしたのは、こんな感じの演奏だったのでしょうね。

*『ジークフリート牧歌』(小編成版)(前半)

*     同          (後半)


オーケストラのメンバーは、ワーグナーの弟子、指揮者のハンス・リヒターがチューリッヒのオーケストラから選抜した腕利き揃い...

ワーグナーから楽譜を受け取った12月4日から3週間程度の間にチューリッヒでは、オーケストラが極秘裏にリハーサルを重ね、ヴイオラの他に慣れないトランペットを担当することになったリヒター自身も、たった10小節程度の出番のために、ルツェルンの兵舎で軍楽隊からトランペットを借りて毎朝早朝に練習を重ねたと言います。

因みにこの作品、原題は『フィーディーの鳥の歌とオレンジ色の日の出をともなうトリープシェン牧歌』だったそうです。

「フィーディー」というのは、幼いジークフリートの愛称です。そして、鳥の歌や日の出は、ワーグナー夫妻にとって、きわめて私的な意味のあるエピソードだったといいます。朝日が昇り、明けゆく空を背景に小鳥たちが囀り...というシーンは、ワーグナーの作品にも何度も登場します。特に、『ニーベルングの指輪』の第3夜『ジークフリート』は、『ジークフリート牧歌』と共通のモチーフの他にも、こうした朝日や鳥の囀りのテーマに溢れています...

夫妻の愛の絆の象徴であったこの作品、私的な思いの深かったコージマは出版を躊躇い、公開され出版されたのは8年後の1878年でした...

 

『ジークフリート牧歌』をめぐる、ワーグナーとコージマの物語にはもう一つ後日談が...

フィーディーつまり『ジークフリート牧歌』のジークフリートその人自身が、両親の愛の記録を自ら指揮し、録音しています。

 

*『ジークフリート牧歌』:ジークフリート・ワーグナー指揮:ロンドン交響楽団(1927年)

 

 

ジークフリート自身も途中から作曲家を目指し、ワーグナーの弟子であるフンパーティンク(ディズニー映画で有名な交響詩『魔法使いの弟子』の作曲者)に師事して、たくさんの作品を残しています。もちろん、歴史に残るようなものはないのですが...

しかし、因みにジークフリートの母、コージマは作曲家フランツ・リストの娘ですから、家系の物凄さに圧倒されても仕方が無いところではあるのです。その意味では、作曲家・指揮者として人生を送ったことそのことが、プレッシャーを考えるならば、凄いことだと言えるでしょう。指揮者としては、当時、かなりの評価を得た人でもあるのですから...

そして、それ以上にジークフリート自身は、ナチスの台頭の激動の時代に、ワーグナー家の当主として、父ワーグナーと母コージマの栄光を纏うワーグナー家を護るために戦い続けました。ジークフリートのこの戦いは、第二次世界大戦後まで、その子供たちによって引き継がれます...これはまた、別の物語ですが...

ジークフリートは、母コージマが1930年に93歳の長寿をまっとうして亡くなってのち、僅か4ヶ月後に61歳の生涯を閉じました。ジークフリート亡き後、婦人のウィニフレッドはヒットラーとナチズムに急激に接近し、ドイツの敗戦と共にワーグナーの音楽遺産は一度は破滅に瀕してしまうのです。


それはともあれ、ゲルマン神話の血腥い復讐劇も、ワーグナー...愛と平安に満ちた幸福な世界、こちらも、ワーグナー...

  

さて、もう一つ最後に、こちらも名残に...

*ジークフリートのテーマ...ホルン吹奏...

ワーグナーの『リング』から、ジークフリートのテーマを吹いていますが、最初のシ-ンからわかるように、それほど大柄な人ではないのですが、とても見事なコントロールですね...
フレンチ・ホルンというのは、見たとおり、演奏がとても大変な楽器です。このクリップでは、一見、やすやすと吹いていますが、それぐらいこの人の技量が凄いということなんですね...