美しい月の光に誘われて、お庭の散歩...とても贅沢ですね...
時には、こういったものも良いですね...
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ゆけよ おお セレナータ
ぼくのすきな娘はたったひとり
美しい頭をもたせかけて
シーツの中で休んでいる
おお セレナータ ゆけよ
おお セレナータ ゆけよ
月は美しく輝き
静寂はその翼を広げている
そしてあの暗い寝室のカーテンの後ろには
灯かりがついているのだ
美しく月は輝いている
ゆけよ おお セレナータ ゆけ
おお、あそこへと
ゆけよ おお セレナータ
ぼくのすきな娘はたったひとり
だけど ほほえみながら半分夢見心地で
シーツの中へと戻っていく
おお セレナータ ゆけよ
波は浜辺で夢を見るし
風は梢の上で夢を見る
ぼくのキスにも心開いてくれないのか
ブロンドのぼくの愛する人は
浜辺で夢を見る 波は
ゆけよ おお セレナータ ゆけ
おお、あそこへと
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サー・フランチェスコ・パオロ・トスティ(Sir Francesco Paolo Tosti;1846-1916)は、19世紀から20世紀にかけて活躍したイタリアの作曲家。
美しいメロディの歌曲を沢山書いた人です。Sir と爵位がついていることからもわかるとおり、イタリアで生まれ、教育も受けたのですが、三十代半ばにイギリスに渡り、還暦の頃に英国人となります。最後はイタリアに帰り、そこで亡くなっています。
『セレナータ(セレナーデ)』は、「夜曲」と訳されますが、映画などでお馴染みの、月明かりのもと、ギターを片手に貴婦人の部屋の窓の下で歌う愛の歌です。中世あるいはルネサンスまで起源をさかのぼることができるものです。
おお、セレナーデ、わたしの歌うささやかな曲よ、愛する人の許に届いておくれ...
秘やかな情熱が静かな夜の静寂にこだまし、青白い月の光を一層神秘的に感じさせる...これぞ音楽の魔法です...
原詩は、ジョヴァンニ・アルフレード・チェザーレオ。
「セレナーデ」は、後にはひとつのジャンルになり、歌曲という枠を離れてさまざまな作品が作られていくのですが、やはりその始まりの姿が一番良いように思います。
歌曲としては多分シューベルトの作品が一番よく知られていると思いますが、このトスティのものも負けないぐらい美しいのです。もっと聴かれても良い曲です。
ここで歌っているのが、ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ。イタリアのメゾソプラノです。素晴らしい声の持ち主で、大好きな歌手だったのですが、51歳で亡くなってしまいました...録音も少ないのですが、これは掘り出し物...とても美しい演奏です。
次は、ドイツの作品から...シューベルトの美しい珠玉の名作。
シューベルト:『ロマンス』D797
オーケストラ伴奏になっていますが、それもそのはず、これはシューベルトの劇音楽:『キプロスの王女ロザムンデ』のための音楽です。...
シューベルトは、ドイツ・リートの作曲家としてその名を残していますが、劇音楽もたくさん書いています。歌劇もあるのですが、台本が余りにひどくて上演に堪えない...と言われています。もちろん、真偽はわからないのですが...何しろ、生で聴くことがほぼ、不可能です。その中でも、この『ロザムンデ』は、比較的良く演奏されます...
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満月が山の頂にかかって輝いています。
恋人よ、どんなにあなたが慕わしく思われることか!
優しい心の人よ! 貞節な心の人が
誠を誓う接吻は、なんと美しいことでしょう。
5月の美しさが何の役に立つでしょう、
あなたこそがわたしの春の光でした!
わたしの夜を照らす光よ、わたしにほほえみかけて下さい、
死の中で、いまひとたび!
満月の光の中へ彼女が現れ、
彼は空を仰ぎ見た。
生きている間は遠く離れていても、
死の世界ではあなたのものです
そしてそっと心と心を重ね合わせて崩れ折れた...
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アンネ・ゾフィー・フォン・オッターの演奏...
この人は、声も良いのですが、インテリジェンスと洗練が見事です。。
この作品、とても美しいメロディーで、リズムのリフレインが子守歌のようなのですが、歌詞はぎょっとさせられるものがありますね...
叶わぬ恋の距離の遠さが、月の光に象徴されています。
月の光はこれほど明るく私の許に届いているのに、月そのものには決して手が届かないのです...
傍に行き、一つになることができないのならば、いっそのことこの生命を捨ててしまいましょう...
命を捨てれば、この肉体の軛を逃れて、はるか天の高み、月の光の輝くあの人の処に飛んでいくことができる...
もう一つ、ドイツの作品を...シューマンの傑作。
本当は歌詞の季節が違うのですが、澄み切った静寂感が、秋の夜、あるいは冬の夜にぴったりな感じを受けるのです...
シューマンには、こういう独特な静謐さを讃えた作品が、たくさんあります...
しかし、シューマンの悲劇的な生涯を知っている私たちとしては、この静けさは儚く脆いものでしかないのではないか...次第に狂気の淵に沈んでいくシューマンの精神は、この美しい作品の、手を触れると砕け散ってしまいそうな繊細さによって特徴付けられている...表面の静けさとは裏腹に、シューマンは、澄み切って張り詰めた空気の中で、大空に向かって共鳴していくような、かすかな振動を通じて、私たちに危機的なものを伝えようとしているのではないか...そんな風にも思えるのです...
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それは、まるで大空がそっと、...
大地に口づけでもしているかのようだった。
まるで大地が花たちのほのかな光の中で
大空のことだけを夢見ずにはいられないほどに。
そよ風が野に吹き渡り、
やわらかに穂が揺れ、
森はかすかなざわめきの音を立てていた、
星がとても明るい夜だった。
そして僕の心は
その翼を広げ、
静かな大地の上を飛び去っていった、
我が家に帰って行くかのように...
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歌詞は、アイヒェンドルフ。
ソプラノが、バーバラ・ボニー...ピアノが、アシュケナージ...とても素晴らしい演奏です。
美しい月は、ヨーロッパでは「狂気」と結びつけられました...
「ルナティック(lunatic)」と言えば、そういう意味です...
ヨーロッパにおける芸術の主題としての『月に憑かれたピエロ』はそのものズバリですし、『狼男』も月の光を浴びて、変身します...
ちなみに、「いかれポンチ」というのはほぼ間違いなく「月に憑かれたピエロ」のことでしょう...「ポンチ」というのはピエロのことです。
さて、こうした事情の背景には、もちろん、月の光のもつ神秘的な雰囲気もありますし、満月や新月には、特別な天体の作用が働く、という事情もあるのでしょう。
もちろん、月がわたしたち人間に及ぼす影響がどのようなものであるのか、科学的な検証によって何かが確かめられた、ということはまだ言えないのですが...
それにしても、月の満ち欠けと満潮干潮のリズムがシンクロしていたり、何らかの影響が働いていたとしても、私は驚きません...
月光と人間の精神とが、直接的な因果関係になくても、何らかのリズムのシンクロを見極める目印になっている可能性は否定できません...
ヨーロッパは科学的思考に満ちていると思われがちなのですが、実はそうではありません。つい最近まで、いわゆる「錬金術」に連なるような神秘主義的、オカルト的な思想は十分市民権を持ていましたし、今日でも、意外に根強く残っているのです。
月の光と人間の精神の関係で言えば、「ミクロコスモスーマクロコスモス」の「対応(コレスポンデンス)」という考え方は、ヨーロッパではとても強力なのです。どういうことかと言えば、世界全体、宇宙全体は「マクロコスモス(大宇宙)」...人体は「ミクロコスモス(小宇宙)」...両者は同じコスモスとして対応関係にあり、相互に影響し合っている、というのです。
天体の運行は、ですから、人間に影響する...人間は、宇宙の出来事とシンクロする...医学がこうした考え方から完全に抜け出たのは、19世紀の終わりですし、そうは言っても、今でもこうした考え方を信奉している人は、とてもたくさんいるのです。 占星術などは、完全にそうです...
しかし、科学が進歩すれば進歩するほど、こうした考え方を鼻で笑うことができなくなってくるという側面も、もちろんあるのです...
ごちゃごちゃとややこしいことを言いましたが、ともあれ、何よりもまず、美しいお月様を十分堪能することと致しましょう...
最後に、月と言えば、この曲を忘れるわけにはいきません...
向かって左が、ドップラーです。ドップラー効果で知られる天文学者のドップラーの写真が間違って上げられたりしていますね。
アルバート・フェレンツ・ドップラー(1821-1883):『ハンガリー田園幻想曲』作品26
とても美しい曲です。この作品は、日本で特に有名です。よく、日本だけで...なんて言い方をされますが、そんなことは気にする必要ないでしょう。とても綺麗な作品です...そして、この演奏、とても見事です...