峡中禅窟

犀角洞の徒然
哲学、宗教、芸術...

坐水月道場 修空華萬行...『あるようで、ないもの  恵林寺・古屋絵菜展』に寄せて...

2019-07-11 11:56:37 | アート


   坐水月道場 修空華萬行


恵林寺の大書院には、円相の中に「坐水月道場 修空華萬行」と大書された額が掛けられています。

書の書き手は越渓守謙(1809-1884)...

幕末から明治にかけて、廃仏毀釈の荒波に敢然と立ち向かった近代の傑僧です。


円相の中の言葉は、 


  「水月の道場に坐し、空華(くうげ)の萬行(まんぎょう)を修す...」と読みます。


臨済禅の世界では、この語は修行の核心を射当てるものとして、特に重んじられています。

それはどういうことなのか...


   水掬(きく)すれば月手に在り 花を弄(ろう)すれば香り衣に満つ...


という言葉があります。
清らかな水を両手で掬(すく)えば、掌中の水に明るく輝く月が映ります。
花を愛おしんで優しく愛撫すれば、楚々とした花の移り香が衣に残ります。


両手で掬うだけの、ちっぽけな一掬いの水が、夜空に輝く月をわたしたちの手元に引き寄せ、そっと手を伸ばして愛撫するだけの一瞬の触れ合いが、儚く繊細な花の香をわたしたちの身に纏わせてくれるのです。


「水月」とは、水に映る月のことです。

夜空に輝く月を掌中に捉えることはできないけれど、両手で水を掬(すく)えば、小さな手のひらの中に収められるだけの、ただ一掬いの水の中にも、皓々と光る月は宿ります。


光り輝く月に憧れ、天空に手を差し伸べても、決して月には届きません。

しかし、身をかがめて、両手に清らかな水を一掬いすれば、そこにはちゃんと清らかな月が光るのです。
どれほど身を削り、努力しようとも、欲望と執着に駆られてただ天空を睨み、身を焦がすだけでは、大切なものには届きません。

大切なことは、身をかがめ、ささやかであってもわたしたちにできることを真摯に行うこと...

掌中の一掬いの水は、無心だからこそ、天空の月を曇りなく映すことができるのです。

心の中から欲望や執着を追い払い、無心に水を掬う...

 

「水月の道場に坐す」とは、傲ることなく、高ぶることなく、求めることなく、ただ無心に端座することを言うのです。無心に坐る姿ほど美しいものはありません。月とは、澄み切った無心の心の象徴なのです。


しかし...とさらに禅は教えます。


掌中の月をわがものとして捕まえようとするならば、その瞬間、水は指の間から流れ落ち、月は幻のように消え去ってしまいます。美しさに執着した瞬間に、すべては失われてしまうのだぞ、と。


無心の行は確かに美しい。しかし、どれほど美しい行であっても、わたしたち人間に実現できるのは水月...無心の間だけ輝く儚い月なのです。

 


「空華の萬行を修す」...

 

一人一人のすべての行いは、心の底から咲き出る一輪一輪の花です。

優しく慈しみに満ちた行いは、その行いに触れる一人一人のこころに爽やかで優しく、暖かい芳香を残します。
「万行」、万(よろず)の行...

修行僧であれば、坐禅、托鉢、作務...あるいは看経、念仏、滝行、断食行...

街に生きる普通の人であれば、

おはようございます、こんにちは、ご機嫌いかがですか、と思いやりに満ちた声を掛ける。あるいは、電車の中で席を譲る、道を譲る、心をこめて仕事をする、感謝の思いでご飯をいただく...

どのような行いであっても、心をこめて行ずるならば、それは自らを清め、磨き上げる修行となってきます。


「空華の萬行を修す」とは、平凡な毎日に生きるわたしたちの、ささやかな振る舞いも、ただ無心に、ひたすらに、高い志をもって、自分に厳しく心切に、生きとし生けるすべてのものに優しい思いやりの心を持って行ずるのであれば、それがそのまま尊い仏作仏行になり得るのだ、と教えています。


 

しかし、実はこの言葉にある「空華」とは、眼の病のために視界にキラキラと輝いて見える幻の花のことなのです。

 

 

美しく輝いて見えるような行いも、尊い修行者たちの厳しく美しい修行の姿も、水月と同じく儚い幻の姿です。
欲望に駆られ、執着にとらわれた瞬間に、大切なものはすべて失われてしまうのです。


   転(うた)た得れば、転た捨てよ...


わたしたちの人生は、努力しなければ、何も得ることはできません。

だから、辛くとも厳しくとも努力を積み重ねていく...そこにわたしたちの人生の喜びはあります。


しかし、努力して得たならば、捨ててしまいなさい...


明るく済んだ美しい月も、心に残る香しい花も、儚く脆い生命を授けられているわたしたち人間にとっては、すべて過ぎ去っていく仮の姿でしかないのだから。


どれほど尊く美しい振る舞いも、一時の姿...
そこに執着してしまうと、美しく清らかなものが、かえって人を苦しめ、迷わせます。


だからこの言葉は同時にまた、どれほど美しい修行も、行いも、水月のように儚い...だから、繰り返し繰り返し、絶えず、得たものを捨てなさい、と教えるのです。


   転た得れば転た捨てよ...


得ては捨て、得ては捨て...人生は、この繰り返しです。このように無心に繰り返す中に、人は水月の輝きを、煌めきながら乱舞する空華を観るのです。


このたび、ご縁をいただきまして、令和元年の7月27日から8月4日にかけて、恵林寺の大書院において、甲斐大和に活動の拠点を置く染色作家・古屋絵菜さんの展覧会が開催される運びとなりました。


会場の下見に来られた古屋さんは、大書院の正面に掲げられているこの言葉「坐水月道場 修空華萬行」の意味するところをわたしに訊ねられました。


修行の奥義、禅の奥義を表すこの言葉に深く感応した古屋さんが、クリエイターとしてどんなかたちで応答してくれるのか...わたし自身も、開催の日を楽しみに待ちつつ、皆様のお越しをこころからお待ちしております。

   *******

展覧会のお知らせ...


 
   在るようで、ないもの。 


 
    古屋 絵菜 個展


 
令和元年7月2 7日(土)– 8 月 4 日(日) 


 
 午前11時~午後4時30分


 
   於 乾徳山 恵林寺


*入場料として、拝観料(300円)とは、別途200円をお願いいたします。


詳しくは、こち を御覧下さい...

 
 
   ***特別企画***


 
ーーー 古屋絵菜 × 茶ノ湯 ーーー


 
7月27・28日(土・日)、8月3・4日(土・日)


 
 午前11時~午後7時


 
茶席:前嶋宗州


 
*お茶・お菓子代として、別途500円をお願いいたします。


主催 乾徳山恵林寺


後援 甲州市教育委員会


お問合せは、恵林寺受付までお願いいたします。


〒404-0053

山梨県甲州市塩山小屋敷2280

   乾徳山 恵林寺 

☎0553-33-3011・FAX0553-33-3182

(午前9時ー午後4時30分)

 



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