峡中禅窟

犀角洞の徒然
哲学、宗教、芸術...

「石斧」から「技術」を考える...

2016-10-30 22:59:22 | 哲学・思想


二年前のものですが...

まずは、こちらを...

「石斧を復元」ドイツでの試み...

こちらも一緒に...

『新石器時代の道具箱を再現...』

ARCHEOLOGY

ドイツで、考古学者たちが職人たちと協力して7000年前の新石器時代の道具を再現した...
私のご近所でも、宮大工の棟梁が、同じ試みをすでに実践しています♫
石斧だと、鉄斧のような細やかで整った加工を素早く行うことはできません。

しかし、一見、隙間だらけに見えるホゾの加工も、木片の楔を入れることによって、かえって潰れにくく強靭な構造になるといいます。


優れているかどうかの尺度を、少し変えるだけで、物事の見え方は全然違ったものになりうるのです。

「技術」を考える場合には、相対的な尺度と同時に、絶対的な尺度から考えなくてはなりません。
石斧が鉄斧に変り、電動ノコヤチェーンソーになる...これは相対的な技術の進歩です。
互いに比較することによって見えてくるものは、速度の飛躍的なアップと作業精度の全般的な向上です。
それを本質的なものとして技術を考えるならば、私たちの世界の技術の歴史は、ほとんどの領域で進歩発展の歴史として考えることができるのです。
しかし、作業効率という観点を離れて言えば、また全く違うものの見え方が現れます。


例えば、法隆寺の建築...


木材を、全て人力で加工する…そして、何百年も持続する。

薬師寺の東塔...

コンピューターでは図面を決して引くことのできない屋根の反り、瓦の配列が、東洋西洋を問わず、多くの人の心を打つ...

それが、何百年も美しい姿を保ち続ける...
例えば、建築ひとつとってみても、機能性だけがその本質ではないのです。ゴシック建築は、キリスト教的な世界観によって、その細部まで徹底的に規定されながら建設されるからこそ、信仰の象徴としての役割を果たすことができるのです。
技術の本質は、決して機能性と作業効率だけではない...
時系列の中で比較可能な要素ももちろん、大切なものです。
しかし、法隆寺を法隆寺たらしめているもの、ゴシック建築の聖堂を、ただのレンガの建物ではなく、ゴシック聖堂たらしめているものは、比較相対を必要としない、というよりも、比較することのできない技術のあり方なのです。

現代の先端技術へと繋がっていく「テクノロジー」は私たち人間が使いこなす「技術」の中の極めて特殊な一部でしかありません。

古代ギリシアの「テクネー」が「テクノロジー」に変容していく過程の中で、私たちが獲得したものと同時に、喪ったものをしっかりと見つめる作業が必要になっています。


ヒトラーの聖地?...ヨーロッパを覆う黒い影...

2016-10-18 11:04:55 | 哲学・思想
なぜ、いま、なのか...というところが、ポイントです。

写真は、もと記事のものですが、これが、問題となったヒトラー生誕の家...オーストリア北西部 ブラウナウ・アム・イン(Braunau am Inn)の、「ザルツブルガー・フォアシュタット(Salzburger Vorstadt)通り15番地の交差点」の角に立つ「黄色い3階建ての住宅」です。
この家の取り壊しの理由は、この記事では2つの観点から説明されています。

まずは、大きな問題として、記事の中で「ネオナチ(Neo-Nazi)の聖地になるのを阻止するため...」とあるとおり、移民問題に大きく揺れるヨーロッパの苦悩が背景に存在します。ヒトラーは生後五週間しかこの家にいなかったというのですが、この建物が、
「世界中のナチス共感者が集まり建物の前でヒトラー式敬礼をする場となっている...」というのです。
記事では、オーストリアの日刊紙『プレッセ(Presse)』掲載されたウォルフガング・ソボトカ(Wolfgang Sobotka)内相のコメント、

「いずれにせよ、今後アドルフ・ヒトラーとの関係はなくなる。そうでなければ、生家の神話が残ってしまうからだ...」

を紹介しています。

そしてもう一つ、
記事では、「地元住民はこのような形で注目されることに憤慨すると同時に、自分たちの町がゴシック様式の建築物や美しい川のある土地としてではなく、世界で最も忌み嫌われる政治家の一人が生まれた場所として有名になっていることに失望を隠せない...」とあるように、地域の人々が、いわれのない悪評を被らないため...

二つの理由は、それとしてみれば、もちろん、理由としてはもっともなのですが、同時に、歴史的事実、それも、ヒットラーとナチズムに熱狂してしまったという歴史的事実から目をそらさない、という意味からは、取り壊すべきではない、という意見が当然出てくるはずです。

実際、記事にもあるとおり、

「...建物の前には、『平和と自由、民主主義のために。ファシズムを二度と繰り返してはならない。数百万人の死者が警告する』という言葉が刻まれた石碑が立っている...」

というのです。いうまでもありませんが、悪夢の記憶を残す建物を解体してなくしてしまえば、問題は永遠に解決される、というわけではありません。そして、ヨーロッパ諸国はそのことをよく知っているし、場所がオーストリアともなれば、そのようなことは住民たちには言わずもがなのことなのです。
しかし、改めていま、それでもこうした問題が浮上してくるのは、移民問題で揺れるオーストリアでは、ネオナチ運動が危険なまでに高まってきているから...ネオナチに代表されるような、暴力的で不寛容な精神が恐るべき早さで蔓延してきているから...
深刻な政治的、経済的、社会的不安がヨーロッパ全体を覆っています。
 
かつて哲学者、フリードリッヒ・ニーチェは、「ニヒリズム」の到来を告知しながら、それを「最も不気味な客」と呼びました。
しかし、そうはいっても、その「ニヒリズム」の正体とは、いったいいかなるものか、と問うたとしても、実は簡単に言い当てることはできません。
ニーチェは膨大な量になる「遺稿」の中で繰り返し「ニヒリズム」の問題に言及し、思想家として格闘を続けています。不幸なことに、ニーチェの先駆的なこの格闘は、二つの世界大戦の後、死後半世紀以上が経過してから、初めて公にされました...

それがどうした...

と言う人がいるかもしれませんが、たとえばここで、ヨーロッパあるいはEU諸国を覆う不安を「移民問題」「テロリズム」「経済格差」「文化摩擦」...様々な言葉でくくることで理解しようとしても、ことはそれほど単純ではない、ということを忘れてはなりません。
たとえば、そもそもネオナチの問題でいえば、ネオナチが台頭してきているから、社会不安が生起してきているのか、社会不安が、ネオナチの台頭をもたらしてきているのか...いったいどちらなのでしょうか...
原因と結果の取り違えがあるのではないか...あるいは、そもそも、因果関係を用いて理解しようとすることがふさわしい事柄であるのかどうか...まずはそこから吟味されなければなりません。ものを考えるということは、そういうことなのです。

鋭く事象の論理的な連関を見抜き、原因を突き止めて「正しい」対策を指示する...
現代において求められているのは、そういうものです。しかし、私たち人間の生きる社会において、これまで、そのような目も覚めるような解決が提示され、実現されたことは果たしてあっただろうか...時折見られるほんのわずかな進歩と、幾度となく繰り広げられる巨大な愚行と悲劇の連鎖が、私たちの歴史の正体ではないのか...それならば、私たちの英知、私たちの進歩はいったいどこにあるのか...

一見クリアーな解釈を安易に提示することなく、晦渋な言葉を重ねていくニーチェの格闘は、まさにそのことが、ニーチェが本物の思想家であったことの証になっています。
切れ味よく、機知に富んでいて、ぐさりと心に響く...
そこがニーチェの本領ではありません。ニーチェは、自ら考え、また考えることを通じて、私たちに対して、自らの身をもって私たち自身で考えることを要求しています。奔放華麗な文体ゆえに、しばしば哲学者ではなく「詩人」であると評価される人ですが、論理的な思想体系のあるなしではなく、徹底的に、根本的に考え抜くことこそが哲学者の条件です。私たちの時代を覆う、この不安...それは何に由来するのか、その正体は、いかなるものなのか...それを簡単に言い当てるような単純な言葉がない場所で、ひたすら孤独に考え続ける...
ニーチェの取り組んだ「ニヒリズム」という課題は、まだまだ私たちの頭上にぶら下がったままです...



フリードリッヒ・ニーチェ...音楽家としての顔

2016-10-15 09:56:57 | 哲学・思想

10月15日は哲学者フリードリッヒ・ニーチェの誕生日です。ニーチェは1844年の今日、プロイセンのザクセン州、ライプツィッヒ近郊の小村レッケン・バイ・リュッツェンで生まれました。


ニーチェが亡くなったのは、西暦1900年(明治33年)8月25日の正午です。専門家でもたまに間違えるのですが、西暦1900年というのは、20世紀ではないのです。20世紀が始まるのは、1901年からなのです。


新しい時代の「曙光(Morgenroete)」を遠望しながら、狂気の淵に沈んでいったニーチェは、まさしく19世紀の最後の年にその生を終わりました...
ニーチェは、最後の著作『この人を見よ(Ecce Homo)』を執筆中に発狂するのですが、その後ほぼ15年間、沈黙のうちに狂気の中に生きました...
音楽通であったニーチェは、自身でも作品を残しています。
ワーグナーとの愛憎劇は、とても有名です...
これは、ニーチェの残したピアノ曲の一つ...


フリードリッヒ・ニーチェ:『ヘルデンクラーゲ』

『ヘルデンクラーゲ』というのは、『英雄の嘆き』という意味ですね。綺麗な曲です...

もう一曲...こんどは、歌曲(リート)です。


フリードリッヒ・ニーチェ:『魔法』

*****


命あるものがすべて安らぎに沈む夜に、月の光が穏やかに墓石の上に差し込むとき、

その時に、安らぎのうちにあった墓たちがいっせいに開くというのが、本当ならば、レイラよ、僕は君に呼びかけよう...

*****

神秘的で、ロマンティックなリートです...
悪口を言えば、典型的な世紀末後期ロマン主義の典型...

しかし、イタリア的な透明感と晴朗、そして明瞭さをこよなく愛したはずのニーチェが、こんな作品を残すというのも、とても面白いのです...
ロマン主義的なニーチェのこうした部分は、ワーグナー崇拝にも繋がる要素です...

次は、室内楽作品から...これも、とても綺麗な曲です...


フリードリッヒ・ニーチェ:ヴァイオリンとピアノのための『大晦日の夜に』...


ニーチェ19歳の頃、シュール・プフォルタ(プフォルタ学院)でギリシア語の勉強に没頭している頃の作品です。
これを聴いても、ニーチェの音楽好きは、並のものではないことがわかります...

次は、ニーチェが激しく攻撃したキリスト教的な作品から、


フリードリッヒ・ニーチェ:『ミゼレレ』(5声のための合唱曲)


『ミゼレレ』...『(主よ)我を憐れみ給え』です。後の『アンチクリスト』の著者、ニーチェさんからは想像もできない作品です...

もっとも、ニーチェ自身は牧師の息子ですし、若い頃は敬虔なキリスト教徒そのものでしたから、わからなくはないのです。
ちなみに、『アンチクリスト』というのは、直訳すれば『反キリスト者』つまり「キリスト教徒」に「反対」しているのです。キリストその人に反対しているのではないのですね。 もしも、「キリスト」そのものに反対するのであれば、標題は『アンチクリストゥス』になるはずなのです。要するに、ドイツ語だとキリストは「クリストゥス」で、キリスト教徒が「クリスト」になるのです。
細かいことのようですが、ここのところは、とても大切なことなのです。ニーチェは「キリスト教批判」で有名ですが、キリスト教を批判すると言っても、「キリスト」そのものを批判したのか、「キリスト教徒」を批判したのか...
このあたりは、とてもデリケートな問題なのです。
「本当のキリスト教徒は、一人だけいた。その人は、十字架の上で死んだのだ...」などと、過激なことをニーチェは言っていますが、この言葉の真意は、どこにあるのか...
ともあれ、とても美しい作品です。

 次も、声楽作品...


フリードリッヒ・ニーチェ:合唱と管弦楽団のための『生への賛歌』...


確かこの曲、歌詞を書いたのが、ニーチェの恋人だった、ルー・ザロメだったと思います。
ニーチェは思想的にはロマン主義的なものを乗り越えていこうとしていたのですが、この作品もそうですが、実はとてもロマン主義的な感覚の人です。ルー・ザロメと言えば、有名な写真があります...

 

『三位一体』と名付けられたこの写真は、とても有名です。右から、ニーチェ、友人の哲学者パウル・レー(パウル・ルートヴィヒ・カール・ハインリヒ・レー(Paul Ludwig Carl Heinrich Rée:1849-1901)、そしてルー・ザロメ...

ルー・アンドレアス・ザロメ(Lou Andreas-Salomé:1861-1937)は、時代を代表する才女です。ニーチェは、この女性に求婚までしていますし、後にザロメは詩人ライナー・マリア・リルケの求婚も断っています。写真の三人はとてもきわどい三角関係になり、ルーが原因となってニーチェとパウル・レーは仲違いしてしまいます。後にパウル・レーは、哲学を断念して、医者になります。

ニーチェの主著『ツァラトゥストラはこう語った』のなかに、『老いた女と若い女』という章があります。その中に、

女のところへ行くなら、鞭を忘れなさるな!

という有名なくだりがあります。ここは、しばしばニーチェの女性蔑視の思想が現れた場所だとされ、マッチョなニーチェ像の形成の原因ともなっているのですが、まず第一にこの言葉はツァラトゥストラの言葉ではなく、「老女」が語った言葉なのです。そして第二に、その意味は、上の写真の中にあらわされているのです。つまり、鞭を持っているのは男ではなく女なのであり、「鞭を忘れるな」というのは、女性は鞭を持っているからそのことを忘れるな、という男に対する警告なのです。


脱線ついでに、ニーチェと音楽といえば、ニーチェの作曲家、ペーター・ガストのことを忘れることはできません。


ペーター・ガスト:『ヴェニスのライオン』...


ペーター・ガスト(本名:ハインリッヒ・ケーゼリッツ)は、1854年に生まれ、1918年に亡くなったドイツの作家・作曲家です。二十代の後半でニーチェと知り合い、最後まで親しい関係を維持した人です。ニーチェの最後の著作、『エッケ・ホモ(この人を見よ)』は崩壊する精神の中で書かれたもので、テクストには様々な問題があるのですが、妹や母親に対する激しい攻撃を含む、最も決定的なものとされる原稿は、ガストの遺品から発見されています。それだけニーチェと親しい関係にあり、信頼をされていたということでしょう。そもそも、ペーター・ガスト(ピエトロ・ガスティ)という名前も、ニーチェがつけたというのです。

このクリップの作品からはたいしたことは解りませんが、ニーチェはワーグナーに対抗してガストを持ち上げ、「主に向かって新しき歌を歌え...」と著作の中でガストに呼びかけたりしていますが、明らかに音楽史上屈指の天才であるワーグナーとは較べるまでもありません。ガストの作風が本当にニーチェの音楽の好みに合っていたかも、解らないのです。


さて、ずいぶん脱線しましたが、締めくくりに...ワーグナーの作品を、参考のために。


ニーチェが完全にワーグナーと訣別したのが、この作品...


ワーグナー:『パルシファル』第一幕への前奏曲...


全体の前奏曲の部分です。
この作品は、題材もスペインのモンサルヴァート城の聖杯騎士団と、キリストの「聖杯」をめぐる物語ですし、台本も、音楽も、とてもキリスト教的です。

ちなみに、この「聖杯」というのは、イエスの十字架上の死にさいして、獄卒がイエスの脇腹を槍で突きます。その時に流れ出たイエスの血を受けたものなのです。これと、脇腹を突いた「聖槍」がもつ聖なる力がテーマです。
けれども、ニーチェが嫌ったことは、それにとどまらず、この作品、「歌劇(オペラ)」でも「楽劇(ムズィークドラマ)」でもなく、「舞台神聖祭典劇(ビューネンヴァイーフェストスピーレ)」とされているのです...要するに、この作品の上演は、宗教的な儀式になっているのですね。ですから、戦前のある時期までは、この作品はバイロイト以外の場所での上演が禁止されていたほどなのです。


ともあれ、とても美しい作品ですね。そして、ニーチェの音楽世界と、とても近いものを感じます。


追記:2017年8月25日

ニーチェの作品については、このブログを参考にしてください...

Keikoyamamoto.com:『ニーチェと音楽』:音楽作品一覧...





亡くなった親友を「人工知能」として甦らせる?!

2016-10-14 20:32:23 | 哲学・思想
まずは、こちらを...



この試みそのものに対しては、評価を控えます...
こうした行為の背景には、様々な思いがあり、経験があり、おそらくは秘められたパッションがあり...余人が介在することのできない領域でもあるからです。
しかし、やはりここでは、大切なことが抜け落ちてしまっていますね...

*****

自分の人生から、大切な誰かを永遠に喪ったとき、そうした過酷な事実とどう向き合うかは、その人その人の問題です。
言うまでもないことですが、いくらAIの技術を駆使して、生前のその人がそうしたであろうような応答をする「そっくりさんのブラック・ボックス」を作ろうと、その人の代わりは務まりません。
その人の思い出の品々を大切に自分の許にとどめ置く...そしてその人を偲び、慕い続ける...私たちができるのは、所詮はその程度のことなのです。だから、こうした、その人そっくりの応答をするブラック・ボックスも、セピア色に色褪せていく写真やスクリーンの中で繰り返し再生される動画以上のものにはなりません。厳しいことですが、その人の命は、永遠に失われたのです。

悲しみの中でこうした試みをする人の行いを責めるつもりはありませんが、どれほど精巧な、その人のような「そっくりさんブラック・ボックス」を作ろうとも、それは実は、私たちの一人一人が、誰もがこの世界にたった一人しかいない唯一の存在であり、そうした一人一人がたった一度しかない人生を生きている...だからこそ生命は尊いのだ、という、最も大切なことを忘れた行為でしかないのです。

繰り返しますが、私たちの一人一人は、誰にも代わることができない存在なのです。そして、誰にとっても人生は一度しかないのです。そして、私たちの生命はあまりにも脆く、あまりにも儚い...だから、尊いのです。まさしくここに、私たち一人一人の生命の尊さがあり、さらには、そうした儚く脆い一人一人が出会い、愛し合い、短い人生の中で、限られた時間を共にすることの素晴らしさがあるのです。

この脆さ、儚さを、力ずくで乗り越えようとする努力や執念は、気づくと気づかないとにかかわらず、生命の尊厳を冒さないわけにはいきません。
一人一人の人生、一つ一つの生命には、代わりはないのです。残された者の心の傷、心の疼き、癒やされることのない悲しみは、失われた生命の唯一性、代替不可能性、尊厳の証なのです。だから、心の奥底に傷を抱え続け、心の疼きに耐え、繰り返しこみ上げる悲しみを味わい続けることは、喪われた生命に対する残された者の誠実なのです。
この記事では、

AI(人工知能)の発達で、親しい人や愛する人を忘れる必要そのものがなくなるかもしれない...

と初めに書かれていますが、「親しい人や愛する人を忘れる必要そのものがなくなるかもしれない」というのは、日本語としてもおかしいですが、同時に「必要がなくなる」というところに、そっくりの代用品で済ませて悲しみを味わわなくてもよいようにしよう、という身勝手さが垣間見えます。

そしてもう一つ、これも言うまでもないことですが、AIで人間の個性を再構成することは、基本的には不可能です。少なくとも、いまの時点では、そうなのです。
記事の中では、

「原始的なものなら、彼の個性を持つAIを作れると思った」とエフゲニアさんは言う...

とありますが、「原始的なものなら」と条件付けをしているところからして、本人も本当はそのようなものではない、ということをわかっているようにも受け取ることができますが、人間の脳が行っている膨大な量の情報処理の再構成ですら大変な課題であるのに、人間一人一人の「個性」など、はるかに複雑微妙な内容のものなのです。この「複雑微妙」な「個性」を「原始的なものなら」作れるなど、言葉の矛盾でしかありません。
記事では、
 

それからエフゲニアさんは、彼の写真や、彼に関するニュース記事、彼がこれまでに送った何千ものテキストメッセージなど、あらゆるデジタルデータを集め、自社で開発している人工ニューラルネットワーク(人工神経回路)に入れた。

その結果生まれたのが、彼そっくりの個性を持つSNSチャットボット「ロマン AI」だ...


とありますが、誰か特定の個人の「写真」や「ニュース記事」「テキストメッセージ」といった「デジタルデータ」の集積で「個性」が再現できるなどということは、断じてありません。人間の個性は、データの集積によって形成されるのではないのです。同じ景色を目にし、同じニュースを耳にしても、10人いれば10人とも受け取り方や感じ方は違います。その人の性格によって違いますし、同じ人であっても、その時その時の体調や気分によって受け止め方は変わってきます。同じ情報であっても様々に変わってくるそうした受け止め方感じ方の違いを、私たちは「個性」と呼んでいます。ですから、情報を入れるだけではそもそも情報の量が増加するだけで「個性」など望むべくもありません。
ある特定の個人の情報を集中してインプットすれば、その情報の全体は、その人ならではの傾向性を持った情報となるはずだから、そこに「個性」が生まれる萌芽があるのではないか...という想定をする人がいるかもしれませんが、私たち一人一人の性格の相違や、その都度その都度の体調や気分の違いというのは、単なる情報の偏りによって生まれるのではないのです。「個性」というのは、そんな単純なものではありません。それでは原始的」な「個性」とは、いったいいかなることを言おうとしているのか...そのようなものは、せいぜい情報の偏りバイアスでしかありません。「個性」というものがかくも難しいものであるのに、さらにそれに加えて、複雑な人間の誰かに似せた個性など、夢のまた夢ではないですか...

さて、もう一度繰り返しますが、私はこの記事に書かれている試みそのものについては、評価をするつもりはありません。経緯からしても、そこにはとても個人的な事情があり、個人的な情熱があるはずであるから...
私はただ、この記事を、ただ「ふーん...」ではなく、もう一歩踏み込んで考えて欲しい、と言いたいだけなのです。
「個性」とは何か、人とはいかなる存在であるのか、生きるとは、死ぬとは、出会うとは、別れるとは...そして、AIとは、テクノロジーとは...
考えるべきことがこの記事にはたくさん現れているのです。
記事の最後に、とても意味深いくだりがあります。

現在「ロマン AI」は、インプットされたロマンさんの「個性」をベースに、人々との会話を通して新しい事を学習している。それを見ると「子供を育てているような気になる」とエフゲニアさんは言う...

ここに、とても人間的なものが現れています...私には、AIよりも人間の方が興味深いし、面白いのです。
AIが「子供を育てているような気になる」と語るエフゲニアさんの「個性を」構成できる日が、いつかやってくるのでしょうか...